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番外
概念上はあまねく全てが椅子
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「これはどう見ても椅子ではないわ、宰相」
「どこからどう見ても紛うことなき椅子ですが?」
「椅子じゃないわ!」
「椅子です」
日々王宮のあちこちで、叩きつけられるように交わされる熱き激論。それはいつしかこの王国の名物となっていた──と王宮伺候者たちは語る。
(まずいわ)
私は深まっていた眉間の皺をさらに深くした。
(こればかりは譲れない……!)
死活問題である。
私たちの前には、四頭立ての馬に牽かせた重厚な馬車が佇んでいる。王家の紋章付き。内装も外観も豪華この上なく、クッションのきいた座席はその辺の長椅子より余程ふかふかして柔らかい。長距離の旅でも、かなり快適に過ごせることだろう。だが勿論、私の唯一終生椅子(過激派)を自認する宰相が、黙って私を座らせるはずもなく。
「無論、陛下は私の上に座って頂きます」
「これは乗り物よ、宰相。椅子ではないわ」
「どう見ても椅子でごさいましょう」
ふう、と熱の篭もらない吐息を洩らす宰相。
聞き分けない子供を見下ろすような態度に、そこはかとなくイラッとさせられる。しかし私は不満げな表情をなんとか押し留めて、冷静な声で返した。
「乗り物に座面が付いているだけでしょう。主となるのは車体の方だわ。貴方の主張は通らないわよ」
そう、通してはならない。
これは防波堤なのだ。これを許してしまえば、なし崩し的に「浴槽は中に座れるのだから実質椅子」「ベッドは座ることも出来るから完全に椅子」ということになりかねない。
そうなった場合、宰相が私に遠慮する? そんな期待はできない。この男のことだ、浴室でも寝室でもずかずか踏み込んで来るに決まっている。
「陛下」
警戒を深める私に向かって、宰相はまるで教え導くように、
「形でお考えになるべきですな。概念の上で考えれば、あまねく全てが椅子、という結論に達してしまいますので」
「その結論に達するのは貴方だけだと思うわ」
「繰り返しますが、大事なのは形です。私と椅子の間の共通点をお考え下さい。私には座面と背凭れがついております」
「ついてないわ」
「ついております」
「ついてないでしょう、人間には座面と背凭れはついてないのよ」
「陛下、現実を直視なさって下さい」
「それは貴方が……!」
…………略
(20分後)
「……というわけで、基本的に、座面と背凭れがあればそれは椅子、とお考え下さい」
「と、いうことは……?」
背凭れがない簡素な腰掛けなんかは椅子ではないということ? 宰相と被らないのなら、座っても問題ない……?
にわかに希望が輝き出した。けれど、そんな私を冷たく見据えると、宰相は抑揚のない声で呟いた。
「私のような高級椅子を所有なさっているというのに、そのようなものに座られると? ふむ……陛下は私の椅子としての矜持を試しておられるようですな」
「威嚇しないで頂戴、ユリウス」
黒い瘴気が大気を伝わって立ち昇ってくる。
(相手が私でなかったら泣いてるわよ)
幸か不幸か、私は宰相の発する威圧感には慣れ過ぎている。
特に最近は、宰相の椅子としての嫉妬深さに拍車が掛かっているせいで、日々「浮気するな」「浮気するな」「座れ」というオーラを浴びせられている。いい加減反応も鈍くなるというものだ。
「威嚇ではございません、脅しております」
「悪化したわね?!」
堂々と主君を脅迫する臣下(椅子)。
流石にそろそろ不敬罪を適用すべきでは?
「ともあれ、時間が押しております。そろそろご出立なさるべきかと」
「……そうね」
我々はこれから、国境沿いの古都エンヴァスへ向かう。毎年、この頃になると隣国の王族が遣わされてきて、ささやかな交流の会合を持つことになっているのだ。去年は宰相がまだ椅子ではなかったので、特に何事もなく終わったのだけれど、今年は……
「そう暗澹となさることもありますまい。去年と比べ、明らかに好転していることもございます」
他国の人々の前で、宰相に座るところを披露しなければならないのか……(自国民の前でも耐えがたいのに)と思って暗い顔になっていた私に向かって、元凶が堂々と慰めの言葉を掛けてきた。
慰め?
この宰相が単純に私を慰めたりするかしら?
疑惑と不信にまみれた半眼になって彼の顔を見ていると、
「私は馬車用の椅子としては非常に優秀です。なにしろ、座席用安全帯がついておりますので」
……やっぱり慰めではなかった。ただの自慢だった。
「どこからどう見ても紛うことなき椅子ですが?」
「椅子じゃないわ!」
「椅子です」
日々王宮のあちこちで、叩きつけられるように交わされる熱き激論。それはいつしかこの王国の名物となっていた──と王宮伺候者たちは語る。
(まずいわ)
私は深まっていた眉間の皺をさらに深くした。
(こればかりは譲れない……!)
死活問題である。
私たちの前には、四頭立ての馬に牽かせた重厚な馬車が佇んでいる。王家の紋章付き。内装も外観も豪華この上なく、クッションのきいた座席はその辺の長椅子より余程ふかふかして柔らかい。長距離の旅でも、かなり快適に過ごせることだろう。だが勿論、私の唯一終生椅子(過激派)を自認する宰相が、黙って私を座らせるはずもなく。
「無論、陛下は私の上に座って頂きます」
「これは乗り物よ、宰相。椅子ではないわ」
「どう見ても椅子でごさいましょう」
ふう、と熱の篭もらない吐息を洩らす宰相。
聞き分けない子供を見下ろすような態度に、そこはかとなくイラッとさせられる。しかし私は不満げな表情をなんとか押し留めて、冷静な声で返した。
「乗り物に座面が付いているだけでしょう。主となるのは車体の方だわ。貴方の主張は通らないわよ」
そう、通してはならない。
これは防波堤なのだ。これを許してしまえば、なし崩し的に「浴槽は中に座れるのだから実質椅子」「ベッドは座ることも出来るから完全に椅子」ということになりかねない。
そうなった場合、宰相が私に遠慮する? そんな期待はできない。この男のことだ、浴室でも寝室でもずかずか踏み込んで来るに決まっている。
「陛下」
警戒を深める私に向かって、宰相はまるで教え導くように、
「形でお考えになるべきですな。概念の上で考えれば、あまねく全てが椅子、という結論に達してしまいますので」
「その結論に達するのは貴方だけだと思うわ」
「繰り返しますが、大事なのは形です。私と椅子の間の共通点をお考え下さい。私には座面と背凭れがついております」
「ついてないわ」
「ついております」
「ついてないでしょう、人間には座面と背凭れはついてないのよ」
「陛下、現実を直視なさって下さい」
「それは貴方が……!」
…………略
(20分後)
「……というわけで、基本的に、座面と背凭れがあればそれは椅子、とお考え下さい」
「と、いうことは……?」
背凭れがない簡素な腰掛けなんかは椅子ではないということ? 宰相と被らないのなら、座っても問題ない……?
にわかに希望が輝き出した。けれど、そんな私を冷たく見据えると、宰相は抑揚のない声で呟いた。
「私のような高級椅子を所有なさっているというのに、そのようなものに座られると? ふむ……陛下は私の椅子としての矜持を試しておられるようですな」
「威嚇しないで頂戴、ユリウス」
黒い瘴気が大気を伝わって立ち昇ってくる。
(相手が私でなかったら泣いてるわよ)
幸か不幸か、私は宰相の発する威圧感には慣れ過ぎている。
特に最近は、宰相の椅子としての嫉妬深さに拍車が掛かっているせいで、日々「浮気するな」「浮気するな」「座れ」というオーラを浴びせられている。いい加減反応も鈍くなるというものだ。
「威嚇ではございません、脅しております」
「悪化したわね?!」
堂々と主君を脅迫する臣下(椅子)。
流石にそろそろ不敬罪を適用すべきでは?
「ともあれ、時間が押しております。そろそろご出立なさるべきかと」
「……そうね」
我々はこれから、国境沿いの古都エンヴァスへ向かう。毎年、この頃になると隣国の王族が遣わされてきて、ささやかな交流の会合を持つことになっているのだ。去年は宰相がまだ椅子ではなかったので、特に何事もなく終わったのだけれど、今年は……
「そう暗澹となさることもありますまい。去年と比べ、明らかに好転していることもございます」
他国の人々の前で、宰相に座るところを披露しなければならないのか……(自国民の前でも耐えがたいのに)と思って暗い顔になっていた私に向かって、元凶が堂々と慰めの言葉を掛けてきた。
慰め?
この宰相が単純に私を慰めたりするかしら?
疑惑と不信にまみれた半眼になって彼の顔を見ていると、
「私は馬車用の椅子としては非常に優秀です。なにしろ、座席用安全帯がついておりますので」
……やっぱり慰めではなかった。ただの自慢だった。
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