【完結】恋多き悪女(と勘違いされている私)は、強面騎士団長に恋愛指南を懇願される

かほなみり

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8 騎士団長の事情1

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「エイデン、君、この間のご令嬢はどうしたんだ」

 騎士団へ王太子から喚問の通達があり、急ぎ王太子執務室へ向かえば、第一声はこれだった。

「――ご令嬢、とは」

 先日起こった、外門前での事故報告を受けていたのを切り上げて来たというのに、フランシス王太子は不機嫌そうに眉根を寄せて、執務椅子に深く身体を沈ませた。

「夜会で紹介したご令嬢だ。通常なら怖がって逃げ出すご令嬢ばかりなのに、彼女は笑顔で君と話していたじゃないか」
「ああ……」

 あれはその場しのぎの作った笑顔だ。後半は疲れたのか、口元が引きつって、必死に扇子で隠していた。

「特に、何も」

 あれっきり、なんの連絡も取り合っていない。所詮その程度だったということだろう。

「騎士団長に昇進して子爵位まで叙爵し、王家との血の繋がりも濃い君に、いつまでも婚約者がいないのはなぜだ」
「自分に言われても分かりかねます」
「顔だろうなあ……」

 失礼なことを言う。

「お言葉ですが殿下、自分は特に結婚の意思もありません。血筋を残す、という意味では弟がすでに結婚し、先日、男子が生まれたばかり。なんの問題もないと思いますが、何をそんなに憂慮されているのでしょう」
「君を心配しているんだよ、エイデン」

 彼は身体を起こし、机の引き出しから葉巻を取り出して火を付けた。それが合図となり、室内にいた事務官と護衛騎士たちが一斉に退室する。
 二人きりになった執務室で、彼は大きくため息を吐いた。

「そうやって結婚願望がないっていうけどさ。ただ見た目が大きくて顔が怖いっていうだけで、君の良さを理解してくれない令嬢ばかりだ。私はなんだか悔しいんだよ」

 二人きりになって素になる王太子、フランシスは、眉尻を下げて大げさに悲しい表情を作った。なんとなく馬鹿にされている気がするのはなぜだ。

「別に俺は構わんが」
「でも、結婚っていいよ?」
「それは自分が結婚したばかりで幸せだからだろう」
「そうだけど。兄みたいな君にもこの幸せを味わってほしいっていう、私のこの気持ちを分かってくれ」
「勝手に押し付けるな、フランシス」
「ひどいな」

 俺たちは幼いころから共に過ごし、兄弟のように育ってきた。
 学園も一緒に通い、彼の留学にも護衛として同行した。今でもこうして二人きりになれば、気兼ねなく話せる仲だった。

「お前が幸せなのは喜ばしいことだ、フランシス。だが、それを俺にも押し付けるのは違うだろう」
「じゃあ、公的な立場から言わせてもらうけど」

 ふうっ、と紫煙を吐き出した彼は、目を細めて俺を見た。

「この国にとって貴重な血筋である君が、いつまでも独身であることの危険性は分かってるか? 政治的駒としての価値はこの上なく高い。国内の貴族だけではなく、他国の交渉材料としても使われる可能性だってあるんだ」
「それは誰が言っている」
「陛下だよ」
(俺を政治的に利用する意思があるということか)

 近年、周辺国との関係は良好だ。先代の王族も良縁を結び、国同士の結束は固い。だが、フランシスの代は子が少ない。現国王が側室を置かなかったことによるが、いざというときのための駒として俺を使うことも考えているのだろう。

「そのときが来たら、俺は受け入れる」
「そうじゃなくてさ」

 フランシスは立ち上がり、背後の窓を開けた。室内に揺蕩っていた煙が窓の外へゆったりと流れていく。

「そうならないように、陛下が君とアリアの婚約を考えているんだ」
「――は?」
「まあそうすれば、かわいい娘を手離さずに済むという親心が八割、君という優秀な人材の流出を防げるという考えが二割くらいだろうけど」
「アリア王女はまだ八歳だろう!」
「いやもう十三だよ。いつの記憶だ」
「子供に変わりない! 俺にとってまだまだ小さな赤ん坊だぞ?」
「そうだけど。王族の婚約なんて年齢は関係ないから」
「断る」
「他国との婚姻はよくて王女との婚約は駄目なんて、まかり通るわけないだろう」

 窓の縁に腰掛けてこちらを見るフランシスの金髪が、日の光を浴びてキラキラと光っている。碧眼をスッと細めた彼は、俺を見据えて「それで」と口を開いた。

「先日の晩餐会の話だ。背の高い女性と親しげに話していたと聞いた。しかも君から声を掛けたんだって?」
「俺を見張らせているのか?」
「まさか。すごく大きい二人を見た、という話が飛び込んできたんだよ。女性もかなりの高身長だったって言うから気になった」

 先日、晩餐会で声を掛けた女性、アレックス・ラトゥリ。
 外門前で起こった事故現場で、暴れる馬をものともせず宥め、その場の被害を食い止めてくれた女性だ。
 ちょうど外門を訪れて事故に居合わせた俺は、騒ぎを聞きつけ一番に駆け付けたのだが、すでに彼女が馬を押さえているところだった。

『――この子たちのお世話ができて楽しかったわ』

 そう言って笑顔を見せた彼女に、俺は言葉を失った。

(俺の前で、自然に笑った)

 昔から、無表情で顔が怖いとよく言われてきた。それに加えて大きな身長と鍛えた身体のため、威圧感が相当あるらしい。
 これまで何度か見合いや出会いの場を設けられたが、どのご令嬢と会っても皆、怖がった。
 自分を怖がる令嬢と、どうして普通に話せるだろうか。相手にとって相当なストレスを与えている自覚があるのに、どうしてまた会おうと思えるだろう。
 それが、先日会った彼女は違ったのだ。
 俺を怖がる様子もなく、馬の話をして、さらには俺に気を付けて、と声まで掛けてくれた。
 あまりにも驚いた俺は言葉を失い、彼女に名前を尋ねることもできなかった。
 ずっとそのことを悔やんでいたのだが、先日開かれた晩餐会で偶然彼女を見かけたのだ。
 ヒールの高い靴を履いていたのだろう、周囲よりも身長が高い彼女は、俺の知る小さくて子供のような女性たちとは違い、――美しかった。

「――事故現場で、偶然居合わせた。陛下主催の晩餐会で見かけたから、手助けしてもらった礼を伝えただけだ」
「へえ! その後の約束とか、してないのか?」
「約束?」
「だって、君と普通に会話する女性だろう? そこは礼を述べるだけじゃなくて食事に誘うとか、いろいろあるだろう」
「――なるほど」
「おい、おいおいおい、エイデン……」

 フランシスが思いっきり顔を顰めた。

「いい歳なんだからそれくらい自分で思いつけ! 何をしているんだ君は!」
「うるさい」

 仕方ないだろう、こんなふうに話が進んだことなど今まで一度もないのだから。

「エイデン、その女性とお付き合いをするかアリアと婚約するか選べ」
「は?」
「君にとってまたとないチャンスだろう? 対等に話ができる女性がどれほど貴重か分からないのか? 晴れた日に歩いているだけで雷が落ちてくるよりもすごいことだぞ!」
「なんとなく不愉快な例えだな」
「気のせいだ」

 そんなわけがあるか。若干馬鹿にされている気がする。
 腕を組んだフランシスは、正面から俺を睨んだ。

「なあ、まさか名前を聞いていないってことはないよな?」
「聞いている。ラトゥリ嬢だ」
「――ラトゥリ……?」

 彼女の名前を聞いて、彼は小さく首を傾げた。

「ラトゥリ……、まさかあの、バーンズ侯爵の後妻か?」
「バーンズ侯爵の後妻?」
「先代の後妻だよ。確か南の子爵領を管理する、ラトゥリ男爵の娘だ。その美貌で数々の男を手玉に取り、年老いた先代侯爵を唆して後妻に納まって財産を手に入れたと噂が流れていた女性だ。『男を唆す恋多き悪女』、社交界でもかなり有名だったよ。聞いたことないか?」
「ない」

 実際に話した彼女は、悪女とは程遠い印象だ。
 確かに、洗練された容姿は妖艶という言葉が似合う美しさではあったが、むしろ言い寄ってくる男に困り果てている様子だった。

「実際は侯爵とは周囲も羨むほど仲睦まじくて、彼の晩年を支えた女性らしいけどね」

 噂は噂、ということだろう。
 あの日の、馬と触れ合う彼女を見て、とてもじゃないが悪女とは思えなかった。動物を愛する、心の優しい女性だと思ったのだ。

「年齢も君と近いんじゃないか? 三十二歳の君が十三歳のアリアと婚約するよりは現実味があるけど、まさかわざわざそこに引っかかるとはなぁ……」

 つややかな黒髪に不思議な色合いのヘーゼルの瞳。大きな瞳を長い睫毛が縁取り、華やかな顔立ちをした女性だった。スタイルの良さを活かした身体の線を拾う大胆なドレスは、高身長の彼女にぴったりだった。
 その姿は、会場にいた男たちの視線を奪っていた。

「――確かに、美しかった」
「えっ!?」

 俺はいつも、女性を怖がらせないように視線を合わせない。それが、視線があんなにも近く、そして正面から俺を見る女性は初めてだった。
 だからこそ、見入ってしまったのだ。俺をまっすぐ見返す、彼女の美しい瞳に。

「――そうか、君にもそんな感情があるのか」
「フランシス、さっきからなんなんだ」
「いや、ちょっと感動している」
「意味が分からん」

 なぜかじんわりと感動した様子の彼を思いっきり睨めば、「でもなあ」と、腕を組んで唸った。

「恋多き悪女では、君の恋は成就しそうにないな」
「恋?」
「彼女にいいようにあしらわれて終わる未来しか見えない」
「フランシス、いい加減にしろ。俺はそんなつもりはない」
「じゃあ、アリアと婚約するんだな?」
「どうしてそうなるんだ」
「陛下は本気だからな」
「勘弁してくれ……」

 頭が痛い。こっちだって団長職に就いたばかりで忙しいのだ。こんなことに時間を割いている暇は正直ない。俺としては、結婚などしなくても問題ないと思ってきた。

「確か今、彼女には新しい恋人がいるという話だったよ。最近人気の舞台役者じゃなかったかな」
「――ずいぶん詳しいんだな」
「女性というのは噂話が好きなんだよ。立場上、僕も聞いておいて損はないだろ?」
「王太子に必要とは思えないが」

 王太子妃殿下の開くサロンでは、貴族令嬢やご婦人が集まって華やかな茶会を開いているという。そこで聞いた話を、妃殿下から聞いているのだろう。
 仲睦まじいのはいいことだが、街の新聞並みの情報が、果たして政務に忙しい一国の王太子に必要なのか、甚だ疑問だ。
 恐らくただ噂話が好きで話しているだけだろう。

「君が舞台俳優に勝てるかはまた別の話だが、恋多き悪女じゃないにしても、本気で結婚相手を探した方がいい。じゃないと陛下は、王命で君とアリアと婚約させるぞ」
「おい……」
「私からの話はこれで終わりだ。さて、政務に戻ろう」

 そう言って、フランシスはパンッ! と手をひとつ叩いた。
 その合図を待っていたかのようにガチャリと扉が開いて、事務官や護衛騎士が入室してくる。俄かに執務室が騒がしくなり、書類が飛び交いはじめた。

「――では、これにて御前、失礼いたします」

 騎士の礼を執って退室する俺の背中に、「尽力せよ」と声が掛けられたが、その声に応えることなく、執務室の扉を閉めた。
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