比翼の鳥は籠の中

松山あき

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 夜になって直人と明人と一緒にテレビを見ていた智に、二人の母が「そうそう」と話しかけてきた。

「智ちゃん、昴希こうきちゃんちにスイカ送ったから、連絡してあげてくれる?昴希ちゃんがお家に帰るころに美味しくなってると思うから」

 昴希というのは智の友人で、寮では直人と同じ部屋の“オメガ”だ。
 直人をはじめとした他のアルファを退け、超進学クラスで一位をキープしている秀才ではあるが、学校側からの配慮もあって第二性を隠している。
 そのため、表向きは直人の同室として過ごしており、ヒートになればこっそり智の部屋の空いたベッドで過ごしていた。
 その代わり、直人が智の部屋で寝泊まりするのを多めに見てもらっている。
 昴希とは共犯関係から始まったが、今では智にとっても直人にとってもかけがえのない友人になっていた。
 
「なんで智なんだよ」

 大きな身体をソファに預けたまま直人が抗議の声をあげる。
 スイカは直人の母からのプレゼントだから直人から、というのが普通ではないかと智も首を傾げる。
 けれどもそれを理屈ではなくパワーで圧倒するのが笹平家の母だ。
 
「昴希ちゃんだってアンタより智ちゃんのがいいに決まってるでしょ」
「いいよ、直人。オレからメッセージいれとく」

 智も昴希がどんな夏休みを過ごしているのか気になっていた。
 今年は帰省せず、寮で過ごしているらしい。それも四月に転入してきた直人たちのクラスメイトと一緒に。
 そのことに智も少しの期待と不安を持っていた。連絡できる理由ができて、早速スマホを取り出した。
 短いメッセージではあるが送信すれば、珍しくすぐにスマホが震えた。しかも着信だ。

 昴希は人付き合いに対して淡白というか、一線置いたところがある。
 それなのにメッセージではなく電話をかけてきたので、何かあったのかと直人達から少し距離をおいて通話ボタンを押した。

「もしもし……?」
『智、さっきメッセージ見た。おばさんにありがとうって言っておいて』

 いつも通りの昴希の声だが、それが余計に智を不安にさせる。
 昴希は智が知る中で一番感情を隠すのが上手い。
 クラスも寮も一緒の直人でさえ、智が伝えるまで昴希の抱える不安定さに気付いていなかった。
 
「うん。今年甘いよ」

 予感が確信にならないため、智もいつも通りにそう答えた。
 その後で一拍、気をつけていないと見逃してしまいそうな間が開いて、「やっぱり」と智の勘が囁いた。

『体調はどう?』
「大丈夫。……でも、昴希は元気なさそう」

 ストレートに聞いたところで答えてもらえるかは五分五分だが、それでも聞かないと何も答えないのが昴希でもある。

 やはり何かがあることを小さなため息から感じる。
 きっとそれはお互いを親友だと思っている直人には言いづらいことかと思い、そっとリビングを離れて玄関の外に出た。ここなら直人に声が届かない。

「直人いないとこにきた」
『…………うん』

 遠くに虫の声を聞きながら昴希の答えを待つ。
 慎重で優しいこの友人には時間と根気が必要だと智は知っていた。

 それからポツポツと昴希が語ったのは、今日行ったというオープンキャンパスでの出来事だ。

『……そこで会った先輩に、オメガじゃ就職できないって…………何のために大学に来るのか聞かれちゃって』

 心の痛みと恐怖が声から伝わってくるようで、智も悲しくなってきた。
 
 昴希は少し前までパイロットになりたいと夢を語っていた。
 それはヒートを抱える以上絶対に叶わない夢だと、初めて聞いたときから智も直人も悟っていた。
 それでも笑顔で目を輝かせる昴希に、二人とも何も言えずに一年以上を過ごしてしまった。

 おそらく昴希も分かっていて、身のうちで暴れる痛みと悲しみを外にも出せず蹲って泣いていた。
 心も身体もボロボロで、それなのに穏やかな顔で笑っている姿がいつも智に痛みをもたらした。

 あの悲しさが再び昴希の身に迫っていると思うと、智の心臓まで悲鳴をあげているような感覚を覚える。

「うん。……こわいよね、それって」

 自然とそう言葉が出ていた。

『パイロットになれないって知った時も怖かったけど、今は多分、その時より不安な気がする』
「江夏くんがいるから?」

 江夏えなつ つばさは件の転入生で、智は昴希の“運命の番”だと思っている。
 初対面で昴希がオメガだと気づいたという彼は、破天荒なところもあるが、昴希のことを大切に思っているのは智にも伝わっていた。
 
 不思議なのはそれだけ仲が良いのに付き合ってはいないことだ。
 翼の方は四六時中昴希とベタベタしたがるが、昴希はまだ気持ちが定まっていないらしい。

 彼は昴希に新しい希望をもたらしたが、それが不安を連れてくることは智もよく知っていた。
 
 アルファの後ろを歩こうと思っても、オメガはいつも置いていかれる。
 どんなに同じ道を辿ろうとしても、同じ速度では歩けない。それがどんな気持ちだったか、ずいぶん前のことで忘れてしまったが、そうなる未来の不安はよく分かる気がする。

 直人だっていつかは……。
 
「……どうして、一人より二人の方がこわいんだろうね」

 いつかは自分を置いていってしまうかもしれない。
 直人がどう望んでも、智がどれだけ直人を求めてもそういう現実だってあるかもしれない。
 
 一人でいれば一人になる不安はないのに、どうして二人でいることを願ってしまうのかと自嘲するような言葉が漏れ出てしまう。
 
『智も?』
「時々。でも、直人の傍を離れるって考えにならないから悩む」

 こんなにも直人いなくなることに怯えているのに、今直人と一緒にいる喜びは手放せない。
 きっと、昴希とはまったく違う理由で心が重いのは分かっていたが、それでもどこか救われる心地がした。

 優しい沈黙が昴希も翼と二人でいたいのだと教えてくれるようで、本当にそうであるなら、智の中には一つだけ大きな不安が残っていた。

「昴希、薬……もうない?」
『…………』

 薬、というのは智や昴希オメガがヒートのときに飲む抑制剤のことだ。
 智も難しいことは理解出来ていないが、オメガが病気のように扱われた時代に強い抑制剤を飲んで精神的に不安定になった人がいるとか、今でも抑制剤の飲み過ぎで長期入院が必要になる人が少なからずいるとか、そんな話は授業でも習って、おそらくオメガなら誰でも知っている話だ。

 そして、昴希はヒートの度にどこで手に入れたのか、薬を大量に飲んではその副作用で吐くのを繰り返し、おそらく自分の腕を自分で噛んでいる。
 ヒートのとき、目を離す度にトイレで真っ青な顔で倒れていたり、袖を血で汚したままふらふらと部屋の前を歩く姿を何度も見てきた。

「ダメだよ。もう、絶対」
『……ごめん。智に心配かけたくないんだけど』
「……昴希。病院から出られなくなるよ」

 ついつい強い口調で昴希を叱ってしまう。

 智はこれまでに二度、ヒート入院をしたことがある。
 いずれも同じ病院のオメガ病棟という、智と同じような環境にいる人を預かったり、ホルモンが安定しないといったオメガ特有の症状を診たりする場所だった。
 
 その病院で一年半前も今回も同じ病室にいた、生気を失った目で窓際にぼーっと佇んでいたあの人は明日の昴希かもしれない。その記憶が智を焦らせる。

「江夏くんはどうするの?」
『翼は!』

 強く鋭いその声に智は言葉を失った。
 感情の波は一旦引いたが、代わりに心苦しさを運んできて、昴希の言葉を待つことしかできなくなる。
 
『…………翼は、まだ関係ない』

 心を押し殺そうとして、上手く閉じ込められないような声だった。
 
 やっぱり昴希は翼との仲に踏ん切りがつかないようだ。
 それが薬のせいなのか、昴希の夢が叶わないせいなのか、先ほどの昴希の強い感情が智に質問するのを躊躇わせる。

『ごめん。智の言うことも、分かってるのに』
「ううん。……もう寝ようか」

 きっとこれ以上は昴希の心を傷つけてしまうと思い、区切りをつけようとした。
 
『うん』
「おやすみ、昴希」

 初めて昴希が抑制剤を握りしめてトイレで倒れているのを見た日から、早く昴希が救われてほしいと智は願っていた。
 自分や直人では踏み込めない、昴希の一番柔らかく弱い場所に入る人が現れればいいのに、と。

 翼は智には少しこわい人だ。
 周りの全部を傷つけても、何も知らないまま一人で立っているような人に智には見えていた。

 だが、そんな翼も昴希といると優しい顔をする。

 昴希を大事にしてくれるなら、早く昴希を助けてほしいと、ただ祈ることしか出来なかった。
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