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4 今焼茶碗
楽茶碗
しおりを挟む4 今焼茶碗
長次郎が作った茶碗は、今焼茶碗・(いまやきちゃわん)と呼ばれた。
天下一のお茶堂・千利休の好みとして多くの大名、富商、茶人たちが今焼茶碗を求めたため、長次郎は茶碗作りに忙殺されて休む間もなかった。
二種類の今焼茶碗の壁土色の方は赤味があるため「赤茶碗」、黒い方は「黒茶碗」と呼ばれるようになった。
千利休がたまたま長次郎に茶の湯の閑味を話したことがこうして大きく実を結んだのだ。
利休もこの成果を喜んで、さらなる侘びの茶の湯の革新を進めていった。
竹の花入、竹の茶杓、瓢箪の炭斗、曲物の建水、曲物の水指、木地手桶の水指、国焼の水指、茶碗、花入、辻与次郎の釜、盛阿弥の棗などそれまでにない清新で閑味のある道具を作らせ、さらに茶室や書院の普請、露地の作庭に工夫を重ねた。だが、こうした新たな試みを成すためには莫大な費用が掛かる、そのため利休には金が必要だった。
今焼茶碗の人気はさらに高まり千利休はその売値をどんどん釣り上げて行った。
はじめは百貫文だったのがあっという間に二百貫文、四百貫文と倍々に値を上げた。
長次郎がもらえるのは売値の四分の一に過ぎないが、それでも驚くほどの高額である。
長次郎は自分の作る茶碗がそんな値段になっているのが空恐ろしくなり、利休にこれでいいのか訊ねた。
利休に、
「四百貫文を高いと思うのは貧しき者だ。
大名や富豪からすれば四百貫文など大した金ではない。
元々、茶の湯はそうした金のある者だけが嗜むものなのだ。
我が師の武野紹鴎(たけのじょうおう)様が取り上げられた道具は、今では紹鴎名物として数千貫文から三万貫にもなっておる。それに比べれば四百貫文などまだまだ安い。
値が上がればお前の取り分も増えるのだ、良い話ではないか!」
と言われても、長次郎には何か心に引っかかるものがある。
しかしそれがなんなのか?自分でもよく分からず、うまく言葉に出来ない。
生まれつきの口下手な長次郎である、自分でさえよく分らないことをうまく言葉で説明できるわけがない。
利休には
「分かりました」
と返事をして引き下がるのが精一杯だった。
今焼茶碗の名声につられて押小路焼の黄色や緑の色鮮やかな焼き物もより一層売れるようになり工房は多忙を極めることとなった。
今では押小路焼は二十人もの雇い工人を抱えるほどの成長を遂げ、父の阿米也もその繁盛を喜んでいる。
「わしは良い息子を持った、京で焼き物稼業を始めて本当に良かった」
が近頃の口癖である。
多くの工人を束ねるのは長次郎の妻のリユの役目だ。
普段は物静かなリユであるが、工房の差配や売上金の回収と管理、支払い、果ては工人同士の諍い事まで見事にこなした。
姑の燕もリユの才覚には舌を巻いた。
「あんたという人はどこでこんな仕事を憶えてきたんえ?」
と訊かれてもリユは答えようがない。
大したことをやっているつもりもなく、今は亡き、実家の母がやっていたことを真似ているに過ぎないのだ。
尤も、実家の田中家の身代は押小路焼に比べれば小さなものだったが。
姑の燕はリユを良い嫁と褒めたたえる。
父の阿米也も息子の長次郎を自慢する。
一家は円満で仕事は順風満帆。
なんといっても天下一のお茶堂、千利休様お好みの今焼茶碗の窯元として押小路焼は世に燦然と輝いているのだ。
おまけにリユのお腹には子が出来た。
長らく子が出来ないのが悩みだったのに目出度いことこの上ない。家族の皆が喜びに満ちている。
この世にこれほど幸せな家があるだろうか。
しかし、その中で長次郎の心には不安が芽生えていた。
先日の千利休の話で今焼茶碗の売値についてはは納得したつもりだったが、どこか違和感が拭えない。
自分が作り出した今焼茶碗にそれほどの価値があるとはどうしても思えないのだ。
自分もそんな価値のある人間ではないことは何より長次郎自身がよく知っている。
うまく人と話せず、父の阿米也の持つ漢籍の教養を習ってもまるで理解できない鈍い頭なのだ。
今焼茶碗の値打ちとは所詮は天下一のお茶堂・千利休の好みという看板に過ぎないのではないか?
今焼茶碗は自分が発案し利休の指導で作り上げたことは間違いないが、自分がいなくても利休はどこかの陶工を使って同じような茶碗を作らせたに違いない。
だから所詮、自分は「どこかの陶工」の一人にすぎないのだ。
自分が思いついた土壁色の茶碗(赤茶碗)の発想を利休は褒めてくれたが、そんなことは誰でも思いつくことだ。
今焼茶碗への熱狂はいずれ冷めて、利休も自分も不当な金儲けをしたと咎められることになりはしないか?
世間では、利休と長次郎は悪どいことをしていると思われているのではないか?
それも不安でならない。
これは長次郎が世間の人に問い質せばよいのだが、長次郎はその勇気が出ずに一人で悩むばかりである。
さらに長次郎には今焼茶碗とは別の茶碗が作りたいという衝動が湧き起こっていた。
赤茶碗や黒茶碗を作り上げようと試行錯誤したときは寝食を忘れるほど夢中になって楽しかった。
そして利休に「これで良い」と認められた瞬間は天にも昇るほどの心地だった。
利休が初めて黒茶碗で点てた茶を飲んだ時には不思議な力が体を駆け抜けたものだ。
あの感動は生涯忘れられないだろう。
そして利休に茶碗を納め大金が入るようになり、父母とリユが喜ぶのは何より嬉しかった。
父が唐土(もろこし)から渡って来て苦労を重ね、母と二人で自分を育ててくれたのに報いられたと思った。
ところがそれが一年も続くと長次郎は同じものを作り続けるのが苦痛になって来た。
決まった作業の反復に飽きてしまい、新たに自分が思うままの茶碗作りをしたくなってきたのだ。
しかし、利休には余計なことをするな、わしの指示通りの茶碗だけを作るようにと厳命されている。
利休にしてみれば今焼茶碗はどこかを変えればさらに良くなるというものではない。
考え抜き、何度も作り直し、茶室で数限りなく茶を点ててようやく到達した理想の茶碗なのだ。
今更それを変える必要はない、いや変えてはならぬのだ。
利休は長次郎には豊かな天分があるのを見抜いている。
それを自在に羽ばたかせれば長次郎は必ずや面白い茶碗を作り出し世間も称賛するだろう。
しかしそれは利休の茶の湯とは相入れないこととなりかねない。
長次郎が独り歩きして今焼茶碗の印象を変えてしまえば利休の茶を壊しかねない。
利休の茶あっての今焼茶碗なのだ、長次郎は黙って決められたものだけを作っていればいいのだ。
それが千利休の偽らぬ考えである。
今となっては長次郎の豊かな天分はかえって邪魔でさえある。
利休は長次郎にとってはそれが苦痛なことも分かっている。
だからこそ世間の陶工には思いもつかぬほどの大金を支払っているのだ。
暗に「この金で辛抱しろ」ということだ。
以前に長次郎が茶碗の売値を訊いてきたときにそれを伝えようかとも思ったが、長次郎がまだ自分自身の気持ちがよく理解出来ておらず迷っている様子だったので言うのは止めた。
長次郎のことだから「金で我慢しろ」と言えば機嫌を損ねて逆効果になりかねない。
かえって新しい茶碗を作りたい気持ちに火が付いて暴走をしかねない。
長次郎にしてみれば自分と家族にとって千利休は大恩人である。
長次郎が利休に不満など言えるわけがない。
長次郎が利休の命令に逆らって新しい茶碗など作ってはいけないのだ。
それはどうあっても我慢しなければいけないことだと覚悟している。
自分は口下手で茶人にもなれなかった能なしである。
そんな自分に今焼茶碗の仕事がもらえたのは妻のリユが千利休の姻戚だからだ。
リユを娶らなければ利休と会うこともなく茶の湯の世界を知ることもなかった。
自分には大した能力が無いのにリユの縁でこの幸せがもたらされたのだ。
リユは家を見事に切り回してくれるし子供も出来た、こんなに良い妻はこの世に二人といないだろう。
自分にとってこんなに幸せなことはない、だが・・・。
一体何が自分をこんなに沈鬱(ちんうつ)に落しているのか?長次郎には分からなかった。
「この幸せを喜べ、利休さまのご恩に感謝して今焼茶碗作りに精進するのだ」
と自分に言い聞かせるのだが、どうにも今焼茶碗を作る気持ちが湧かない。
工房に入る気にさえならないのだ。
やがて自分の気持ちを抑え込んでいるうちに、心が拗れて、土にさえ触れなくなってしまった。
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