炊き出しをしていただけなのに、大公閣下に溺愛されています

ぽんちゃん

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第三章

第三話 雲の上の人が、僕に膝をつく

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 木々が揺れる音に、僕はふと顔を上げた。

 日差しは柔らかく、焚き火の上で煮込んでいたスープが、ぽこぽこと小さく音を立てている。

 鳥のさえずりと、子どもたちの笑い声。
 それが、今の僕の日常になっていた。

 こうして誰かの食事を作るたびに、少しだけ自分が「ここにいていい」と感じられるようになった。

 そんな静かな朝だった。

 突然、地鳴りのような音が響いたのは。

 
「何か来るっ!!」


 村の見張りが叫んだその瞬間、遠くの地平線に、騎士たちの行進する影が現れた。

 規律正しく並ぶ騎士たちの先頭を進むその人の姿を見た瞬間、胸がきゅっと掴まれたようだった。

 ――カイゼル、さま……。

 漆黒の軍馬に騎乗するその姿は、現実とは思えないほど美しくて、僕はただ呆然と見つめることしかできなかった。

「どうして……」

 魔物の被害に遭った地は、各所にある。
 だから、王国軍の最高司令官であるカイゼル様が、わざわざこんな寂れた村に来るはずがない。

 ――僕が、ここにいると知って?
 まさか、そんなはずは……。

 村の人々がざわめき、道を開けていく中、僕は手にしていたお玉を落とした。

 足が動かない。

 それでもカイゼル様は、堂々と馬を降りると、騎士団の威光などものともせず、真っ直ぐに僕の元へ歩いてきた。

「久しいな、レーヴェ・ノアール」

 その声は、僕が記憶していたよりも、少しだけ優しく聞こえた。

 白金の髪は、陽の光を受けて柔らかく揺れる。
 長く伸びた前髪が額をかすめ、その隙間から覗く青と緑の混ざる瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいた。

「カイゼル様……。どうしてここに……?」

 ようやく絞り出した声は、自分でも情けないほどかすれていた。

「――君を迎えに来た」

 その一言で、心が大きく揺れた。

(僕が軍を去っても、誰も気にしないと思っていたのに……)

 けれど今、彼は騎士団を率いてまで、僕ひとりのために現れた。

「僕は、軍を辞めた人間です。与えられた仕事を途中で投げ出して、婚約も、破棄されて……」

 あまりに惨めで、それ以上は言葉が続かなかった。
 僕の話を最後まで聞いてくれたカイゼル様は、静かに言葉を続けた。

「君がいなくなって、皆が気づいた。君がいかに“大切な存在だったか”を」

「…………」

 もしその話が本当だったとしても、きっとディルクとエリンは含まれていないだろう。
 ふたりのことを思い出してしまい、僕は自ずと俯いていた。

「君のような人間を、俺はこの国に必要だと思う。そして、それだけじゃない」

「っ、」

 そう言って、彼は僕の前に膝をつく。
 周囲で見ていた村人たちが息を呑むのがわかった。

 信じられなかった。

 王国軍の頂点に立つ彼が、ただの炊事兵だった僕の前で、膝を折っている。

 彼は、真剣な眼差しで僕を見つめていた。
 
「議会で、君の功績は正式に認められた。軍史にその名が刻まれる。“兵士たちを支えていたのは、君の作った飯だった”と」

「う、そ……」

「本当だ。俺が真実を話せば、国王陛下も認めてくださった。君はもう“誰にも認められていない存在”なんかじゃない」

 カイゼル様の力強い言葉に、僕は言葉にならず、涙があふれそうになった。
 それでも、なんとか声を出した。

「……わざわざ、国王陛下にも話してくださり、ありがとうございます。でも僕は、僕のしてきたことを、炊事班のみんなと、あなたが見ていてくれたなら……知っていてくれたなら、それで、いいんです」

 僕は誰かに誉められたくて、食事を作っていたわけじゃない。
 けれどその瞬間、彼の瞳が少しだけ細くなった。
 何かを決意したように。

「いや、良くない」

「……え?」

 思わず聞き返した僕の手を、彼はしっかりと取った。

 握られた手が熱い。
 その熱だけで、僕の心の氷が溶けていく気がした。

「君が火を起こし続けてくれたから、俺たちは希望を失わずにすんだ」

「…………」

「鍋の前に立ち続けてくれた君がいたから、兵たちは立ち上がれた。戦えた。俺もそうだ。……君の作る料理が、俺を救ったんだ」

 その言葉は、どんな名誉よりも温かく、僕の胸に深く染み込んでいった。

 僕のしてきたことが、無駄じゃなかった。
 全部、誰かに届いていたんだ。


 そしてカイゼル様は、さらに一歩、深く言葉を重ねる。


「レーヴェ・ノアール。俺は、君を愛している」


 まるで雷に打たれたようだった。
 脳が追いつかない。
 こんな言葉を、誰よりも遠いと思っていた人から聞くなんて、想像したこともなかった。


「そんなはず、ない……僕なんかを、好きになるなんて……」

「君だからだ。君じゃなきゃ、こんな言葉、俺は一生言えなかった」

 王国の英雄で、冷徹と称される男が、まるで少年のような瞳で僕を見ていた。

 ――こんなこと、あるはずがないのに……。

 それでも、その手の温もりと、まっすぐな眼差しだけは、何よりも真実だった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 子どもたちが祝福の歌を口ずさみ、大人たちが焚き火のそばに輪を作っていた。
 僕とカイゼル閣下の周囲は、ゆっくりと温かな灯りに包まれていく。

「……驚いたか?」

 隣で静かに立つカイゼル様が、低い声で問いかけてくる。
 焚き火の明かりが、彼の横顔をやわらかく照らしていた。
 冷たさなど微塵もなく、ただ深い静けさと、温もりだけがある。

「は、はい。まさか、カイゼル様から、あんな言葉を聞くなんて……」

「無理もない。唐突すぎたな」

 彼はわずかに眉を下げて、自嘲気味に微笑んだ。
 けれど、その目はまっすぐに僕を見つめている。

「返事は、今すぐでなくていい」

 その声音には押しつけがましさが微塵感じられず、僕は頷いていた。

「……はい」

「ゆっくりでいい。時間をかけて、心のままに答えを出してくれ」

 誰よりも強く、誰よりも優しいこの人は、僕の歩幅に合わせてくれる。
 そして、ふと視線が重なった瞬間、彼の表情がわずかに崩れた。

「だが俺は、君を必ず振り向かせる」

「っ、」

 穏やかに、けれど迷いなく言い切ったその声に、胸の奥がじんと熱くなる。


「地位も名誉も関係ない。君が誰であろうと、俺にとっては唯一の“レーヴェ・ノアール”だ」


 言葉が、まるで炎のように胸の奥を灯していく。

 こんなにも真っ直ぐに、誇りを捨てず、僕という存在だけを見てくれる人がいるなんて……。

 焚き火の灯りが頬を照らし、彼の言葉が胸をあたためていく。

 ――もう一度、誰かの隣に立ってもいいのだと。
 そう思わせてくれたのは、きっとこの人が初めてだった。

 それでも、僕は返事をできずにいる。
 けれど、手のひらに残る温もりが、確かに答えを教えてくれていた。
















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