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16.シェラン「どうしよう、ときめいた」
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(……あんなでかい甲冑、この家にあったか?)
シェランはまじまじと甲冑を見つめ……その分、反応が遅れた。
ブン! と剣が振り下ろされる。周囲の空気を重たく揺らがせて、シェランのつま先のすぐ横の床に突き刺さり……
「うわっ」
長いドレスの裾をからげて、辛くも飛び退いて逃げられたのは、かつて貧民街で過ごした日々の経験が身に沁み付いていたせい、かもしれない。
だが、踵の高い華奢な靴に、纏わりついて身体の自由を奪うドレス、という組み合わせはこの場合、どこまでも最悪だ。シェランは薄い絹地に包まれた背中に、汗の滴が滲んで伝わっていくのを感じた。
(何だこいつ)
本気で人間を殺す気か?
「くそ、幽霊なんて大嫌いだ……!」
低く口の中で毒づく。
御年約28歳にもなって、この世で心底苦手なものが増えたシェランであった。
暗がりで、心臓の音をバクバクと轟かせながら、幽霊甲冑の出方を窺う。床に突き刺さった剣が引き抜かれて、再びその切っ先がシェランに向けられ……
「お義母さま!」
飛び出してきた細い人影が、抜き身の刃を煌めかせながら、カンッと幽霊の剣を受け止めた。
ただの金属ではない、剣戟の音と共に眩い白光が散る。
「っ?!」
シェランは仰天し切った裏声を喉の奥で響かせた。
「シ、シンデレラ?」
「ご無事ですか、お義母さま?」
「え、ええ……」
「良かった」
振り向いて笑った顔は明るく、ただひたすらシェランの無事を喜んでいるようだ。
「やあっ」と気合いの声を発し、幽霊の剣を跳ね除けてから、
「この剣、飾り剣なんですけど、魔除けの銀で作られた我が家の家宝なんです。これがあれば、幽霊になんて負けません」
手にした剣をひらひらと振ってみせる。
その剣以外は、いつもと変わらぬワンピース姿のシンデレラだった。シェランが選んでやった、ひらひらしたスカートの裾を靡かせ、床を踏み締めて立っている。足元はそれなりに踵の高い水色の繻子の靴。それでもシェランよりは大分小柄で背が低い、華奢な娘だ。
「…………」
「お義母さま? 実はどこか怪我でもしましたか? あの幽霊、生かしておけない……!」
「い、いえ、そうじゃないのよ」
幽霊はもともと生きてないのでは? などと野暮な突っ込みをしている場合ではない。シェランは首を左右に振って、なんとか正気を取り戻した。
「つ、強いのね、シンデレラ」
「お義母さまを守るためですから」
シンデレラは暗闇の中でもきらりと光る歯を見せて、まるで姫君を守る騎士のように凛々しい口調で言い放ち──
トゥンクッ
シェランの心臓が、人生初、なんとも表現しがたい音を立てた。
(……は?)
動揺するシェランをよそに、彼の心臓はひたすら脈打ち、たまに「キュン」とまで鳴く。意味が分からない。いや、薄々分かっているのだが分かりたくない。人生初のときめきがこんなところで訪れる? 嘘だろう……
「お義母さまに害なすものは許さない!」
腹の底から捻り出したような声と共に、シンデレラが剣を奮って甲冑を打ち倒した。一閃、二閃、そして空っぽの兜の中を突き刺して、勇ましく凱歌を上げる。
「消えなさい、幽霊ども!」
(……おい、強すぎるだろ、うちの継娘が)
キュンとした。
──その後、随分と後になってから、シェランは「恋に落ちる瞬間というのは本当に予想できないものなんだ……特に、相手が全く予想がつかない側面を隠し持ってる、とかだとな」と苦み走った顔で語ったりしていたのだが、それはともかくとして。
トレンマーダ男爵家に居着いていた幽霊たちは慌てふためいて、その夜、一斉に逃亡の旅に出た。夜空を連なって逃げていく彼らのせいで、煌々と輝いていた満月は隠れ、たまに蝙蝠の翼らしきものがはためく音が聴こえていたという。
懸念すべき点としては、ドクが彼らを回収し損ねたことだ。だがその後、幽霊たちが他の屋敷に取り憑いて散々悪戯を働いた、という噂は全く聞こえてこなかったので、シェランはこの一件を、何事も無かった振りをして忘れ去ることにした。忘れるのが一番だ。
シェランはまじまじと甲冑を見つめ……その分、反応が遅れた。
ブン! と剣が振り下ろされる。周囲の空気を重たく揺らがせて、シェランのつま先のすぐ横の床に突き刺さり……
「うわっ」
長いドレスの裾をからげて、辛くも飛び退いて逃げられたのは、かつて貧民街で過ごした日々の経験が身に沁み付いていたせい、かもしれない。
だが、踵の高い華奢な靴に、纏わりついて身体の自由を奪うドレス、という組み合わせはこの場合、どこまでも最悪だ。シェランは薄い絹地に包まれた背中に、汗の滴が滲んで伝わっていくのを感じた。
(何だこいつ)
本気で人間を殺す気か?
「くそ、幽霊なんて大嫌いだ……!」
低く口の中で毒づく。
御年約28歳にもなって、この世で心底苦手なものが増えたシェランであった。
暗がりで、心臓の音をバクバクと轟かせながら、幽霊甲冑の出方を窺う。床に突き刺さった剣が引き抜かれて、再びその切っ先がシェランに向けられ……
「お義母さま!」
飛び出してきた細い人影が、抜き身の刃を煌めかせながら、カンッと幽霊の剣を受け止めた。
ただの金属ではない、剣戟の音と共に眩い白光が散る。
「っ?!」
シェランは仰天し切った裏声を喉の奥で響かせた。
「シ、シンデレラ?」
「ご無事ですか、お義母さま?」
「え、ええ……」
「良かった」
振り向いて笑った顔は明るく、ただひたすらシェランの無事を喜んでいるようだ。
「やあっ」と気合いの声を発し、幽霊の剣を跳ね除けてから、
「この剣、飾り剣なんですけど、魔除けの銀で作られた我が家の家宝なんです。これがあれば、幽霊になんて負けません」
手にした剣をひらひらと振ってみせる。
その剣以外は、いつもと変わらぬワンピース姿のシンデレラだった。シェランが選んでやった、ひらひらしたスカートの裾を靡かせ、床を踏み締めて立っている。足元はそれなりに踵の高い水色の繻子の靴。それでもシェランよりは大分小柄で背が低い、華奢な娘だ。
「…………」
「お義母さま? 実はどこか怪我でもしましたか? あの幽霊、生かしておけない……!」
「い、いえ、そうじゃないのよ」
幽霊はもともと生きてないのでは? などと野暮な突っ込みをしている場合ではない。シェランは首を左右に振って、なんとか正気を取り戻した。
「つ、強いのね、シンデレラ」
「お義母さまを守るためですから」
シンデレラは暗闇の中でもきらりと光る歯を見せて、まるで姫君を守る騎士のように凛々しい口調で言い放ち──
トゥンクッ
シェランの心臓が、人生初、なんとも表現しがたい音を立てた。
(……は?)
動揺するシェランをよそに、彼の心臓はひたすら脈打ち、たまに「キュン」とまで鳴く。意味が分からない。いや、薄々分かっているのだが分かりたくない。人生初のときめきがこんなところで訪れる? 嘘だろう……
「お義母さまに害なすものは許さない!」
腹の底から捻り出したような声と共に、シンデレラが剣を奮って甲冑を打ち倒した。一閃、二閃、そして空っぽの兜の中を突き刺して、勇ましく凱歌を上げる。
「消えなさい、幽霊ども!」
(……おい、強すぎるだろ、うちの継娘が)
キュンとした。
──その後、随分と後になってから、シェランは「恋に落ちる瞬間というのは本当に予想できないものなんだ……特に、相手が全く予想がつかない側面を隠し持ってる、とかだとな」と苦み走った顔で語ったりしていたのだが、それはともかくとして。
トレンマーダ男爵家に居着いていた幽霊たちは慌てふためいて、その夜、一斉に逃亡の旅に出た。夜空を連なって逃げていく彼らのせいで、煌々と輝いていた満月は隠れ、たまに蝙蝠の翼らしきものがはためく音が聴こえていたという。
懸念すべき点としては、ドクが彼らを回収し損ねたことだ。だがその後、幽霊たちが他の屋敷に取り憑いて散々悪戯を働いた、という噂は全く聞こえてこなかったので、シェランはこの一件を、何事も無かった振りをして忘れ去ることにした。忘れるのが一番だ。
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