スキルなし、聖女でもない。ただの「聞き上手」な私が異世界で幸せを探して旅に出ます~気づけば氷雪の騎士様に溺愛されています~

咲月ねむと

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1章 はじまりのパン屋、夕暮れの騎士

3話 無口な客人は傭兵様、雨宿りのスープ

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​ パン屋での生活が一週間ほど過ぎた頃。
 私はある法則に気がついた。この店には、必ず夕暮れ時に現れる「固定客」がいるということだ。

​ カランコロン。

 鐘の音とともに、大きな影が店内に。

「いらっしゃいませ!」

 私が声を上げると、銀髪の男――ジークフリートさんは、無言で軽く顎を引くだけで、いつもの定位置に立つ。それに彼の注文は決まっている。

「……黒パン、二つ」

「はい、黒パン二つですね!」

​ 彼は、この町を拠点に活動する傭兵らしい。
 それも、ただの傭兵ではない。
 町の人々の噂話を聞いてると、「氷の剣士」だの「一人でドラゴンを追っ払った」だの、物騒な二つ名を持っている凄腕なのだとか。

 確かに鋭い眼光は、ただ者ではない空気を漂わせている。

 正直、まだちょっと怖い。

​ ◇

​ その日は、朝から激しい雨が降っていた。
 バケツをひっくり返したような土砂降りで、客足は遠のき、店の中は昼間でも薄暗かった。
 湿気を含んだ空気の中で、私はマーサさんと二人、静かに焼きあがったパンの香りに包まれている。

​「こんな天気じゃ、今日はもう誰も来ないかねぇ」

 マーサさんが椅子の背もたれに体重を預けて言った。

「そうですね……。でも、もしかしたら」

 私は窓の外、雨に煙る通りを見つめた。
 もうすぐ、いつもの時間だ。

​ カランコロン。

 私の予想したとおりに扉が開いた。
 激しい雨音と共に吹き込んできた風。そしてずぶ濡れの長身が現れた。

​「いらっしゃい……って、ジークさん!?」

​ 私はカウンターから飛び出した。
 そこに立っていたジークフリートさんは、まるで水の中に飛び込んだかのように全身がびちゃびちゃ。黒い革鎧は濡れて鈍く光り、銀色の髪が額に張り付いている。

 けれど、私が驚いたのは雨のせいだけではない。
 彼が床に一歩踏み出すたびに、水とは違う、鉄錆のような匂いが鼻を突いたからだ。
 多分、血の匂いだと思う。

​「……いつもの」

 彼は顔色一つ変えず、いつものように短く告げた。でも、カウンターに置いた手袋には、赤い滲みが広がっている。
 顔色も心なしかいつもより蒼白に見えた。

​「ちょ、ちょっと待ってください! 怪我してるんじゃないですか!?」

「……かすり傷だ。問題ない」

「かすり傷って、血が出てますよ!」

 彼は煩わしそうに眉を寄せたが、私は引かなかった。
 ブラック企業時代、無理をして倒れた同僚を何人も見てきた。男の人の「大丈夫」ほど信用できないものはない。

​「マーサさん! 清潔なタオルとお湯をお願いします!」

「あいよ! まったく無茶するねぇ」

 マーサさんは驚く様子もなく、すぐに奥へ引っ込んだ。

​ 私は慌てて自分のエプロンのポケットからハンカチを取り出した。

「とりあえず、ここを拭いてください。濡れたままだと冷えますから」

 差し出されたハンカチを、ジークフリートさんは怪訝そうに見下ろした。花柄の刺繍が入った、場違いに可愛らしいハンカチだ。

「……汚れるぞ」

「洗えばいいだけです。早く!」

 私が強く言うと、彼は観念したようにハンカチを受け取った。濡れた顔と首筋を拭う。
 そこへマーサさんが、湯気の立つマグカップと分厚いタオルを持って戻ってきた。

「ほら、座りな。今日は売れ残りの野菜スープが余ってるんだ。片付けておくれ」

 マーサさんの言葉はぶっきらぼうだが、そのマグカップにはたっぷりと具沢山のスープが入っていた。

 ジークフリートさんは少し戸惑ったように私とマーサさんを交互に見た後、促されるまま椅子に腰を下ろした。

​ 彼は無言でスープを一口啜った。
 二口、三口。飲むスピードが早くなる。強張っていた肩の力が少しずつ抜けていくのが分かる。

​「……美味い」

 彼がぽつりと呟いた。
 初めて聞いた感想の言葉だった。

​ 私はその隙に、彼の手の甲にある傷を見せてもらった。

「これ、消毒しないとダメですね。……私、治癒魔法とか使えないんですけど応急処置くらいなら」

 私は店の救急箱から包帯と薬草を取り出した。
 本来なら「聖女」とかが光の魔法で一瞬にして治す場面なのかもしれない。けれど、私にはそんな芸当ができないし、包帯を巻くことしかできない。

「ちょっと沁みますよ」

 傷口を洗い、薬草を塗って、包帯を巻く。
 不格好だけど血は止まった、はず。

 彼はその間、じっと私の手元を見ていた。

​「……あんた、変な奴だな」

 処置が終わった頃、彼が低い声で言った。

「え?」

「俺は傭兵だぞ。いつ誰に恨まれてるか分からないし、魔物の血だって浴びてる。普通の女なら近寄るのも嫌がる」

 彼は自嘲気味に笑った。
 彼の纏う空気は血生臭く、鋭利だ。

 でも……。

​「そうですか? 私は、お腹を空かせている人や、濡れて寒そうな人を放っておく方が嫌です」

 私は素直に答えた。

「それにジークさんは毎日パンを買いに来てくれる、大事なお客様ですから」

​ 彼は目を丸くした。
 氷のようだった瞳が一瞬だけ揺らぐ。
 ふっと小さく息を吐き出し、口元を緩めた。それは初めて見る彼の「笑顔」に近いものだった。

​「……ジークフリートだ」

「え?」

「俺の名前。……ジークでいい」

「あ、はい! 私はエマです。よろしくお願いします、ジークさん」

​ 彼は立ち上がると、カウンターにいつもの倍の銀貨を置こうとした。

「治療代と、スープ代だ」

「いりません! スープはマーサさんのご好意だし、包帯はサービスですよ!」

 私が押し返すと、彼は困ったように眉を下げる。 
 それで少し考え込んだ後、懐から何かを取り出した。

「……なら、これをやる」

​ 私の手のひらにコロンと乗せられたのは、小さな木の実だった。ルビーのように赤く透き通っていて甘酸っぱい香りがする。

「森で見つけた。……食える」

 それだけ言うと、彼は逃げるように店を出て行ってしまった。
​ 雨は小降りになっていた。

 私は手のひらの赤い実を見た。
 不器用なお礼。なんだか、野良猫が獲物を持ってきたみたいで、くすりと笑いが溢れる。

​「……あの子も、そういうとこがあったねぇ」

 奥で洗い物をしていたマーサさんが独り言のように呟いた。

「え? 誰のことですか?」

「さあね。……それよりエマ、実は高級食材の『ルビベリー』だよ。ジャムにすると絶品さ」

「ええっ!? これ、そんなに高いんですか!?」

​ 私は慌てて扉の外を見たが、ジークさんの姿はもう雨の向こうに消えていた。
 冷たい手と不器用な優しさ。
 異世界に来て初めてできた同世代の男友達は、思ったよりもずっと温かい人なのかもしれない。

​ 私はルビベリーを大切にポケットにしまった。
 明日はこれで、とびきり甘いジャムパンを作ろう。
 彼がまたいつもの顔で買いに来てくれるように。
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