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10.寮祭、そして
154.復調
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バタバタと騒がしい足音が聞こえた。
この音は、と感じ取った健朗の手が、つまりノートに走らせていたペンが止まった。
「あ~~、つっかれたぁ~~っ」
声と共に339のドアが開き、ドキン、と跳ねた心臓に動じそうになりつつ振り返る。
藤枝が入ってきたのだが、なぜか髪や服が湿っている。というか生乾きのように見える。乾かしてやらねば、という衝動が立ち上がる。が、身体は動かない。
「おっ、丹生田勉強か~?」
そう言った顔がカラッとした笑顔で、最近見なかった元気な様子にひどく安堵したからであり、それによって身体の力が抜けてしまったからである。今日の様子にひどく心配していたのだが、復調したようだ。
「ああ」
なんとか声を返した健朗の頬は無自覚に緩んでいたのだが、最低限の声を返しただけで、すぐ机に向き直った。
なぜ濡れている、とか、服を着がえた方が、とか、言いたいことがたくさんあるにも関わらず、言葉は出せずにペンを握りしめノートを凝視する。
なぜなら着がえた方が、と考えると同時(着がえる⇒脱がせる⇒裸になる)と連想してしまったからだ。大切にする、守る、などと思いながら獣欲も抑えられない自分を叩き潰したい衝動と闘いながら、意味なくペンを動かした。それでも今日疲れた様子だったのが、元気そうに見えてホッとしてもいる。
「あ~、わりいな、勉強してんのにうるさくしてさ」
「……構わない」
むしろ元気な様子を見て自分まで元気が出たような気がしている。我ながら単純すぎて恥ずかしい。
「ふい~~」
ばったりと音がして、ベッドへ倒れ込んだ藤枝をチラッと見てノートに目を戻す。髪が重く湿っている。シャツもだ。風邪を引くのでは、とやはり思ってしまう。
またチラッと目を向けると、仰向けの藤枝が目を閉じていたので安心してじっくり見る。
スッキリした顔をしているように思え、もう一度ホッとする。
しかしシャツも髪も湿っているまま眠ると布団も湿り、安眠出来ないかも知れない。明日もあることだし、疲れているならぐっすり眠った方が良いだろう。髪を乾かした方が、服も着がえた方が、そう言おうと口を開きかけ、同時に(裸⇒触れる)とまた連想が来てしまい、健朗は慌ててくちを引き結んだ。
上半身だけでも裸になったなら、おそらく触れたくて手を伸ばしたい衝動と闘うことになるに違いなく、触れてしまえばそれで終わらない可能性が高い。疲れている藤枝に負担をかけたくないのも本心。だがなにか言えば下心が透けてしまうと確信したため言えない。
このように、藤枝を守りたいという衝動と、藤枝を:犯(おか)したいという衝動とがせめぎ合うのは、このところ常態となっている。そして健朗は、そのどちらも受け入れていた。
どちらも藤枝を思う気持ちそのものであり、優しい気持ちが起こるとき、常に欲望も付随するのが自分なのだと。
物語に出てくるような、透明で美しい恋心など健朗は知らない。だが欲望を汚れたものだとは思わなくなっていた。藤枝が受け入れてくれたからだ。
それでも湿ったままではいけない、とやはり思う。なにか言わなくては。
「……寝るのか」
なのに出たのはこんなひとことだった。
「ん~、そうすっかな~」
「……濡れている、ぞ」
もっとうまく言葉を選べないものか、と自分にがっかりしながら言ったが
「ああいや、こんくらい平気」
あっさり返された。
「…………しかし」
すっかり眉根に縦皺を刻んでしまいつつ言うと、藤枝がパチッと目を開け、目を逸らしたり誤魔化したりするヒマも与えられず、ニカッと笑った顔をじっと見返してしまう。
「なんだよオカンかよ。最近心配性なんじゃね?」
「………………」
そしてなにも言えなくなった健朗は、藤枝が腹筋で起き上がるのを見て椅子から腰を上げた。髪も濡れているのだからタオルを取りに行くのだ。着がえるなら見ない方が自分と藤枝のために良いだろう。
しかしやはり自分は至らない、と健朗は実感した。タオルを手にして振り返ったら、上半身裸になっている藤枝と向き合ってしまったのだ。
「ちょい避けてくれる?」
「あ、ああ」
健朗が動くと、藤枝はロッカーを開いてTシャツを取り出した。思わず背筋から首筋に向けて視線が滑り、慌てて目を逸らせつつ出そうになっていた舌打ちを噛み殺す。
考えれば当然のことだった。タオルを収納している棚の近くにはロッカーもあるのだ。藤枝が替えのシャツを取りに来ることを予測するべきだった。
などと考えつつ、Tシャツをかぶった藤枝にホッとして、健朗はタオルを頭に被せた。
「え? う?」
「……髪も湿っている」
ガシガシと髪を拭きながら言うと、「あ~……そか」声を出した藤枝はククッと笑った。
「サンキュ」
笑いの乗った声が聞こえ、胸に暖かいものが満ちる感覚に、照れくさくなって髪を拭く手に力がこもる。藤枝の頭がぐらぐら揺れた。
「う、つかおいっ!」
怒鳴る声には笑いの気配があった。嬉しくなりつつ健朗が手を止めると
「イイってもう。自分でやるし」
笑い混じりに言われ、「ああ、すまん」タオルから手を引く。
藤枝は「ははっ」と笑いながらタオルを取って、健朗を見てニカッと笑った。
その笑顔がとても自然で、いつも通りだと感じられ、藤枝が元気だ、と、健朗はとてもホッとしたのだった。
*
翌朝、ひどく爽快な気分で目覚めたら、既にスーツをキッチリ着込んでいる丹生田がいて、なにげにときめきつつ一緒に朝飯を食い、食堂で別れて執行部室へ行った。
そこでは副会長の二人、姉崎と橋田が、なにやら言い合いをしていた。というか、姉崎が一方的に細々とした注意をするよう言い、橋田が「はいはい」「うん、そうだね」などと適当そうに相づちを打ってるんだけど。
「つかおまえ、ンな細かいことばっか言っても無理だろ」
「なに藤枝。いきなり横からやめてくれるかな。君に関係ないでしょ」
ニッコリしてるけど口調に険があるし、目が笑ってない。けど今日の俺は通常営業なのだ。
「あるだろバーカ。俺を誰だと思ってんだよ」
姉崎ごときに負けたりしないんだっつーの。
「総括部長だぞ。寮生の不満とか、いっちばんダイレクトに来るのがうちだっつの。つうか時給1180円で求められるレベルってモンがあんだろーが」
「なら時給を上げれば良い……」
「無茶を言うな」
安宅さんが憮然と口を出す。
「現状でおそらくトントンだぞ。赤字出す気か」
「だから、営業努力することで売り上げもアップするわけだし」
「そんなん確定事項じゃ無いだろ」
ニヤニヤしながら拓海が言うと、姉崎は眼に剣呑な色をのぼせて笑みを深めた。
「………………そうだね」
うーわ、怖えー、とか思いつつ、拓海はニヤニヤが止まらない。
つうかゆうべのアレ、いくらなんでもやっちゃダメなやつだっただろ。
あんときは腹立つ元気も無かったけど、起きて思いだしたら、かなりイラッとしたのだ。つまり仕返しつうわけ。これくらいはフツーにやるっつの俺だって。やられっぱなしばっかじゃねえぞ。
なんて思いながらニヤニヤしてると、姉崎も目を細めて首を傾げ、いつものとぼけた笑顔になった。
ちっとはスッキリしたな、などと思いつつ拓海は声を上げる。
「おっし! 寮祭二日目! みんな気合い入れてやんぞー!」
「おおー」
「昨日よりうまくやれんだろーな、おまえら!」
「まかせろー」
なんて感じで、いきなり完全復調を遂げた総括部長を中心に盛り上がり、結果的に寮祭は成功裏に終えることができたのだった。
この音は、と感じ取った健朗の手が、つまりノートに走らせていたペンが止まった。
「あ~~、つっかれたぁ~~っ」
声と共に339のドアが開き、ドキン、と跳ねた心臓に動じそうになりつつ振り返る。
藤枝が入ってきたのだが、なぜか髪や服が湿っている。というか生乾きのように見える。乾かしてやらねば、という衝動が立ち上がる。が、身体は動かない。
「おっ、丹生田勉強か~?」
そう言った顔がカラッとした笑顔で、最近見なかった元気な様子にひどく安堵したからであり、それによって身体の力が抜けてしまったからである。今日の様子にひどく心配していたのだが、復調したようだ。
「ああ」
なんとか声を返した健朗の頬は無自覚に緩んでいたのだが、最低限の声を返しただけで、すぐ机に向き直った。
なぜ濡れている、とか、服を着がえた方が、とか、言いたいことがたくさんあるにも関わらず、言葉は出せずにペンを握りしめノートを凝視する。
なぜなら着がえた方が、と考えると同時(着がえる⇒脱がせる⇒裸になる)と連想してしまったからだ。大切にする、守る、などと思いながら獣欲も抑えられない自分を叩き潰したい衝動と闘いながら、意味なくペンを動かした。それでも今日疲れた様子だったのが、元気そうに見えてホッとしてもいる。
「あ~、わりいな、勉強してんのにうるさくしてさ」
「……構わない」
むしろ元気な様子を見て自分まで元気が出たような気がしている。我ながら単純すぎて恥ずかしい。
「ふい~~」
ばったりと音がして、ベッドへ倒れ込んだ藤枝をチラッと見てノートに目を戻す。髪が重く湿っている。シャツもだ。風邪を引くのでは、とやはり思ってしまう。
またチラッと目を向けると、仰向けの藤枝が目を閉じていたので安心してじっくり見る。
スッキリした顔をしているように思え、もう一度ホッとする。
しかしシャツも髪も湿っているまま眠ると布団も湿り、安眠出来ないかも知れない。明日もあることだし、疲れているならぐっすり眠った方が良いだろう。髪を乾かした方が、服も着がえた方が、そう言おうと口を開きかけ、同時に(裸⇒触れる)とまた連想が来てしまい、健朗は慌ててくちを引き結んだ。
上半身だけでも裸になったなら、おそらく触れたくて手を伸ばしたい衝動と闘うことになるに違いなく、触れてしまえばそれで終わらない可能性が高い。疲れている藤枝に負担をかけたくないのも本心。だがなにか言えば下心が透けてしまうと確信したため言えない。
このように、藤枝を守りたいという衝動と、藤枝を:犯(おか)したいという衝動とがせめぎ合うのは、このところ常態となっている。そして健朗は、そのどちらも受け入れていた。
どちらも藤枝を思う気持ちそのものであり、優しい気持ちが起こるとき、常に欲望も付随するのが自分なのだと。
物語に出てくるような、透明で美しい恋心など健朗は知らない。だが欲望を汚れたものだとは思わなくなっていた。藤枝が受け入れてくれたからだ。
それでも湿ったままではいけない、とやはり思う。なにか言わなくては。
「……寝るのか」
なのに出たのはこんなひとことだった。
「ん~、そうすっかな~」
「……濡れている、ぞ」
もっとうまく言葉を選べないものか、と自分にがっかりしながら言ったが
「ああいや、こんくらい平気」
あっさり返された。
「…………しかし」
すっかり眉根に縦皺を刻んでしまいつつ言うと、藤枝がパチッと目を開け、目を逸らしたり誤魔化したりするヒマも与えられず、ニカッと笑った顔をじっと見返してしまう。
「なんだよオカンかよ。最近心配性なんじゃね?」
「………………」
そしてなにも言えなくなった健朗は、藤枝が腹筋で起き上がるのを見て椅子から腰を上げた。髪も濡れているのだからタオルを取りに行くのだ。着がえるなら見ない方が自分と藤枝のために良いだろう。
しかしやはり自分は至らない、と健朗は実感した。タオルを手にして振り返ったら、上半身裸になっている藤枝と向き合ってしまったのだ。
「ちょい避けてくれる?」
「あ、ああ」
健朗が動くと、藤枝はロッカーを開いてTシャツを取り出した。思わず背筋から首筋に向けて視線が滑り、慌てて目を逸らせつつ出そうになっていた舌打ちを噛み殺す。
考えれば当然のことだった。タオルを収納している棚の近くにはロッカーもあるのだ。藤枝が替えのシャツを取りに来ることを予測するべきだった。
などと考えつつ、Tシャツをかぶった藤枝にホッとして、健朗はタオルを頭に被せた。
「え? う?」
「……髪も湿っている」
ガシガシと髪を拭きながら言うと、「あ~……そか」声を出した藤枝はククッと笑った。
「サンキュ」
笑いの乗った声が聞こえ、胸に暖かいものが満ちる感覚に、照れくさくなって髪を拭く手に力がこもる。藤枝の頭がぐらぐら揺れた。
「う、つかおいっ!」
怒鳴る声には笑いの気配があった。嬉しくなりつつ健朗が手を止めると
「イイってもう。自分でやるし」
笑い混じりに言われ、「ああ、すまん」タオルから手を引く。
藤枝は「ははっ」と笑いながらタオルを取って、健朗を見てニカッと笑った。
その笑顔がとても自然で、いつも通りだと感じられ、藤枝が元気だ、と、健朗はとてもホッとしたのだった。
*
翌朝、ひどく爽快な気分で目覚めたら、既にスーツをキッチリ着込んでいる丹生田がいて、なにげにときめきつつ一緒に朝飯を食い、食堂で別れて執行部室へ行った。
そこでは副会長の二人、姉崎と橋田が、なにやら言い合いをしていた。というか、姉崎が一方的に細々とした注意をするよう言い、橋田が「はいはい」「うん、そうだね」などと適当そうに相づちを打ってるんだけど。
「つかおまえ、ンな細かいことばっか言っても無理だろ」
「なに藤枝。いきなり横からやめてくれるかな。君に関係ないでしょ」
ニッコリしてるけど口調に険があるし、目が笑ってない。けど今日の俺は通常営業なのだ。
「あるだろバーカ。俺を誰だと思ってんだよ」
姉崎ごときに負けたりしないんだっつーの。
「総括部長だぞ。寮生の不満とか、いっちばんダイレクトに来るのがうちだっつの。つうか時給1180円で求められるレベルってモンがあんだろーが」
「なら時給を上げれば良い……」
「無茶を言うな」
安宅さんが憮然と口を出す。
「現状でおそらくトントンだぞ。赤字出す気か」
「だから、営業努力することで売り上げもアップするわけだし」
「そんなん確定事項じゃ無いだろ」
ニヤニヤしながら拓海が言うと、姉崎は眼に剣呑な色をのぼせて笑みを深めた。
「………………そうだね」
うーわ、怖えー、とか思いつつ、拓海はニヤニヤが止まらない。
つうかゆうべのアレ、いくらなんでもやっちゃダメなやつだっただろ。
あんときは腹立つ元気も無かったけど、起きて思いだしたら、かなりイラッとしたのだ。つまり仕返しつうわけ。これくらいはフツーにやるっつの俺だって。やられっぱなしばっかじゃねえぞ。
なんて思いながらニヤニヤしてると、姉崎も目を細めて首を傾げ、いつものとぼけた笑顔になった。
ちっとはスッキリしたな、などと思いつつ拓海は声を上げる。
「おっし! 寮祭二日目! みんな気合い入れてやんぞー!」
「おおー」
「昨日よりうまくやれんだろーな、おまえら!」
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