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後日談、或いはおまけ
31.エラ、サロンで遊ぶ
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「サロンって、地下にあるんですね」
「いかにも秘密の組織って感じでいいだろ? 狭いし急な階段だからな、気をつけろよ」
シェランの声に従って、慎重に薄暗い階段を下りていく。
あれから何度か男装して、一日中その姿のまま過ごしてみたりもしたのだが、外でその練習の成果を披露するのは初めてだ。エラはごくりと唾を呑み込んだ。
(……ドゥーカンさん、背が高いんだな)
無意識に、黒いコートに包まれた背中を凝視してしまったのは、緊張から逃れて安心感のある何かを求めた所為だったかもしれない。「お義母さま」だったときも、シェランは背の高い女性という印象ではあったが、こうして男の姿に戻ったときの雰囲気はまるで違う。張り詰めた繊細さが消え、ゆったりとした大らかさが漂っている。
(印象が全然違う……流石は詐欺師、ってことなのかな)
「エラ」
「は、はい?!」
エラが大袈裟に驚いたせいで、シェランの淡い水色の目に苦笑の色が浮かんでいた。彼女を振り向いて見たまま、穏やかな口調で、軽く言う。
「吃驚して四つ足で飛び上がる猫を見たことがあるか? あんな感じだな」
「……何が言いたいんですか」
「そろそろ人と出くわすからな。警告。今からはエラじゃなくて、エリックと呼ぶぞ」
「はい」
「安心しろ、お前は滅茶苦茶可愛いから。サロンに入っても、向かうところ敵無しだぞ」
「……いつもそういう台詞で、その辺の少年を口説いてるんですか?」
「そういう方面の倒錯はやってないな。今回は特別だ」
(……この人、楽しそうだなあ)
エラは目を細め、じっとりとした半目を向けた。シェランがにやっとして、それから再び前を向く。そこで階段が途絶え、重たげな扉の前に、用心棒らしき大柄な男が二人待ち構えていた。
「よお、シェラン」
「おう」
顔見知りらしい、気楽な挨拶が交わされる。
「……なんだ、今日は付き添いがいるのか? 珍しいな。どこから誘拐してきた?」
「身代金誘拐は俺の専門じゃないからな。これは俺の弟子。これから大きく育てるんだ」
「アンガスぐらいでかく育つといいな、ははは」
「アンガスもああ見えて可愛い奴だからな、ははは」
「ははは」
(え、何、この会話)
一緒に笑った方がいいのか、すんと澄ましているべきか、エラが判断つきかねているうちに、シェランの腕が彼女の肩に回され、その腕に押されるようにして彼女はサロンの扉を潜っていた。
暗い。それが第一印象だった。
少し暖かく、うっすらと葉巻の香りが漂う。
エラはまっとうな貴族らしい教育、というものを受けていないのだが、それでも男爵家で暮らしている以上、調度品や絵画を見る鑑識眼はそれなりに養われている。その彼女の目から見ても、「高そう」「これは本物」と思える絵画がずらりと壁に並んで掲げられ、そこここに置かれた硝子ケースの中では、骨董品らしい宝剣や装身具が鈍い光を放っていた。
偽物が集まる場所にこそ、本物が必要だ、ということだろうか。
それにしても、まるで博物館みたい、と思いながらエラはシェランの横を歩き、不自然に思われない程度に周囲を見回した。
(わ、カードの卓だ。あっちはビリヤードの台……)
地下サロンらしい光景がだんだん見えてくるにつれ、彼女の興奮と緊張も高まった。
シェランが「ここは安心安全、どっちかというと遊び場じゃなくて仕事の場だからな」と言うだけあって、街中の酒場よりもかなり静かだ。酒の酌をしながらしなだれ掛かるような女性の姿もなく、酔っ払ってがなり立てる男もいない。
代わりに、あちこちの陰、灯りの死角、美しい屏風の向こうで、ひそひそと囁き交わす者たちがいる。
ごく平凡な生活を送る人間であれば、一生足を踏み入れることもないような場所だ。
エラの緊張は高まる一方、だったのだが……
「エリック。カード勝負でもやってみるか?」
「いいんですか?」
「勿論。簡単なイカサマのやり方を教えてやる」
完全に倫理に反した提案をされたのだが、エラはわくわくしながら付いていった。カードテーブルの一つを占領して、しばらく二人で遊ぶ。
「よう、シェラン」
「今日は可愛いのを連れてるんだな」
シェランの姿を見て、その友人(?)たちが寄り集まってきた。シェランは人気者なのか、次々と新たな相手が登場しては絡んでくる。賑やかな笑い声がそこここで弾けた。
エラはそれなりに頑張った。見知らぬ男たちに囲まれても物怖じせずに、カードテーブルで習いたてのイカサマを働き、相手のイカサマを見抜けるよう努力したのだ。しかし流石は詐欺師の集まり、と言うべきか、
(……この人、絶対に何かイカサマしてると思うんだけど、分からない……)
初心者のエラに見抜けるような手管を使ってくる者はいない。
ちっとも面白くない。エラが眉を顰めていると、その場ではディーラーを務めて、高みの見物を決め込んでいたシェランが突然笑い出した。
「……おい。そこの、えげつない手は止めろ。わざとか? 相手はまだこんな子供なんだぞ、対人不信に陥ったらお前らのせいだからな」
「責任取って慰めてやるよ」
「俺の弟子相手に倒錯は禁止な。エリック、そこ代われ。俺が代わりにプレイする」
えー、お前が相手かよ! それじゃ旨味がない! とブーイングが上るのを無視して、シェランはエラを椅子から押しのけて、その場に割り込んだ。
「弟子の代打を師匠が務めるのは当然。可愛い少年をいびるお前らが悪い」
平然とうそぶいて、ゲームを続行する。
恐らく、悪辣な手管の限りを尽くしたのだろう。何度も周囲から「おい、何やってんだシェラン」「酷いぞそれは」と、どん引きしたような声が上がる。だからといって、一向に「イカサマだからゲーム中止」とはならないのが、ここの流儀らしい。
最終的には、シェランが他の全員から非難の集中砲火を浴びる形でゲームを終えたのだが、
「弟子の前だからとやる気を出しやがって」
「以前、ここで思春期の少年みたいにしょぼくれてたお前はどこに行ったんだ、俺はあの時のお前の方が好きだぜ」
「おい、他の曜日に来てる奴にも連絡しとけ、今のシェランはハリネズミみたいな奴だから迂闊に触るな、とな」
ぶつくさ言いながらも、周囲は妙に和気あいあいとしている。
(詐欺師って変な人たちだわ……)
物事の基準がよく分からなくなってくる。鼠をくわえた猫のような澄まし顔で、仲間に囲まれているシェランを横目で見ながら、エラは内心で首を捻った。
「いかにも秘密の組織って感じでいいだろ? 狭いし急な階段だからな、気をつけろよ」
シェランの声に従って、慎重に薄暗い階段を下りていく。
あれから何度か男装して、一日中その姿のまま過ごしてみたりもしたのだが、外でその練習の成果を披露するのは初めてだ。エラはごくりと唾を呑み込んだ。
(……ドゥーカンさん、背が高いんだな)
無意識に、黒いコートに包まれた背中を凝視してしまったのは、緊張から逃れて安心感のある何かを求めた所為だったかもしれない。「お義母さま」だったときも、シェランは背の高い女性という印象ではあったが、こうして男の姿に戻ったときの雰囲気はまるで違う。張り詰めた繊細さが消え、ゆったりとした大らかさが漂っている。
(印象が全然違う……流石は詐欺師、ってことなのかな)
「エラ」
「は、はい?!」
エラが大袈裟に驚いたせいで、シェランの淡い水色の目に苦笑の色が浮かんでいた。彼女を振り向いて見たまま、穏やかな口調で、軽く言う。
「吃驚して四つ足で飛び上がる猫を見たことがあるか? あんな感じだな」
「……何が言いたいんですか」
「そろそろ人と出くわすからな。警告。今からはエラじゃなくて、エリックと呼ぶぞ」
「はい」
「安心しろ、お前は滅茶苦茶可愛いから。サロンに入っても、向かうところ敵無しだぞ」
「……いつもそういう台詞で、その辺の少年を口説いてるんですか?」
「そういう方面の倒錯はやってないな。今回は特別だ」
(……この人、楽しそうだなあ)
エラは目を細め、じっとりとした半目を向けた。シェランがにやっとして、それから再び前を向く。そこで階段が途絶え、重たげな扉の前に、用心棒らしき大柄な男が二人待ち構えていた。
「よお、シェラン」
「おう」
顔見知りらしい、気楽な挨拶が交わされる。
「……なんだ、今日は付き添いがいるのか? 珍しいな。どこから誘拐してきた?」
「身代金誘拐は俺の専門じゃないからな。これは俺の弟子。これから大きく育てるんだ」
「アンガスぐらいでかく育つといいな、ははは」
「アンガスもああ見えて可愛い奴だからな、ははは」
「ははは」
(え、何、この会話)
一緒に笑った方がいいのか、すんと澄ましているべきか、エラが判断つきかねているうちに、シェランの腕が彼女の肩に回され、その腕に押されるようにして彼女はサロンの扉を潜っていた。
暗い。それが第一印象だった。
少し暖かく、うっすらと葉巻の香りが漂う。
エラはまっとうな貴族らしい教育、というものを受けていないのだが、それでも男爵家で暮らしている以上、調度品や絵画を見る鑑識眼はそれなりに養われている。その彼女の目から見ても、「高そう」「これは本物」と思える絵画がずらりと壁に並んで掲げられ、そこここに置かれた硝子ケースの中では、骨董品らしい宝剣や装身具が鈍い光を放っていた。
偽物が集まる場所にこそ、本物が必要だ、ということだろうか。
それにしても、まるで博物館みたい、と思いながらエラはシェランの横を歩き、不自然に思われない程度に周囲を見回した。
(わ、カードの卓だ。あっちはビリヤードの台……)
地下サロンらしい光景がだんだん見えてくるにつれ、彼女の興奮と緊張も高まった。
シェランが「ここは安心安全、どっちかというと遊び場じゃなくて仕事の場だからな」と言うだけあって、街中の酒場よりもかなり静かだ。酒の酌をしながらしなだれ掛かるような女性の姿もなく、酔っ払ってがなり立てる男もいない。
代わりに、あちこちの陰、灯りの死角、美しい屏風の向こうで、ひそひそと囁き交わす者たちがいる。
ごく平凡な生活を送る人間であれば、一生足を踏み入れることもないような場所だ。
エラの緊張は高まる一方、だったのだが……
「エリック。カード勝負でもやってみるか?」
「いいんですか?」
「勿論。簡単なイカサマのやり方を教えてやる」
完全に倫理に反した提案をされたのだが、エラはわくわくしながら付いていった。カードテーブルの一つを占領して、しばらく二人で遊ぶ。
「よう、シェラン」
「今日は可愛いのを連れてるんだな」
シェランの姿を見て、その友人(?)たちが寄り集まってきた。シェランは人気者なのか、次々と新たな相手が登場しては絡んでくる。賑やかな笑い声がそこここで弾けた。
エラはそれなりに頑張った。見知らぬ男たちに囲まれても物怖じせずに、カードテーブルで習いたてのイカサマを働き、相手のイカサマを見抜けるよう努力したのだ。しかし流石は詐欺師の集まり、と言うべきか、
(……この人、絶対に何かイカサマしてると思うんだけど、分からない……)
初心者のエラに見抜けるような手管を使ってくる者はいない。
ちっとも面白くない。エラが眉を顰めていると、その場ではディーラーを務めて、高みの見物を決め込んでいたシェランが突然笑い出した。
「……おい。そこの、えげつない手は止めろ。わざとか? 相手はまだこんな子供なんだぞ、対人不信に陥ったらお前らのせいだからな」
「責任取って慰めてやるよ」
「俺の弟子相手に倒錯は禁止な。エリック、そこ代われ。俺が代わりにプレイする」
えー、お前が相手かよ! それじゃ旨味がない! とブーイングが上るのを無視して、シェランはエラを椅子から押しのけて、その場に割り込んだ。
「弟子の代打を師匠が務めるのは当然。可愛い少年をいびるお前らが悪い」
平然とうそぶいて、ゲームを続行する。
恐らく、悪辣な手管の限りを尽くしたのだろう。何度も周囲から「おい、何やってんだシェラン」「酷いぞそれは」と、どん引きしたような声が上がる。だからといって、一向に「イカサマだからゲーム中止」とはならないのが、ここの流儀らしい。
最終的には、シェランが他の全員から非難の集中砲火を浴びる形でゲームを終えたのだが、
「弟子の前だからとやる気を出しやがって」
「以前、ここで思春期の少年みたいにしょぼくれてたお前はどこに行ったんだ、俺はあの時のお前の方が好きだぜ」
「おい、他の曜日に来てる奴にも連絡しとけ、今のシェランはハリネズミみたいな奴だから迂闊に触るな、とな」
ぶつくさ言いながらも、周囲は妙に和気あいあいとしている。
(詐欺師って変な人たちだわ……)
物事の基準がよく分からなくなってくる。鼠をくわえた猫のような澄まし顔で、仲間に囲まれているシェランを横目で見ながら、エラは内心で首を捻った。
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