落ちこぼれ退魔巫女が殿を務め囚われたら、妖魔軍総大将の龍帝に「誰にも触らせない」と独占されました。

真黒三太

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魔月の夜

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 膝に届くか否かという高さで生い茂り、草原を形作っている植物群は、いずれもが漆黒に染まっており……。
 七月にも関わらず虫の一匹も見当たらないことから、これは色が異常なだけではなく、およそ通常の生命に属する存在ではないことが分かる。
 しかも今は、年に一度の魔月まげつ――満月が真紅に染まる夜であり、魔性の月光を浴びた草たちは、風も吹いていないというのに葉がこすれる音を発していた。

 ――鬼ケ原おにがはら

 この瑞光ずいこう国で最も魔性の気配強き土地であり、特に、魔月の夜においては、異界と現世とが結び合わさることで知られる場所であった。
 ゆえに、この夜、ここへ布陣せしは、通常の軍勢ではない。
 刀なし、槍なし、矢なし、弓なし、鉄砲なし、鎧なし、騎馬なし……。
 いや、そればかりか、戦においては必須の存在――男子おのこすら一人たりとも見当たらぬのだ。

 では、何者たちがきたる決戦に備えているのかといえば、それは、女子たちである。
 しかも、ただの若き女たちではない。
 巫女だ。
 下は真紅の袴を穿き、胴を守るは汚れなき白衣。
 その手に握られしは、おびただしい霊力の籠められた霊符か、あるいは御幣ごへい

 妖魔と呼ばれる存在に対し、完全なる装備を整えし彼女らこそ、巫女の中の巫女――退魔巫女。
 この瑞光国にあって、魔との戦いを一手に引き受けし担い手たちが、今宵は鬼ケ原へと集っているのであった。
 その理由など、語るまでもない。

 ――調伏。

 毎年七月、魔月の夜には、異界から妖魔の軍勢たちが、現世進出を目指し押し寄せてくる。
 これを結界によって押し留め、調伏するのは退魔巫女たちに課せられた重大な使命であった。
 ゆえに、十五の歳を迎えた桐島舞もまた、見習い巫女の身ながらこの地へと参じていたのである。



--



 鉄と火が合わさる場と書いて、鉄火場。
 で、あるならば、その身に寸鉄すら帯びている者はなく、火気など微塵もない今宵の鬼ケ原こそ、まさしく、鉄火場と呼ぶにふさわしい。
 なんとなれば、集いし退魔巫女たちは、鋼よりも鍛え抜かれた肉体と精神の持ち主であり、立ち上る霊気の凄まじさときたら、たたら場の炎もかくやというものであるからだ。

「お水、お持ちしました!」

「御神酒、ここにご用意しておきます!」

 かように張り詰めた巫女たちが布陣する中を、駆け巡る娘があり。
 全身から漂う霊気はまだまだ発展途上であり、鬼ケ原特有の黒い下草へ足を取られそうになっている様は、いかにも未熟で危なっかしい。
 素人が一見しても見習いと分かるその娘巫女は、十代半ばと思しき年齢であった。

 明るい茶の色をした髪はやや癖が強く、首元へ届くかというところで切り揃えられており……。
 薄紫の大きな瞳が印象的な顔立ちは、あどけない。
 まだまだ少女特有のやわらかさが残っており、大人の女へと変わる蛹のような時期であることが、見て取れるのだ。

「桐島、急ぎな!」

「舞! ボヤボヤしてるんじゃないよ!」

「はい~!」

 先輩の退魔巫女たちにどやされ、目尻へ涙を浮かべながら消耗品運びを行う娘の名は――桐島舞。
 いまだ前線に立つことは許されない見習いの退魔巫女である。 
 が、半人前といえども霊気を有し、侍などよりよほど妖魔への耐性があることは、説明するまでもない。
 そのため、魔月の夜における雑用を行うための要員として、舞たち見習いもまた動員されているのであった。
 もっとも……。

「――あう!」

 ついに下草へ転び、運んでいた霊符をぶちまけてしまっている姿は、半人前どころか、三分の一人前といった有様であったが……。

「まーた、やってるよ」

「消耗品運びくらい、手際よく終わらせられないのかね」

 その姿を見た先輩の巫女たちが、あざけりの笑みを浮かべるのは致し方がない。

「さっさと終わらせて、あんたみたいな足手まといは後方に下がりな」

「そうそう。
 ここら一帯は、もうすぐ妖魔の先鋒たちが飛び出そうとしてくる最前線なんだからね」

「あたしら精鋭ならともかく、あんたみたいな落ちこぼれが巻き込まれたら、あっという間に灰になっちまうよ」

 彼女らからたぎる霊気は、自らを精鋭と称するにふさわしく研ぎ澄まされたものであり、無様に転んだ舞のそれなどとは、比べるべくもないものであったからだ。

「す、すいません~」

 照れたような笑いと共に霊符を拾い集める舞の姿に、誰かの舌打ちした音が響く。

「まったく……。
 こんなのが、名門桐島家の娘だなんてね」

「姉君の輝夜かぐや様は、後方で結界の核を維持しておられるのでしょう?」

「年齢も三つしか違わないと聞くのに、大違い」

 これからまさに、恐るべき妖魔たちの調伏へ挑む最前線だというのに、先輩巫女たちが浮かべたのは――あざけりの笑み。
 本来、自分たちより遥か高い位階にいて然るべき人間が、こうして無様な姿を晒し、下働きへと甘んじている。
 それは、いかなる甘味よりも魅力的に彼女らの自尊心を刺激したのだ。

「え、へへ……」

 対して、舞の方は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すばかり。
 いや、いっそこれは、卑屈な笑みであると言っていいだろう。
 落ちこぼれの弱者が、強者たちの嗜虐心を必要以上に呼び起こさぬよう身につけた処世術であった。

「まったく、へらへら笑って誤魔化して……」

「さあ、符を置いたら後方に戻りな!」

 だが、それは確かに精鋭たちから毒気を抜いたのである。
 あるいは、そもそも、舞ごときに心を割いている余裕というものがなかったか。
 毎年の記録を基に考えるならば、まだ時間的な余裕はあった。
 しかし、これから調伏せねばならないのは、火山の噴火にも匹敵する妖魔たちの大侵攻なのだ。
 気を引き締めておくに、越したことはないのである。

「ふぅー……」

「皆、霊気をさらに整えるよ」

 もはや、舞ごとき半人前など視界に入らなくなった先輩巫女たちが、呼吸や霊気を整えることに集中しだす。

(皆様方の、なんて頼もしいことだろう)

 そんな彼女たちの姿を見て、胸に誇らしき想いを抱くのが舞という少女の美徳であろう。
 この大一番で先鋒を任される力量の彼女たちが、そうであるからこそ、桐島家の落ちこぼれである自分を疎ましく思っているのは、よく理解していた。
 だからこそ、努力あるのみ。

 今の桐島舞は、最底辺の落ちこぼれ。
 ゆえに、この後は這い上がっていくだけなのだ。
 そして、その糧とするため、今宵は下働きの立場から先輩たちを支えつつ、その働きぶりをこの目に刻みつけるのである。

 何も、心配する必要はない。
 実姉たる輝夜を筆頭に、今宵この鬼ケ原へ集いしは、国中の退魔巫女たち。
 異界の妖魔が結集したとして、この布陣による結界を抜くことなど不可能なのだ。

 などというのは、未熟者ゆえの甘い見通し。
 それを、舞は思い知ることとなる。
 眼前、遥か地の底から、天空に向かい噴出した雷の嵐によって。



--



「一体……」

 気がつけば、舞はうつ伏せに倒れ伏しており……。
 いつの間にか口の中へと入っていた下草を、唾液と共に吐き捨てた。
 全身が、ひどく痛む。
 木刀で余す所なく打ち据えられたかのようだ。

「くっ……あっ……」

 上手く呼吸が出来ない。
 口の中を切ったらしく、唾液と血の混ざったものが口からこぼれる。
 だが、顔を上げてすぐに、舞は自分が幸運であったことを悟った。

「ひっ……!」

 見れば、目の前にある一帯は焼き払われ、焦げた地面を露出させており……。
 しかも、五尺ほどはあるだろう炭の固まりが、そこかしこに転がっているのである。
 それが炭化した人体であることは、稀に枯れ枝のごとく突き出ている部位があることから、想像がついた。
 伸ばした手が、そのまま黒焦げとなったのだ。

「姉様たち……?」

 そう、口に出したところで、答える者など存在しない。
 ただ、濃密な死の匂いだけが、最前線となるはずだったこの一帯に漂っていた。
 いや、まさにこの瞬間、ここは対妖魔の最前線と化しているのである。

「――妖気!?」

 その証拠に、遥か下――地面の向こう側から、可視化するのではないかというほど濃密な妖気が漂っており……。
 今一度、恐るべき雷の嵐が、天に向けて突き上がったのだ。

 落雷という言葉で分かる通り、元来、雷とは天から地に向かって放たれるもの。
 それを逆転させたこの現象は、反逆の意思というものに満ち満ちていた。
 では、一体、何に対する反逆なのか?
 それはおそらく、この世界を形作ることわりそのものだろう。

 つまり、この雷撃は、現世というものを呑み込み染め上げるための嚆矢こうしに他ならず……。
 これを放った存在は、逆上し迸る雷撃の中心部で、高らかな笑い声を上げたのである。

「ふふふ……。
 はーっはっはっは!」

 一見すれば、その存在は若き――圧倒的な美青年に見えた。
 白銀の髪は、ざんばらに切り揃えられており……。
 腰布と豪奢な金の首飾り以外に何もまとっておらず、鍛え抜かれた細身の体を大胆に晒している。
 そして、問題となるのはその頭部。
 両のこめかみからは、紫水晶で作られたかのごとき太い角が伸びており、莫大な妖力を発しているのだ。

 ならば、この青年は妖魔であるに違いない。
 しかも、生半可な種族でないことは、明らかだった。
 では、いかなる存在なのか?
 それは、青年自らが、鬼ケ原全体に轟くほどの大音声だいおんじょうで告げたのである。

「我こそは、妖魔軍総大将……!
 ――龍帝、天凱てんがいなり!」

 じろり、と、上空に浮かぶ龍帝がこちらを見やった。
 瞬間、舞と天凱……両者の視線は、確かに交わったのだ。


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