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1巻
1-2
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シラフで勇者を名乗る人に呆れた顔をされるだなんて……とは思うけれど、自分のいる場所がわからない人間も相当である。これでは酒に溺れたクズの所業だ。
……お互い様ということにしておこうか。
しみじみと考え込んでいた時、突然クラウスさんに突き飛ばされた。
またか! 私の身体をバレーボールのように扱うのを、全人類にやめていただきたい。
「どけ! 獣人が囮の役目を果たしたみたいだぞ!」
彼は楽しげに叫び、腰に佩いていた長剣を引き抜いた。様になっている。
イザドルさんもまた、手にしていた杖を洞窟に向かって構えた。こちらも決まっている。
どこかにカメラがあるのだろう。撮影の邪魔にならないよう、木陰にでも隠れていたほうがいいのかもしれない。
私は自発的に下がって、彼らが厳しい顔つきで睨む洞窟を眺めた。
すると、中からフィンレイさんが出てくる。それを見た私の口から、ひえっと間抜けな声が出た。
彼の姿があまりにも凄惨だったのだ。
「えっ!? それ血糊だよね」
「無様な姿だな、獣人! 邪魔だ、さっさと引け!」
混乱する私をよそに、よろよろと歩いてきたフィンレイさんをクラウスさんは邪魔そうに押しのける。無造作に身体に触れられたフィンレイさんの顔が歪んだ。
本当に痛みを感じているようにしか見えない。私は慌てて彼に近づいて、ぐらりと傾いだ身体を支える。
よく知る鉄錆の匂いは、間違いなく血だ。
彼は全身真っ赤だった。これが全て本物の血だなんて、信じられない。
「大丈夫!? どうしたの、これ! 怪我……たくさんしてる!」
「よせ……俺のことは、放っておけ」
「放っておけるわけないでしょ!? 何言ってるの……何でなの」
どうしてこんな酷い怪我をしているのだろう。
私の問いに対する答えは、すぐに洞窟から這い出てきた。
「げっ……あれは何!?」
「魔物、だ。……わからないのか? 魔物のことまで」
思わず叫んだ私に、フィンレイさんが応える。怪我をしているのは彼のほうなのに、私を気遣わしげに見下ろしていた。
わからないことが多すぎて怖くなってきたけれど、こんなに酷い怪我を負っている彼に心配をかけるわけにはいかない。奥歯を食いしばって、疑問は自分の中に一時封じ込める。
「私があなたに何かしてあげられることはある?」
「いや……ない。俺に構う必要はない」
「なくはない!」
「一応聞くが、魔法のことはわからないんだろうな?」
「魔法?」
「……ああ、そういう反応が返ってくると思ったよ」
フィンレイさんは複雑な笑みを浮かべた。どこか嬉しそうな、そんな自分を自嘲するような笑みだ。一方、クラウスさんがはしゃいだ声をあげる。
「勇者クラウス様の生きている内は、この世に魔は蔓延れないぜ!」
洞窟から出てきた獰猛そうな、変な生き物たち相手に剣をふるえるのが嬉しいらしい。
この変な生き物に似た姿の動物をあえてあげるなら烏かもしれない。けれど大型犬よりも大きく、くちばしにあたる部分にびっしりと鋭い牙が生えている。それが複数いるのだ。
異形たちのほうも、私たちの姿を見て喜んでいるようだった。きっとその無数の牙を使えるのが嬉しくて仕方がないんだろう。クラウスさんと二人でよろしくやってほしい。
そんな化け物を、クラウスさんは剣一つで薙ぎ払った。
「素晴らしい剣捌きだよね、彼。間違いなく【人間】の中で随一の剣の使い手だよ。女神の教会が勇者として認めるのも頷ける。ねえ、そう思うだろう?」
いつの間にか私の横まで下がっていたイザドルさんが同意を求めてくるけれど、半分くらい何を言っているのかわからない。
曖昧に笑って小首を傾げてみる。そんな日本人のお家芸を使った私は、睨みつけられた。
……もう現実を受け止めるしかない。
この人たちはコスプレの合わせをしているわけではなかった。銃刀法に完全に違反している刃物を所持しているのも、アホだからではない。
「ここは、勇者のパーティがいてもおかしくない世界ってことなの……!?」
つまり、クラウスさんは本当に勇者なのだ。そしてイザドルさんは本当の勇者に従う吟遊詩人。フィンレイさんは獣人だ。――この角は本物なのか!?
「おい、俺の角に触れるな……」
「あ、ごめんなさいね。ついつい」
一人で立っていることもできない怪我人を木陰に座らせ、身体を支えるにかこつけて、彼の角を欲望のままに撫でてしまった。
すべすべつるつるの金色の角は、本当に頭から生えてきていて、生命の神秘を感じる。
「さっさと離れておけ。クラウスが魔物を屠り終えて戻ってきたら、あなたは困ったことになる」
「困ったこと?」
「ああ。それに……俺たちについてくるのはよしておけ。アルソンにも立ち寄るな。別の町に行け」
「いや、それは無理だと思う。一人じゃ何もわからないもの。絶対にあなたたちについて行くよ、私」
だってここは、おそらく異世界。それも凶暴そうな魔物が出る。
フィンレイさんのような屈強な男性が、こんなにも傷だらけにされてしまうような相手だ。私が一人で遭遇したら、たぶん五秒で死ぬ。
「……確かに、あなた一人で街道を行くのは、無茶な話か」
「うん、そう思う……そもそもどうして私を邪険にするの? その、そんなにご迷惑になる?」
ならないわけはないだろうけど、こんな場所に放置していくほど迷惑なの?
助け合いの精神とかは、ここには存在しないのかもしれない。
「まあ、私のことはいいよ。ともかく、あなたの手当てが一番大事だね。救急用品とか、持ってる?」
「ないな」
「そうなの……それじゃとりあえず、汚れているところだけ拭かせてね」
そっと手を伸ばす。さっきはものすごく嫌がられたから。
ここが異世界だなんて考えてもいなかったので、この世界的にあり得ない発言をしていたのかもしれない。ヤバイ女だと思われていたらどうしよう。
けれど、今度は嫌がられなかった。
彼は不思議と幼い目で私を見上げてくる。傷口に触れるため支えようと頬に手を当てると、すりっと指にすり寄られ、心臓がギュンと音を立てた。
イケメン、一体どうした!?
それを見ていたらしいイザドルさんにからかわれる。
「随分、獣人と仲がいいんだねえ、君?」
「ッ!」
「クラウス様が魔物を殺し終えたら、次は怪しい君の番だよ、ねえ?」
イザドルさんが顔を近づけてきて、意味深に言う。
金色の長い髪が波打ち艶めいている白皙の美貌は、横から見ても麗しい。
アーモンド形の目を細めて微笑む表情も美しいけれど、今のってブラックジョークよね? 次は私の番って、斬られる番のこと? 怖すぎじゃない? この世界のユーモアなの?
するとフィンレイさんが、私の手をバッと払って押しのけた。
「あいたっ」
「っ、すまな――」
謝ろうとしてくれた彼の言葉は、最後の魔物を斬り終えたクラウスさんに遮られる。
「質問の続きだ! ――おまえはどうして魔物の巣にいた?」
クラウスさんは、洞窟から出てきた何十体もの魔物を斬り終えた血みどろの剣を右手にぶらぶらさせたまま、私のほうにやってきた。
剣が汚れているため綺麗にしてからでないと鞘に入れられないんだろうけれど、私に向けないでいただきたい。先端恐怖症になりそうだ。
けれど、下手にそんなことを口にしたら、この人は私を斬る気がする。
怪しまれないように、しかし万が一怪しい行動をしてしまっても多少は許されるように――私は先ほどフィンレイさんにかけられた言葉を手がかりに、答えた。
「実は頭を打ってしまって、記憶が曖昧なんですよ!」
「おお! ってことはもしかしておまえ、魔物を倒しにきた女神の戦士じゃないのか? 戦いに来たとは思えない格好だが、魔法使いならありえるな。頭を打ったのは魔物との戦闘でか?」
「そうそう、たぶんそう! 何せ記憶が曖昧なので、はっきりとはわからないですけれどね!」
――女神の戦士、魔法使い、魔物。
クラウスさんがノリノリで私の設定を補足してくれる。彼の口から出てきたこのキーワードを心に留めておこう。
私は女神の戦士で、魔法使いで、魔物との戦いの最中に頭を打って記憶が混乱している!
けれど、イザドルさんが冷たく私の言葉を否定した。
「この女は怪しいですよ、クラウス様。殺しておいたほうがいいのでは?」
確かに私が怪しい女なのは間違いないけれど、殺されるほどの悪事を働いた覚えはない。
「いや、女神の戦士ならば、その負傷は称えるべきものだ。オレたち女神の信徒は助け合わなきゃいけないぜ」
クラウスさんが胸を張って言う。さすが堂々と勇者だなんて名乗る男である。何だか様になっていたせいか、イザドルさんは溜め息をついて諦めてくれた。
「……仕方ありませんね、クラウス様がそうおっしゃるんでしたら」
その後、イザドルさんはクラウスさんに見えないように私を睨んできた。
何だろう、今の反応。もしかするとイザドルさんはそっち系?
別に人の恋路を邪魔するつもりなんてないので、敵視しないでほしい。私はそれどころじゃないからね!
「一先ず町まで一緒に行くか……って、いってえ! オレ怪我してる!」
「クラウス様が手傷を負われるなんて珍しいですね」
「マジだよ! このオレ様としたことが! 治してくれよイザドル!」
「ダメですよ、クラウス様。何ごともご自分で、できるようにならないと。私はただの観測者。あなたのサーガを歌うだけの者です」
「はあー、だよなあ。でもオレ、魔法苦手なんだよなー」
ぶつくさ言いながら、クラウスさんは血を振り落とした剣を鞘に収めて、怪我をした腕に掌を宛がう。そしておもむろに口を開いた。
「女神コーラルの御力で、治れ治れぇ!」
「……ダメな詠唱の見本ですね」
イザドルさんは苦笑を浮かべた。けれど次の瞬間、クラウスさんの掌が白い光を発し、あっという間に彼の腕の傷が塞がる。
「嘘、すごい! 今の何!?」
私が思わず声をあげると、クラウスさんは憐れみに満ちた顔になった。
「そんなことまで忘れちまってるのかよ……魔物が憎いな」
「クラウス様、怪しいですよ。【人間】なら誰しも使える魔法について思い出せないなんて」
「逆に魔族なら絶対に知ってるだろ……イザドル。おまえはいつも疑心暗鬼がすぎるんだよ」
嫉妬する美人をあしらい、クラウスさんが親切に教えてくれる。
「【人間】は誰でも生まれる時、女神コーラルから魔力の器を授かるんだ。器に大きさの違いはあるが、器があるからには魔法が使える。使えないのは女神コーラルに愛されていない種族、魔族と獣人くらいだ」
そう言って、クラウスさんは蔑むようにフィンレイさんを見た。
あれ? 仲が悪いの? 一緒に行動しているのに、仲違いしているの?
……怪我を治す魔法だなんてものが使えるのなら、フィンレイさんを治してあげてほしい。
「ん? 何だよ。何見てんだ?」
「……ええと、クラウスさんは、他人の傷は治せない系?」
「系? おまえの手の傷か? それくらい自分で治せよ!」
私にも魔法なんて謎の力が使えるのだろうか。そんなときめきに気を取られていると、クラウスさんが怒鳴り声をあげた。
「それにしても獣人ときたら! まともに囮役もできないのか! 何だよその様は!」
私は思わずびくついてしまう。
クラウスさんはフィンレイさんを治すどころか、怪我をしたことを責め出したのだ。
魔法で治療してあげてほしい、だなんて言い出せる雰囲気ではない。
「……申し訳ありません」
「目障りなんだよ。何なんだよ、その顔は!」
「えっ、ちょ」
さらに信じられないことに、クラウスさんはフィンレイさんを蹴った。
フィンレイさんの肩についた魔物の噛み傷に血が滲む。痛そうで見ていられない。
やめてと言おうとするのを、フィンレイさんに視線で制された。明らかに、止めるなという目で私を見ている。
私が口出しをしたらより酷いことになってしまうのだろうか? そもそも、何で仲間割れなんてことになったわけ!?
「獣人という種族は魔族の味方なのではありませんか、クラウス様? 心を入れ替えたように見せかけて、やはり今の時代でも」
「イザドルの言う通りかもしれないな……」
「誠に申し訳ございません。至らないこの身をお許しください。フィンレイ、身命を賭して女神の戦士に仕える所存で、決して魔族などの味方をするつもりはありません」
フィンレイさんは絞り出すような声で謙る。
頭を下げているので、上背のあるクラウスさんやイザドルさんには彼の表情は見えなかっただろう。けれど、いくら顔を伏せていても、私からはフィンレイさんの顔が見えてしまった。
奥歯を食いしばった険しい顔つき、黄金の瞳には炎が煌々と燃えている。
彼の言葉の全てが本心というわけではないのだ。
そして、私が真実のいくらかを覗き見てしまったことに気づいたフィンレイさんは、その燃えるような瞳で私を射抜いた。
……見ちゃいけないものを、見てしまったのかもしれない。
§ § §
「なるほどな、ルカは女神の戦士になるために田舎から出てきたってわけだ」
「まあ、たぶんそうだと思うー」
あの後、クラウスさんはフィンレイさんに興味をなくし、アルソンとやらの町に戻る途中で私の身の上を聞いてきた。その度に、設定が作られていく。
「まずは女神の教会で登録するのが基本だろうに、何を勝手に突っ走ってんだよ。オレが偶然あそこの魔物の巣を駆逐しようと考えついていなかったら、おまえは死んでたかもしれないぞ!」
「そうだよねー」
「ま、女神の戦士としてその意気込みは買うがな!」
適当にクラウスさんに話を合わせていたら、以下のストーリーに落ち着いた。
私は女神の戦士とやらになるために田舎から出てきたらしい。女神の戦士というのは魔物を倒すために戦う人のことで、正式にこれを名乗るには女神の教会とやらで登録をする必要があるそうだ。私は血気盛んすぎて登録前に魔物の巣に乗り込んだアホっていう話になった。
みんなそういう感じでよろしくお願いしたい。
現在、アルソンなる町に到着し、私は宿場の食堂にて、クラウスさんに夕飯をおごってもらっているところだ。
「食えよルカ。おまえさっきから全然減ってないじゃないか。オレのおごりなんだから金は気にすんな!」
「クラウスさん、マジ勇者様」
「当然だろ? 誰より先に伝説の天馬を見つけ、伝説の勇者の再来になる男だぞ、オレは!」
クラウスさんは乗せれば乗せるほど、この世界について教えてくれる。
どうも千年前、魔王が突如世界の蹂躙を始め、【人間】&獣人タッグと魔族の間で大戦争が起きたということだった。その戦いの結果、魔王は追い詰められて空に逃げ出したんだそうだ。剣も魔法も届かないほど天高くまで飛びあがられて、誰もがオロオロ戸惑っていた時、天馬に乗って現れた人が、伝説の勇者と言われている。
「勇者は天馬を駆って空を駆け抜けた! 雲を踏み、雨を降らせて、魔王とその眷属どもが逃げようとする。だが、勇者は射程に収めた敵を逃がさない! 手足のごとく天馬を操り、縦横無尽に天を翻るッ!」
この勇者と天馬の話は、クラウスさんの口から五回は聞いていた。目を輝かせて熱弁する彼は、無邪気な少年のようだ。
「――オレこそが、次世代の勇者として名乗りをあげる! 緊急時に伝説の剣を持ち出す許可は得られたし、あと足りないのは天馬だけなんだぜ」
「ヒュー! さすがクラウスさん。私たちにできないことを平然とやってのけるに違いない! そこに痺れる憧れるぅ!」
「照れるぜ、ルカ!」
同じ話を繰り返すのは玉に瑕だけれど、おだてて褒めれば見知らぬ女の宿代まで出してくれる彼はとても優しい人だ。
だからこそ、彼のフィンレイさんへの仕打ちは異様だった。
「――それではこれより、邪悪な獣人どもを殺した戦士の曲を演奏させていただきます」
イザドルさんは食事を終えてから、ずっと笛を吹いたり歌ったりしている。
笛の節に合わせて、昔の出来事を謳うのだ。どこか懐かしいメロディに乗せられているのに、その内容はこの世界に存在する一つの種族を弾圧するもので、えげつない。
どうも獣人と【人間】は歴史のどこかで、仲違いしたらしかった。だから獣人は嫌われている。憎まれているとすら言えた。
そのせいで、獣人であるフィンレイさんはとても酷い仕打ちを受けていたみたいだ。むしろクラウスさんたちの対応は、【人間】の中では優しいほうであるとすら教えられた。フィンレイさんに頼み込まれたとかで、パーティに入れていたくらいだ。
今、フィンレイさんはここにいない。この町に来る途中の森で姿を眩ませてしまった。
探しに行きたかったけれど、向かった方角がわからず、一人では行けなかったし、クラウスさんたちに探そうと言うのも憚られた。
それにクラウスさんから逃げ出した可能性がある。
だって、怪我人相手に足蹴だよ?
クラウスさんもイザドルさんも、フィンレイさんの姿がないことには気づいていたのに、探そうとも口にしなかった。いなくなったか、どうでもいいやって感じだ。
気難しいイザドルさんはともかく、クラウスさんは、私には随分と優しく、気のいい人なのに……
彼は基本的に何もかも、ポジティブに受け取ってくれる。それでも獣人のこととなると、人が変わってしまったように恐い顔をするのだ。
私はどうしてもそのあたりのことに納得できないまま、イザドルさんの演奏に耳を傾けた。
彼が黄金の笛を吹くパートが終わる。次は歌い始めるのだろう。
段々、お腹が痛くなってきた。
何しろイザドルさんが綺麗な声で朗々と歌う内容は、先ほどから、どれもこれも凄惨すぎて笑えない。
獣人を見つけたら殺せ、決して生かすな、彼らは邪悪な裏切り者――こんな歌を平気で歌うのだ。そして宿の宿泊客や町の人間は、酒を酌み交わしながら陽気に笑顔でその歌に声を揃える。
こんな差別主義者たちに、異世界から来ましただなんて打ち明けられるわけがない。
親切なクラウスさんや、私の分まで宿の手配をしてくれたイザドルさんには悪いけれど、私はこの世界の一般的な【人間】だと嘘をつかせてもらうことにした。自衛のためなので許されたい。
愛想笑いにもそろそろ我慢の限界が来て、歌が始まる前にと、私は席を立つ。
「私、お手洗いに行きたいんですけど、どこですかね」
「ああ? 宿の裏だろ大体」
親切に教えてくれるクラウスさんにお礼を言って、何とか歌パートの前奏あたりで食堂を出た。
宿の外に行くと、ピリリと手の甲の傷が痛む。洞窟の岩で擦りむいた小さな傷だ。風が冷たいからだろう。ここの季節はクリスマスの日本と同じらしい。
宿の看板の前に掲げられたランプ以外の明かりはなく、町は暗かった。
濃紺の空に無数の銀星が瞬いていて、息を呑むほど美しい。
「……治れ治れ」
不意に思いつき、私は手の甲に掌を当て、半信半疑で念じてみる。すると、鳩尾の奥のほうから何かがするりと抜ける感覚があった。
勇気が中々わかなかったけれど……手の甲に被せた手をえいっとどけて、見てみる。何と傷が完全に消え失せていた。
「治った! ……マジかあ」
この世界の【人間】は生まれる前にコーラルという女神に魔力の器をもらうのだ、とクラウスさんに教えてもらった。
私はもらった覚えがないのに、魔法が使えるらしい。
……あれ? 覚えはない、よね?
この世界に来る直前に、謎の二人組の少女から宝石箱のようなものをもらった気はするけれど。
……そういえばあの少女たちは何だったんだろう? あの子たち、明らかに怪しいよね?
黒髪のほうの少女に突き飛ばされたせいで、この世界に来てしまった気がするのだが……
「……女神? まさか、あの子たちが!?」
双子の可愛らしい少女たちにしか見えなかったのに? そんな特別な存在だったのだろうか。私、マフラーなんかあげちゃったよ?
お礼だと言っていたくらいなので、機嫌を損ねてこの世界に送られたのではないと信じたい。いや、むしろ箱を拾ったせいで、連れてこられた?
とにかく、私はもう一度、魔法が使えるか調べてみた。
「肘も治れ治れ……治った!」
「はは――何だその呪文は? クラウスの真似か」
「ぎゃっ」
突然、暗闇から声が聞こえて、思わず私は酷い悲鳴をあげて飛びのいた。
でも、目が慣れるとそこに人がいるのがわかる。しかも誰なのかもすぐに見破れた。
私に声をかける人が、そもそもこの世界には数名しかいない……フィンレイさんだ!
「悪かった……獣人ごときが声をかけて」
「い、いやいやいや! そんなこと、どうでもいいよっ。無事でよかった! どこに行ってたの!?」
「あなたは探してくれていたな。危うくクラウスたちとはぐれるところだったろう」
私たちの様子を見ていたのか。それじゃあ、クラウスさんが「どこかで野垂れ死んだんだろう」と言って全然気にしていない姿や、イザドルさんが「死んだほうが世のためですね」なんて悪態をついていたのも目撃してしまっていたということなの?
陰口を叩く人たちと同行していたので、とても肩身が狭い。
「あの、ごめんなさい、フィンレイさん。探しに行けなくて……」
「いいや、俺はそんなつもりで言ったわけではない。あなたが俺を探しに行って、一人で森に迷うようなことがなくてよかった」
フィンレイさんは【人間】の私にも優しい。この優しさをみんなに見てほしいと思う。
違う種族だからという理由だけで彼をボロクソに言うクラウスさんやイザドルさんに、爪の垢を煎じて飲ませたい。
「フィンレイさんがクラウスさんたちと別行動をするつもりだって初めから知っていたら、私はフィンレイさんについて行きたかったな……」
「馬鹿な、どうして!?」
「いやっ、あの、ご迷惑になりたいとは思わないので、嫌で嫌でたまらないのなら全然、教えてくれれば、勿論ついては行かないんだけれど」
「そういうわけではないんだが……俺は、獣人だ」
フィンレイさんはなぜか辛そうな顔になる。
彼が獣人だからといって、たったそれだけのことじゃないか、と私は単純に考えてしまう。
……けれど、この世界の人にとっては、すごく意味があるらしい。
洞窟で初めて出会った時から、フィンレイさんは優しかったのに。それに少なくとも、彼はクラウスさんたちに暴力をふるっていない。
……お互い様ということにしておこうか。
しみじみと考え込んでいた時、突然クラウスさんに突き飛ばされた。
またか! 私の身体をバレーボールのように扱うのを、全人類にやめていただきたい。
「どけ! 獣人が囮の役目を果たしたみたいだぞ!」
彼は楽しげに叫び、腰に佩いていた長剣を引き抜いた。様になっている。
イザドルさんもまた、手にしていた杖を洞窟に向かって構えた。こちらも決まっている。
どこかにカメラがあるのだろう。撮影の邪魔にならないよう、木陰にでも隠れていたほうがいいのかもしれない。
私は自発的に下がって、彼らが厳しい顔つきで睨む洞窟を眺めた。
すると、中からフィンレイさんが出てくる。それを見た私の口から、ひえっと間抜けな声が出た。
彼の姿があまりにも凄惨だったのだ。
「えっ!? それ血糊だよね」
「無様な姿だな、獣人! 邪魔だ、さっさと引け!」
混乱する私をよそに、よろよろと歩いてきたフィンレイさんをクラウスさんは邪魔そうに押しのける。無造作に身体に触れられたフィンレイさんの顔が歪んだ。
本当に痛みを感じているようにしか見えない。私は慌てて彼に近づいて、ぐらりと傾いだ身体を支える。
よく知る鉄錆の匂いは、間違いなく血だ。
彼は全身真っ赤だった。これが全て本物の血だなんて、信じられない。
「大丈夫!? どうしたの、これ! 怪我……たくさんしてる!」
「よせ……俺のことは、放っておけ」
「放っておけるわけないでしょ!? 何言ってるの……何でなの」
どうしてこんな酷い怪我をしているのだろう。
私の問いに対する答えは、すぐに洞窟から這い出てきた。
「げっ……あれは何!?」
「魔物、だ。……わからないのか? 魔物のことまで」
思わず叫んだ私に、フィンレイさんが応える。怪我をしているのは彼のほうなのに、私を気遣わしげに見下ろしていた。
わからないことが多すぎて怖くなってきたけれど、こんなに酷い怪我を負っている彼に心配をかけるわけにはいかない。奥歯を食いしばって、疑問は自分の中に一時封じ込める。
「私があなたに何かしてあげられることはある?」
「いや……ない。俺に構う必要はない」
「なくはない!」
「一応聞くが、魔法のことはわからないんだろうな?」
「魔法?」
「……ああ、そういう反応が返ってくると思ったよ」
フィンレイさんは複雑な笑みを浮かべた。どこか嬉しそうな、そんな自分を自嘲するような笑みだ。一方、クラウスさんがはしゃいだ声をあげる。
「勇者クラウス様の生きている内は、この世に魔は蔓延れないぜ!」
洞窟から出てきた獰猛そうな、変な生き物たち相手に剣をふるえるのが嬉しいらしい。
この変な生き物に似た姿の動物をあえてあげるなら烏かもしれない。けれど大型犬よりも大きく、くちばしにあたる部分にびっしりと鋭い牙が生えている。それが複数いるのだ。
異形たちのほうも、私たちの姿を見て喜んでいるようだった。きっとその無数の牙を使えるのが嬉しくて仕方がないんだろう。クラウスさんと二人でよろしくやってほしい。
そんな化け物を、クラウスさんは剣一つで薙ぎ払った。
「素晴らしい剣捌きだよね、彼。間違いなく【人間】の中で随一の剣の使い手だよ。女神の教会が勇者として認めるのも頷ける。ねえ、そう思うだろう?」
いつの間にか私の横まで下がっていたイザドルさんが同意を求めてくるけれど、半分くらい何を言っているのかわからない。
曖昧に笑って小首を傾げてみる。そんな日本人のお家芸を使った私は、睨みつけられた。
……もう現実を受け止めるしかない。
この人たちはコスプレの合わせをしているわけではなかった。銃刀法に完全に違反している刃物を所持しているのも、アホだからではない。
「ここは、勇者のパーティがいてもおかしくない世界ってことなの……!?」
つまり、クラウスさんは本当に勇者なのだ。そしてイザドルさんは本当の勇者に従う吟遊詩人。フィンレイさんは獣人だ。――この角は本物なのか!?
「おい、俺の角に触れるな……」
「あ、ごめんなさいね。ついつい」
一人で立っていることもできない怪我人を木陰に座らせ、身体を支えるにかこつけて、彼の角を欲望のままに撫でてしまった。
すべすべつるつるの金色の角は、本当に頭から生えてきていて、生命の神秘を感じる。
「さっさと離れておけ。クラウスが魔物を屠り終えて戻ってきたら、あなたは困ったことになる」
「困ったこと?」
「ああ。それに……俺たちについてくるのはよしておけ。アルソンにも立ち寄るな。別の町に行け」
「いや、それは無理だと思う。一人じゃ何もわからないもの。絶対にあなたたちについて行くよ、私」
だってここは、おそらく異世界。それも凶暴そうな魔物が出る。
フィンレイさんのような屈強な男性が、こんなにも傷だらけにされてしまうような相手だ。私が一人で遭遇したら、たぶん五秒で死ぬ。
「……確かに、あなた一人で街道を行くのは、無茶な話か」
「うん、そう思う……そもそもどうして私を邪険にするの? その、そんなにご迷惑になる?」
ならないわけはないだろうけど、こんな場所に放置していくほど迷惑なの?
助け合いの精神とかは、ここには存在しないのかもしれない。
「まあ、私のことはいいよ。ともかく、あなたの手当てが一番大事だね。救急用品とか、持ってる?」
「ないな」
「そうなの……それじゃとりあえず、汚れているところだけ拭かせてね」
そっと手を伸ばす。さっきはものすごく嫌がられたから。
ここが異世界だなんて考えてもいなかったので、この世界的にあり得ない発言をしていたのかもしれない。ヤバイ女だと思われていたらどうしよう。
けれど、今度は嫌がられなかった。
彼は不思議と幼い目で私を見上げてくる。傷口に触れるため支えようと頬に手を当てると、すりっと指にすり寄られ、心臓がギュンと音を立てた。
イケメン、一体どうした!?
それを見ていたらしいイザドルさんにからかわれる。
「随分、獣人と仲がいいんだねえ、君?」
「ッ!」
「クラウス様が魔物を殺し終えたら、次は怪しい君の番だよ、ねえ?」
イザドルさんが顔を近づけてきて、意味深に言う。
金色の長い髪が波打ち艶めいている白皙の美貌は、横から見ても麗しい。
アーモンド形の目を細めて微笑む表情も美しいけれど、今のってブラックジョークよね? 次は私の番って、斬られる番のこと? 怖すぎじゃない? この世界のユーモアなの?
するとフィンレイさんが、私の手をバッと払って押しのけた。
「あいたっ」
「っ、すまな――」
謝ろうとしてくれた彼の言葉は、最後の魔物を斬り終えたクラウスさんに遮られる。
「質問の続きだ! ――おまえはどうして魔物の巣にいた?」
クラウスさんは、洞窟から出てきた何十体もの魔物を斬り終えた血みどろの剣を右手にぶらぶらさせたまま、私のほうにやってきた。
剣が汚れているため綺麗にしてからでないと鞘に入れられないんだろうけれど、私に向けないでいただきたい。先端恐怖症になりそうだ。
けれど、下手にそんなことを口にしたら、この人は私を斬る気がする。
怪しまれないように、しかし万が一怪しい行動をしてしまっても多少は許されるように――私は先ほどフィンレイさんにかけられた言葉を手がかりに、答えた。
「実は頭を打ってしまって、記憶が曖昧なんですよ!」
「おお! ってことはもしかしておまえ、魔物を倒しにきた女神の戦士じゃないのか? 戦いに来たとは思えない格好だが、魔法使いならありえるな。頭を打ったのは魔物との戦闘でか?」
「そうそう、たぶんそう! 何せ記憶が曖昧なので、はっきりとはわからないですけれどね!」
――女神の戦士、魔法使い、魔物。
クラウスさんがノリノリで私の設定を補足してくれる。彼の口から出てきたこのキーワードを心に留めておこう。
私は女神の戦士で、魔法使いで、魔物との戦いの最中に頭を打って記憶が混乱している!
けれど、イザドルさんが冷たく私の言葉を否定した。
「この女は怪しいですよ、クラウス様。殺しておいたほうがいいのでは?」
確かに私が怪しい女なのは間違いないけれど、殺されるほどの悪事を働いた覚えはない。
「いや、女神の戦士ならば、その負傷は称えるべきものだ。オレたち女神の信徒は助け合わなきゃいけないぜ」
クラウスさんが胸を張って言う。さすが堂々と勇者だなんて名乗る男である。何だか様になっていたせいか、イザドルさんは溜め息をついて諦めてくれた。
「……仕方ありませんね、クラウス様がそうおっしゃるんでしたら」
その後、イザドルさんはクラウスさんに見えないように私を睨んできた。
何だろう、今の反応。もしかするとイザドルさんはそっち系?
別に人の恋路を邪魔するつもりなんてないので、敵視しないでほしい。私はそれどころじゃないからね!
「一先ず町まで一緒に行くか……って、いってえ! オレ怪我してる!」
「クラウス様が手傷を負われるなんて珍しいですね」
「マジだよ! このオレ様としたことが! 治してくれよイザドル!」
「ダメですよ、クラウス様。何ごともご自分で、できるようにならないと。私はただの観測者。あなたのサーガを歌うだけの者です」
「はあー、だよなあ。でもオレ、魔法苦手なんだよなー」
ぶつくさ言いながら、クラウスさんは血を振り落とした剣を鞘に収めて、怪我をした腕に掌を宛がう。そしておもむろに口を開いた。
「女神コーラルの御力で、治れ治れぇ!」
「……ダメな詠唱の見本ですね」
イザドルさんは苦笑を浮かべた。けれど次の瞬間、クラウスさんの掌が白い光を発し、あっという間に彼の腕の傷が塞がる。
「嘘、すごい! 今の何!?」
私が思わず声をあげると、クラウスさんは憐れみに満ちた顔になった。
「そんなことまで忘れちまってるのかよ……魔物が憎いな」
「クラウス様、怪しいですよ。【人間】なら誰しも使える魔法について思い出せないなんて」
「逆に魔族なら絶対に知ってるだろ……イザドル。おまえはいつも疑心暗鬼がすぎるんだよ」
嫉妬する美人をあしらい、クラウスさんが親切に教えてくれる。
「【人間】は誰でも生まれる時、女神コーラルから魔力の器を授かるんだ。器に大きさの違いはあるが、器があるからには魔法が使える。使えないのは女神コーラルに愛されていない種族、魔族と獣人くらいだ」
そう言って、クラウスさんは蔑むようにフィンレイさんを見た。
あれ? 仲が悪いの? 一緒に行動しているのに、仲違いしているの?
……怪我を治す魔法だなんてものが使えるのなら、フィンレイさんを治してあげてほしい。
「ん? 何だよ。何見てんだ?」
「……ええと、クラウスさんは、他人の傷は治せない系?」
「系? おまえの手の傷か? それくらい自分で治せよ!」
私にも魔法なんて謎の力が使えるのだろうか。そんなときめきに気を取られていると、クラウスさんが怒鳴り声をあげた。
「それにしても獣人ときたら! まともに囮役もできないのか! 何だよその様は!」
私は思わずびくついてしまう。
クラウスさんはフィンレイさんを治すどころか、怪我をしたことを責め出したのだ。
魔法で治療してあげてほしい、だなんて言い出せる雰囲気ではない。
「……申し訳ありません」
「目障りなんだよ。何なんだよ、その顔は!」
「えっ、ちょ」
さらに信じられないことに、クラウスさんはフィンレイさんを蹴った。
フィンレイさんの肩についた魔物の噛み傷に血が滲む。痛そうで見ていられない。
やめてと言おうとするのを、フィンレイさんに視線で制された。明らかに、止めるなという目で私を見ている。
私が口出しをしたらより酷いことになってしまうのだろうか? そもそも、何で仲間割れなんてことになったわけ!?
「獣人という種族は魔族の味方なのではありませんか、クラウス様? 心を入れ替えたように見せかけて、やはり今の時代でも」
「イザドルの言う通りかもしれないな……」
「誠に申し訳ございません。至らないこの身をお許しください。フィンレイ、身命を賭して女神の戦士に仕える所存で、決して魔族などの味方をするつもりはありません」
フィンレイさんは絞り出すような声で謙る。
頭を下げているので、上背のあるクラウスさんやイザドルさんには彼の表情は見えなかっただろう。けれど、いくら顔を伏せていても、私からはフィンレイさんの顔が見えてしまった。
奥歯を食いしばった険しい顔つき、黄金の瞳には炎が煌々と燃えている。
彼の言葉の全てが本心というわけではないのだ。
そして、私が真実のいくらかを覗き見てしまったことに気づいたフィンレイさんは、その燃えるような瞳で私を射抜いた。
……見ちゃいけないものを、見てしまったのかもしれない。
§ § §
「なるほどな、ルカは女神の戦士になるために田舎から出てきたってわけだ」
「まあ、たぶんそうだと思うー」
あの後、クラウスさんはフィンレイさんに興味をなくし、アルソンとやらの町に戻る途中で私の身の上を聞いてきた。その度に、設定が作られていく。
「まずは女神の教会で登録するのが基本だろうに、何を勝手に突っ走ってんだよ。オレが偶然あそこの魔物の巣を駆逐しようと考えついていなかったら、おまえは死んでたかもしれないぞ!」
「そうだよねー」
「ま、女神の戦士としてその意気込みは買うがな!」
適当にクラウスさんに話を合わせていたら、以下のストーリーに落ち着いた。
私は女神の戦士とやらになるために田舎から出てきたらしい。女神の戦士というのは魔物を倒すために戦う人のことで、正式にこれを名乗るには女神の教会とやらで登録をする必要があるそうだ。私は血気盛んすぎて登録前に魔物の巣に乗り込んだアホっていう話になった。
みんなそういう感じでよろしくお願いしたい。
現在、アルソンなる町に到着し、私は宿場の食堂にて、クラウスさんに夕飯をおごってもらっているところだ。
「食えよルカ。おまえさっきから全然減ってないじゃないか。オレのおごりなんだから金は気にすんな!」
「クラウスさん、マジ勇者様」
「当然だろ? 誰より先に伝説の天馬を見つけ、伝説の勇者の再来になる男だぞ、オレは!」
クラウスさんは乗せれば乗せるほど、この世界について教えてくれる。
どうも千年前、魔王が突如世界の蹂躙を始め、【人間】&獣人タッグと魔族の間で大戦争が起きたということだった。その戦いの結果、魔王は追い詰められて空に逃げ出したんだそうだ。剣も魔法も届かないほど天高くまで飛びあがられて、誰もがオロオロ戸惑っていた時、天馬に乗って現れた人が、伝説の勇者と言われている。
「勇者は天馬を駆って空を駆け抜けた! 雲を踏み、雨を降らせて、魔王とその眷属どもが逃げようとする。だが、勇者は射程に収めた敵を逃がさない! 手足のごとく天馬を操り、縦横無尽に天を翻るッ!」
この勇者と天馬の話は、クラウスさんの口から五回は聞いていた。目を輝かせて熱弁する彼は、無邪気な少年のようだ。
「――オレこそが、次世代の勇者として名乗りをあげる! 緊急時に伝説の剣を持ち出す許可は得られたし、あと足りないのは天馬だけなんだぜ」
「ヒュー! さすがクラウスさん。私たちにできないことを平然とやってのけるに違いない! そこに痺れる憧れるぅ!」
「照れるぜ、ルカ!」
同じ話を繰り返すのは玉に瑕だけれど、おだてて褒めれば見知らぬ女の宿代まで出してくれる彼はとても優しい人だ。
だからこそ、彼のフィンレイさんへの仕打ちは異様だった。
「――それではこれより、邪悪な獣人どもを殺した戦士の曲を演奏させていただきます」
イザドルさんは食事を終えてから、ずっと笛を吹いたり歌ったりしている。
笛の節に合わせて、昔の出来事を謳うのだ。どこか懐かしいメロディに乗せられているのに、その内容はこの世界に存在する一つの種族を弾圧するもので、えげつない。
どうも獣人と【人間】は歴史のどこかで、仲違いしたらしかった。だから獣人は嫌われている。憎まれているとすら言えた。
そのせいで、獣人であるフィンレイさんはとても酷い仕打ちを受けていたみたいだ。むしろクラウスさんたちの対応は、【人間】の中では優しいほうであるとすら教えられた。フィンレイさんに頼み込まれたとかで、パーティに入れていたくらいだ。
今、フィンレイさんはここにいない。この町に来る途中の森で姿を眩ませてしまった。
探しに行きたかったけれど、向かった方角がわからず、一人では行けなかったし、クラウスさんたちに探そうと言うのも憚られた。
それにクラウスさんから逃げ出した可能性がある。
だって、怪我人相手に足蹴だよ?
クラウスさんもイザドルさんも、フィンレイさんの姿がないことには気づいていたのに、探そうとも口にしなかった。いなくなったか、どうでもいいやって感じだ。
気難しいイザドルさんはともかく、クラウスさんは、私には随分と優しく、気のいい人なのに……
彼は基本的に何もかも、ポジティブに受け取ってくれる。それでも獣人のこととなると、人が変わってしまったように恐い顔をするのだ。
私はどうしてもそのあたりのことに納得できないまま、イザドルさんの演奏に耳を傾けた。
彼が黄金の笛を吹くパートが終わる。次は歌い始めるのだろう。
段々、お腹が痛くなってきた。
何しろイザドルさんが綺麗な声で朗々と歌う内容は、先ほどから、どれもこれも凄惨すぎて笑えない。
獣人を見つけたら殺せ、決して生かすな、彼らは邪悪な裏切り者――こんな歌を平気で歌うのだ。そして宿の宿泊客や町の人間は、酒を酌み交わしながら陽気に笑顔でその歌に声を揃える。
こんな差別主義者たちに、異世界から来ましただなんて打ち明けられるわけがない。
親切なクラウスさんや、私の分まで宿の手配をしてくれたイザドルさんには悪いけれど、私はこの世界の一般的な【人間】だと嘘をつかせてもらうことにした。自衛のためなので許されたい。
愛想笑いにもそろそろ我慢の限界が来て、歌が始まる前にと、私は席を立つ。
「私、お手洗いに行きたいんですけど、どこですかね」
「ああ? 宿の裏だろ大体」
親切に教えてくれるクラウスさんにお礼を言って、何とか歌パートの前奏あたりで食堂を出た。
宿の外に行くと、ピリリと手の甲の傷が痛む。洞窟の岩で擦りむいた小さな傷だ。風が冷たいからだろう。ここの季節はクリスマスの日本と同じらしい。
宿の看板の前に掲げられたランプ以外の明かりはなく、町は暗かった。
濃紺の空に無数の銀星が瞬いていて、息を呑むほど美しい。
「……治れ治れ」
不意に思いつき、私は手の甲に掌を当て、半信半疑で念じてみる。すると、鳩尾の奥のほうから何かがするりと抜ける感覚があった。
勇気が中々わかなかったけれど……手の甲に被せた手をえいっとどけて、見てみる。何と傷が完全に消え失せていた。
「治った! ……マジかあ」
この世界の【人間】は生まれる前にコーラルという女神に魔力の器をもらうのだ、とクラウスさんに教えてもらった。
私はもらった覚えがないのに、魔法が使えるらしい。
……あれ? 覚えはない、よね?
この世界に来る直前に、謎の二人組の少女から宝石箱のようなものをもらった気はするけれど。
……そういえばあの少女たちは何だったんだろう? あの子たち、明らかに怪しいよね?
黒髪のほうの少女に突き飛ばされたせいで、この世界に来てしまった気がするのだが……
「……女神? まさか、あの子たちが!?」
双子の可愛らしい少女たちにしか見えなかったのに? そんな特別な存在だったのだろうか。私、マフラーなんかあげちゃったよ?
お礼だと言っていたくらいなので、機嫌を損ねてこの世界に送られたのではないと信じたい。いや、むしろ箱を拾ったせいで、連れてこられた?
とにかく、私はもう一度、魔法が使えるか調べてみた。
「肘も治れ治れ……治った!」
「はは――何だその呪文は? クラウスの真似か」
「ぎゃっ」
突然、暗闇から声が聞こえて、思わず私は酷い悲鳴をあげて飛びのいた。
でも、目が慣れるとそこに人がいるのがわかる。しかも誰なのかもすぐに見破れた。
私に声をかける人が、そもそもこの世界には数名しかいない……フィンレイさんだ!
「悪かった……獣人ごときが声をかけて」
「い、いやいやいや! そんなこと、どうでもいいよっ。無事でよかった! どこに行ってたの!?」
「あなたは探してくれていたな。危うくクラウスたちとはぐれるところだったろう」
私たちの様子を見ていたのか。それじゃあ、クラウスさんが「どこかで野垂れ死んだんだろう」と言って全然気にしていない姿や、イザドルさんが「死んだほうが世のためですね」なんて悪態をついていたのも目撃してしまっていたということなの?
陰口を叩く人たちと同行していたので、とても肩身が狭い。
「あの、ごめんなさい、フィンレイさん。探しに行けなくて……」
「いいや、俺はそんなつもりで言ったわけではない。あなたが俺を探しに行って、一人で森に迷うようなことがなくてよかった」
フィンレイさんは【人間】の私にも優しい。この優しさをみんなに見てほしいと思う。
違う種族だからという理由だけで彼をボロクソに言うクラウスさんやイザドルさんに、爪の垢を煎じて飲ませたい。
「フィンレイさんがクラウスさんたちと別行動をするつもりだって初めから知っていたら、私はフィンレイさんについて行きたかったな……」
「馬鹿な、どうして!?」
「いやっ、あの、ご迷惑になりたいとは思わないので、嫌で嫌でたまらないのなら全然、教えてくれれば、勿論ついては行かないんだけれど」
「そういうわけではないんだが……俺は、獣人だ」
フィンレイさんはなぜか辛そうな顔になる。
彼が獣人だからといって、たったそれだけのことじゃないか、と私は単純に考えてしまう。
……けれど、この世界の人にとっては、すごく意味があるらしい。
洞窟で初めて出会った時から、フィンレイさんは優しかったのに。それに少なくとも、彼はクラウスさんたちに暴力をふるっていない。
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