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第七話 黒ワカメが帰ってこない

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 それから四年間。

 黒ワカメは彼女の忠実な臣下となり、二人の関係は絡み合うように深くなったが、恋愛方面においては一ミリも進展しなかった。

 完全な足踏み状態である。

 年の差がそれなりにあって、出会った頃はハリエットがまだ未成熟だったこと、身分差、その他もろもろの差を差し引いて考えても──二人は両極にあり、四年経っても未だに両極にいた。その間隙を埋めるのは、ハリエットが黒ワカメが大好きであり、黒ワカメがハリエットの為ならどんな汚れ仕事だろうと不可能事であろうとホイホイと引き受けていたという、主従愛なのか何なのか分からない感情からなる関係だけだった(元々、黒ワカメの倫理観が世間から逸脱しているというのもあるが……)。

 一年ほど前から、ハリエットが「計画」の為に王都を離れることが多くなり、王都に残って兵の修練を担当するルゼルドとの距離はさらに開いた。今では、三ヶ月に一度顔を合わせればマシなくらいである。

 だから、ルゼルドが追放されたとしても、ハリエットの精神的打撃はそれほど大きくない、はずだったのだが……





「死にたい」
「しっかりして下さい、姫様」
「ルゼルドが行方不明のままだなんて……私がこの砦にいるのは知ってるはずなのに」

 ルゼルド追放から一ヶ月。北方の要所にあるレゼンクラ砦の一室で、ハリエットは机に頭を乗せたまま打ちひしがれていた。

「ルゼルドが私の元にやって来ない……つらい、死ぬ」
「姫様」

 魂が抜けているハリエットの傍らに立って、宥めるような声を掛けているのは、ハリエット付きの占星魔術師ニフェルタである。

 ほっそりとした盲目の女性。占星魔術師と名乗ってはいるが、実質は夢魔魔法の使い手であり、ハリエットの側付き全てに言えることだが、ルゼルドの「特訓」(という名の死のブートキャンプ)を経験している。死のしごきを乗り越えた彼女の両腕の筋肉は、たおやかな印象を裏切るほどに立派で太い。

「何か事情があるのでしょう。あの鬼教官が姫様を放置しておくなんて、余程のことかと」
「追放された途端に次々と美少女が現れて、この世の春を謳歌してるのかも……」
「姫様、その妄想はそれ以上進めてはいけません」

 黒ワカメハーレム。ハリエット以外は思い付きもしないであろう妄想に、ニフェルタの常識的な心は震えたのだが、

「……少し寝るわ。ニフェルタ、夢魔魔法で私とルゼルドを結ぶことは出来る?」

 立ち上がったハリエットに問われて、ニフェルタは瞬きした。

「姫様と教官が同時に眠っている時でしたら、脳波を繋ぐことはできるでしょう。どのぐらい意思の疎通が出来るかは分かりませんが」
「やってみる」

 砦の中では大抵鎧姿で過ごしているハリエットだが、今はくつろいだシャツ姿になっている。一兵卒が鎧の下に着込むものとそう変わりない。意気込んで拳を握る横顔だけが若々しく艶めいて、王女らしさを感じさせた。

「私たちの間には、きっと深い絆がある……と思う。ルゼルドはきっと、私を案じてくれている……たぶん。夢の中で通じ合えるわ」

(大丈夫かしら)

 ニフェルタは眉を顰めた。

 いや、どうあっても駄目だろう。愛だの忠誠心だのはともかく、ハリエットと黒ワカメはあまりに別種の生き物だ。蝶と蜘蛛、小型犬とワニ、鳩とドラゴンぐらいの差がある。たまたま同じ言語を話しているから通じ合えているだけだ。

 ……と、ニフェルタは思うのだが、

「ニフェルタ、お願い」

 寝台に入り、迷いのない様子で大きな瞳を閉じたハリエットが、小さく呟く。

「……はい」

 結局のところ、この砦には、ハリエットの「お願い」に逆らえる者などいないのである。

 ハリエットが指揮官として、王女として優秀なのもあるが、ハリエットに逆らえば、間違いなく黒ワカメに殺される。一度黒ワカメの特訓を受けた者なら、全身に染み付いて消えることがない恐怖である。

「お休み下さい、姫様……」

 ニフェルタの唇が、低く夢魔の呪歌を紡いだ。

 そうして、ハリエットは眠りに落ちて、



 酷い悪夢を見た。





 それはもう、いろんな意味で酷い内容だった。凄惨な戦場の記憶、呪いのような恨みつらみ、さらにそこに性的な意味でのあれこれが混じり合って、手の付けられないカオスと化していた気がする。気がする、レベルである。ハリエットは真性の光属性であり、根本では悪というものを理解しえないので、いくら打撃を受けても深層心理では吸収できず、忘れてしまうのである。

 とりあえず、夢の中で黒ワカメに十回ぐらい(R18)な扱いをされたような気もするが、気のせいだろう。おそらく。

「……う、ん」

 目覚めの気分はいいとは言い難かったが、ハリエットは目をぱちぱちして悪夢の残滓を払った。

 身を起こすと、どうやら、時刻は深夜を回る辺りであるらしかった。

 草木も眠る真夜中。絶えず誰かが目覚めているはずの戦場の砦も、今は奇妙に静まり返っている。ハリエットが寝起きしている、王族とは思えない程に質素な板敷きの部屋もしんとして暗く、側近たちの姿もない。

 机の上には小さなランプが、健気に震えながら燃え続けていた。ハリエットは寝汗で背中が濡れているのを感じ取って、顔を顰めた。

(着替えないと……)

「ん?」

 そのとき、彼女の意識の端で、何かが引っ掛かった。

 小さな違和感。

 手がかりを求めて、ぐるりと部屋を見渡すと、ランプの横に置かれた小さな魔石が目に入った。

 かつて、彼女の誓約のスキルを封印していた魔封じの紐、そこについていた魔石を、ルゼルドが二つ、彼女は一つ持っている。その魔石が、淡く光を発していた。

「……?」

 摘み上げて、掌に置く。その瞬間、ぞわりと駆け抜ける魔力の波動で身体が震えた。

(……えっ?)
(おや。繋がりましたか)

 聞き覚えのある、低く掠れ音を伴う声。

 直接脳の中に響くそれを、ハリエットは目を見開きながら捉え──

「ル、ルゼルド?!」
(はい。お久しぶり、と言った方が宜しいですかね)
「あ、貴方、今まで何して──」
(ご連絡が遅れまして申し訳ありません、我が君)
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