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第五話 王女、出会いを回想する

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 確かに、ハリエットには、立ち止まって休んでいる暇などない。

 追放されたのがルゼルドでなかったら、こうして王都に立ち戻ることもなかっただろう。実際にはルゼルドだったので、彼女は素早く部下たちに仕事を押し付け、夜通し馬を走らせて王城に帰投することになった。大丈夫、置いてきた部下たちも、元を辿ればかつてルゼルドに躾けられた弟子たちばかりだ。最強の鬼教官を行方知れずのまま、放置しておくわけにはいかないことぐらい分かっている。

 とはいえ、すぐに前線に戻らねばならないだろう。

 明朝の出立前に、少しは身体を休めなくてはならない。だが、どうにも気が昂っているせいか、ハリエットは眠る気にはなれなかった。

(ルゼルドを探さなくては)

 しかし、どうやって?

(私に忠義を誓っていること以外に、ルゼルドがこの国に留まり続ける理由はない。私に何も言わずに故郷に帰るとも思えないけど……こんなとき、ルゼルドだったらどこへ行く?)

 彼女の忠実な臣下、そして知らず知らずのうちに心を寄せている相手だというのに、ハリエットはルゼルドのことを深くは知らない。

 考え込みながら、つかつかと王宮の廊下を歩いていると、使用人たちが怯えたように両端の壁に貼り付いた。衛兵までもが、彼女が通ると顔色を悪くして見送る。怒りと焦りのあまり、威圧を垂れ流していたかもしれない。それとも、単純に顔が怖かった?

(まずい、気をつけなきゃ)

 ハリエットは廊下の突き当たりで立ち止まって、眉間の皺を手で押さえて伸ばした。

 真剣にそうしている姿はむしろ可愛らしいのだが、彼女にはその自覚がなく、自分はどこまでも峻厳で人を恐れさせる戦士だと思っている。確かに、戦場で容赦なく剣を振るう姿は広く恐れられているのだが。

(あ、雨だわ)

 廊下の先には回廊が続き、中庭の上の、ぽっかりとあいた空を埋め尽くすようにざあざあと雨が降り注いでいた。

 暗い空には雷撃が、細く繊細な線を描いて走る。ハリエットの紅茶色の瞳に、金の反映がきらめいた。

(ルゼルド……)

 彼と出会ったのもまた、こんな大雨の日のことだった。






 それは実に運命的な出会いだった、とハリエットは思っている。

 四年前のことだ。ハリエットが駐留していた砦近くで、小競り合いの戦闘が起きた。大した戦では無かったのだが、予想以上に大きくなり、近隣の村が巻き添えを食らって三つほど焼けた。両軍を撤収させ、その結果も見届けないうちに、ハリエットは単身で戦場となった丘へ赴いたのである。

 小降りの雨が、丘を登るうちに叩きつけるような嵐に変わっていた。地面を滝のように水が流れていく。ぐらつく足元を踏み締めて見上げたとき、その丘の上で人影が動いた。

「……誰だ?」

 誰何の声に、相手はゆっくりと顔を上げて、こちらを見た。

 濡れて水の滴る黒髪。縮れて海藻のように貼り付く房に、半ば隠れた金の瞳。冷たく開いた瞳孔がこちらを見据えたとき、ハリエットは全身が雷に撃たれたように動けなくなった。

 後にハリエットは、

「運命としか思えなかった。鋭く、野生的で、一度見たら忘れられないような目付きだった」とうっとりと語るのだが、それを聞いた者たちは一概に渋いものを食べさせられたような顔をする。

「姫の男の趣味はおかしい」「普通、不気味なワカメが暗い場所に現れたらゾッとするもの」「全然素敵な出会いじゃない」「どうしてアレを美化できるんだ」「普段から黒ワカメなのに、雨でぐっしょり濡れた黒ワカメだぞ、惨状でしかない」

 ……等々。

 確かに、顔色の悪い痩せた男が、前髪で半ば顔面を隠して立っている、その光景にゾッとするどころか、むしろときめいてしまったハリエットは普通の感性とは言えない。

 しかも、当時のルゼルドは故郷から離れて長く放浪していたため、ボロボロに穴の開いた黒っぽい外套(汚れたのか、元からその色だったのかさえ判然としない)を着ており、滝のように流れ落ちる雨水がそのまま染み通ってポタポタと垂れて、尾羽打ち枯らした鴉か、みすぼらしい亡霊のような姿だった。

「濡れるのも気にせず、世の中に何一つ大したことなどないという態度で、超然としている……まさしく強者の態度だった」

 ハリエットが夢見る少女の眼差しで語るので、それ以上、彼女の変わった趣味に文句を付けようとする者は現れなかったという。
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