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1巻
1-3
第二章 スキル『異世界への扉』
私達が借りている一軒家はかなり広い。きっと高級住宅だろう。こちらでは魔道具と呼ばれている、所謂日本におけるコンロ、オーブンもある。また、部屋のあちこちにはランプのような灯りの道具、主寝室と居間には床に置くタイプの冷暖房設備。まあ、デカイけどね。正規のルートで借りたら一ヶ月でいくらなんだろう? 今は春先でまだ寒いから冷暖房設備を使わせてもらっている。
食後、片付けて、私はポケットの懐中時計を確認。十九時過ぎ。腕時計をする習慣はなく、いつも携帯で時間を確認していた。でも、ここで携帯で時間を確認したらおかしいからね。この懐中時計はディレックスで購入した。こちらにも懐中時計はあるが、お値段が安くても二十万Gからなので、即あきらめた。
「お母さん、ぺんたごん、間に合わんばい」
「じゃあ、明日でいいよ」
足にすがりつく花を抱き上げる母。
「ディレックスに行くけど、なにかいる?」
「炊飯器があったら買ってきて。ビールもなかし、コーヒーのボトルと、トイレットペーパーと花のご飯。あと、魚が欲しいかね」
「了解」
ルームを開け、中に入る。念のため、母もルームに入った。花は、父と晃太とともに居間に。
「気をつけるんよ」
「分かっと」
心配する母。私は液晶画面の『異世界への扉 ディレックス』に触れ、お金が入った小銭入れを母から受け取る。
「時間前に帰るんよ」
「分かっとうって」
ルームの壁にもう一枚のドアが現れる。
「行ってくるね」
「時間、気をつけるんよ」
「分かっとうって」
母がルームの外に出るのを確認し、現れたドアノブに手をかける。これも父が鑑定済。
『異世界への扉』
ある世界の某島国にある店を模した異空間に繋がっている。使用するには、スキル『ルーム』の保持者の魔力が必要。品物の持ち出しは可能だが、相応の対価が必要になる。スキル保持者のレベルやルームのレベル次第で可能性は広がる。
ドアの向こうは、見慣れたスーパーの入口だ。
カートに買い物かごを載せる。少し高い位置に、タイマーのような文字が浮かんでいる。十二分五十二秒。残りの時間ね。この時間は私の残り魔力だ。
初めてディレックスに入った時、この時間内に買い物が終わらず、数秒オーバーした。荷物を持って外に出ると、強烈な疲労感と頭痛に襲われた。晃太に支えられて、なんとかルームを出て、ソファにダイブ。気持ち悪い気持ち悪い、乗り物酔いMAXみたいだ。
医者を呼ぶか判断するために、父が私をまず鑑定。その時の私は生命力(60/98)、魔力(0/85)だったと。父の鑑定SSSは、人の能力、ステータスを数字として見られるらしい。きっと魔力がなくなって、生命力に影響を及ぼしたんだろうなあ。
しかし、気持ち悪かったなあ。次からは残り時間を気にしながら動くようにしている。この時間は『ルーム』のレベルが上がるごとに一分ずつ増えている。
更に、ルーム内に誰かいる状態で、私が倒れたらどうなるか分からないので、ルームが無人なのを確認してから扉の向こうに行っている。
カートを押し、ディレックスの中に。
ディレックスは実家近くのスーパー。生鮮食品、医薬品、家電、酒、日用品、衣服、ペット用品など生活に必要なものがだいたい揃っている。いまだに日本の食生活から抜け出せない私達の強い味方だ。ただ、『ルーム』のレベルの影響か、在庫が少ない。種類も少ない。まるで閉店セール真っ只中みたいだ。
「少し増えてる」
まず、生鮮食品の種類が増えて、在庫も増えてる。はじめは人参一本、じゃがいも一袋、ちょっと古そうなキャベツ半玉、もやし一袋、しいたけ一袋だけだった。今回は種類が倍になっている。できればディレックスの食材だけで生活したいが、怪しまれてはいけないので、市場に母が買い物に行っている。
「まず、炊飯器と」
家電があるところに行き、たった一つある、五合炊きの炊飯器をかごに入れる。次に両親のビール。残念、父が好きなノンアルコールビールが半ダースしかない。母が愛飲しているビールもないから、前飲んでいたビールを半ダース入れる。コーヒーのペットボトルを入れる。花のご飯はやはりない。花は決まったドッグフードでないと、吐いてしまうことがある。なので、缶詰めのペットのご飯をできるだけ入れる。残り八分。私はちょっと急いで移動。乳製品コーナーの前で久しぶりにカフェオレを見つけ、全部入れる。全部といっても二本だけ。私と晃太が飲むためだ。野菜ジュースもあるだけ入れる。ぽつんとある鶏のモモ肉と豚バラを入れる。ハム一パックも。魚コーナーで三匹の鰺と、一パックしかない切り身の鮭二切れ。あ、ムニエルのもともあるから入れる。最後にトイレットペーパーを持ち、レジへ。
「お会計」
そう言うと、無人のレジが値段を表示。一万六千八百五十G。赤いがま口が出てくる。私はぱかっと開いたがま口の中に、金貨を二枚入れる。一旦がま口が閉まり、そして逆さまを向いたので、がま口の下に手を入れる。ぱかっとがま口が開いて銀貨三枚、銅貨一枚、鉄貨五枚が出てきたのを確認する。商品は勝手に袋に入っている。『異世界への扉』の中ではアイテムボックスが機能しないが、便利だ。私が「出ます」と言うと、ふわっと景色が歪んで、次の瞬間にはルームの中に移動していた。
がさがさと袋を下ろして、窓から外――居間を確認。家族と花しかいない。大丈夫みたい。
ルームのドアを開ける。
「あ、おかえり、大丈夫ね?」
母が聞いてくる。花が横になった状態で尻尾パタパタ。あ、もう、おねむの時間かな。
「うん、大丈夫。時間も延びたしね。はい、炊飯器」
「ああ、これで土鍋で炊かなくてすむ。優衣、ルーム開けて」
「はいはい」
ルームを開けると、母が炊飯器を持って入っていく。
私は台所に移動する。ビニール袋は晃太が、運んでくれた。
「ほら、カフェオレ」
「あ、飲んでよか?」
久しぶりのカフェオレの容器に、晃太はちょっと口を尖らせる。嬉しい時は口がなぜか尖る。ストローを差してあっという間に飲んでいる。私もつられて飲む。ああ、甘い。久しぶりだ。ここには、コーヒーがない。紅茶やハーブティはあるけどね。ちなみにビールもない。エールはあるが、圧倒的に日本製が美味しいらしい。私は飲まないけど。
「姉ちゃん、今度、ヨーグルトあったら買ってきてん」
「よかよ、無糖かね?」
「そう」
この『異世界への扉』に私達の生活は支えられている。まだまだ品数は少ないが、とにかくありがたい。これがなければ、この国を出るなんて無理だ。
ふと、膝に衝撃が。
「ん? なんね花ちゃん、これはあんたは飲めんたい」
カフェオレの匂いにつられたのか、花が私の足下で後ろ脚で立ち、尻尾を振っている。カフェオレを飲み干した晃太が抱き上げて、頬擦り。私もでへへと頬擦りをした。もふもふだ。今度は花のおもちゃとおやつも見なくては。
「おはようございます」
次の日の朝、ディードリアンさんが迎えに来てくれた。あとはスタイル抜群の美人騎士さん。名前はイーリスさん。花が歓迎モードで二人の足下をチョロチョロ。
「かわいいですね。高位貴族しか飼育できないから、こうして触れるなんて思ってもいませんでした」
イーリスさんが優しく花を撫でる。美人の微笑みに、かわいい花。絵になる。
「花、おいで」
母が抱っこするが、触られ足りないのか、花は身をよじって二人の方に茶色の体を向ける。
「では、ユイ様には私が。父君にはイーリスが付きます」
「お願いします」
「優衣、お弁当」
母がお弁当を渡してくれる。
「ありがと、行ってくるね」
ディードリアンさんとともに歩き、十分ほどで私が勤めている治療院が見えてくる。
玄関前に人だかりができている。その中から白髪頭の男性が出てきた。
「おおぉぉッ、ユイさん、来てくれたか。今日退院できることになったんだ。だが、あなたに会えないのは寂しい」
白髪頭の男性が、がっちりと私の手を握ってくる。
五十歳過ぎだけど、手と同様に体もがっちりしている。
「今日退院ですか、良かったですね」
この人は現役の騎士さんで、ケガのため治療院にいたが、そこに私がひょっこり勤めて、いろいろしたら気を許してくれた。はじめはとっつきにくい感じだったけどね。
「ああ、私が二十歳若ければ、放っておかないものを」
私の手をさすさすしながら、冗談ばっかり。
「亡くなった奥さんが毎晩枕元に立ちますよ」
「そ、それは……」
白髪頭の男性――フィリップさんが視線を動かす。
「あ、そうだ。今日は下の息子もいました。ささ、末っ子のエリオールです。いかがでしょう、魔法騎士隊に所属しておりまして、稼ぎもなかなかですよ」
そう言いながら私の前に押し出したのは、戸惑った表情の、フィリップさんそっくりの青年。そう青年。二十歳くらいの。
「いやぁ、なかなか、こいつにだけ、いい話がありませんでしてね。ユイさんさえ良ければ」
「……失礼ですが、おいくつです?」
「二十一です」
若いと思ったら、晃太より年下やん。
「あのですね、私、いくつだと思っているんです? 息子さんにだって選ぶ権利があるでしょう」
私がため息まじりに言うと、フィリップさんとエリオールさんが固まる。
「こ、これは失礼しました。ユイさんにはお相手がいらっしゃいますよね。私の早とちりでした」
「いるわけないでしょ、いたら、こんなところにいませんよ」
フィリップさんに鋭く突っ込む。私は男性とお付き合いしたことがない。いや、付き合いそうになった人はいたが、あれだ、華憐が邪魔してきた。あいつは人のものを簡単に欲しがる上に、飽きっぽい。その人は私といると華憐が馴れ馴れしくしてくるのに嫌気が差したのか、疎遠になった。職場が別の病院に移ってからは連絡もしてない。もう、どうでもいいけどね。だが、あれで懲りた。
でも、もし、と思う。もし、その人と上手くいっていたら、こんなことに家族で巻き込まれなかったのではないかと。
「ユイさん、重ね重ね失礼を」
フィリップさんが何故か必死に私の手を握る。
「いいですよ。とにかくもうケガして、治療院に帰ってきたりしてはダメですよ。次来る時は無料でお手伝いしてください」
「承知した。いくらでも、手伝うぞ」
名残惜しそうに手を握り続けていたフィリップさんは、息子さんのエリオールさんに引き剥がされ、「ユイさーん~」と叫びながら帰っていった。ちょっと恥ずかしいからやめて。
周囲の人達のこそこそ話が耳に入る。
(あの人、『火鬼のフィリップ』って言われていなかったっけ?)
(きっとただの噂だよ、噂)
そう、噂。だってフィリップさんはとても真面目な患者さんだったもん。
「さ、お仕事お仕事。ディードリアンさん、ありがとうございます」
私を送ってくれたディードリアンさんは唖然とした顔で、フィリップさん親子を見送っていた。
私の仕事は前の世界と変わらない。ただ内科系から外科になった感じだ。この世界には回復魔法やポーションがあるが、一般的に流通しているものは万能ではない。高位の回復魔法や高品質のポーションはまた別らしいけど。流通しているポーションで手に負えないようなケガは、この治療院で対応している。はじめは悲惨な現場を想像していたが、思ったより掃除が行き届いていたし、うがいや手洗いも徹底されている。ここの院長さんによると、三百年前にここを立ち上げた時に、勇者のパーティメンバーが関わり、清潔な環境や感染予防の重要性を伝え、それを今でも守り続けているらしい。特に感染予防については一般市民にも浸透。周囲の国々も倣い、それぞれの国内に周知されている。
……その勇者さん、こちらの人ではないかも。私達のように召喚されたんじゃないかな?
なんて思いながら治療院に入った。エプロンをつけて、相棒と一緒に包帯交換に回る。
「今日もお願いします」
「はい、お願いします」
今日の相棒はナーヤさん。四十代女性だ。彼女は生活魔法である剥離が使える。ナーヤさんと包帯や軟膏ののったワゴンを押しながら回る。
「おはようございます。お加減いかがですか? 包帯を替えたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、今日はユイさんなんだね。お願いします」
こちらの男性患者は冒険者。足を狼の魔物に噛まれて大変だったが、魔法で治療したため切断はせずに済んだ。ただ、変な菌をもらってひどい熱を出し、傷口が化膿してしまっていた。
この治療院の最大の死亡原因。それは傷口からの感染症だ。
まず、ナーヤさんが魔法で、包帯だけを剥離させる。その上で包帯をゆっくり剥がす。
「やっぱり痛くない、ユイさんがすると痛くない」
「ナーヤさんの魔法のおかげですよ」
感動する男性冒険者。傷口はずいぶん綺麗になった。傷口まわりの腫れも大分引いた。
「良くなってきましたね。もう一息です」
私は傷口の周囲を水で優しく洗い流し、軟膏をつけてガーゼもどきで蓋をして、包帯を巻く。
「あと、何日くらい抗生剤は飲んだ方がよろしいですか?」
様子を窺っていた治療院スタッフが聞いてくる。
「そうですね。まだ、腫れているから三日続けてください。三日後にもう一度判断しましょう」
「はい」
スタッフが手配に走る。こういうのは看護師としては逸脱した行為なんだけどね。何故か私に判断を仰いでくる。何度か、これは越権行為だからと院長に訴えたが、スタッフが慣れるまでは、と禿げ上がった頭を下げられた。
この世界に、医者という職業はない。それに該当するのは薬師だ。そして治療院で働くのは、薬師補助。つまり、お世話係ね。ただ、薬師はポーション作成が主で、治療院には滅多に来ない。上級ポーションなら、ケガも病気も大概治るからだ。
そのせいか私が来た当初、この治療院の処置はちょっと酷すぎた。だから患者さんが大切をモットーにいろいろできることをやっていった。
まず包帯を無理やり剥がしていたので、剥離の魔法を使うことにした。それから炎症を抑えるためにない知恵を絞り出し、父の鑑定、母の生活魔法を駆使して、抗生剤の内服薬と軟膏もどきを作った。はっきり言おう、父の鑑定SSS最強。なんの薬草を、どのような処理で、どれくらいの分量にすればいいか分かったのは、すべてこの鑑定のおかげ。そして母の生活魔法で処理して作り上げたのだ。そしてそれを使った最初の患者があのフィリップさんだ。
私が「後々の後輩達のために、ケガが原因の感染症で命を落とし、残され悲しむ家族のために、どうかご協力をお願いします」と言うと、快く治験を引き受けてくれた。おっかないあだ名がついていたけど、ただの噂だったね。内服と軟膏処置を始めて数日で効果が出て、喜ぶ喜ぶ。多分、この世界のケガは引退を示すからね、フィリップさんは、復帰できる兆しが見えて嬉しかったんだと思う。毎回手を握り締めてくるもん。退院できて、良かった。
ひととおり終わる頃には昼過ぎ。ナーヤさんは終業のため帰宅、私は母に持たされたお弁当を休憩室で食べる。午後はお風呂に入れない人のために清拭だ。よし、頑張ろう。
食後休憩していると、院長に呼ばれた。
「なんでしょう?」
院長室へ入る。何故かディードリアンさんまで一緒。院長室には知らない人もいる。
「座ってください」
「はい」
私は院長と向かい合う形で、ソファに座る。
「ユイさん。この度の抗生剤開発についてですが」
「はあ」
禿げ上がった院長が話を切り出す。
「特許が取れます」
「はあ?」
え、昨日父の口から出たばかりの特許が、こんなところでも。
「驚かれていますが、あれにはそれだけの価値があります。身近な薬草だけで、あれほどの効果が得られるのは素晴らしいことですよ」
「はあ、別にいいですけど」
「それは権利を放棄するということで、よろしいですか?」
いきなり話に入ってきたのは知らない人。誰?
「黙れ、今は私がユイさんと話をしているんだ。横から口を出さないという条件で同席を許したはずだぞ」
穏和な院長が鋭く言う。
「だが、別にいいと」
院長は目を細め、ディードリアンさんに声をかける。
「この男はユイさんの不利益を狙っている。摘まみ出していただけますか?」
「はっ」
ディードリアンさんはあっという間に男を引きずり、ぽいっと廊下に放り出した。
「なにをする、私は国立薬院の……」
ばたん。
「なんですか、あの人?」
私が呆気に取られていると、院長が説明してくれる。
「国立薬院の開発主任ですよ。内服薬と軟膏を開発したユイさんに醜く嫉妬しておるんです。あの薬を国立薬院が開発したことにしたいんでしょうな。そうなってしまえば開発者のユイさんは利益を得られません。なので手っ取り早く、特許申請をと思いまして」
「向こうにその権利を売ることはできます?」
そう、先立つもの。いくら父のカセットコンロのお金が入ってきても、いつかは底をつく。なんせ目的地のユリアレーナは、国をひとつ隔てている。おそらく移動にはかなりの額が必要だし、向こうで生活基盤を整えるのにいくらかかるか分からない。
「なにをおっしゃいますか」
院長は信じられないという顔。
「向こうが金を払うと思いますか? おそらく国立薬院で開発したとして、ユイさんには銅貨一枚払いませんよ。とにかく特許申請をしないとユイさんの功績を守れません」
うわあ、なにそれ。
「そうですか、なら、お願いします」
「そう言っていただけると思ってましたよ。さ、書類です」
準備いい。さっとテーブルに出された羊皮紙には、内服薬と軟膏は私が開発しました、権利者は私ですよ、みたいな文言が。
「ここにサインと魔力を流してください」
「すみません、魔力は無理です」
私は魔力はあるが魔法は使えない。そのため自分の意思で魔力を操れない。まあ、こちらでは珍しくないそうだ。
「なら、血を一滴お願いします」
院長が針を出し浄化をかけて、プチッとな。私のサインの上に垂らすと、淡い光が放たれる。
「これで終了です」
うわ、簡単。
「もし、特許を無視して権利を侵害しようとしたらどうなります?」
「その場で火が出ます。悪質な場合は魔力を流した指先から。当然火傷を負います」
「こわっ」
異世界の特許って怖い。
「まあ、意図的にしたらです。知らずにすると、まず、警告音が出ます。これはかなり重要な特許の場合のみ行われます」
へえ、向こうでは数えきれないほど薬の種類があるのに、たった一種類の内服薬と軟膏でこうなるとはね。あ、そうだ。
「これで私の権利になったんですよね。今なら権利は売れます? 実は引っ越しを検討していまして」
「ああ、確か、小型の犬もいると」
「そうです」
「なら、庭付きですな。ここは王都ですからね。治安のいい場所で庭付きとなると、賃貸なら月十八万以上ですな。購入となれば、家の建築年数やグレードにもよりますが、最低ラインは三千万でしょう」
結構しますね。悩んでいると院長はにやっと笑う。
「ふっかければいいんですよ」
「ふっかける?」
「向こうはこの権利が喉から手が出るほど欲しいはず。なら、ふっかければいい。向こうはケチですからね。おそらくかなり値切った額を提示してきます」
「ちなみに、これ、いくらくらいですか?」
「知り合いの薬師に聞きました。少なくとも二つで千五百万は下らないそうです。まあ、使用料を取る手ももちろんありますよ」
使用料って言われてもね。多分それを受け取るには身分証明書が必要だ。そんなの作ったら居場所がばれるようなものだから、私達はいまだに身分証を発行していない。作るならユリアレーナだ。
「売ります。今後の生活のために。院長先生、交渉をお願いしてもよろしいですか? ふっかけてください」
「任せてください」
禿げ上がった院長はにやっと黒い笑みを浮かべた。
午後。新しい相棒と清拭に回り業務終了。
ディードリアンさんと帰宅する。途中でディードリアンさんが聞いてきた。
「何故そんなに急いであの家を出ようとするのですか? もう少しあの家で、生活基盤を作ってからでも遅くはないかと思いますが。副大臣からも好きなだけ使って構わないと言われているのでは?」
「だって、申し訳ないじゃない。あの家の家賃、払ってないし、生活費だってもらっているし、仕事だっていいところを紹介してもらったし。私達はちゃんと働いて、迷惑をかけないように自立して生きたいだけです。そのために特許を売るんです。まあ、そのうち新しい薬を開発しますよ」
私達家族の本音を言う。最後は嘘だけどね。
「そうですか」
ディードリアンさんは、納得してくれたみたい。
借家に着くと、母と花が迎えてくれる。
「お帰り」
「クンクン」
花がおしりを下げ、尻尾を振って、お腹を出す。相変わらずかわいかあ。たまらず撫で回す私。
「皆さん、今お揃いですか?」
ディードリアンさんが、母に聞いている。
「はい、主人もさっき帰ってきました」
「実はお伝えしたいことがありまして」
「はあ、なら、どうぞ」
母がディードリアンさんを招き入れる。足下の花が、まとわりつく。居間では晃太と父がソファで寛いでいた。
「どうぞ」
母がディードリアンさんに着席を促す。そしてアイテムボックスからお茶を出し、ディードリアンさんに出す。こちらの茶葉の紅茶だ。母もかなり大型のアイテムボックスを持っていて、はじめは戸惑っていたけど、今では使いこなしている。
「ありがとうございます。ご報告したいのは、あの『聖女』様のことなんですが」
私達は一斉に顔をしかめる。
「一ヶ月後に巡礼のために国内を回ります。巡礼といっても、聖女様のお披露目みたいなものですが。ただ、王都を出発する時かなり混雑が予想されるので、私も警備に配置されます」
私達が借りている一軒家はかなり広い。きっと高級住宅だろう。こちらでは魔道具と呼ばれている、所謂日本におけるコンロ、オーブンもある。また、部屋のあちこちにはランプのような灯りの道具、主寝室と居間には床に置くタイプの冷暖房設備。まあ、デカイけどね。正規のルートで借りたら一ヶ月でいくらなんだろう? 今は春先でまだ寒いから冷暖房設備を使わせてもらっている。
食後、片付けて、私はポケットの懐中時計を確認。十九時過ぎ。腕時計をする習慣はなく、いつも携帯で時間を確認していた。でも、ここで携帯で時間を確認したらおかしいからね。この懐中時計はディレックスで購入した。こちらにも懐中時計はあるが、お値段が安くても二十万Gからなので、即あきらめた。
「お母さん、ぺんたごん、間に合わんばい」
「じゃあ、明日でいいよ」
足にすがりつく花を抱き上げる母。
「ディレックスに行くけど、なにかいる?」
「炊飯器があったら買ってきて。ビールもなかし、コーヒーのボトルと、トイレットペーパーと花のご飯。あと、魚が欲しいかね」
「了解」
ルームを開け、中に入る。念のため、母もルームに入った。花は、父と晃太とともに居間に。
「気をつけるんよ」
「分かっと」
心配する母。私は液晶画面の『異世界への扉 ディレックス』に触れ、お金が入った小銭入れを母から受け取る。
「時間前に帰るんよ」
「分かっとうって」
ルームの壁にもう一枚のドアが現れる。
「行ってくるね」
「時間、気をつけるんよ」
「分かっとうって」
母がルームの外に出るのを確認し、現れたドアノブに手をかける。これも父が鑑定済。
『異世界への扉』
ある世界の某島国にある店を模した異空間に繋がっている。使用するには、スキル『ルーム』の保持者の魔力が必要。品物の持ち出しは可能だが、相応の対価が必要になる。スキル保持者のレベルやルームのレベル次第で可能性は広がる。
ドアの向こうは、見慣れたスーパーの入口だ。
カートに買い物かごを載せる。少し高い位置に、タイマーのような文字が浮かんでいる。十二分五十二秒。残りの時間ね。この時間は私の残り魔力だ。
初めてディレックスに入った時、この時間内に買い物が終わらず、数秒オーバーした。荷物を持って外に出ると、強烈な疲労感と頭痛に襲われた。晃太に支えられて、なんとかルームを出て、ソファにダイブ。気持ち悪い気持ち悪い、乗り物酔いMAXみたいだ。
医者を呼ぶか判断するために、父が私をまず鑑定。その時の私は生命力(60/98)、魔力(0/85)だったと。父の鑑定SSSは、人の能力、ステータスを数字として見られるらしい。きっと魔力がなくなって、生命力に影響を及ぼしたんだろうなあ。
しかし、気持ち悪かったなあ。次からは残り時間を気にしながら動くようにしている。この時間は『ルーム』のレベルが上がるごとに一分ずつ増えている。
更に、ルーム内に誰かいる状態で、私が倒れたらどうなるか分からないので、ルームが無人なのを確認してから扉の向こうに行っている。
カートを押し、ディレックスの中に。
ディレックスは実家近くのスーパー。生鮮食品、医薬品、家電、酒、日用品、衣服、ペット用品など生活に必要なものがだいたい揃っている。いまだに日本の食生活から抜け出せない私達の強い味方だ。ただ、『ルーム』のレベルの影響か、在庫が少ない。種類も少ない。まるで閉店セール真っ只中みたいだ。
「少し増えてる」
まず、生鮮食品の種類が増えて、在庫も増えてる。はじめは人参一本、じゃがいも一袋、ちょっと古そうなキャベツ半玉、もやし一袋、しいたけ一袋だけだった。今回は種類が倍になっている。できればディレックスの食材だけで生活したいが、怪しまれてはいけないので、市場に母が買い物に行っている。
「まず、炊飯器と」
家電があるところに行き、たった一つある、五合炊きの炊飯器をかごに入れる。次に両親のビール。残念、父が好きなノンアルコールビールが半ダースしかない。母が愛飲しているビールもないから、前飲んでいたビールを半ダース入れる。コーヒーのペットボトルを入れる。花のご飯はやはりない。花は決まったドッグフードでないと、吐いてしまうことがある。なので、缶詰めのペットのご飯をできるだけ入れる。残り八分。私はちょっと急いで移動。乳製品コーナーの前で久しぶりにカフェオレを見つけ、全部入れる。全部といっても二本だけ。私と晃太が飲むためだ。野菜ジュースもあるだけ入れる。ぽつんとある鶏のモモ肉と豚バラを入れる。ハム一パックも。魚コーナーで三匹の鰺と、一パックしかない切り身の鮭二切れ。あ、ムニエルのもともあるから入れる。最後にトイレットペーパーを持ち、レジへ。
「お会計」
そう言うと、無人のレジが値段を表示。一万六千八百五十G。赤いがま口が出てくる。私はぱかっと開いたがま口の中に、金貨を二枚入れる。一旦がま口が閉まり、そして逆さまを向いたので、がま口の下に手を入れる。ぱかっとがま口が開いて銀貨三枚、銅貨一枚、鉄貨五枚が出てきたのを確認する。商品は勝手に袋に入っている。『異世界への扉』の中ではアイテムボックスが機能しないが、便利だ。私が「出ます」と言うと、ふわっと景色が歪んで、次の瞬間にはルームの中に移動していた。
がさがさと袋を下ろして、窓から外――居間を確認。家族と花しかいない。大丈夫みたい。
ルームのドアを開ける。
「あ、おかえり、大丈夫ね?」
母が聞いてくる。花が横になった状態で尻尾パタパタ。あ、もう、おねむの時間かな。
「うん、大丈夫。時間も延びたしね。はい、炊飯器」
「ああ、これで土鍋で炊かなくてすむ。優衣、ルーム開けて」
「はいはい」
ルームを開けると、母が炊飯器を持って入っていく。
私は台所に移動する。ビニール袋は晃太が、運んでくれた。
「ほら、カフェオレ」
「あ、飲んでよか?」
久しぶりのカフェオレの容器に、晃太はちょっと口を尖らせる。嬉しい時は口がなぜか尖る。ストローを差してあっという間に飲んでいる。私もつられて飲む。ああ、甘い。久しぶりだ。ここには、コーヒーがない。紅茶やハーブティはあるけどね。ちなみにビールもない。エールはあるが、圧倒的に日本製が美味しいらしい。私は飲まないけど。
「姉ちゃん、今度、ヨーグルトあったら買ってきてん」
「よかよ、無糖かね?」
「そう」
この『異世界への扉』に私達の生活は支えられている。まだまだ品数は少ないが、とにかくありがたい。これがなければ、この国を出るなんて無理だ。
ふと、膝に衝撃が。
「ん? なんね花ちゃん、これはあんたは飲めんたい」
カフェオレの匂いにつられたのか、花が私の足下で後ろ脚で立ち、尻尾を振っている。カフェオレを飲み干した晃太が抱き上げて、頬擦り。私もでへへと頬擦りをした。もふもふだ。今度は花のおもちゃとおやつも見なくては。
「おはようございます」
次の日の朝、ディードリアンさんが迎えに来てくれた。あとはスタイル抜群の美人騎士さん。名前はイーリスさん。花が歓迎モードで二人の足下をチョロチョロ。
「かわいいですね。高位貴族しか飼育できないから、こうして触れるなんて思ってもいませんでした」
イーリスさんが優しく花を撫でる。美人の微笑みに、かわいい花。絵になる。
「花、おいで」
母が抱っこするが、触られ足りないのか、花は身をよじって二人の方に茶色の体を向ける。
「では、ユイ様には私が。父君にはイーリスが付きます」
「お願いします」
「優衣、お弁当」
母がお弁当を渡してくれる。
「ありがと、行ってくるね」
ディードリアンさんとともに歩き、十分ほどで私が勤めている治療院が見えてくる。
玄関前に人だかりができている。その中から白髪頭の男性が出てきた。
「おおぉぉッ、ユイさん、来てくれたか。今日退院できることになったんだ。だが、あなたに会えないのは寂しい」
白髪頭の男性が、がっちりと私の手を握ってくる。
五十歳過ぎだけど、手と同様に体もがっちりしている。
「今日退院ですか、良かったですね」
この人は現役の騎士さんで、ケガのため治療院にいたが、そこに私がひょっこり勤めて、いろいろしたら気を許してくれた。はじめはとっつきにくい感じだったけどね。
「ああ、私が二十歳若ければ、放っておかないものを」
私の手をさすさすしながら、冗談ばっかり。
「亡くなった奥さんが毎晩枕元に立ちますよ」
「そ、それは……」
白髪頭の男性――フィリップさんが視線を動かす。
「あ、そうだ。今日は下の息子もいました。ささ、末っ子のエリオールです。いかがでしょう、魔法騎士隊に所属しておりまして、稼ぎもなかなかですよ」
そう言いながら私の前に押し出したのは、戸惑った表情の、フィリップさんそっくりの青年。そう青年。二十歳くらいの。
「いやぁ、なかなか、こいつにだけ、いい話がありませんでしてね。ユイさんさえ良ければ」
「……失礼ですが、おいくつです?」
「二十一です」
若いと思ったら、晃太より年下やん。
「あのですね、私、いくつだと思っているんです? 息子さんにだって選ぶ権利があるでしょう」
私がため息まじりに言うと、フィリップさんとエリオールさんが固まる。
「こ、これは失礼しました。ユイさんにはお相手がいらっしゃいますよね。私の早とちりでした」
「いるわけないでしょ、いたら、こんなところにいませんよ」
フィリップさんに鋭く突っ込む。私は男性とお付き合いしたことがない。いや、付き合いそうになった人はいたが、あれだ、華憐が邪魔してきた。あいつは人のものを簡単に欲しがる上に、飽きっぽい。その人は私といると華憐が馴れ馴れしくしてくるのに嫌気が差したのか、疎遠になった。職場が別の病院に移ってからは連絡もしてない。もう、どうでもいいけどね。だが、あれで懲りた。
でも、もし、と思う。もし、その人と上手くいっていたら、こんなことに家族で巻き込まれなかったのではないかと。
「ユイさん、重ね重ね失礼を」
フィリップさんが何故か必死に私の手を握る。
「いいですよ。とにかくもうケガして、治療院に帰ってきたりしてはダメですよ。次来る時は無料でお手伝いしてください」
「承知した。いくらでも、手伝うぞ」
名残惜しそうに手を握り続けていたフィリップさんは、息子さんのエリオールさんに引き剥がされ、「ユイさーん~」と叫びながら帰っていった。ちょっと恥ずかしいからやめて。
周囲の人達のこそこそ話が耳に入る。
(あの人、『火鬼のフィリップ』って言われていなかったっけ?)
(きっとただの噂だよ、噂)
そう、噂。だってフィリップさんはとても真面目な患者さんだったもん。
「さ、お仕事お仕事。ディードリアンさん、ありがとうございます」
私を送ってくれたディードリアンさんは唖然とした顔で、フィリップさん親子を見送っていた。
私の仕事は前の世界と変わらない。ただ内科系から外科になった感じだ。この世界には回復魔法やポーションがあるが、一般的に流通しているものは万能ではない。高位の回復魔法や高品質のポーションはまた別らしいけど。流通しているポーションで手に負えないようなケガは、この治療院で対応している。はじめは悲惨な現場を想像していたが、思ったより掃除が行き届いていたし、うがいや手洗いも徹底されている。ここの院長さんによると、三百年前にここを立ち上げた時に、勇者のパーティメンバーが関わり、清潔な環境や感染予防の重要性を伝え、それを今でも守り続けているらしい。特に感染予防については一般市民にも浸透。周囲の国々も倣い、それぞれの国内に周知されている。
……その勇者さん、こちらの人ではないかも。私達のように召喚されたんじゃないかな?
なんて思いながら治療院に入った。エプロンをつけて、相棒と一緒に包帯交換に回る。
「今日もお願いします」
「はい、お願いします」
今日の相棒はナーヤさん。四十代女性だ。彼女は生活魔法である剥離が使える。ナーヤさんと包帯や軟膏ののったワゴンを押しながら回る。
「おはようございます。お加減いかがですか? 包帯を替えたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、今日はユイさんなんだね。お願いします」
こちらの男性患者は冒険者。足を狼の魔物に噛まれて大変だったが、魔法で治療したため切断はせずに済んだ。ただ、変な菌をもらってひどい熱を出し、傷口が化膿してしまっていた。
この治療院の最大の死亡原因。それは傷口からの感染症だ。
まず、ナーヤさんが魔法で、包帯だけを剥離させる。その上で包帯をゆっくり剥がす。
「やっぱり痛くない、ユイさんがすると痛くない」
「ナーヤさんの魔法のおかげですよ」
感動する男性冒険者。傷口はずいぶん綺麗になった。傷口まわりの腫れも大分引いた。
「良くなってきましたね。もう一息です」
私は傷口の周囲を水で優しく洗い流し、軟膏をつけてガーゼもどきで蓋をして、包帯を巻く。
「あと、何日くらい抗生剤は飲んだ方がよろしいですか?」
様子を窺っていた治療院スタッフが聞いてくる。
「そうですね。まだ、腫れているから三日続けてください。三日後にもう一度判断しましょう」
「はい」
スタッフが手配に走る。こういうのは看護師としては逸脱した行為なんだけどね。何故か私に判断を仰いでくる。何度か、これは越権行為だからと院長に訴えたが、スタッフが慣れるまでは、と禿げ上がった頭を下げられた。
この世界に、医者という職業はない。それに該当するのは薬師だ。そして治療院で働くのは、薬師補助。つまり、お世話係ね。ただ、薬師はポーション作成が主で、治療院には滅多に来ない。上級ポーションなら、ケガも病気も大概治るからだ。
そのせいか私が来た当初、この治療院の処置はちょっと酷すぎた。だから患者さんが大切をモットーにいろいろできることをやっていった。
まず包帯を無理やり剥がしていたので、剥離の魔法を使うことにした。それから炎症を抑えるためにない知恵を絞り出し、父の鑑定、母の生活魔法を駆使して、抗生剤の内服薬と軟膏もどきを作った。はっきり言おう、父の鑑定SSS最強。なんの薬草を、どのような処理で、どれくらいの分量にすればいいか分かったのは、すべてこの鑑定のおかげ。そして母の生活魔法で処理して作り上げたのだ。そしてそれを使った最初の患者があのフィリップさんだ。
私が「後々の後輩達のために、ケガが原因の感染症で命を落とし、残され悲しむ家族のために、どうかご協力をお願いします」と言うと、快く治験を引き受けてくれた。おっかないあだ名がついていたけど、ただの噂だったね。内服と軟膏処置を始めて数日で効果が出て、喜ぶ喜ぶ。多分、この世界のケガは引退を示すからね、フィリップさんは、復帰できる兆しが見えて嬉しかったんだと思う。毎回手を握り締めてくるもん。退院できて、良かった。
ひととおり終わる頃には昼過ぎ。ナーヤさんは終業のため帰宅、私は母に持たされたお弁当を休憩室で食べる。午後はお風呂に入れない人のために清拭だ。よし、頑張ろう。
食後休憩していると、院長に呼ばれた。
「なんでしょう?」
院長室へ入る。何故かディードリアンさんまで一緒。院長室には知らない人もいる。
「座ってください」
「はい」
私は院長と向かい合う形で、ソファに座る。
「ユイさん。この度の抗生剤開発についてですが」
「はあ」
禿げ上がった院長が話を切り出す。
「特許が取れます」
「はあ?」
え、昨日父の口から出たばかりの特許が、こんなところでも。
「驚かれていますが、あれにはそれだけの価値があります。身近な薬草だけで、あれほどの効果が得られるのは素晴らしいことですよ」
「はあ、別にいいですけど」
「それは権利を放棄するということで、よろしいですか?」
いきなり話に入ってきたのは知らない人。誰?
「黙れ、今は私がユイさんと話をしているんだ。横から口を出さないという条件で同席を許したはずだぞ」
穏和な院長が鋭く言う。
「だが、別にいいと」
院長は目を細め、ディードリアンさんに声をかける。
「この男はユイさんの不利益を狙っている。摘まみ出していただけますか?」
「はっ」
ディードリアンさんはあっという間に男を引きずり、ぽいっと廊下に放り出した。
「なにをする、私は国立薬院の……」
ばたん。
「なんですか、あの人?」
私が呆気に取られていると、院長が説明してくれる。
「国立薬院の開発主任ですよ。内服薬と軟膏を開発したユイさんに醜く嫉妬しておるんです。あの薬を国立薬院が開発したことにしたいんでしょうな。そうなってしまえば開発者のユイさんは利益を得られません。なので手っ取り早く、特許申請をと思いまして」
「向こうにその権利を売ることはできます?」
そう、先立つもの。いくら父のカセットコンロのお金が入ってきても、いつかは底をつく。なんせ目的地のユリアレーナは、国をひとつ隔てている。おそらく移動にはかなりの額が必要だし、向こうで生活基盤を整えるのにいくらかかるか分からない。
「なにをおっしゃいますか」
院長は信じられないという顔。
「向こうが金を払うと思いますか? おそらく国立薬院で開発したとして、ユイさんには銅貨一枚払いませんよ。とにかく特許申請をしないとユイさんの功績を守れません」
うわあ、なにそれ。
「そうですか、なら、お願いします」
「そう言っていただけると思ってましたよ。さ、書類です」
準備いい。さっとテーブルに出された羊皮紙には、内服薬と軟膏は私が開発しました、権利者は私ですよ、みたいな文言が。
「ここにサインと魔力を流してください」
「すみません、魔力は無理です」
私は魔力はあるが魔法は使えない。そのため自分の意思で魔力を操れない。まあ、こちらでは珍しくないそうだ。
「なら、血を一滴お願いします」
院長が針を出し浄化をかけて、プチッとな。私のサインの上に垂らすと、淡い光が放たれる。
「これで終了です」
うわ、簡単。
「もし、特許を無視して権利を侵害しようとしたらどうなります?」
「その場で火が出ます。悪質な場合は魔力を流した指先から。当然火傷を負います」
「こわっ」
異世界の特許って怖い。
「まあ、意図的にしたらです。知らずにすると、まず、警告音が出ます。これはかなり重要な特許の場合のみ行われます」
へえ、向こうでは数えきれないほど薬の種類があるのに、たった一種類の内服薬と軟膏でこうなるとはね。あ、そうだ。
「これで私の権利になったんですよね。今なら権利は売れます? 実は引っ越しを検討していまして」
「ああ、確か、小型の犬もいると」
「そうです」
「なら、庭付きですな。ここは王都ですからね。治安のいい場所で庭付きとなると、賃貸なら月十八万以上ですな。購入となれば、家の建築年数やグレードにもよりますが、最低ラインは三千万でしょう」
結構しますね。悩んでいると院長はにやっと笑う。
「ふっかければいいんですよ」
「ふっかける?」
「向こうはこの権利が喉から手が出るほど欲しいはず。なら、ふっかければいい。向こうはケチですからね。おそらくかなり値切った額を提示してきます」
「ちなみに、これ、いくらくらいですか?」
「知り合いの薬師に聞きました。少なくとも二つで千五百万は下らないそうです。まあ、使用料を取る手ももちろんありますよ」
使用料って言われてもね。多分それを受け取るには身分証明書が必要だ。そんなの作ったら居場所がばれるようなものだから、私達はいまだに身分証を発行していない。作るならユリアレーナだ。
「売ります。今後の生活のために。院長先生、交渉をお願いしてもよろしいですか? ふっかけてください」
「任せてください」
禿げ上がった院長はにやっと黒い笑みを浮かべた。
午後。新しい相棒と清拭に回り業務終了。
ディードリアンさんと帰宅する。途中でディードリアンさんが聞いてきた。
「何故そんなに急いであの家を出ようとするのですか? もう少しあの家で、生活基盤を作ってからでも遅くはないかと思いますが。副大臣からも好きなだけ使って構わないと言われているのでは?」
「だって、申し訳ないじゃない。あの家の家賃、払ってないし、生活費だってもらっているし、仕事だっていいところを紹介してもらったし。私達はちゃんと働いて、迷惑をかけないように自立して生きたいだけです。そのために特許を売るんです。まあ、そのうち新しい薬を開発しますよ」
私達家族の本音を言う。最後は嘘だけどね。
「そうですか」
ディードリアンさんは、納得してくれたみたい。
借家に着くと、母と花が迎えてくれる。
「お帰り」
「クンクン」
花がおしりを下げ、尻尾を振って、お腹を出す。相変わらずかわいかあ。たまらず撫で回す私。
「皆さん、今お揃いですか?」
ディードリアンさんが、母に聞いている。
「はい、主人もさっき帰ってきました」
「実はお伝えしたいことがありまして」
「はあ、なら、どうぞ」
母がディードリアンさんを招き入れる。足下の花が、まとわりつく。居間では晃太と父がソファで寛いでいた。
「どうぞ」
母がディードリアンさんに着席を促す。そしてアイテムボックスからお茶を出し、ディードリアンさんに出す。こちらの茶葉の紅茶だ。母もかなり大型のアイテムボックスを持っていて、はじめは戸惑っていたけど、今では使いこなしている。
「ありがとうございます。ご報告したいのは、あの『聖女』様のことなんですが」
私達は一斉に顔をしかめる。
「一ヶ月後に巡礼のために国内を回ります。巡礼といっても、聖女様のお披露目みたいなものですが。ただ、王都を出発する時かなり混雑が予想されるので、私も警備に配置されます」
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