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後宮の失踪者
夜、宦官は帝姫に伴われる②
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後宮全体に夜間の外出禁止令が出たのはそれから間もなくのことだった。白狼が小耳にはさんだ下女や女官の失踪話が公になり、皇帝と皇后の命で詳しく調べることになったらしい。おかげで後宮内はいつもより少し物々しさが漂っている。
また昼間であっても基本的には各自の宮で仕事をするようにというお達しがあり、この数日というもの白狼は暇を持て余した銀月に囲碁に付き合わされて辟易としていた。
今日も今日とて何連敗だろう。燭台の揺らめく灯りの下、盤上に銀月の細い指が白石を置く。
「ほら、これで投了だろう」
「……まだまだ。これでどうよ」
「お前、今右手の下で私のツケていた白石をずらしただろう?」
「ちっ、見えてたか…」
「自分で置いた石の位置くらい覚えてるわ」
「嘘だろ、こんなにあるのに」
誤魔化しがバレてしまえばもう他に黒石を置くところはない。囲碁など賭博の種として見物しかしてこなかった白狼にとって、手加減してくれているとはいえ銀月の相手など満足に務まるわけもなかった。もはや何回目か分からない負けを喫し、白狼は碁盤に黒石を放り投げた。
「わっかんねえよ、こんなの!」
石も碁盤もおそらく高価なものなのだろうが知った事ではない。盤上でがしゃがしゃと音を立てて石をかき混ぜる白狼に、銀月は呆れた顔をしてため息をつく。
「この前渡した棋譜の本は読んでみたのか? 初心者用の」
「ざっと眺めたけど、どれがどれやら違いが分からねぇ」
「簡単なものから教えてやるから持ってこい」
「やだよ、もう考えすぎて頭がぐらぐらする」
「筋は悪くないと思うんだがなぁ」
実際の所、要所要所で白狼の石が銀月の陣地を脅かす展開がなかったわけではない。が、先読みもなにもなく勘で動かしている囲碁が勝機を掴めるはずもなく、あれよという間に挽回されるばかりだった。
考えが足りないということを突き付けられている気がして、負けが続く白狼は面白くない。その上で自分を負かし続けている相手に教えを乞うなど腹が立って仕方ないのだ。しかも相手は自分より四つも年下。拗ねるなという方が難しい。
「お前もさ、俺ばっか相手にしてねえで周のおっさんとかとやれよ。おっさん、囲碁上手そうじゃねえか」
「周にはほかにも仕事がある。この宮で暇を持て余しているのは私とお前だけだ」
暇つぶしの矛先を変えようと試みるも、銀月は表情も変えずに碁石を片付けながら一蹴する。
「俺だって掃除やら洗濯やら仕事がないわけじゃないぜ?」
「粗忽なお前が掃除や洗濯やらをやると、毎回何かしらくすねてるだろう。そのたびに翠明や黒花の頭痛が酷くなるらしい。小葉など、お前には塵捨てくらいしか任せられないと言っていたぞ」
「ちぇっ……。そんなに言われるほどやってねえよ」
秘密を盾に勝手に後宮へ連れてきておいて、一体なんという言い草だろう。白狼とてここで働きたくて来ているわけではないので、食っちゃ寝できるこの環境は嫌ではないがなにか腹が立つ。
ふてくされた顔をして卓の水を煽ると、銀月は肩を揺らして可笑しそうに笑った。
寝巻ではあるが可憐な姫君の姿で笑う銀月は、どこからどう見ても深窓の令嬢である。が、中身は自分より年下の十五の少年、と思うと無下にするのもかわいそうな気がしてしまう。要するに白狼がお人好しということだ。
ちょっとは囲碁の練習でもするか、と碁石をはじくと銀月がそういえばと碁盤に身を乗り出した。
「さっき言っていた件だが」
「さっき?」
「お前がこの間聞いた、宝林や才人のところの女が消えたという話」
ああ、と白狼は頷いた。
「後宮全体が夜間の外出を禁じられるほどとなると、他にも何人か続けて居なくなっているということか」
「女たちが話してた感じだと、多分な。詳しい人数は知らねえけど噂になる程度の数はいるらしいぜ」
「下級妃の女官や下女となると、下働きを苦にして逃げ出した線はないか?」
「後宮の下働きが苦になるもんか」
へっと白狼は鼻で笑う。これだからお姫様は、いやお坊ちゃまは世間知らずと言われるのだ。
「雨風しのげる所に寝泊まりできて、借金返してるとはいえ給金も出て、一応は食うに困らねえ仕事から逃げるもんかね。外に行ったとしても野垂れ死ぬ可能性の方が高そうだと、俺は思うけどな。しかも逃げる所を見咎められれば、悪くすりゃその場で首切られてもおかしくねえ。俺ならやらないね」
「なるほど……」
「しかも後宮全体に外出を制限するってところみりゃ、事件性があるって言ってるようなもんだろ? 隠さなきゃならない病か、人知れず口封じされたか、あるいは事故か。まあいびり倒されて首吊ったって線もあるだろうが、物騒な理由以外考える余地はねえよ」
銀月は形の良い唇へ指を当てて考え込む姿勢になる。しばらく前から生活をともにするようになり、この花のように美しい顔をした姫、ではなく皇子のちょっとした癖が分かるようになってきた。こうなっているときは大体――。
「白狼」
「やだよ」
「まだ何も言ってないだろう」
「どうせ探ってこいとか言う話だろ? 宮から出るなってお達しなんだから無理無理」
違う違う、と銀月は首を振る。そしてにやりと笑うと、白狼の耳に唇を近づけた。
「……ちょっと夜の散策に付き合え」
「あ?」
「ずっと宮に閉じ込められていてさすがに飽き飽きしてきたところだ。その女官たちの失踪、調べてみようじゃないか」
なあ、とほほ笑んだ銀月の顔はいつも通り、いや三割り増しで美しい。
「尚更いやだって。それをやって翠明様に大目玉食らうの俺じゃないか」
「良いではないですか、白狼。この憐れなわたくしの心を慰めると思ってお付き合いなさいな」
「しなをつくって猫なで声出すな!」
白狼は上目遣いをしながら肩にしなだれかかってくる銀月を振り払い、大きく首を横に振る。女である自分には色仕掛けなど通用するわけもない。聞く義理もないし断固断りたい。
しかし結局はやらざるを得なくなるんだろうな、翠明様にバレないといいな、と半ばあきらめてもいたのだった。
また昼間であっても基本的には各自の宮で仕事をするようにというお達しがあり、この数日というもの白狼は暇を持て余した銀月に囲碁に付き合わされて辟易としていた。
今日も今日とて何連敗だろう。燭台の揺らめく灯りの下、盤上に銀月の細い指が白石を置く。
「ほら、これで投了だろう」
「……まだまだ。これでどうよ」
「お前、今右手の下で私のツケていた白石をずらしただろう?」
「ちっ、見えてたか…」
「自分で置いた石の位置くらい覚えてるわ」
「嘘だろ、こんなにあるのに」
誤魔化しがバレてしまえばもう他に黒石を置くところはない。囲碁など賭博の種として見物しかしてこなかった白狼にとって、手加減してくれているとはいえ銀月の相手など満足に務まるわけもなかった。もはや何回目か分からない負けを喫し、白狼は碁盤に黒石を放り投げた。
「わっかんねえよ、こんなの!」
石も碁盤もおそらく高価なものなのだろうが知った事ではない。盤上でがしゃがしゃと音を立てて石をかき混ぜる白狼に、銀月は呆れた顔をしてため息をつく。
「この前渡した棋譜の本は読んでみたのか? 初心者用の」
「ざっと眺めたけど、どれがどれやら違いが分からねぇ」
「簡単なものから教えてやるから持ってこい」
「やだよ、もう考えすぎて頭がぐらぐらする」
「筋は悪くないと思うんだがなぁ」
実際の所、要所要所で白狼の石が銀月の陣地を脅かす展開がなかったわけではない。が、先読みもなにもなく勘で動かしている囲碁が勝機を掴めるはずもなく、あれよという間に挽回されるばかりだった。
考えが足りないということを突き付けられている気がして、負けが続く白狼は面白くない。その上で自分を負かし続けている相手に教えを乞うなど腹が立って仕方ないのだ。しかも相手は自分より四つも年下。拗ねるなという方が難しい。
「お前もさ、俺ばっか相手にしてねえで周のおっさんとかとやれよ。おっさん、囲碁上手そうじゃねえか」
「周にはほかにも仕事がある。この宮で暇を持て余しているのは私とお前だけだ」
暇つぶしの矛先を変えようと試みるも、銀月は表情も変えずに碁石を片付けながら一蹴する。
「俺だって掃除やら洗濯やら仕事がないわけじゃないぜ?」
「粗忽なお前が掃除や洗濯やらをやると、毎回何かしらくすねてるだろう。そのたびに翠明や黒花の頭痛が酷くなるらしい。小葉など、お前には塵捨てくらいしか任せられないと言っていたぞ」
「ちぇっ……。そんなに言われるほどやってねえよ」
秘密を盾に勝手に後宮へ連れてきておいて、一体なんという言い草だろう。白狼とてここで働きたくて来ているわけではないので、食っちゃ寝できるこの環境は嫌ではないがなにか腹が立つ。
ふてくされた顔をして卓の水を煽ると、銀月は肩を揺らして可笑しそうに笑った。
寝巻ではあるが可憐な姫君の姿で笑う銀月は、どこからどう見ても深窓の令嬢である。が、中身は自分より年下の十五の少年、と思うと無下にするのもかわいそうな気がしてしまう。要するに白狼がお人好しということだ。
ちょっとは囲碁の練習でもするか、と碁石をはじくと銀月がそういえばと碁盤に身を乗り出した。
「さっき言っていた件だが」
「さっき?」
「お前がこの間聞いた、宝林や才人のところの女が消えたという話」
ああ、と白狼は頷いた。
「後宮全体が夜間の外出を禁じられるほどとなると、他にも何人か続けて居なくなっているということか」
「女たちが話してた感じだと、多分な。詳しい人数は知らねえけど噂になる程度の数はいるらしいぜ」
「下級妃の女官や下女となると、下働きを苦にして逃げ出した線はないか?」
「後宮の下働きが苦になるもんか」
へっと白狼は鼻で笑う。これだからお姫様は、いやお坊ちゃまは世間知らずと言われるのだ。
「雨風しのげる所に寝泊まりできて、借金返してるとはいえ給金も出て、一応は食うに困らねえ仕事から逃げるもんかね。外に行ったとしても野垂れ死ぬ可能性の方が高そうだと、俺は思うけどな。しかも逃げる所を見咎められれば、悪くすりゃその場で首切られてもおかしくねえ。俺ならやらないね」
「なるほど……」
「しかも後宮全体に外出を制限するってところみりゃ、事件性があるって言ってるようなもんだろ? 隠さなきゃならない病か、人知れず口封じされたか、あるいは事故か。まあいびり倒されて首吊ったって線もあるだろうが、物騒な理由以外考える余地はねえよ」
銀月は形の良い唇へ指を当てて考え込む姿勢になる。しばらく前から生活をともにするようになり、この花のように美しい顔をした姫、ではなく皇子のちょっとした癖が分かるようになってきた。こうなっているときは大体――。
「白狼」
「やだよ」
「まだ何も言ってないだろう」
「どうせ探ってこいとか言う話だろ? 宮から出るなってお達しなんだから無理無理」
違う違う、と銀月は首を振る。そしてにやりと笑うと、白狼の耳に唇を近づけた。
「……ちょっと夜の散策に付き合え」
「あ?」
「ずっと宮に閉じ込められていてさすがに飽き飽きしてきたところだ。その女官たちの失踪、調べてみようじゃないか」
なあ、とほほ笑んだ銀月の顔はいつも通り、いや三割り増しで美しい。
「尚更いやだって。それをやって翠明様に大目玉食らうの俺じゃないか」
「良いではないですか、白狼。この憐れなわたくしの心を慰めると思ってお付き合いなさいな」
「しなをつくって猫なで声出すな!」
白狼は上目遣いをしながら肩にしなだれかかってくる銀月を振り払い、大きく首を横に振る。女である自分には色仕掛けなど通用するわけもない。聞く義理もないし断固断りたい。
しかし結局はやらざるを得なくなるんだろうな、翠明様にバレないといいな、と半ばあきらめてもいたのだった。
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