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18.詐欺師、邪悪な計画を立てる
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王都の片隅に、知る人ぞ知る小さな「サロン」が存在する。素っ気ない倉庫のような扉をくぐると、その先には贅を凝らした客間と小さな部屋が幾つか、それぞれにカードテーブルや玉撞き台、酒の小卓などが並ぶ。
貴族、偽貴族、詐欺師と詐欺師ではない男たち。彼らの間でひそかな商談が交わされ、宝石や金貨がポケットに落とされ、情報屋がすれ違いざまに耳元で囁き交わす。そんな場所だ。
かつてはシェランもここに、毎夜のごとく入り浸っていたのだが、
「おや、シェラン、久しぶりだな」
通り過ぎるときに掛けられた声に、シェランは冷たく頷いただけで応えた。
そもそも、男装──いや違う、男が男の恰好をするのは男装とは言わないはずだが、とにかく、彼が紳士然とした出で立ちで外出するのが久しぶりなのである。最新流行の「黒紫」と言われる深染のハーフコートの襟元から純白のクラバットを覗かせ、飾り銀を刻印したゲートルを履き、黒檀製の杖とルビーを象嵌した嗅ぎ煙草入れまで携行している。どこからどう見ても立派な貴顕紳士だ。サロンの薄暗がりでも際立つ、白皙の美貌には凍り付くような冷たい無表情がよく似合う……
「ちっ」
今の彼は無表情なのではなくて、ただ冴えない表情をしているだけである。
カードを眺めては舌打ちし、ろくな手も打てずに放り出す。いらいらと卓の端を指先で叩いて周囲の注目を集めていたが(本人的には無意識らしい)、そのうち暗い目線をじっと酒の杯に据えたまま動かなくなった。
思春期の少年並みにもやもやした態度を取る彼に、四方八方から驚きの視線が注がれた。
「おいおいシェラン、一体どうした」
「優雅な男爵夫人生活を送ってるんじゃないのか?」
「継娘と上手くいってないとか? 分かったぞ、その娘が可愛くて、ついつい手を出しちまったんだろ。悪い奴だな」
そう軽口を叩いたのは、そもそもの初め、シェランにトレンマーダ男爵家の話を持ち込んできた男である。
シェランはその後、彼にたっぷりと「情報料」を払った。情報屋はそれで十分に満足していたのだが、シェランのこの様子を見ると、物事はそう簡単には進んでいないらしい。
「手を出す? 継母がそんなことするわけないだろ、何を言ってる」
銀色の眉を寄せながら、シェランが吼えた。冗談事が通じていない声音だ。
情報屋は冷静に混ぜっ返した。
「そもそも本物の継母じゃないだろ、何を言ってる」
「あの娘にとっては俺が本物の継母なんだよ……!」
こじれている。何かが大いにこじれているし、シェランもこじらせているらしい。
(面白すぎる)(何が起きているんだ、これ)
周囲の雰囲気が、明らかに獲物、もしくは美味しい話の種を求める猛禽類のものに変わった。酒盃を手にした男たちがいそいそと寄り集まってくる。
シェランはもともと周りの空気を読むのに長けていて、普段なら真っ先に変化に気付いたはずなのだが、今の彼はどこまでも鈍っているようだ。杯を睨んだまま、視線を左右に動かしもしない。
「しっかりしろよ、シェラン。その娘を追い出して、正式に男爵家を乗っ取るんだろ? 手こずるなんてお前らしくない」
「別に、手こずっているわけでは……ただ、あれだ、あの娘が手強すぎるんだよ」
どう手強いのか。なぜ手強いのか、一切具体的に言わないシェランの様子に、周囲はますます愉快な気分で盛り上がった。口笛を吹くわけでも、声に出してはしゃぎ立てるわけでもなく、口々に邪悪な提案を投げかけるだけなのだが。
「誰か男を当てがえ。そこそこいい男に口説かせて駆け落ちでもさせろ」
「世間知らずのお嬢さんだろ、すぐに落ちるさ。それで、駆け落ち先に行き着いてみたら、異国の修道院でしたと」
「いいね! 一時の甘い夢と、その後の傷心ケアも充実ってか」
「なんなら俺が本当に口説き落としてみても」
「待て」
何か言われるたびに眉間の皺が長さと深みを増していたシェランが、限界まで達した表情で待ったをかける。
だが、それで引き下がるような人間はここにはいなかった。
「だってよ、シェラン。お前にだって分かるだろう。その継娘を追い出すには最適の方法だ」
「いつまでもこのままじゃいられないんだろ?」
「なんならお前が男の姿で口説き落とせばいい。娘も修道院で心の傷を癒やして、幸せになれるさ」
「お前のその顔で、落ちない女なんていないだろ?」
「……そうだな」
酒を睨み付けたまま、シェランが頷く。
「確かに俺の顔ならきっと……落とせるな。簡単な仕事だ」
シェランは自分の美貌をよく理解している。だからこれは客観的な判断のはずなのだが、なぜか、今のシェランは普段の二割ぐらいしか自信を持てなかった。
直観的に、何か悪い予感がする。そして詐欺師として、シェランはその悪い予感の方を信じるべきだったのである……
貴族、偽貴族、詐欺師と詐欺師ではない男たち。彼らの間でひそかな商談が交わされ、宝石や金貨がポケットに落とされ、情報屋がすれ違いざまに耳元で囁き交わす。そんな場所だ。
かつてはシェランもここに、毎夜のごとく入り浸っていたのだが、
「おや、シェラン、久しぶりだな」
通り過ぎるときに掛けられた声に、シェランは冷たく頷いただけで応えた。
そもそも、男装──いや違う、男が男の恰好をするのは男装とは言わないはずだが、とにかく、彼が紳士然とした出で立ちで外出するのが久しぶりなのである。最新流行の「黒紫」と言われる深染のハーフコートの襟元から純白のクラバットを覗かせ、飾り銀を刻印したゲートルを履き、黒檀製の杖とルビーを象嵌した嗅ぎ煙草入れまで携行している。どこからどう見ても立派な貴顕紳士だ。サロンの薄暗がりでも際立つ、白皙の美貌には凍り付くような冷たい無表情がよく似合う……
「ちっ」
今の彼は無表情なのではなくて、ただ冴えない表情をしているだけである。
カードを眺めては舌打ちし、ろくな手も打てずに放り出す。いらいらと卓の端を指先で叩いて周囲の注目を集めていたが(本人的には無意識らしい)、そのうち暗い目線をじっと酒の杯に据えたまま動かなくなった。
思春期の少年並みにもやもやした態度を取る彼に、四方八方から驚きの視線が注がれた。
「おいおいシェラン、一体どうした」
「優雅な男爵夫人生活を送ってるんじゃないのか?」
「継娘と上手くいってないとか? 分かったぞ、その娘が可愛くて、ついつい手を出しちまったんだろ。悪い奴だな」
そう軽口を叩いたのは、そもそもの初め、シェランにトレンマーダ男爵家の話を持ち込んできた男である。
シェランはその後、彼にたっぷりと「情報料」を払った。情報屋はそれで十分に満足していたのだが、シェランのこの様子を見ると、物事はそう簡単には進んでいないらしい。
「手を出す? 継母がそんなことするわけないだろ、何を言ってる」
銀色の眉を寄せながら、シェランが吼えた。冗談事が通じていない声音だ。
情報屋は冷静に混ぜっ返した。
「そもそも本物の継母じゃないだろ、何を言ってる」
「あの娘にとっては俺が本物の継母なんだよ……!」
こじれている。何かが大いにこじれているし、シェランもこじらせているらしい。
(面白すぎる)(何が起きているんだ、これ)
周囲の雰囲気が、明らかに獲物、もしくは美味しい話の種を求める猛禽類のものに変わった。酒盃を手にした男たちがいそいそと寄り集まってくる。
シェランはもともと周りの空気を読むのに長けていて、普段なら真っ先に変化に気付いたはずなのだが、今の彼はどこまでも鈍っているようだ。杯を睨んだまま、視線を左右に動かしもしない。
「しっかりしろよ、シェラン。その娘を追い出して、正式に男爵家を乗っ取るんだろ? 手こずるなんてお前らしくない」
「別に、手こずっているわけでは……ただ、あれだ、あの娘が手強すぎるんだよ」
どう手強いのか。なぜ手強いのか、一切具体的に言わないシェランの様子に、周囲はますます愉快な気分で盛り上がった。口笛を吹くわけでも、声に出してはしゃぎ立てるわけでもなく、口々に邪悪な提案を投げかけるだけなのだが。
「誰か男を当てがえ。そこそこいい男に口説かせて駆け落ちでもさせろ」
「世間知らずのお嬢さんだろ、すぐに落ちるさ。それで、駆け落ち先に行き着いてみたら、異国の修道院でしたと」
「いいね! 一時の甘い夢と、その後の傷心ケアも充実ってか」
「なんなら俺が本当に口説き落としてみても」
「待て」
何か言われるたびに眉間の皺が長さと深みを増していたシェランが、限界まで達した表情で待ったをかける。
だが、それで引き下がるような人間はここにはいなかった。
「だってよ、シェラン。お前にだって分かるだろう。その継娘を追い出すには最適の方法だ」
「いつまでもこのままじゃいられないんだろ?」
「なんならお前が男の姿で口説き落とせばいい。娘も修道院で心の傷を癒やして、幸せになれるさ」
「お前のその顔で、落ちない女なんていないだろ?」
「……そうだな」
酒を睨み付けたまま、シェランが頷く。
「確かに俺の顔ならきっと……落とせるな。簡単な仕事だ」
シェランは自分の美貌をよく理解している。だからこれは客観的な判断のはずなのだが、なぜか、今のシェランは普段の二割ぐらいしか自信を持てなかった。
直観的に、何か悪い予感がする。そして詐欺師として、シェランはその悪い予感の方を信じるべきだったのである……
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