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第三章
第四話 魔物を斬って、君に捧ぐ
しおりを挟む朝の光が木々を揺らし、静かな風がスープの香りを運んでいく。
昨日の夢のような出来事などなかったかのように、穏やかな朝だった。
昨夜、カイゼル様は軍へと戻った。
僕の退役届はまだ受理されておらず、炊事班に籍を置いたままだった。
それでも、「村が落ち着くまで炊き出しをしたい」と願い出ると、カイゼル様は静かに頷いてくれた。
『魔物の被害に遭った村の復興を手伝うことも、軍の仕事の一環だ』
そう穏やかな声で話してくれた。
しかも、ただの炊事班だった僕が、今では“英雄”として記録に残るそうだ。
とても信じがたい話である。
だけど、もっと信じられないのは――
(カイゼル様に、愛してるって言われたこと……)
頬がふっと熱くなる。
焚き火の番をしながらそのことを思い返していると、遠くから馬の蹄の音が聞こえてくる。
村の入り口には、漆黒の軍馬にまたがり、悠然と進む男性の姿が見えた。
「あれはっ、カイゼル様……?」
馬から飛び降りるなり、カイゼル様は慣れた手つきで何かを荷車から引きずり下ろす。
ズン――。
地面が鳴るような重たい音が、空気を震わせた。
「取ってきたぞ」
「……これって、魔物?」
地面に転がるそれは、大きな体躯の魔物だった。
硬い甲殻と鋭い牙を持つ、それなりに強敵だったはずの個体が、まるで荷物のように転がされていた。
「今朝、街道近くに現れた魔物だ。村の安全も兼ねて仕留めてきた」
「まさか、おひとりで?」
「当たり前だ。他人を頼っていては、意味がない」
カイゼル様は、真顔でさらりととんでもないことを言った。
大型魔物は、兵士たちが連携を取って倒すものだ。
それを、カイゼル様は否定する。
(……僕が知らないだけで、魔物とは一騎打ちをするようになったのかな?)
カイゼル様は僕の想像以上に強い人なのだと思う。
けれど、ひとりで怪我でもしたら大変だ。
彼の鎧には微かな傷と汚れがあって、今回の狩りがどれほどの死闘だったのかを雄弁に物語っていた。
でも、そんな僕の心配をよそに、カイゼル様はどこか得意げな顔だった。
「良質な肉が必要だと思ってな。村人たちに、食べさせてあげてくれ」
そう言いながら、彼は魔物の腹を軽く叩いた。
(もしかして、村人たちのために、わざわざ魔物を狩ってきてくれた……?)
軍の最高司令官として、厳しい一面もあるけれど、心根の優しい人だ。
きっと村人たちに美味しい食事を食べさせたくて、わざわざ魔物を狩ってくれたのだろう。
僕は魔物を捌けても、狩ることはできないから、カイゼル様のご厚意は、とてもありがたかった。
「捌けるか?」
「はい、問題ありません」
僕がナイフを手に取ると、まるで当然のようにカイゼル様は袖をまくった。
「では、俺は補佐をしよう。鍋の前では、君の方が上官だ」
「……ふふっ、それは光栄です!」
二人並んで魔物を捌く時間は、まるで昔からの相棒のように息が合っていた。
骨を外し、筋を断ち、臭みを取る処理をしていくうちに、カイゼル様がふっと笑った。
「君の隣で作業すると、不思議と落ち着くな。最近、ずっと気が張っていたからかもしれない」
その言葉に、思わず手を止めて見上げた。
――カイゼル様も、疲れていたのだ。
国のため、軍のため、部下たちのために、誰よりも強くあろうとしていた。
そんな人が今、僕の隣で、静かに心を休めてくれている。
(……僕も、何かを返せているのかな)
唐揚げが揚がる音と香ばしい匂いが立ちこめ、村には再び笑顔が広がった。
けれど僕の心には、もっと深く温かな火が灯っていた。
◇ ◇ ◇
それからも、カイゼル様は毎朝、魔物の肉を届けに来てくれた。
忙しいはずなのに、必ず夜明け前には出発し、朝には笑顔で村に現れる。
(どこにそんな時間があるんだろう……)
不思議に思いながらも、分かっていた。
この人はきっと、自分の時間を削ってでも、ここに来てくれている。
「もう、いい香りがしてる」
「今日もカイゼル様が魔物を仕留めてきてくれたって」
「こんな村にまで、毎日来てくださるなんて……」
「夢みたいだ」
村の人たちにとって、カイゼル様はその場にいてくれるだけで元気付けられる存在だ。
その人が食料まで調達してくれるのだから、大人たちは尊敬の眼差しで見つめており、子どもたちからも大人気だった。
(それにしても、毎日魔物を持ってきてくれるとは……)
狩ってきた魔物は日ごとに種類を変え、僕の料理のレパートリーも増えていく。
カイゼル様の行動は、明らかに“ただの厚意”ではなかった。
「カイゼル様、今日もありがとうございます」
「当然のことをしているまでだ。君の料理が、皆を元気づけるのだからな」
口元にわずかな笑みを浮かべたカイゼル様は、どこか少年のような表情だった。
普段はあれほど隙のない人なのに、僕の前では時折こんなふうに、感情を包み隠さず見せてくる。
その笑みから、僕は目を逸らせなかった。
――カイゼル様は、僕のために動いてくれている。
おそらく僕が“ただの炊事兵”だった頃から、ずっと見てくれていたのだ。
その気持ちに応えたくて、僕は料理に今まで以上の気持ちを込めた。
「どうぞ。今日のは肩肉の部位です。脂の乗りも味の濃さもちょうどよくて……。たぶん、今までで一番の出来です」
手渡した皿を受け取り、ひとくち食べたカイゼル様の顔がほころぶ。
「美味い。やはり君がいなければ、俺の朝は始まらないな」
「も、もう……。からかわないでください」
「からかっていない。君は、俺が選んだ男だ」
さらりと堂々と、そんなふうに言われるから、僕の心はいつも簡単に揺れてしまう。
◇ ◇ ◇
焚き火の灯もだいぶ小さくなってきた頃。
僕はひとり村の裏手にまわって、空を見上げていた。
空気はすっかり冷えているのに、空にはたくさんの星が浮かんでいる。
静かに瞬く光を見つめていると、胸の奥がすうっと澄んでいくような気がした。
「こんな夜も、悪くないな」
突然、すぐ隣から声がして、僕は肩を跳ねさせた。
「っ、カイゼル様……」
振り向くと、カイゼル様が立っていた。
いつの間にか、僕のすぐ隣に来ていたらしい。
彼は夜の冷気も気に留めない様子で、同じように星空を見上げていた。
「俺は昔、空を見上げる余裕なんてなかった。……星が綺麗だと思うことも、なかった」
その声は、どこか懐かしさを帯びていて、思い出に語りかけているような、遠い眼差しだった。
「俺は、魔物を斬る日々に疲れていた。どれだけ倒しても、仲間は傷つき、国は変わらない気がして……。だが、君の料理を食べると、不思議と『また明日も頑張ろう』と思える。……そんなふうに思える日がくるとは思っていなかった」
カイゼル様の声には、深い安堵とほんの少しの弱さが混じっていた。
――カイゼル様も、僕と同じだったのかもしれない。
誰かのために尽くして、傷ついて、でもそれを隠して強く在ろうとして。
そんな人だから、僕は惹かれてしまうのだ。
「……僕も、同じです。誰かのために頑張ってる姿を見ると、どうしようもなく心が動いてしまうんです」
「それなら、俺はこれからも君のために狩り続けよう。毎日魔物を斬って、君に捧げる。――俺の愛情表現は、数で勝負だからな」
「っ……」
風に揺れる白金色の前髪の下、澄んだ瞳がまっすぐに僕を見つめている。
その視線の熱に、僕の心臓は跳ねるように動いた。
――ああ、きっと僕はもう、目を逸らせないんだ。
ふと心に灯ったひとつの想い。
(明日もまた、あなたのために料理を作りたい)
願わくば、この先もずっと……。
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