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1章 はじまりのパン屋、夕暮れの騎士
4話 私にできること、思い出を包むこと
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ジークさんにもらった「ルビベリー」で作ったジャムパンは、予想以上の大ヒットとなった。
ルビーのように真っ赤なジャムは、甘酸っぱくて香りがいい。それをマーサさんが焼くふわふわの白パンにたっぷりと詰め込む。
仕上げに砂糖をまぶせば、見た目も可愛らしい「ルビベリー・ジャムパン」の完成っと。
「おいしい! これ、すごく好き!」
「ママ、私もこれ欲しい!」
店の中は、今まで見たことがないほど賑わっている。近所の主婦や、お使いの子供たち。明るい笑い声が狭い店内に響き渡る。
私はレジと接客に大忙し。
「はい、ジャムパン三つですね! ありがとうございます!」
トレイから次々とパンが消えていく。掃除をして、扉を開け、新商品を出した。
私の作戦は成功したのだ。
これで店の経営も安泰だし、マーサさんも喜んでくれるはず。
勝手にそう思っていた。
けれど、ふとカウンターの奥を見ると、マーサさんは一人静かに背中を丸めていた。
◇
客足が落ち着いた午後。
店にはまだ甘いジャムの香りが残っている。
「マーサさん、見てください! 今日の売り上げ、いつもの三倍ですよ!」
私は興奮気味に硬貨が詰まった袋を見せた。
だけど、マーサさんの反応は鈍かった。
「……ああ、そうだね。よかったね」
彼女は力なく微笑んだだけ。その目は、どこか遠くを見ているようで賑やかになった店内を居心地悪そうにしている。
それに彼女の手元には、今日も売れ残った「黒パン」があった。硬くて、酸味があって、茶色いだけの地味なパン。
ジャムパンの隣に並べると、どうしても目立たない普通のパン。今日手に取ったのは、あのジークさんくらいだった。
「……こんなチャラチャラした店、あの子の店じゃないみたいだね」
マーサさんがぽつりと漏らした。
その言葉に、私はハッとした。
マーサさんが時折口にする「あの子」は亡くなったお孫さん。この店は、マーサさんがそのお孫さんと一緒に守ってきた場所だった。
私は良かれと思って、掃除をし、新商品を提案し、店を明るくした。でもそれは、マーサさんにとって大切な「思い出の風景」を塗り替えてしまうことだったのかもしれない。
(私、浮かれてた……)
売上を上げることばかり考えて、一番大切な店主の気持ちを置いてけぼりにしていた。
ブラック企業時代、数字ばかりを追求する上司をあんなに嫌っていたのに、今の私はそれと同じじゃない。
「マーサさん」
私はエプロンを外し、マーサさんの隣に座った。
「あの黒パンの話、聞かせてもらえませんか? どうしてマーサさんが、このパンを焼き続けるのか」
マーサさんは少し驚いたように私を見た後、売れ残りの黒パンを愛おしそうに撫でた。
「……あの子はね、体が弱かったんだ」
静かな語り口だった。
「贅沢な食事は喉を通らなかったけど、私が焼いたこの黒パンだけは、『おばあちゃんのパンは力が湧いてくる』って食べてくれたんだよ。ライ麦は栄養があるからね」
マーサさんの指がゴツゴツとしたパンの表面をなぞる。
「あの子が兵隊になりたいって言った時も、私はこのパンを持たせた。……結局、流行り病であっけなく逝っちまったけどね」
そう言ってマーサさんは寂しそうに笑った。
「だから、私はこれを焼き続けなきゃいけない気がするんだ。あの子がいつ帰ってきてもいいように。……でも、今の客はみんな、柔らかくて甘いパンがいいんだろうね。時代遅れなんだよ、私は……」
そう呟く背中は、以前よりもずっと小さく見えた。
私の胸がぎゅっと締め付けられる。
ジャムパンは美味しい。でも、この黒パンには、ジャムパンにはない「想い」が詰まっている。それを「売れないから」という理由で隅に追いやるのは、絶対に間違っている。
私にできることは……何かあるかな?
魔法で時間を戻すことはできない。
でも「伝える」ことならできるかもしれない!
「マーサさん」
私は立ち上がった。
「私、この黒パンも大好きです。噛めば噛むほど味がして元気がもらえる気がします」
「……お世辞はいらないよ」
「お世辞じゃありません! だから、私に任せてください」
私は店の裏から端切れの紙と炭ペンを持ってきた。絵心はあまりないけれど、文字を書くのは好きだった。だから、私は思いのまま書いてみた。
私は黒パンの棚の前に手書きのカードを立てる。
『店主のイチオシ! 伝統のライ麦黒パン』
~噛みしめるほどに旨味が広がる、元気の源。スープに浸しても絶品です。大切な人を想って焼いた、優しくて力強い味をどうぞ~』
さらに食べ方の提案も書き添える。
『薄くスライスして、チーズやハムを乗せると最高です!』
「……なんだい、それは」
マーサさんが覗き込む。
「説明書きです。初めてのお客さんは、黒パンの美味しさを知らないだけです。だから、教えてあげるんですよ。このパンがどれだけ素敵か」
私はジャムパンの横に、あえて堂々と黒パンを並べ直した。
新しいものと、古いもの。
どちらも、この店の顔だ。
すると、夕方の買い物客が入ってきた。
若い女性客がジャムパンを取ろうとして、ふと私の書いたカードに目を留めた。
「あら、伝統の黒パン? ……元気の源、かあ」
彼女は少し迷った後、ジャムパンと一緒に黒パンをトレイに乗せた。
「最近、旦那が疲れ気味だから、スープと一緒に食べさせてみようかな」
「ありがとうございます! 薄く切って焼くと、香ばしくて美味しいですよ!」
私が笑顔で伝えると女性も笑顔で頷いてくれた。
一つ、売れた。たった一つだ。ジャムパンの売れ行きには及ばない。
けれど、その一つが、私には何より嬉しい。
振り返ると、マーサさんが口元を手で覆っていた。泣いているのかと思ったが違った。
その目は、久しぶりに優しさを帯びた目だった。
「……お節介な子だねぇ、あんたは」
「ふふ、よく言われます」
その日の夕方。
いつものようにジークさんがやってきた。
「……いつもの」
彼は黒パンを二つ注文し、それからふと新しく立てられたカードに目をやった。
しばらくその下手くそな文字を見つめた後、彼はボソリと言った。
「……悪くない」
「えっ?」
「このパンは、確かに力が湧く」
彼はそれだけ言い残して去っていった。
マーサさんは、その背中を見送りながら、今日一番の明るい声を出した。
「また明日もお待ちしてますよ、傭兵さん」
店の中に温かい空気が戻ってきた気がした。
新しさと懐かしさが共存する場所。
ここが私の居場所になりつつある。
そう感じた瞬間、私のお腹がまた、ぐぅと鳴った。
「……さて、今日の賄いはジャムパンかな、黒パンかな」
幸せな悩みを抱えながら、私は閉店の準備を始めた。
ルビーのように真っ赤なジャムは、甘酸っぱくて香りがいい。それをマーサさんが焼くふわふわの白パンにたっぷりと詰め込む。
仕上げに砂糖をまぶせば、見た目も可愛らしい「ルビベリー・ジャムパン」の完成っと。
「おいしい! これ、すごく好き!」
「ママ、私もこれ欲しい!」
店の中は、今まで見たことがないほど賑わっている。近所の主婦や、お使いの子供たち。明るい笑い声が狭い店内に響き渡る。
私はレジと接客に大忙し。
「はい、ジャムパン三つですね! ありがとうございます!」
トレイから次々とパンが消えていく。掃除をして、扉を開け、新商品を出した。
私の作戦は成功したのだ。
これで店の経営も安泰だし、マーサさんも喜んでくれるはず。
勝手にそう思っていた。
けれど、ふとカウンターの奥を見ると、マーサさんは一人静かに背中を丸めていた。
◇
客足が落ち着いた午後。
店にはまだ甘いジャムの香りが残っている。
「マーサさん、見てください! 今日の売り上げ、いつもの三倍ですよ!」
私は興奮気味に硬貨が詰まった袋を見せた。
だけど、マーサさんの反応は鈍かった。
「……ああ、そうだね。よかったね」
彼女は力なく微笑んだだけ。その目は、どこか遠くを見ているようで賑やかになった店内を居心地悪そうにしている。
それに彼女の手元には、今日も売れ残った「黒パン」があった。硬くて、酸味があって、茶色いだけの地味なパン。
ジャムパンの隣に並べると、どうしても目立たない普通のパン。今日手に取ったのは、あのジークさんくらいだった。
「……こんなチャラチャラした店、あの子の店じゃないみたいだね」
マーサさんがぽつりと漏らした。
その言葉に、私はハッとした。
マーサさんが時折口にする「あの子」は亡くなったお孫さん。この店は、マーサさんがそのお孫さんと一緒に守ってきた場所だった。
私は良かれと思って、掃除をし、新商品を提案し、店を明るくした。でもそれは、マーサさんにとって大切な「思い出の風景」を塗り替えてしまうことだったのかもしれない。
(私、浮かれてた……)
売上を上げることばかり考えて、一番大切な店主の気持ちを置いてけぼりにしていた。
ブラック企業時代、数字ばかりを追求する上司をあんなに嫌っていたのに、今の私はそれと同じじゃない。
「マーサさん」
私はエプロンを外し、マーサさんの隣に座った。
「あの黒パンの話、聞かせてもらえませんか? どうしてマーサさんが、このパンを焼き続けるのか」
マーサさんは少し驚いたように私を見た後、売れ残りの黒パンを愛おしそうに撫でた。
「……あの子はね、体が弱かったんだ」
静かな語り口だった。
「贅沢な食事は喉を通らなかったけど、私が焼いたこの黒パンだけは、『おばあちゃんのパンは力が湧いてくる』って食べてくれたんだよ。ライ麦は栄養があるからね」
マーサさんの指がゴツゴツとしたパンの表面をなぞる。
「あの子が兵隊になりたいって言った時も、私はこのパンを持たせた。……結局、流行り病であっけなく逝っちまったけどね」
そう言ってマーサさんは寂しそうに笑った。
「だから、私はこれを焼き続けなきゃいけない気がするんだ。あの子がいつ帰ってきてもいいように。……でも、今の客はみんな、柔らかくて甘いパンがいいんだろうね。時代遅れなんだよ、私は……」
そう呟く背中は、以前よりもずっと小さく見えた。
私の胸がぎゅっと締め付けられる。
ジャムパンは美味しい。でも、この黒パンには、ジャムパンにはない「想い」が詰まっている。それを「売れないから」という理由で隅に追いやるのは、絶対に間違っている。
私にできることは……何かあるかな?
魔法で時間を戻すことはできない。
でも「伝える」ことならできるかもしれない!
「マーサさん」
私は立ち上がった。
「私、この黒パンも大好きです。噛めば噛むほど味がして元気がもらえる気がします」
「……お世辞はいらないよ」
「お世辞じゃありません! だから、私に任せてください」
私は店の裏から端切れの紙と炭ペンを持ってきた。絵心はあまりないけれど、文字を書くのは好きだった。だから、私は思いのまま書いてみた。
私は黒パンの棚の前に手書きのカードを立てる。
『店主のイチオシ! 伝統のライ麦黒パン』
~噛みしめるほどに旨味が広がる、元気の源。スープに浸しても絶品です。大切な人を想って焼いた、優しくて力強い味をどうぞ~』
さらに食べ方の提案も書き添える。
『薄くスライスして、チーズやハムを乗せると最高です!』
「……なんだい、それは」
マーサさんが覗き込む。
「説明書きです。初めてのお客さんは、黒パンの美味しさを知らないだけです。だから、教えてあげるんですよ。このパンがどれだけ素敵か」
私はジャムパンの横に、あえて堂々と黒パンを並べ直した。
新しいものと、古いもの。
どちらも、この店の顔だ。
すると、夕方の買い物客が入ってきた。
若い女性客がジャムパンを取ろうとして、ふと私の書いたカードに目を留めた。
「あら、伝統の黒パン? ……元気の源、かあ」
彼女は少し迷った後、ジャムパンと一緒に黒パンをトレイに乗せた。
「最近、旦那が疲れ気味だから、スープと一緒に食べさせてみようかな」
「ありがとうございます! 薄く切って焼くと、香ばしくて美味しいですよ!」
私が笑顔で伝えると女性も笑顔で頷いてくれた。
一つ、売れた。たった一つだ。ジャムパンの売れ行きには及ばない。
けれど、その一つが、私には何より嬉しい。
振り返ると、マーサさんが口元を手で覆っていた。泣いているのかと思ったが違った。
その目は、久しぶりに優しさを帯びた目だった。
「……お節介な子だねぇ、あんたは」
「ふふ、よく言われます」
その日の夕方。
いつものようにジークさんがやってきた。
「……いつもの」
彼は黒パンを二つ注文し、それからふと新しく立てられたカードに目をやった。
しばらくその下手くそな文字を見つめた後、彼はボソリと言った。
「……悪くない」
「えっ?」
「このパンは、確かに力が湧く」
彼はそれだけ言い残して去っていった。
マーサさんは、その背中を見送りながら、今日一番の明るい声を出した。
「また明日もお待ちしてますよ、傭兵さん」
店の中に温かい空気が戻ってきた気がした。
新しさと懐かしさが共存する場所。
ここが私の居場所になりつつある。
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