運命の番は獣人のようです

山梨ネコ

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1巻

1-3

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 私がこの世界に来て初めて出会ったのがフィンレイさんなわけで、彼には縁のようなものを感じている。
 あの双子の少女たちも、妙なことを言っていたではないか。
 一番初めに出会った人が、私の運命、だよね? 

「……それはともかく、フィンレイさん! 私、怪我を治せる魔法が使えるみたいなんだよね!」
「いや、いい」
「まだ何も言っていないんだけど!」
「俺の怪我を治そうと申し出てくれるのだろう? 遠慮しておく。いらない」
「えっ? いらないわけがないよね? ひどい怪我をしているんだから。まだ治ってない!」
「数は多いが、それほど深い傷はない」

 そんなのは絶対に嘘である。もしかするとフィンレイさん比では深い傷ではないのかもしれないけれど、当社比では深手だ。

「本当に覚えていないのか? 俺たち獣人がヒューマンにきらわれている、その理由を」
「イザドルさんが色々歌っているのは聞いたよ……」
「三百年ほど前に、とんでもない事件が起きた。ヒューマンの間では獣人の反乱、と言われている。獣人の部族の中でもえりすぐりの英雄たちが、なぜかみんなそろって魔族側に寝返ったのだ。俺もヒューマンに頼み込んで使ってもらっていた間にさんざん聞かされたが、信じられないことにあの歌は事実だ!」

 フィンレイさんの吐き捨てるような口調に、私はぎょっとなる。
 彼の穏やかな顔は一変して、激しい怒りに支配されたものに変わっていた。
【人間】に対して、というわけではない。フィンレイさんの怒りは魔族へ向けられているようだ。

「到底信じがたい話だ……女神コーラルの敵である魔族と結ぼうとするなど! 何か理由があったに違いない。だとしてもありえてはならない事態だが……ヒューマンのもうげんだと考える若い奴らもいる。そいつらがうらやましい、俺もそう思っていたかった……」

 大昔に起こったことのせいで、【人間】と獣人はいがみあっていると、クラウスさんとイザドルさんからも、耳にタコができるほど聞いていた。
 獣人はかつて【人間】側だったけれど裏切って魔族につき、また【人間】側に戻ってきたそうだ。そして、一度魔族についたために嫌われるようになった。
 今は【人間】陣営なのだから水に流せないのかと私は思うんだけど、ダメらしい。クラウスさんもイザドルさんも、再び獣人は裏切るかもしれないと考えている。
 ……三百年も前の事件で、当時の人はもう誰も生きていないだろうに。……今を生きるフィンレイさんには、関係のない話じゃないか。
 許せる時は来ないのだろうか? 

「獣人は魔物を討伐する際のおとりに使われ、店には入れない。町にすら入れてはもらえないのもよくある話だ。安易に傷つけられ、殺されることも――」
「わかってる――この世界の事情は嫌ってほど説明された! でもとりあえず、傷は治させて!」
「っ!?」
「何で避けるの? 治せるみたいだから。治させて、頼むから!」

 自分にできることがあるのに、辛い思いをしている人を放置しておくなんて無理。
 たとえフィンレイさん本人が大丈夫だと言っていても、私が大丈夫じゃない。見ているだけで痛いのだ。

「正気か? ヒューマンが俺のような獣人の怪我を――いや、正気ではなかったな」
「失礼だね! それでも治すけど!」
「治すつもりがあるのならば、そのとんでもない呪文をどうにかしろ。具体的な想像はできているか? 何も考えずに魔法を使うと無駄に魔力をしょうもうするばかりだと聞くぞ」
「えっと、初めから詳しく教えてもらってもいい? メモを取っても?」
「……どうして俺が、ヒューマンに魔法の使い方なんぞを教えなくてはならないんだ?」
「本当に何もわからないの! お願いします! 教えてくれたら恩に着る!」

 手を合わせて拝むと、不承不承ふしょうぶしょうと言った顔つきでフィンレイさんは説明してくれた。
 魔法は、呪文を唱えることで発動する。魔力の消費量は、起こす事象の大小に比例する。しかし手順を踏めば消費は抑えられる。
 魔法によって引き起こされる現象を上手く想像できると、魔力を節約できるらしい。

「あなたの想像を、呪文を介して女神コーラルが読み取る。そして、そのうつわから捧げられる魔力によって女神のわざがあらわされる。あなたのうつわの大きさによっては使えない魔法もあるだろう」
「本当に私、いつの間に魔力のうつわなんて手に入れたんだろ……」
「この世に生まれる前に決まっている」

 フィンレイさんが怪訝けげんな顔で言う。
 いや、この世界の人的にはそうなんだろうけど。やっぱりあの少女からもらった豪奢ごうしゃな箱こそが、魔力のうつわと呼ばれるもののような気がしてならない。

「もしかして、その女神コーラルって女の子じゃない? これぐらいの背丈で金髪の」
「……俺たち獣人に伝わる姿と、ヒューマンに伝わる女神の姿は違うようだな。何が真実なのかは女神の御姿を見たことのある者にしかわからないだろう。だが、金髪だというのは伝承の通りだ」

 金髪の少女のほうが女神コーラルの可能性が高い。ならば、黒髪の子の名前は何だ?
 少女からもらった宝石箱はなくしてしまったと思っていたけれど、私の中にあるに違いない。あれがおそらく、魔力のうつわだ。だから私は魔法が使えるのではないか?
 まあいい、今は魔法を使ってフィンレイの怪我を治すのが先だ。
 魔法が使えれば、彼の傷が癒やせる。

「ちょっと触ってもいい?」
「……いいと言う前に触っている」

 フィンレイさんの手を取ると、怒ったような顔をされた。
 離したほうがいいかなとも思ったんだけれど、触ったほうが治療のイメージがしやすいんだよね。
 それに手を振り払われはしなかった。反吐へどが出るほど嫌だというわけじゃないに違いない。
 フィンレイさんの手は、とてつもなく大きな手だ。少し伸ばされた爪は先が鋭く尖っていて、興味本位で触ると、ぷつりと私の指に刺さった。

「あ、イタ」
「おい!? 何をしている!」
「ごめん、勝手に触ってたら刺さっちゃったみたい。それじゃ、フィンレイさんの怪我を」
「いや、自分の怪我をまず治せ!」
「こんなの怪我の内には入らないよ」
「いいから、さっさと治してくれ。そんなに簡単に怪我をされては心臓に悪い」

 フィンレイさんはおびえた顔をしていた。
 彼の身になって考えてみる。確かに私も、自分の爪に触るくらいで怪我をされたらすごく怖い。か弱すぎだ。
 だけどフィンレイさんの爪が鋭いのが悪いんじゃないか。そう考えていると、彼も自分の爪の鋭さが気になったらしい、ぎゅっとてのひらに爪を立てていた。
 けれど彼のてのひらには全く傷がつかない。
 ……獣人というのは頑丈なのだろう。
 結局、フィンレイさんに比べて、私が弱すぎるのが悪いようだ。
 またもや無意味な心配をさせてしまい、本当に申し訳ない。

「それじゃ指治れ。……はい、これで今度はフィンレイさんね!」
「……本気で、俺の怪我を治すつもりなのか? 俺は獣人だというのに?」
「あーうん、色々話は聞いたよ。でもね、私にはあんまり関係ないとしか思えなかったんだよね……目の前に寒そうな格好をしてる女の子がいたらマフラーをあげるし、傷ついてる人がいたら怪我を治したい。それは相手が誰だろうと関係なくね」

 たとえ相手が女神だろうと獣人だろうと、それ自体は大した話ではないはずだ。

「フィンレイさんだって、洞窟にいた私を助けてくれたでしょ?」
「あれはただ――あなたが邪魔だから入り口へ誘導しただけだ」
ひどい言い草! だけどまあ、私は助かったよ。おかげさまでね、ありがとう」

 やっとお礼が言えてホッとした。
 あのまま洞窟にいたら、フィンレイさんのように傷だらけになっていただろう。フィンレイさんこそ、私の命の恩人だ。

「おい、気をつけてくれ。俺の爪に触れないように」

 怪我を治すために手を取ると、心配されてしまった。情けない顔をしているフィンレイさんを見て笑ってしまう。やる気が出てくる。


 正直、自分の手の甲のかすり傷を治すだけで割と疲れた。だからフィンレイさんの怪我を治すのはかなりしんどいと思う。
 それでも、頑張って治そうという気持ちがむくむくと湧いてきたのだ。

「怪我をすると……血中の血小板が……瘡蓋かさぶたができて……」

 小学生の時に理科で習ったことを思い出しながら、人間の身体の仕組みについて考える。
 想像するって、こんな感じでいいのだろうか?
 わからないなりにやってみる。
 フィンレイさんの手をにぎにぎすると、ビクッと肩を震わせていた。
 血行促進マッサージが怪我を治すのによさそうだと思ったんだよ。他意はない。

「あれやこれやな感じで、治れ治れ~」
「これは……!」

 フィンレイさんが驚いた声をあげるので、私はつむっていた目を開ける。けれどすぐにはその変化がわからなかった。その腕の上に固まっている、血をそっと手で払う。
 すると、血の下にあったはずの傷は跡形もなく消えていた。
 魔力の消費量は危惧していたほどではない。疲れていないのは想像が的を射ていたからか。

「やった! 他の場所はどう? 服を脱いで見せて!」
「っ、わ、やめろ! 破廉恥はれんちな!」

 いたいけな少女のように服をめくられるのを嫌がっているフィンレイさんを無視して、私は無理やりその腹を見た。一番傷口が深かったところ――昼間、支えた時にたくさん血がにじんでいた場所だ。
 そこにはただ、まっさらな肌があるだけだった。くっきりとした腹筋の凹凸おうとつは美しく均整が取れていて、外国の美術館に飾られている彫刻みたいだ。

「ああ、よかった……! もう、一時はどうなることかと」
「ルカ、泣いているのか?」

 そりゃあ、泣きもする。目の前にひどい怪我をした人がいて、その人は私を助けてくれた恩人だ。
 それなのに、救急車を呼ぶ手段もなく、近くの人も助けてくれない。
 私が何とかするしかない状況で、できるかもしれなくて――けれど本当にできるとは信じられなかった。私らしくもなく弱気になっていたのだ。

「泣くな……ルカ。俺などのために、泣いてくれるな。頼む」
「ごめん、鬱陶うっとうしいよね。この世界の人なら、当たり前にできることなのにね。勝手にびっくりしているだけだから、気にしないで」
鬱陶うっとうしいなど、まさか、そんなふうに思うはずがないだろう」

 フィンレイさんは途方に暮れたような顔をしている。
 何でそんな顔をするの?
 フィンレイさんに恩は返せた。この世界においての私の立ち位置も、何となく知った。
 これからどうしたらいいのかはわからないけれど、明日からの異世界リアル遭難ごっこにおいて、この魔法の力が大活躍するに違いない。
 あの双子の女神らしき子たちを探して、元の世界に帰してくれるようお願いしなくては。
 あの子らを見つけるまでの大冒険に、魔法はきっと欠かせない。
 そんな想像もつかない未来に、私のほうこそ呆然としてしまう。

「……あなたは、これからどうする? 行くあてはあるのか?」

 フィンレイさんの言葉に、首を横に振った。そんなものはない、だから、すごく不安だ。

「ないなら女神の戦士として戦いながら流浪るろうの旅をすることになるだろう。だが獣人のために泣いているようでは、これから先どこへ行っても生きづらいはずだ……そんな顔をしないでくれ」
「あ、ええと、ごめんなさい。別にフィンレイさんに迷惑をかけようだなんて全然考えていないから!」

 すがるような顔でもしていたのかもしれない。困ったように目をらされた。
 ものすごく恥ずかしい。図々ずうずうしい奴だと思われたくないので努めて明るい声を出す。

「大丈夫、大丈夫! 魔法も使えるみたいだし、何とかなるって! まずはどこに行こうかな。フィンレイさんのおすすめは?」
「……今すぐに町を出たほうがいい」
「何で?」
「質問はしないでくれ、今すぐだ」
「いやっ……ちょっとそれは難しいかな?」

 苦渋に満ちた顔のフィンレイさんのおすすめは、中々の苦行だ。
 今の時間はおそらく、夜遅い。私の携帯は気づいた時には事切れていた。まだ生きている腕時計を見るに、すでに十時は回っている。
 洞窟からの帰り途中、旅行サークルでも経験したことのない本格的な野宿をし、あれから一日経っている。
 街灯に照らされた明るく安全な日本の夜道だって、あまり歩きたくない。それなのに、街灯はかい、地面はデコボコ、魔物とやらがどこから飛び出すかわからない闇の中をさまよいたいわけがなかった。
 けれど、フィンレイさんの顔は真剣そのものだ。

「無理だって、真面目な話」
「無理でも何でも、さっさと行け!」
「何でいきなり怒るかな! 唐突なブチ切れが私を襲う! よくないよ、そういうの! 女の子にモテないよ」
「ふざけている場合ではないんだぞ!」

 牙をしにしてフィンレイさんが怒鳴った。金色の目が見開かれ、顔が恐い。

「いやいやいやいや……無理だってホントに絶対にダメ。舗装ほそうされたアスファルトの道でだって転べるのに、こんな歩きにくい田舎道なんて! それに夜だもん、たとえ魔物の出ない道でも死ねるよ、私。あっという間の命だよ? 何考えてるの?」
「……ッ! 馬鹿女め……!」
ひどい! ちょっと仲よくなれたと思ったのに!」
「これ以上言うのは、仲間への……! 一族への裏切りとなってしまう……!」

 ぎり、という音が聞こえて、私は思わずフィンレイさんの顔を見た。そして、めちゃくちゃビビる。
 唇をみしめすぎて、み切っている。

「ちょっと、血が出てる! 口をむのやめなって! 一体どうしたの」
「あなたに、触れなければよかった。……触れさせなければよかった! まさか本当に俺の傷を治すなんて……! 傷を治させなければ、言葉を交わさなければ、こんなことには……ッ!」
「せっかく頑張って魔法を使ったのに、どうしてそんなこと言うの?」

 命の恩人にいきなり嫌われすぎて、状況の変化に追いつけない。
 親切心でやったことが何か裏目に出たようだけれど、その理由がさっぱりわからなかった。

「……あの、よくわからないけど、迷惑だったってことだよね? だとしたらごめんね……謝るよ。でも痛そうで見ていられなかったんだよ……」

 思わず涙目になる私に、フィンレイさんはさらに苦々しい顔をする。
 異世界の常識は、私にはわけがわからないものの、命の恩人にこれ以上の迷惑はかけたくない。
 彼が言うのなら、今すぐ町から出て、あてどなく草原でも森の中でも闇に紛れた道を歩こうか。どうせ何の予定もないのだから、道に迷ったって構わないだろう。
 そう思った時、ヒュウと火薬がはじけるような音が聞こえた。
 音のした空を見上げると、すみをぶちまけたようなしっこくの空に、鮮やかに火薬が花開く。

「あっ、花火だ。たーまやー」

 その美しさに、私は感嘆の声をあげる。

「大馬鹿にもほどがある! あなたも、俺もな」

 フィンレイさんはいきなり大声で自分をけなし出した。私もついでにけなされている。
 一体どうしたのかと思いつつ見ていると、彼はふところから筒を取り出した。その黄土色の筒より伸びる紙縒こよりにランプの火をうつして、空にかかげる。
 すると、爆音と同時に花火が飛び出す。

「おおっ、第二弾!」
「何を喜んでいるんだ? あなたにはこいつの意味がわからないのか! ……わからないんだったな! そうだろうさ」

 勝手にキレているフィンレイさん。耳が痛くなるので、前もって宣言した後で打ち上げてくれ、と言う隙すら与えてくれない。

「俺はフィンレイ・ゴールデンギープ」
「え? ああ、前も聞いたけど。私は佐倉瑠香です。名前は瑠香ね。よろしくお願いします」
「あなたの名前なんて今はどうでもいい! 俺の名をしかと覚えておけ!」

 何で私が一方的に覚えなくちゃならないの!
 そう抗議しようとしたけれど、眼前に迫る彼の迫力に驚いて言葉に詰まった。

「へ?」

 私の視界の端で、フィンレイさんが口を大きく開く。
 ――白い牙。赤い咥内こうない
 両肩をぎゅっと掴まれた次の瞬間、首に激痛が走る。

「いだだだだだだだだだッ! 痛―――――い!!」

 みつかれた!
 フィンレイさんにのしかかられたと感じた一瞬後には、首を思いきりまれている。

「痛い痛い痛い無理無理……と思ったほど痛くないけど、やっぱり無理!」
「……耳元でぎゃあぎゃあと、うるさい」

 すぐに彼は離れたものの、絶対にあとになっている。いや、血も出ている!

「何なの。私はもう泣く! 泣くからね」
「好きに泣けばいいだろう。この傷は治すな。治したら死ぬと思え」
「ああああああもうやだああああああ! 意味わからない、もうやだお家帰るううううううう」

 リクエスト通りに色んな感情を乗せて泣き叫び出した私をよそに、フィンレイさんは自分の頭から髪を引き抜いている。
 それは何か目的があってやっているように見えた。おそらく首をんだのも、意味のある行動だ。
 さっきから一体何をしているの? 異世界、怖すぎる。

「生きたければ、これを首に巻いて、決してその身から離すな」

 フィンレイさんが自分の頭から引き抜いた髪の毛で作った紐を、私の首に巻きつけた。
 私は何でまれたの? この毛は何なの? ていうか、傷を治したら死ぬって何?
 そんな疑問には全く答えず、彼は私の腕を掴んだかと思うと、その腕を引いて宿の裏に回る。そこにあった物置の扉を開いて私を見た。

「俺は行かねばならない。しばらくそこの物置に隠れていろ。見つかってしまった時には、俺の名前を出せ。首の傷と俺の髪を見せて命乞いをするんだ」
「だ、誰に……?」
「襲撃者たちにだ」

 フィンレイさんに肩を押され、物置に尻餅しりもちをつく。尾てい骨の負傷にうめいている間に、扉が閉められた。けれど、外側から鍵をかけられた気配はない。

「……何が起こってるの?」

 暗い場所に放り込まれて怖い。それでも、フィンレイさんが最低限の情報をくれたので、この場に留まって考えてみることにした。
 ここにいろと命令したのが彼でなければ、私は即座に逃げ出していただろう。彼に救われた命だ、多少は好きにされても許せる。
 物置のほこりっぽさにみながらも、フィンレイさんの言葉のピースを繋ぎ合わせた。

「――襲撃者、が来るから隠れてろ、って意味だよね?」

 気づくと、にわかに外が騒がしい。

「町を出ろ、って言っていたのはそういうことか……いや、それならそう言おうよ」

 いきなり危険な夜のフィールドに行けと言われても意味がわからない。外を歩く以上にこの町にいるほうが危ないから、と説明してくれればいいのに。
 さらに言えば、私の首をむ前に、意味を教えてくれてもよかったと思う。
 オタク・カルチャーに詳しい私だからこそ、突然の異世界の洗礼にこうして落ち着いて考えられたけれど、いたいけな少女だったらトラウマものだ。

「首の傷を治したら死ぬ、か……誰かが来たら首の傷を見せないと、死ぬ?」

 フィンレイさんの唐突な言葉の断片を繋ぎ合わせるに、そういう意味で間違いない。
 そういえばあの打ち上げ花火は何だったんだろう。あれにも何か意味があるのかもしれなかった。私の反応を馬鹿呼ばわりされてしまったし。
 前提知識さえあれば、私だって少しはマシな反応をするはずなのに……
 そんな言い訳をしつつ先ほど好き放題泣いた涙の名残なごりを袖口でぬぐっていると、喊声かんせいが聞こえた。
 続く人いきれ、足音、怒号、恐ろしい悲鳴が断続的にあがる。
 あまり想像したくないことが外で起きている気がした。中流大学に進学できる程度の学力と豊かな想像力が邪魔になる時もあるらしい。
 気のせいであってほしい。むしろ夢であってほしい。
 今日は夢のような展開の連続だ。どこから夢でも納得できる。――私は今、アパートの布団の上で寝ているのかもしれない。だとしたらとても創造性たっぷりの夢を見ているなあ。
 乾いた笑いが口から漏れる。
 ――無数の足音。悲鳴。けたたましい笑い声。
 そして、荒い足音が私のいる物置に近づいてくるような気がするけれど、たぶん気のせいだ……

「――ヒューマンの匂いだ。この中だな」
「お、鍵はかかってないな……と、あん?」

 物置に入ってすぐのところに隠れもせず体育座りしていた私は、扉を開けた青年とすぐに目が合った。
 ……彼は犬耳を生やしている。やっぱりこれは夢なのではないか。頭痛がしてくる。

「はあ……もう疲れたよパトラッシュ」
「誰がパトラッシュだよ。おれはダヴィッド。グレイウルフ族の里長さとおさだ」
「あ、どうもご丁寧に。私は――」
「ヒューマンだな? 殺す……と言いたいところだが、あんたからは獣人の匂いもするな」

 いきなり物騒な言葉を発する青年を前に、私はすぐに自分が何をするべきか把握した。けれど腰が抜けていて動けない。
 どうした、私の腰よ! 軟弱だな!!
 地面の上でジタバタしている私を見て、青年は私の頭をむんずと掴んで傾けさせる。何をしようとしているのかは想像できた。
 乱暴な扱いだったものの、私がしたかったことだったから、抵抗しない。
 彼は私の首にフィンレイさんのあとを確認し、首に巻きつけられた髪の毛の存在を認めると、聞いてきた。

「名前は?」
「佐倉……いやいや、フィンレイ・ゴールデンギープさんのほうですよね、聞きたいのって!」
「なるほど、ゴールデンギープ族か。確かに歯型とは合致するな」

 私の名前なんてどうでもよかった……フィンレイさん、名前を教えてくれてありがとう。

「だが、あんたが助かりたくてついてる嘘かもしれねえよな?」
「嘘?」
「嫌がるフィンレイに首をませ、あんたがその髪を引き抜いて、仲間につらなる者だとおれたちにさっかくさせようとしている、とかな?」

 瞳孔の開いた灰色の目に見下ろされて、私はもう己の豊かで限りない空想力が辛くてたまらなくなった。

「……夢であれ」
「現実だよ。まあ、せいぜいフィンレイ・ゴールデンギープという名前の獣人がこの世に存在し、ここに戻ってくるよう祈るんだな」

 フィンレイさんが戻ってこなかったらどうなるのかは、言わないでくれて大丈夫。
 けれど、犬耳の獣人さんは余計な親切心を発揮してくれる。

「夜明けまでにそいつが現れなければ、あんたを殺す」

 冗談みたいな台詞せりふだった。映画とかで聞きそうな台詞せりふだ。
 でも、たぶん有言実行されるのだろう。
 ダヴィッドと名乗った、おそらく獣人に違いない男のまなしは冷徹れいてつだ。そこにはなく、むしろ彼は、フィンレイさんが現れないことを願っているように見えた。
 そこまで私が憎まれている理由は、何となくわかる。
 今日一日、フィンレイさんに対するこの世界の【人間】の態度を見ていたから。
 ――【人間】の町アルソンは、今、獣人による襲撃を受けている。
 ダヴィッドさんは行き、私がうずくまる物置小屋の前には二人の獣人が見張りに立った。
 逃げられそうにない。


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