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7 新たな時代
楽茶碗
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慶長二十年(1615)大阪夏の陣で豊臣秀頼が滅び、世は徳川のものとなった。
宗慶没後の楽家は長男の常慶が引き継いでいる。
常慶にとっては徳川の新時代に楽家を存続させることが何よりの責務である。
楽家は豊臣家の茶堂の千利休のお茶碗師で、その名乗りも豊臣の居館・「聚楽第」の「楽」を戴いている。
そのため「豊臣家御用」の感が強い。
だが、指導した利休が切腹となり、楽家が秀吉から配流になったことでその感は薄らいだ。
もし、その不幸に遭っていなかったら徳川の世での楽家の存続は難しかったろう。
新時代にはそれがかえって幸いしたのだ、世の中は何がどう転ぶか分からない。
まさに「人間万事塞翁が馬」である。
しかし、やはり徳川の新時代に豊臣所ゆかりの楽家がどうなるかは微妙な問題である。
一つ舵取りを間違えば幕府の取り潰しに遭いかねない。
この点では常慶はなかなかのやり手で「香炉ぐすり」という新工夫の白いくすりの香炉を将軍家への献上に成功した。これにはかねて顧客であった大名衆や京の町衆の本阿弥家の協力を仰ぐことが出来たが、それもひとえに常慶の人柄と社交の為せる技である。
二代将軍・徳川秀忠はいたくこの香炉を気に入り「楽」の銀印が新たに楽常慶に下された。
時に元和六年(1620)のことである。
これで楽家は徳川将軍家のお墨付きを頂いて新時代にも安泰な家となったのだ。
楽家では将軍家からの銀印拝領を祝い、親類縁者を呼んで盛大な宴会が開かれた。
常慶は酒宴の座持ちが上手で参会の客を大いに楽しませ、豪華な手土産まで渡して客はみな喜んで帰って行った。
ようやく宴の片付けも終わり、手伝いの者もすっかり帰ると楽家の座敷には常慶とリユの二人きりになった。
「リユ、ご苦労さんやったなあ。ええ宴やった。みなさん喜んで帰って行かはったで。無事に済んでよかったわ」
「よかったなあ、兄さん。これでこの家も安泰やわ。
昔のことを思うとウソのようやなあ。うちらも苦労してきた甲斐があったというもんやわ」
「そやなあ、ほんまにそうや」
常慶はそれだけ言うと急に黙り込んだ。
「兄さん、どないしたんや、会津の頃のことでも思いだしたんか?」
「いや、そうやない、そうやないんや。
実は前からお前には言うておかないかんと思っとったことがあるんや」
「なんえ、急に改まって。飲み過ぎて酔っ払ったんかいな」
「まあええから聞いてくれ。言いたいのは長次郎はんのことや。
普段ならこんなことは言えんが、今日はええ機会やから聞いてくれ。
あんなあ、お前は長次郎はんがああなってしもうて長次郎はんをさぞ憎んどるやろ。
それは当然なことや。そやけどなんで長次郎はんが茶碗を作れんようになって女郎に入れ込んでしもうたのか?
わしはずっと考えてきたんや」
リユは驚いて兄の顔を見上げた。
「長次郎はんが楽茶碗を創り出さはったことは大変なことや。
利休さまに侘茶の話を聞いただけでいきなり楽茶碗を拵えはったんや。
それから利休さまが茶碗をあちこち直せと言わはっても全部お気に召すよう直してしまわれた。
これは並みのもんに出来ることやない。
わしも同じ仕事をしとるからよう分かるんや。
わしにはとてもあんな真似は出来ん。
何も無いところから楽茶碗を創り出すなど思いもよらんし、利休さまの気に入るようにはとても直せんわ。
長次郎はんはなあ、古今未曾有の鬼才なんや。あないな人は二度とこの世に出えへんで。
そやけど皮肉なことに長次郎はんは自分ではその才の値打ちを全く分かっておられんかったんや。
利休さまと自分を比べて自分はダメや、能無しや、とそればかり言っておられた。
そやが、お茶堂と陶工は違うんや。
長次郎はんに利休さまの茶は出来んが、利休さまが長次郎はんの茶碗を作ることも出来ん。
茶の湯と茶碗作りはまるで違うんや。
どちらが上とか下とかではないんや、せやが、長次郎はんにはそれがまるで分かっておらんかった。
長次郎はんは利休さまの凄さが分かり過ぎるくらいに分かっておられたが、己の力の素晴らしさには気付いておられんかったんや。
長次郎はんは何も己を卑下することなぞなかったんや。
堂々と大手を振って、
「わしは天下一の楽茶碗を創り出した鬼才や、どうや凄いやろ」
と威張っておられたらよかったんや。
それでも世間は許したと思うで。
そやけどそうはされんかったのは長次郎はんがええお人やったからや・・」
「ええお人やてえ!兄さんはあの人がええ人やと言うんか?
女郎狂いで財産を蕩尽して、ようけの借金まで作って、お義父はんとお義母はんを死なせて家まで潰して、
挙句に酒に飲まれて死んだあの人がええ人やと言うんかいな?
あの人はなあ、あの人は身重のうちを殴ったんやで!」
「リユ、それはその通りやが、もうちょっとだけ辛抱して聞いてくれ。
お前がそう言うのは当たり前や。さぞ腹が立つやろ。
そやけどな、なんでそんな酷いことになったんか、わしは知っとるんや。
そやから聞いてくれ、なあリユ」
リユは渋々黙った。常慶は続けた。
「長次郎はんは利休さまから、今焼茶碗以外の茶碗は作るな、と厳しゅう言われとったんや。
利休さまが選び抜いた今焼茶碗だけを作れ、勝手なものは作るな、とな。
そやが、それは長次郎はんにとっては死ねというのと同じことやったんや。
よう思いだしてくれ、長次郎はんは仕事をすると夢中になってなにもかも忘れてしまうやろ。
長次郎はんにとってはそうやって夢中になることが生きることやったんや。
いつも夢中やないと生きていかれんかったんや。
初めに赤茶碗を創り、次に黒茶碗を作り、今焼茶碗と呼ばれて、ようけ注文をもらった頃までは茶碗作りが楽しゅうて楽しゅうて、しゃあなかったと思うで。それは一緒におったリユがよう知っとるやろ」
「ああ、そうや、あの頃まではあの人はまともやった。
毎日嬉しそうにえらい勢いで茶碗を作っとったわ。」
「そやろ、そやけど茶碗作りが同じ事の繰り返しになってしまうと長次郎はんや嫌になってしもうたんや。
決まりきった同じ事の繰り返しには夢中になれん、それでは生きとる気がせんのや」
「なんでや、それは違うやろ。それは我儘いうもんや。
なんで真面目に同じことの繰り返しが出来んのや?
それさえやっとったら皆が幸せやったやないか。
子供やあるまいし、なんでそないな簡単なことが出来んのや?
当たり前のことを当たり前に出来んようなもんはクズやないか」
「そうや、長次郎はんは見方によればクズや。
そやけどクズやからこそ楽茶碗が出来たんや。分かるか」
「なに言うてはるの、兄さんの言うことはよう分からんわ」
「つまりな、長次郎はんは我々のような凡人とは違うということや。
違うからこそ楽茶碗が出来たんや。違うからこそ当たり前なことが出来んのや。
鬼才とは物凄いことが平然と出来てしまうのに当り前なことは出来んものなのや。
鬼才とは見方を変えればクズなんや。長次郎はんはそういうお人なんや。
もしも長次郎はんがもうちょっと我儘なお人やったら、利休さまの縛りをぶち破って、己が面白いと思う茶碗を存分に拵えてはったやろううなあ。
もし、それが出来ておったら利休さまの御勘気は被ったやろうが、さぞ素晴らしいもんが見られたやろうと、わしは思うで。
そういやあ、「お刀の本阿弥はん」の光悦さまが、いろいろと面白い茶碗を拵えては焼いてくれと持ってきはるのをリユも見たことあるやろ」
「ああ、随分と変わった形の茶碗やろ。初めて見た時は驚いたわ」
「せやろ。あの光悦さまも大したお方や。
茶碗た、茶の湯の好みも凄いんやが、公方様への香炉献上にも光悦さまが口利きして下さったんや。
ほんまなら今日も宴に来てもらいたかったんやが、お招きしたら、
「中風が悪うてなあ、酒の席は遠慮するわあ」
言われてお運び頂けなんだのは残念や。
そんでなあ、光悦さまの茶碗は後の世に残る大したもんなんやで。
あんな茶碗は他の者には思いも付かん。
せやけど、もしも長次郎はんが自分の気持ちの赴くままに好きなように茶碗作りをしておられたら、光悦さまのような茶碗を三十年も早く世に出しておられたやろう。
それが利休さまや世の中に認められたかどうかは分からんが、とにかく長次郎はんの才は世の流れを先取りするほどに傑出しておられたんや。
そやけど長次郎はんは、己の体から湧き上がる才を無理やり殺して利休さまの縛りに従わはったんや。
それがどれだけ苦しいことかはわしら凡人には想像も付かんわ。
せやけど、ご自分では、凡人が行う、簡単な当り前なことが出来んことをアカンと思うてはったんやで。
それが出来ん自分は無能やと悩み苦しんでおられたんや。
それで、利休さまに言われた通りの茶碗を繰り返し作るだけの仕事は苦痛で、しまいには土さえ触れんようになってしもうたんや。
そないな時にわしが長次郎はんを遊郭に連れて行ったんや」
「あんとき兄さんが余計なことさえせんかったらあの人はおかしゅうならんかったんやで。
ほんまに要らんことしてくれたもんやわ」
「すまん、それは悪いと思うとるからもう言わんといてくれ。
ほんまにすまん。この通りや」
常慶は頭を下げた。
「話を続けさせてもろうてもええか?
苦しんで絶望しておられた長次郎はんはそれで女郎にのめり込んでしもうたんや。
最悪なことにそこに夢中になることを見つけてしもうたんや。
長次郎はんは夢中やないと生きておれん人や。
夢中になって全てを忘れて遊女に入れあげたが、所詮、遊女なんぞ男の生き血を吸い取るジョロウ蜘蛛や。
長次郎はんを手玉に取って金を使うだけ使わせて金が無くなればポイッと捨ててそれまでや。
女に捨てられて気が付けばお父はんとお母はんも死んで押小路焼を潰してもうた。
家は借金だらけや、利休さまにも顔向けできん。リユにも合わせる顔がない。
それは誰がやったんでもない長次郎はん自身のせいなんや。
そりゃもう立ち直れんわ」
「せやからなんやと言うんや?」
「せやからて、そういうことや。
長次郎はんがどういう人やったのか説明したんや」
「兄さんが言うたことなんぞ教えてもらわんでも知っとるわ。それが今更なんなんや」
「言いたいのはここからや。
あのな、押小路柳馬場の家で長次郎はんが酒浸りになっとったときにお前は食事を運んどったやろ。
あのときにわしはお前が心配になって後を付けたことが有ったんや。
ひょっとしてお前が長次郎はんにどつかれたりせえへんかと思ったんや。
それで、家のすぐ裏の竹藪で壁に耳を付けとったがリユが喋りかけても長次郎はんは黙っとるだけやった。
お前は、長次郎はんに、
「なんで何も言わんのや、折角持って来とるのに何でいつも食べんのや!」
と怒って帰ってしもうた。
お前がおらんようになったら長次郎はんはな、
「リユ、すまん、ほんまにすまん。全部わしが悪いんや。
お前を苦しめてしもうて、わしには生きる値打ちは無い。
リユは立派な嫁やのにわしはゴミや。
申し訳のうて何も言えん。すまん許してくれ。
ああ惣吉に会ってみたいな。この腕で我が子を抱いてみたい。
そやけど、わしにはもうその資格は無いんや」
と言うてはったで」
「なんやて、兄さん!
なんで今までそれをずっと黙っていたんや。なんで教えてくれんかったんや!」
「まだあるで、次の日にもわしは押小路柳馬場の家の裏に潜んで長次郎はんの様子を伺っとった。
そしたら一人で何かブツブツ言うてはる。
よう聞こえんもんやから東の方に回ったら、障子にわしの影が差して、
「そこにおるのは誰や」
と長次郎はんにバレてしもたんや。
そこで、
「わしですわ」
と障子を開けて入って行ったんや。
久しぶりに会った長次郎はんは見る影もなく痩せこけて別人のようやった。
あの姿には驚いたなあ。
そんでも気後れせずに、
「今の独り言は全部聞かせてもらいましたで。なんでちゃんとリユに言われへんのや!」
とカマを掛けてみたんや。
そうしたらな、しばらく黙っておられたが今までのいきさつや一人で悩んだことを堰を切ったように話されたんや。一気に二刻(四時間)も話されたんやで。
長次郎はんがあないに喋る人やとは知らんかったわ。
今、お前に話したことはそのときに長次郎はんから聞いたことなんや。
そやからわしの当て推量なんかやないで。いわばこれは長次郎はんの遺言なんや」
「そやから、なんでそれを今までそれを黙っていたんやと聞いとるやないの!」
「その次の日にお前が押小路柳馬場の家に行ったら長次郎はんは死んではったんや。
わしに思うところをぶちまけて心の箍が飛んでしもうたんやろな。
そやけどそこでわしが前の日に長次郎はんに会ったことを話したら、みんなはわしが長次郎はんに何かして殺したと思うやないか、とても言えんわ。
それにあのときのお前は長次郎はんのことをえらく怒っとった。
「なんでこんな死に方をするんや。どアホウ」
言うて遺骸に手も合さんかったやないか。
とても言える雰囲気やなかったわ。
わしが、
「そのうちに言おう、そのうちに言おう」
と先延ばししとったら、利休さまの切腹、楽家一同の会津への配流やろ。
三年後に帰って来てもお前は「長次郎」という名前を聞くだけで前よりも嫌な顔をするようになった。
それから今まで二十六年間ずっとそうや。
うちでは長次郎の名は禁句やったやないか、ずっと言う機会がなかったんや。
そやから今ようやく話しとるのやないか」
リユは兄の言葉に愕然とした。
自分は人の言うことを聞けないほど依怙地なのだろうか?
兄に言われて反発する一方でそうかもしれないと密かに思った。
あまりに愚かなことを仕出かした長次郎の尻拭いをして、父や兄弟と楽家を再興したものの、利休の切腹、親兄弟の会津配流で一人で京に残され、幼子の惣吉を抱えて必死で生きてきた、頼る人もなかった。
配流になった罪人の身内が頼りたくても相手にしてくれる人さえなかった。
だから惣吉を育てるためにはなんでもやった、乞食もした、人に言えないこともしたのだ。
幸いにも三年後に父と兄弟の帰洛が叶い、昔の屋敷で暮らせるようにはなったが、それから数年間は楽茶碗は作れず、土風炉もなかなか売れず生活は苦しかった。
その中で惣吉には、「愚かな父親のようにはなるな」とずっと言い聞かせていた。
そのせいか惣吉は長次郎が始めた茶碗作りを嫌い、十歳で商人になりたいと言出して下京の両替屋の丁稚奉公に出た。
生真面目な惣吉は仕事に励み、十六年後には手代から二番番頭に出世し、主人は惣吉の勤勉さを見込んで一人娘の婿に迎えて惣吉は若旦那になった。
だが我儘育ちの娘とは折り合いが悪く三年で離縁となり、追われるようにしてその両替屋を出たのだった。
それが一昨年のことである。
家に帰った惣吉は今では楽常慶の手伝いをしている。
リユは惣吉の失敗も自分が長次郎のことをあまりに否定したせいではないかと思うようになっていたのだ。
「あのな、リユ。
わしはお前に長次郎はんを許せというのやない。過ぎた昔のことは変えることは出来ん。
せやが、お前がいつまでも長次郎はんを憎んでいてもええことは一つもないぞ。
大事なのはこれからのことや。
わしはお蔭さんで江戸の将軍様から銀印を拝領できた。
これからは楽家を盤石にして千歳にこの家が続くようにしていきたいと思うのや。
この楽家の楽茶碗を始めたのは言うまでもなく長次郎はんや。
長次郎はんが楽茶碗を創ったお人で、楽家の元祖は長次郎はんなのは世間もよう知っとることや。
これからこの家を立派に守るためにはその元祖が立派な人やったとせなあかん。
それは、事実がどうやったのかやないのや。
世の中の人がこの楽家をどう思うか、元祖の長次郎はんを世間がどう思うかが大事なんや。
もしお前が長次郎はんの欠点をあげつろうたりしたら世間での楽家の値打ちを下げるだけや。
ええか、長次郎はんは鬼才やった!
鬼才やから常人には理解できんところはあったが前代未聞の楽茶碗を作り上げた、とてつもないお人やったということにするんや。
これは少しもウソやない。今話したように完全に本当のことや。
それをよう弁えるんや。
お前が自分の気持ちに捉われておっては大局を見失うぞ。
わしはこの楽家をわしの息子の吉左衛門やのうて、お前の息子の惣吉に継がせようと思っとる。
それが楽家の正しい血筋やからや。
親爺やわしは長次郎はんからこの家を預かっただけや。
吉左衛門には宗味がやっとる田中の土風炉を継がせる、どうぜ宗味には女の子二人しかおらんからの。
お前の息子の惣吉に二代・長次郎としてこの楽家を継がせたいんや。
そのためにも長次郎はんのことを悪く言うたらあかん。
長次郎はんのためやない、お前と惣吉のため、楽家の今後のためや。
どうや?分かってくれるか」
思いもかけない兄の言葉にリユは言葉を失った。
たしかに常慶の言うことは一々筋が通っている。
リユも元は惣吉に家を継がせようと必死で頑張ってきたはずだったが、惣吉は自分からそれを降りてしまった。
考えてみれば惣吉をそんな気持ちにさせたのはリユ自身だろう。
怒りに任せて長次郎の悪口を言っていつの間にか惣吉に家を継ぐ気を無くさせてしまっていた。
惣吉が望むならば、と丁稚奉公を許し、金に困らぬ両替商なら幸せになれるだろうと婿入りも認めたが、それは間違いだった。
苦労しただけで店を追い出されてしまった惣吉の十九年の両替商勤めはなんだったのか?
リユはいつの間にか大局を見失っていたのかもしれない。
そう思うとリユは気持ちは沈んだ。
「あんなあリユ。
長次郎はんはお前に酷いことをしたと言うて泣いてはったで。
自分は夢中になると何も見えんようなってしまうアホや、この世で一番大切なのはリユやのにその大切なお前を殴って金を蕩尽した自分を自分で殺してやりたい。
死んでお前に詫びたいと何度も何度も言うてはったんやで。その言葉に嘘はない。
お前に申し訳ない、その気持ちでただただ一杯やったんや。
こんなことを思い悩む長次郎はんは、どアホでクズかもしれんが、ええお人やないのんか?
世話になった利休さまの言いつけを守るがあまり、己の身を削るしかできんかった純な気性や。
長次郎はんは夢中になると何も見えんようになるが普段は人のことを思いやる優しいお人やったやろ。
それはお前もよう知っとるやないか。
夫婦になったばかりの昔を思いだしてみい。
わしも純な気性の長次郎はんが好きやった。
あれだけエライ目に遭わされても憎む気にはなれんお人や。
なんと言っても長次郎はんはええお人なんや。
なあリユよ。ええ加減に長次郎はんを許してやりい。
お前と子まで成した仲やないか。
惣吉のためにも、長次郎はんの優しい妻、惣吉を慈しむ母親に戻ってやってくれ。
お前が長次郎はんを許せば惣吉も気持ちが安らいで茶碗の仕事にも一層励めるやろ。
惣吉は不器用やが真面目なええ男やで。仕事も一生懸命やっとる。
わしがあと少し仕込めばええ跡継ぎになるやろ。
楽家を盤石にするために、これから二代・長次郎を育てていこうやないか。
どないや?」
リユは常慶の思い遣りに溢れる言葉に何も言えずぽろぽろと涙が出た。
兄がここまで自分たち親子のことを考えてくれていたとは知らなかった。
常慶は将軍家から銀印を拝領した今をときめく天下の御茶碗師である。
ここまで出世したのにその家職を実子の吉左衛門でなくて惣吉に譲ろうと言うのだ。
常慶の息子の吉左衛門も楽茶碗の仕事を手伝っているが、その腕前の良さは惣吉の比ではない。
本阿弥光悦も吉左衛門の腕を買って褒めているくらいだ。
それなのに本来の血筋だから楽家は惣吉に家を継がせる、息子の吉左衛門は田中家の土風炉師になればいいと言う。
並みの者が出来る決断ではない。
これも、大局を見る、ということなのだろう。
リユは兄の懐の大きさに感じ入った。
「どうや、ちょっとはその気になってくれたか。
もしお前が長次郎はんを憎んだままあの世に行けばそれはお前自身の不幸や。
人は死ぬまでに憎しみや恨みを捨ててきれいな心になっておかんと極楽には行けんのや。
わしはなあ、さんざん苦労してきたお前に心安らかに極楽に行って欲しいんや。
勿論わしらが死ぬまでにはまだ何年もあるやろうが二人共もう若うはない。
残された年月は心安らかに過したいやないか。
そのためには人を許し、人から許される人にならなあかん。
長次郎はんが死んで、利休さまも死んで、利休さまを殺した太閤さんも死んで、豊臣も滅びたやないか。
みんなこの世におらんようになったんや。
わしらがこの世で関わって来た人たち全てを恩讐を超えて優しい気持ちで思い出そうやないか。
それがこの世を生きたわしらの幸せいうもんやないやろうか。
なあリユ・・・・。
ありゃりゃ、なんや酔ったせいか気恥ずかしいことを言うてしもうたなあ」
「兄さん、悪かったわ、うちが浅はかやった。かんにんえ、許してえな!」
リユはそう叫ぶと畳に突っ伏して泣いた。
常慶はリユの背中を優しくなでながら涙ぐんだ。
惣吉は常慶の意向に従って二代・長次郎と名乗り常慶の養嗣子となり、常慶の弟・宗味の長女の「あやめ」と再婚した。
二人は以前から密かに思いを通じていたのだ。
二代・長次郎とあやめとは年の差が十三もあり従妹同士の婚姻は血が濃すぎて好ましくないと言う者もあったが当人同士が望むなら仕方がない。
それに常慶が望む家の安泰のためにはこの婚姻は具合が宜しい。
常慶とリユ、宗味は二人を心から祝福した。
さらに常慶の息子の吉左衛門も二代・長次郎を見習ったのか、宗味の次女の「みかげ」と夫婦になり田中家の土風炉師となった。
こうして両家はその存続のために万全の体制を敷いたのだった。
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