運命の番は獣人のようです

山梨ネコ

文字の大きさ
2 / 17
1巻

1-2

しおりを挟む
 シラフで勇者を名乗る人に呆れた顔をされるだなんて……とは思うけれど、自分のいる場所がわからない人間も相当である。これでは酒におぼれたクズの所業だ。
 ……お互い様ということにしておこうか。
 しみじみと考え込んでいた時、突然クラウスさんに突き飛ばされた。
 またか! 私の身体をバレーボールのように扱うのを、全人類にやめていただきたい。

「どけ! 獣人がおとりの役目を果たしたみたいだぞ!」

 彼は楽しげに叫び、腰にいていた長剣を引き抜いた。さまになっている。
 イザドルさんもまた、手にしていたつえを洞窟に向かって構えた。こちらも決まっている。
 どこかにカメラがあるのだろう。撮影の邪魔にならないよう、木陰こかげにでも隠れていたほうがいいのかもしれない。
 私は自発的に下がって、彼らが厳しい顔つきでにらむ洞窟をながめた。
 すると、中からフィンレイさんが出てくる。それを見た私の口から、ひえっと間抜けな声が出た。
 彼の姿があまりにも凄惨せいさんだったのだ。

「えっ!? それ血糊ちのりだよね」
ざまな姿だな、獣人! 邪魔だ、さっさと引け!」

 混乱する私をよそに、よろよろと歩いてきたフィンレイさんをクラウスさんは邪魔そうに押しのける。無造作むぞうさに身体に触れられたフィンレイさんの顔がゆがんだ。
 本当に痛みを感じているようにしか見えない。私は慌てて彼に近づいて、ぐらりとかしいだ身体を支える。
 よく知る鉄錆てつさびの匂いは、間違いなく血だ。
 彼は全身真っ赤だった。これが全て本物の血だなんて、信じられない。

「大丈夫!? どうしたの、これ! 怪我……たくさんしてる!」
「よせ……俺のことは、放っておけ」
「放っておけるわけないでしょ!? 何言ってるの……何でなの」

 どうしてこんなひどい怪我をしているのだろう。
 私の問いに対する答えは、すぐに洞窟から這い出てきた。

「げっ……あれは何!?」
「魔物、だ。……わからないのか? 魔物のことまで」

 思わず叫んだ私に、フィンレイさんが応える。怪我をしているのは彼のほうなのに、私を気遣わしげに見下ろしていた。
 わからないことが多すぎて怖くなってきたけれど、こんなにひどい怪我を負っている彼に心配をかけるわけにはいかない。奥歯を食いしばって、疑問は自分の中に一時封じ込める。

「私があなたに何かしてあげられることはある?」
「いや……ない。俺に構う必要はない」
「なくはない!」
「一応聞くが、魔法のことはわからないんだろうな?」
「魔法?」
「……ああ、そういう反応が返ってくると思ったよ」

 フィンレイさんは複雑な笑みを浮かべた。どこか嬉しそうな、そんな自分を自嘲じちょうするような笑みだ。一方、クラウスさんがはしゃいだ声をあげる。

「勇者クラウス様の生きている内は、この世に魔は蔓延はびこれないぜ!」

 洞窟から出てきた獰猛どうもうそうな、変な生き物たち相手に剣をふるえるのが嬉しいらしい。
 この変な生き物に似た姿の動物をあえてあげるならからすかもしれない。けれど大型犬よりも大きく、くちばしにあたる部分にびっしりと鋭い牙が生えている。それが複数いるのだ。
 異形たちのほうも、私たちの姿を見て喜んでいるようだった。きっとその無数の牙を使えるのが嬉しくて仕方がないんだろう。クラウスさんと二人でよろしくやってほしい。
 そんな化け物を、クラウスさんは剣一つでぎ払った。

「素晴らしい剣捌けんさばきだよね、彼。間違いなく【人間】の中でずいいちの剣の使い手だよ。女神の教会が勇者として認めるのも頷ける。ねえ、そう思うだろう?」

 いつの間にか私の横まで下がっていたイザドルさんが同意を求めてくるけれど、半分くらい何を言っているのかわからない。
 曖昧あいまいに笑って小首をかしげてみる。そんな日本人のお家芸を使った私は、にらみつけられた。
 ……もう現実を受け止めるしかない。
 この人たちはコスプレの合わせをしているわけではなかった。銃刀法に完全に違反している刃物を所持しているのも、アホだからではない。

「ここは、勇者のパーティがいてもおかしくない世界ってことなの……!?」

 つまり、クラウスさんは本当に勇者なのだ。そしてイザドルさんは本当の勇者に従うぎんゆうじん。フィンレイさんは獣人だ。――このつのは本物なのか!?

「おい、俺のつのに触れるな……」
「あ、ごめんなさいね。ついつい」

 一人で立っていることもできない怪我人を木陰こかげに座らせ、身体を支えるにかこつけて、彼のつのを欲望のままにでてしまった。
 すべすべつるつるの金色のつのは、本当に頭から生えてきていて、生命の神秘を感じる。

「さっさと離れておけ。クラウスが魔物をほふり終えて戻ってきたら、あなたは困ったことになる」
「困ったこと?」
「ああ。それに……俺たちについてくるのはよしておけ。アルソンにも立ち寄るな。別の町に行け」
「いや、それは無理だと思う。一人じゃ何もわからないもの。絶対にあなたたちについて行くよ、私」

 だってここは、おそらく異世界。それも凶暴そうな魔物が出る。
 フィンレイさんのような屈強な男性が、こんなにも傷だらけにされてしまうような相手だ。私が一人で遭遇したら、たぶん五秒で死ぬ。

「……確かに、あなた一人で街道を行くのは、無茶な話か」
「うん、そう思う……そもそもどうして私を邪険にするの? その、そんなにご迷惑になる?」

 ならないわけはないだろうけど、こんな場所に放置していくほど迷惑なの?
 助け合いの精神とかは、ここには存在しないのかもしれない。

「まあ、私のことはいいよ。ともかく、あなたの手当てが一番大事だね。救急用品とか、持ってる?」
「ないな」
「そうなの……それじゃとりあえず、汚れているところだけ拭かせてね」

 そっと手を伸ばす。さっきはものすごく嫌がられたから。
 ここが異世界だなんて考えてもいなかったので、この世界的にあり得ない発言をしていたのかもしれない。ヤバイ女だと思われていたらどうしよう。
 けれど、今度は嫌がられなかった。
 彼は不思議と幼い目で私を見上げてくる。傷口に触れるため支えようと頬に手を当てると、すりっと指にすり寄られ、心臓がギュンと音を立てた。
 イケメン、一体どうした!?
 それを見ていたらしいイザドルさんにからかわれる。

ずいぶん、獣人と仲がいいんだねえ、君?」
「ッ!」
「クラウス様が魔物を殺し終えたら、次は怪しい君の番だよ、ねえ?」

 イザドルさんが顔を近づけてきて、意味深に言う。
 金色の長い髪が波打ちつやめいている白皙はくせき美貌びぼうは、横から見てもうるわしい。
 アーモンド形の目を細めて微笑む表情も美しいけれど、今のってブラックジョークよね? 次は私の番って、斬られる番のこと? 怖すぎじゃない? この世界のユーモアなの?
 するとフィンレイさんが、私の手をバッと払って押しのけた。

「あいたっ」
「っ、すまな――」

 謝ろうとしてくれた彼の言葉は、最後の魔物を斬り終えたクラウスさんにさえぎられる。

「質問の続きだ! ――おまえはどうして魔物の巣にいた?」

 クラウスさんは、洞窟から出てきた何十体もの魔物を斬り終えた血みどろの剣を右手にぶらぶらさせたまま、私のほうにやってきた。
 剣が汚れているため綺麗にしてからでないとさやに入れられないんだろうけれど、私に向けないでいただきたい。先端恐怖症になりそうだ。
 けれど、下手にそんなことを口にしたら、この人は私を斬る気がする。
 怪しまれないように、しかし万が一怪しい行動をしてしまっても多少は許されるように――私は先ほどフィンレイさんにかけられた言葉を手がかりに、答えた。

「実は頭を打ってしまって、記憶が曖昧あいまいなんですよ!」
「おお! ってことはもしかしておまえ、魔物を倒しにきた女神の戦士じゃないのか? 戦いに来たとは思えない格好だが、魔法使いならありえるな。頭を打ったのは魔物との戦闘でか?」
「そうそう、たぶんそう! 何せ記憶が曖昧あいまいなので、はっきりとはわからないですけれどね!」

 ――女神の戦士、魔法使い、魔物。
 クラウスさんがノリノリで私の設定を補足してくれる。彼の口から出てきたこのキーワードを心に留めておこう。
 私は女神の戦士で、魔法使いで、魔物との戦いの最中に頭を打って記憶が混乱している!
 けれど、イザドルさんが冷たく私の言葉を否定した。

「この女は怪しいですよ、クラウス様。殺しておいたほうがいいのでは?」

 確かに私が怪しい女なのは間違いないけれど、殺されるほどの悪事を働いた覚えはない。

「いや、女神の戦士ならば、その負傷はたたえるべきものだ。オレたち女神の信徒は助け合わなきゃいけないぜ」

 クラウスさんが胸を張って言う。さすが堂々と勇者だなんて名乗る男である。何だかさまになっていたせいか、イザドルさんは溜め息をついて諦めてくれた。

「……仕方ありませんね、クラウス様がそうおっしゃるんでしたら」

 その後、イザドルさんはクラウスさんに見えないように私をにらんできた。
 何だろう、今の反応。もしかするとイザドルさんはそっち系?
 別に人の恋路を邪魔するつもりなんてないので、敵視しないでほしい。私はそれどころじゃないからね!

一先ひとまず町まで一緒に行くか……って、いってえ! オレ怪我してる!」
「クラウス様が手傷を負われるなんて珍しいですね」
「マジだよ! このオレ様としたことが! 治してくれよイザドル!」
「ダメですよ、クラウス様。何ごともご自分で、できるようにならないと。私はただの観測者。あなたのサーガを歌うだけの者です」
「はあー、だよなあ。でもオレ、魔法苦手なんだよなー」

 ぶつくさ言いながら、クラウスさんは血を振り落とした剣をさやに収めて、怪我をした腕にてのひらあてがう。そしておもむろに口を開いた。

「女神コーラルの御力で、治れ治れぇ!」
「……ダメな詠唱の見本ですね」

 イザドルさんは苦笑を浮かべた。けれど次の瞬間、クラウスさんのてのひらが白い光を発し、あっという間に彼の腕の傷がふさがる。

「嘘、すごい! 今の何!?」

 私が思わず声をあげると、クラウスさんはあわれみに満ちた顔になった。

「そんなことまで忘れちまってるのかよ……魔物が憎いな」
「クラウス様、怪しいですよ。【人間】なら誰しも使える魔法について思い出せないなんて」
「逆に魔族なら絶対に知ってるだろ……イザドル。おまえはいつも疑心暗鬼がすぎるんだよ」

 嫉妬しっとする美人をあしらい、クラウスさんが親切に教えてくれる。

「【人間】は誰でも生まれる時、女神コーラルから魔力のうつわさずかるんだ。うつわに大きさの違いはあるが、うつわがあるからには魔法が使える。使えないのは女神コーラルに愛されていない種族、魔族と獣人くらいだ」

 そう言って、クラウスさんはさげすむようにフィンレイさんを見た。
 あれ? 仲が悪いの? 一緒に行動しているのに、仲違なかたがいしているの?
 ……怪我を治す魔法だなんてものが使えるのなら、フィンレイさんを治してあげてほしい。

「ん? 何だよ。何見てんだ?」
「……ええと、クラウスさんは、他人の傷は治せない系?」
「系? おまえの手の傷か? それくらい自分で治せよ!」

 私にも魔法なんて謎の力が使えるのだろうか。そんなときめきに気を取られていると、クラウスさんが怒鳴り声をあげた。

「それにしても獣人ときたら! まともにおとりやくもできないのか! 何だよそのざまは!」

 私は思わずびくついてしまう。
 クラウスさんはフィンレイさんを治すどころか、怪我をしたことを責め出したのだ。
 魔法で治療してあげてほしい、だなんて言い出せる雰囲気ではない。

「……申し訳ありません」
「目障りなんだよ。何なんだよ、その顔は!」
「えっ、ちょ」

 さらに信じられないことに、クラウスさんはフィンレイさんを蹴った。
 フィンレイさんの肩についた魔物のみ傷に血がにじむ。痛そうで見ていられない。
 やめてと言おうとするのを、フィンレイさんに視線で制された。明らかに、止めるなという目で私を見ている。
 私が口出しをしたらよりひどいことになってしまうのだろうか? そもそも、何で仲間割れなんてことになったわけ!?

「獣人という種族は魔族の味方なのではありませんか、クラウス様? 心を入れ替えたように見せかけて、やはり今の時代でも」
「イザドルの言う通りかもしれないな……」
「誠に申し訳ございません。至らないこの身をお許しください。フィンレイ、身命をして女神の戦士につかえる所存で、決して魔族などの味方をするつもりはありません」

 フィンレイさんはしぼり出すような声でへりくだる。
 頭を下げているので、上背うわぜいのあるクラウスさんやイザドルさんには彼の表情は見えなかっただろう。けれど、いくら顔を伏せていても、私からはフィンレイさんの顔が見えてしまった。
 奥歯を食いしばった険しい顔つき、黄金の瞳には炎が煌々こうこうと燃えている。
 彼の言葉の全てが本心というわけではないのだ。
 そして、私が真実のいくらかを覗き見てしまったことに気づいたフィンレイさんは、その燃えるような瞳で私を射抜いた。
 ……見ちゃいけないものを、見てしまったのかもしれない。


     § § §


「なるほどな、ルカは女神の戦士になるために田舎から出てきたってわけだ」
「まあ、たぶんそうだと思うー」

 あの後、クラウスさんはフィンレイさんに興味をなくし、アルソンとやらの町に戻る途中で私の身の上を聞いてきた。その度に、設定が作られていく。

「まずは女神の教会で登録するのが基本だろうに、何を勝手に突っ走ってんだよ。オレが偶然あそこの魔物の巣を駆逐くちくしようと考えついていなかったら、おまえは死んでたかもしれないぞ!」
「そうだよねー」
「ま、女神の戦士としてその意気込みは買うがな!」

 適当にクラウスさんに話を合わせていたら、以下のストーリーに落ち着いた。
 私は女神の戦士とやらになるために田舎から出てきたらしい。女神の戦士というのは魔物を倒すために戦う人のことで、正式にこれを名乗るには女神の教会とやらで登録をする必要があるそうだ。私は血気盛んすぎて登録前に魔物の巣に乗り込んだアホっていう話になった。
 みんなそういう感じでよろしくお願いしたい。
 現在、アルソンなる町に到着し、私は宿場の食堂にて、クラウスさんに夕飯をおごってもらっているところだ。

「食えよルカ。おまえさっきから全然減ってないじゃないか。オレのおごりなんだから金は気にすんな!」
「クラウスさん、マジ勇者様」
「当然だろ? 誰より先に伝説の天馬を見つけ、伝説の勇者の再来になる男だぞ、オレは!」

 クラウスさんは乗せれば乗せるほど、この世界について教えてくれる。
 どうも千年前、魔王が突如世界の蹂躙じゅうりんを始め、【人間】&獣人タッグと魔族の間で大戦争が起きたということだった。その戦いの結果、魔王は追い詰められて空に逃げ出したんだそうだ。剣も魔法も届かないほど天高くまで飛びあがられて、誰もがオロオロ戸惑っていた時、天馬に乗って現れた人が、伝説の勇者と言われている。

「勇者は天馬を駆って空を駆け抜けた! 雲を踏み、雨を降らせて、魔王とその眷属けんぞくどもが逃げようとする。だが、勇者は射程に収めた敵を逃がさない! 手足のごとく天馬を操り、縦横無尽じゅうおうむじんに天をひるがえるッ!」

 この勇者と天馬の話は、クラウスさんの口から五回は聞いていた。目を輝かせて熱弁する彼は、無邪気な少年のようだ。

「――オレこそが、次世代の勇者として名乗りをあげる! 緊急時に伝説の剣を持ち出す許可は得られたし、あと足りないのは天馬だけなんだぜ」
「ヒュー! さすがクラウスさん。私たちにできないことを平然とやってのけるに違いない! そこにしびれる憧れるぅ!」
「照れるぜ、ルカ!」

 同じ話を繰り返すのは玉にきずだけれど、おだてて褒めれば見知らぬ女の宿代まで出してくれる彼はとても優しい人だ。
 だからこそ、彼のフィンレイさんへの仕打ちは異様だった。

「――それではこれより、邪悪な獣人どもを殺した戦士の曲を演奏させていただきます」

 イザドルさんは食事を終えてから、ずっと笛を吹いたり歌ったりしている。
 笛の節に合わせて、昔の出来事をうたうのだ。どこかなつかしいメロディに乗せられているのに、その内容はこの世界に存在する一つの種族を弾圧するもので、えげつない。
 どうも獣人と【人間】は歴史のどこかで、仲違なかたがいしたらしかった。だから獣人は嫌われている。憎まれているとすら言えた。
 そのせいで、獣人であるフィンレイさんはとてもひどい仕打ちを受けていたみたいだ。むしろクラウスさんたちの対応は、【人間】の中では優しいほうであるとすら教えられた。フィンレイさんに頼み込まれたとかで、パーティに入れていたくらいだ。
 今、フィンレイさんはここにいない。この町に来る途中の森で姿をくらませてしまった。
 探しに行きたかったけれど、向かった方角がわからず、一人では行けなかったし、クラウスさんたちに探そうと言うのもはばかられた。
 それにクラウスさんから逃げ出した可能性がある。
 だって、怪我人相手に足蹴あしげだよ? 
 クラウスさんもイザドルさんも、フィンレイさんの姿がないことには気づいていたのに、探そうとも口にしなかった。いなくなったか、どうでもいいやって感じだ。
 気難しいイザドルさんはともかく、クラウスさんは、私にはずいぶんと優しく、気のいい人なのに……
 彼は基本的に何もかも、ポジティブに受け取ってくれる。それでも獣人のこととなると、人が変わってしまったように恐い顔をするのだ。
 私はどうしてもそのあたりのことに納得できないまま、イザドルさんの演奏に耳を傾けた。
 彼が黄金の笛を吹くパートが終わる。次は歌い始めるのだろう。
 段々、お腹が痛くなってきた。
 何しろイザドルさんが綺麗な声で朗々ろうろうと歌う内容は、先ほどから、どれもこれも凄惨せいさんすぎて笑えない。
 獣人を見つけたら殺せ、決して生かすな、彼らは邪悪な裏切り者――こんな歌を平気で歌うのだ。そして宿の宿泊客や町の人間は、酒をわしながら陽気に笑顔でその歌に声をそろえる。
 こんな差別主義者たちに、異世界から来ましただなんて打ち明けられるわけがない。
 親切なクラウスさんや、私の分まで宿の手配をしてくれたイザドルさんには悪いけれど、私はこの世界の一般的な【人間】だと嘘をつかせてもらうことにした。自衛のためなので許されたい。
 愛想笑いにもそろそろ我慢の限界が来て、歌が始まる前にと、私は席を立つ。

「私、お手洗いに行きたいんですけど、どこですかね」
「ああ? 宿の裏だろ大体」

 親切に教えてくれるクラウスさんにお礼を言って、何とか歌パートの前奏あたりで食堂を出た。
 宿の外に行くと、ピリリと手の甲の傷が痛む。洞窟の岩でりむいた小さな傷だ。風が冷たいからだろう。ここの季節はクリスマスの日本と同じらしい。
 宿の看板の前にかかげられたランプ以外の明かりはなく、町は暗かった。
 濃紺の空に無数の銀星がまたたいていて、息を呑むほど美しい。

「……治れ治れ」

 不意に思いつき、私は手の甲にてのひらを当て、半信半疑で念じてみる。すると、鳩尾みぞおちの奥のほうから何かがするりと抜ける感覚があった。
 勇気が中々わかなかったけれど……手の甲に被せた手をえいっとどけて、見てみる。何と傷が完全に消え失せていた。

「治った! ……マジかあ」

 この世界の【人間】は生まれる前にコーラルという女神に魔力のうつわをもらうのだ、とクラウスさんに教えてもらった。
 私はもらった覚えがないのに、魔法が使えるらしい。
 ……あれ? 覚えはない、よね?
 この世界に来る直前に、謎の二人組の少女から宝石箱のようなものをもらった気はするけれど。
 ……そういえばあの少女たちは何だったんだろう? あの子たち、明らかに怪しいよね?
 黒髪のほうの少女に突き飛ばされたせいで、この世界に来てしまった気がするのだが……

「……女神? まさか、あの子たちが!?」

 双子の可愛らしい少女たちにしか見えなかったのに? そんな特別な存在だったのだろうか。私、マフラーなんかあげちゃったよ?
 お礼だと言っていたくらいなので、機嫌をそこねてこの世界に送られたのではないと信じたい。いや、むしろ箱を拾ったせいで、連れてこられた?
 とにかく、私はもう一度、魔法が使えるか調べてみた。

「肘も治れ治れ……治った!」
「はは――何だその呪文は? クラウスの真似か」
「ぎゃっ」

 突然、暗闇から声が聞こえて、思わず私はひどい悲鳴をあげて飛びのいた。
 でも、目が慣れるとそこに人がいるのがわかる。しかも誰なのかもすぐに見破れた。
 私に声をかける人が、そもそもこの世界には数名しかいない……フィンレイさんだ!

「悪かった……獣人ごときが声をかけて」
「い、いやいやいや! そんなこと、どうでもいいよっ。無事でよかった! どこに行ってたの!?」
「あなたは探してくれていたな。あやうくクラウスたちとはぐれるところだったろう」

 私たちの様子を見ていたのか。それじゃあ、クラウスさんが「どこかで野垂のたれ死んだんだろう」と言って全然気にしていない姿や、イザドルさんが「死んだほうが世のためですね」なんて悪態あくたいをついていたのも目撃してしまっていたということなの?
 陰口を叩く人たちと同行していたので、とても肩身が狭い。

「あの、ごめんなさい、フィンレイさん。探しに行けなくて……」
「いいや、俺はそんなつもりで言ったわけではない。あなたが俺を探しに行って、一人で森に迷うようなことがなくてよかった」

 フィンレイさんは【人間】の私にも優しい。この優しさをみんなに見てほしいと思う。
 違う種族だからという理由だけで彼をボロクソに言うクラウスさんやイザドルさんに、爪のあかせんじて飲ませたい。

「フィンレイさんがクラウスさんたちと別行動をするつもりだって初めから知っていたら、私はフィンレイさんについて行きたかったな……」
「馬鹿な、どうして!?」
「いやっ、あの、ご迷惑になりたいとは思わないので、嫌で嫌でたまらないのなら全然、教えてくれれば、もちろんついては行かないんだけれど」
「そういうわけではないんだが……俺は、獣人だ」

 フィンレイさんはなぜか辛そうな顔になる。
 彼が獣人だからといって、たったそれだけのことじゃないか、と私は単純に考えてしまう。
 ……けれど、この世界の人にとっては、すごく意味があるらしい。
 洞窟で初めて出会った時から、フィンレイさんは優しかったのに。それに少なくとも、彼はクラウスさんたちに暴力をふるっていない。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。