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第二章
第二話 スパイスと閣下と魔物カレー
しおりを挟む雷猪の解体が終わったのは、日もすっかり傾いた頃だった。
僕はふらふらの足取りでまな板を拭きながら、思った。
(これ……毎回やるのは、きついかも……。でも、不思議とまたやりたいって思ってしまった)
硬い皮、独特の筋、濃い血の匂い。
処理は骨が折れたけど、それでも肉は驚くほど上質だった。
とくに肩肉と腹の部分は脂が乗っていて、焼くだけでも十分美味しかった。
「次はもっと大きいのを狩るか?」
「いえ、昨日のより手強いやつがいたはずです。あれを仕留めておかないと、あとで面倒になりますよ」
……会話が物騒すぎる。
目の前では、エド先輩とニッキー先輩が、次なる魔物狩りの相談を始めていた。
「おふたりとも、そんなに狩りに慣れてるんですか……?」
「まあな。動物より、魔物の方が狩り応えがあるしな」
「昔は、週に何度も行ってたんですよ」
ニッキー先輩が平然と答える。
……うん、どこで?
僕の知らない世界の話みたいだった。
「それにしても、レーヴェは肉の焼き方がうまいですね。火加減とタレの香り……。あれを食べてから、また狩りに出たくなったんですよ」
「俺もだ! あのタレの焦げる匂い、脳がとろけそうだった! だからカレーも絶対うまいぞ!」
「えっ、次はカレーなんですけど……。もう知ってたんですか?」
「お前が『肉がゴロゴロ入ったカレーを作りたい』って言っただろ? 忘れたのか?」
「あっ、そういえば……」
忘れてんじゃねえよ、とエド先輩が笑った。
(じゃあ、今日の狩りは……そのため……?)
「お前が食べたいもんを作ってくれるなら、狩りなんて朝飯前だ!」
満面の笑みで語るエド先輩の横で、ニッキー先輩が紅茶を一口飲みながら頷いた。
「そう。レーヴェの料理が楽しみで狩りをするなんて、かつての自分では考えられなかったですよ」
うんうんと頷くふたりが、揃って立ち上がる。
「てなわけで、俺は槍の手入れしてくるわ」
「私も弓具のメンテナンスをしてきますね」
ふたりが颯爽と厨房から去っていく。
エド先輩はお酒を辞め、ニッキー先輩は寝てばかりの生活から脱却した。
(……あのふたり、魔物討伐部隊の最前線で戦えるんじゃ……?)
なんだか僕だけ、普通に炊事班してる気がした。
「よし、明日の仕込みをしよう」
ふたりを見送ったあと、僕は棚の奥にしまってある小瓶をいくつも並べていく。
「スパイスは……これとこれと……それから、これも……」
野菜は少ないけど、香りがあれば魔物肉の臭みも気にならない。
「うん、あとは焦がしニンニクと、クミンを……」
「――こっちにもスパイスがあるぞ」
「わっ、ありがとうございます。ヴァル先輩!」
無口なヴァル先輩がいつの間にか隣に立っていた。
両手いっぱいに、香辛料の瓶を抱えている。
(これ全部、ヴァル先輩の持ち物!? どこで、どうやって調達したの……?)
しかも中には、僕でも名前の知らないような珍しい香草や、見たことのない粉末まである。
その中で、赤い粉が入った瓶を手に取った。
「これはなんですか?」
「南方でよく使う“トサカ草”だ。これを入れると、脂の重さが引く」
「すごい! ありがとうございます! ちょっと試してみますね!」
ヴァル先輩はこくりと頷き、まるで薬草調合でもするかのように、僕のスパイス棚に自分の持ち込みスパイスを追加していく。
目が真剣そのものだ。
(え……なんか、ヴァル先輩が一番楽しそう……?)
無口なイメージだったヴァル先輩は、たぶん人見知りなだけだと思う。
今ではたくさん話しかけてくれるし、大笑いはしないけど、笑っている時もある。
そんなヴァル先輩が、懐から袋を取り出し、ニヤリと笑った。
「――昨日、支給されたんだ」
「これは……っ!!」
きらきらと輝く白い結晶を前にし、僕は目を輝かせた。
――砂糖だ。
貴重な品である。
僕の家は、ほとんど平民と変わらない暮らしだったから、砂糖を購入したことは、片手で数えられる程度しかない。
でも、過去の僕の誕生日に、ディルクが小瓶に入った砂糖をくれたことがある。
手のひらに収まるほどのサイズだったけど、僕にとっては宝物みたいだった。
(その砂糖を大切に使って、クッキーを焼いてお返しをしたら、ディルクは子どもみたいに喜んでくれたっけ……)
懐かしい記憶が蘇る。
「こんな高級品が支給されることなんてあるんですね」
「ああ。実はこれは、兵士たちの分じゃない。俺たち炊事班を労うためのものだ」
「そ、そんな特権が!? でも、納得です。だから砂糖の量がそんなに多くはないんですね」
貴重な砂糖を、僕は目にしただけで満足だった。
「今度、これを使って、ふたりでクッキーを作らないか?」
ヴァル先輩の素敵な提案に、僕は何度もうなずく。
「はいっ! それ、絶対に作りたいです! ヴァル先輩は、クッキーも作れるんですか?」
「素朴な味のものしか作れないが……。俺はそういう味が好みなんだ」
「いいですね! ……あっ、そうだ! 狩りを頑張っているエド先輩とニッキー先輩に、サプライズで渡しませんか?」
名案だとばかりに手を打てば、ヴァル先輩が顔をくしゃりとさせて笑った。
「…………自分が全部食べればいいものを。そうだな、一緒に作ろう。内緒の楽しみにしようか」
ふたりだけの秘密の約束をして、僕は今からクッキー作りが楽しみで仕方なかった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
香味野菜を炒め、魔物肉を焼き、スパイスを順に加えて煮込む。
その香りが漂い始めると、兵士たちがぞろぞろと厨房の外に集まり始めた。
「な、なんだこの匂い……」
「昨日の焼肉よりヤバい……腹が鳴る……!」
ぐうう、とお腹の音があちこちから聞こえてくる。
初めて作った魔物カレー。
みんなに食べてもらう前に、まずは試食だ。
ヴァル先輩が差し出した小皿を受け取り、スプーンですくって口に運ぶ。
「ん……甘い。けど、じわっと辛いっ! 雷猪の肉も柔らかくなってますっ! これ、すっごくおいしいですっ!」
「――よし。盛れ」
ヴァル先輩の一言で、僕たちはいっせいに盛り付け作業に入った。
鍋の中でとろとろになったカレーが、炊きたての米の上にかけていく。
お肉がごろごろ入って、食欲をそそる見た目に、外の兵士たちはもう我慢の限界だった。
「う、うおおおおお!!!!」
「みなさん、順番を守ってくださいね?」
「オイ! はやく食わせろ!」
いつも行列を整備してくれるニッキー先輩だけど、今日は誰も止まらない。
「――……順番守れぇぇぇぇええええ!!!!」
魔物カレーは兵士たちを熱狂させ、食堂にニッキー先輩の怒号が響いた。
そして、兵士の列が途切れた頃だった。
厨房の戸口に、ひとりの男性が立っていた。
「その匂い、さっきから漂っていると思えば……」
珍しい白金色の髪の男性は、以前、前線で残り物のおむすびを食べてくれた人だった。
きっと彼は、僕のことなど覚えていないだろう。
彼の目は、ただ一心に鍋の中を見つめていた。
「あの……よろしければ、一杯……」
言いかけた僕に、彼は一言だけ返した。
「――頼む」
その声は、思ったよりもずっと柔らかかった。
僕は急いで器を用意し、カレーをよそう。
たくさん食べられるかはわからないけど、山盛りにしておいた。
「これが、魔物の肉か……」
男が静かにカレーを口にする。
「――うまい」
小さな声だった。
でも、確かに嬉しそうだった。
「……もう一杯、いいか?」
「は、はいっ! もちろんです!!」
青と緑の混ざった綺麗な色の瞳がきらきらと輝き、まぶしい。
僕は嬉しくなって、もう一杯よそった。
(みんなを笑顔にしたいと思って始めたことだったけど、僕の方が笑顔になれちゃった……)
結局、彼は三杯もおかわりしてくれた。
彼が食べ終えたとき、ふっと優しい微笑みを浮かべた顔を、僕は忘れないだろう。
……このときはまだ知らなかった。
彼が僕の運命を、大きく変える存在になるなんて――
――――――――――――――――――――――
《炊事班メンバー》
☆ヴァレンタイン(40)
☆エドゥアルド(38)
☆ニコロ(38)
年齢が間違っていたので変更しましたm(_ _)m
レーヴェが生まれる前に活躍していた、三英雄。
レーヴェの両親と同世代です。
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