綺麗じゃなくても愛してね

ましまろ

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一夜の夢

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 一途な想いに神様が味方してくれたのだろうか。ジュリアスの寝室を警護する見張り兵の姿がないことにほっと息をついた。

「どうか誰にも見つかりませんように……」

 密やかな声で祈りながら抜き足差し足でジュリアスの元へ向かう。音を立てないよう細心の注意を払いながら寝室の扉を開け、後ろ手にそっと閉める。
 パタンと閉じた扉に背を預け、詰めていた息を深く吐き出した。

「ふ~……第一関門突破だな」

 次なる関門は、ジュリアスに悲鳴を上げられることなく対話を試みることだ。
 突然見ず知らずの男に仲間を襲われれば大抵の人間は助けを求める。どうにか自分が無害な人間であることをアピールする方法はないかと思考を巡らせつつ、一歩一歩とジュリアスの眠る寝台へ歩みを進めた。

「やっぱり綺麗だな……」

 いつ何時見てもその美貌が陰ることはない。月明かりに照らされて陶器のように滑らかな艶肌が宵闇に浮かび上がる。呼吸に合わせて上下する睫毛の束が煌めきを放っていた。
 その美しさは花が恥じらい月が姿を隠すほどだ、と誰かが言った。瑕疵一つない美貌とはまさにこのことだろう。息を呑むほどの美貌に見入りながらも、その腕の中にシリルの姿がないことに安堵した。
 見張り兵の不在といい、今夜ほど絶好の機会はそうないだろう。このチャンスを無駄にしたくない。覚悟を新たに、そっとジュリアスの頰に手を伸ばした。
 どうか、俺だと気付いてください。切なる願いを胸に秘めて、愛しい人の名前を口にした。

「ジュリアス様」

 長い睫毛がふるりと震えた。血管の透けた薄い瞼が薄らと開かれる。この世のどんな宝石よりも美しい澄んだ碧眼が、確かに直人の姿をとらえた。
 目が合った瞬間にドクンッと心臓が強く鼓動した。全身に血が巡っていくのを感じる。まるで止まっていた心臓が動き出したみたいだ。その目に見つめられるだけで、今新たに生まれ変わったかのような心地になった。この人のそばでしか生きられないと心が叫んでいるみたいだ。

「っ……ジュリアス様」

 泣き出しそうな声だった。二人きりの静かな室内に余韻を残して溶けていく。
 か細い呼び声に応えるように、白く滑らかな指先が直人の手を包み込んだ。

「ナオ、泣かないで」

 ああ、やっぱりこの人が好きだ。どうしようもなく、愛している。
 ぽろりと熱い雫が頬を伝った。パタッとジュリアスの手の甲に涙が落ちる。滑らかな甲を伝い落ちた涙を目で追って、ジュリアスがいつになく真剣な眼差しを直人に向けた。

「どうして泣くのか教えて。ナオを傷つける全てから、俺が守ってあげるから」
「ジュリアス様がっ、俺だって気付いてくれたから……っ」
「うん」
「嬉しくて……っ、なのに、なんでか涙が出るんです、っ」
「うん、俺も嬉しいよ。ナオが会いに来てくれて、すごく嬉しい」
「っ……おれ、綺麗ですか?」

 綺麗だと言って、シリルよりも誰よりも、俺が一番だと言って。
 胸に秘めた想いがこぼれ落ちそうになって口を噤んだ。卑しい本音をジュリアスにだけは知られたくない。
 きゅっと下唇を噛み締めた直人を青い瞳が静かに見つめる。透き通る指先が、輪郭を確かめるように直人の頬を撫でた。

「綺麗だよ。誰よりも何よりも、ナオが一番綺麗だよ」
「へへ、よかった」

 美しい人の姿に化けているだけで、これは本当の姿じゃない。ジュリアスを騙しているという事実にツキンと胸が痛んだ。それでも、誰よりも愛されたいという下心が罪悪感に勝ってしまった。
 たとえ偽りの姿でも、ジュリアスの目には美しく映っていたい。邪な願望を隠すように、へらりと眉を垂らして情けない笑みを作った。

「ジュリアス様が一番綺麗です」
「……綺麗なんかじゃないよ。ナオが思うよりもずっと、俺は嫌な奴だよ」
「そんなことありません! 俺のことを拾ってくれた日からずっと、ジュリアス様は綺麗で優しくて、俺は世界で一番幸せなペットです」
「なら俺は世界で一番幸せな飼い主だね。こんなにも可愛い子を独り占めできるんだ」
「そんな大げさなって、わわっ」

 悪戯っぽく笑んだジュリアスが、珍しく強引な力加減で直人の手を引いた。強い力で引き寄せられて、ジュリアスの体を跨ぐようにして寝台に身を乗り上げる。
 真上から見下ろすジュリアスの美貌にドキドキと心臓が高鳴った。

「じゅ、じゅりあす、さま……」
「こうして見下ろされるのも悪くないね。なんだかいけないことをしてるみたいだ」
「っ……」

 するりと怪しい手つきで腰を撫でられて、発火するように直人の顔が朱に染まった。
 いけないことをしてる"みたい"じゃない。下手をすれば不敬罪に処されかねない体勢に、慌ててジュリアスの上から飛び退こうとする。けれど、骨ばった硬い手のひらが直人の臀部を掴んで逃亡を阻止した。
 柔らかな肉の感触を楽しむように臀部を揉まれる。尻肉を左右に引っ張られると、秘められた窄まりが空気に触れてみょうな心地になった。

「ん、ジュリアス様、お戯れはよしてください……っ」
「はは、そう言われると余計に意地悪したくなるのが男の性だよ。ナオもわかるでしょ?」
「わかり、ません、っ……ん、ふ、んぅ」

 手の甲を口元に当てて声を押し殺す。思わず揺れそうになる腰を理性で押さえ込む直人に、くつくつとジュリアスが喉の奥で低く笑った。

「わかってるくせに」

 意地悪く目を細めたジュリアスが上体を起こした。耳たぶに吐息が触れるほどの距離で、「わざと煽ってるの?」と揶揄い混じりに囁く。
 低く掠れた声にカッと頭に血が上った。クラクラするような蠱惑的な声。抵抗の意思を削ぐには十分すぎる破壊力だ。
 くたりと体の力を抜いてジュリアスの胸に凭れ掛かる。大人しく身を預けた直人に満足したのか、先ほどまでの淫猥な手つきとは打って変わって優しく頭を撫でられた。

「ナオの髪、黒くて艶々してて綺麗だね。それに目も黒曜石みたいだ」
「この国の人たちはみんな色素が薄いですよね」
「うん。ナオは特別な子なんだね」
「特別……ジュリアス様にとっても、俺は特別ですか?」

 聞いてからなんて馬鹿な質問をと後悔した。
 ジュリアスが形のいい目を丸くしてじっと直人を見つめる。気まずい沈黙を打ち消したのは、ジュリアスの軽やかな笑い声だった。

「ははっ、おかしなことを聞くね」
「うっ、ごめんなさい。やっぱり今の質問なしで! 忘れてください!」
「ヤダ、忘れない」
「お願いだから忘れてください! うあ~、恥ずかしすぎるっ」
「恥ずかしくなんかないよ」
「ジュリアス様だって笑ってたじゃないですかっ」
「変だから笑ったんじゃないよ。当たり前のことを聞くからおかしくて」
「へ?」
「ナオが特別かなんて、聞かなくてもわかるでしょ?」

 ジュリアスの手のひらがそっと直人の頬を包み込む。慈愛に満ちた眼差しだけで言葉なんてなくても伝わってきた。それでも、直人の中の欲深い部分が確かな答えを求めた。

「わからない、です」
「わかってる顔してる」
「してないです。……だから、ちゃんと教えてください」
「わかってるくせに、悪い子だね」
「悪い子でもいいから、教えてください」
「可愛いから教えてあげる」

 とびきり甘い声で囁いたジュリアスの顔が間近に迫る。息が触れるほどの距離で目線が合わさった。
 早く、とせがむようにジュリアスの夜着を軽く引っ張ってしまう。瞳を潤ませた直人にくつりと喉を震わせて、低く艶のある声が待ち望んでいた言葉をくれた。

「特別だよ。ナオは俺の特別な子」
「へへ、嬉しい」

 その言葉が聞けただけでもう他に何もいらないと思えた。それが悪かったのだろうか。突然、心臓が嫌な音を立てて大きく鼓動した。バクバクと心音が早まっていく。視界がグワングワン揺れて、ジュリアスの姿が二重にも三重にも重なって見えた。
 変化が解けるのだと直感した。と同時に嘘のように俊敏に体が動いた。
 ジュリアスの手を振り解くようにして寝台を飛び降り、体を包んでいたシーツが脱げ落ちるのも気にせず扉へと駆けた。

「ナオ!」
「ごめんなさいジュリアス様!」

 叫ぶように謝罪しながら、呼び止めるジュリアスの声には振り向かずに寝室を飛び出した。
 正体はとっくにバレているのに、どうしてジュリアスの前から逃げ出したのか自分でもわからない。ただどうしても、美貌とは縁遠い本来の自分をジュリアスに見られることが恐ろしかった。

「はあっ、はっ、ハァ……っ」

 ドタバタと激しい足音を立てながら裸で王宮の廊下を駆け抜ける。こんな姿を誰かに見られたら一貫の終わりだ。どこか物陰に隠れて、たぬきの姿に戻ってからアンガスたちの元へ向かおう。
 そう決めて廊下の角を曲がった直後、ドンと硬い何かにぶつかって体が後方に倒れ込んだ。

「いっ、ててて……」

 強かに打ちつけた顔面を押さえながら顔を上げてギョッとした。

「……ギルバート様」

 全裸で尻餅をつく直人を凍てついた眼差しで見つめる人物には見覚えがあった。
 男の名前はギルバート・ブルクハルト。二十六歳という若さで聖騎士団の団長を務め、輝かしい戦績から英雄とも鬼神とも謳われ国中にその名を馳せていた。また、この国には珍しい黒髪に碧眼の美丈夫としても知られ、一部では氷の貴公子として持て囃されていた。
 "氷の"と呼称されるだけあって、ギルバートは鉄面皮として知られていた。その笑顔を見た者は一人もおらず、寡黙な人柄も相まって氷のように凍てついた男というイメージが浸透しているのだ。
 王宮内でも専らの評判で、噂好きなペット仲間伝に直人の耳にも届いていた。何より、直人自身がその冷徹っぷりを身をもって理解していた。

「あ、あの、俺……」

 カタカタと身を震わせる直人に、ぐっとギルバートの眉間に皺が寄る。美形なだけにギルバートの睨みには迫力があった。
 ただ悲しいかな、その眼差しには慣れっこだった。直人の姿を視界にとらえると、ギルバートはいつでも顔を顰めた。動物が嫌いなのかと思いきや、直人以外のペットの前では表情を崩すことはない。単純に自分が嫌われているのだと気づいて以来、ギルバートは苦手な人リストのトップに躍り出ていた。
 そんな人物相手にぶつかってしまった上、全裸という圧倒的変態姿を晒してしまった。最悪すぎる状況に死を覚悟した直人だったが、悲劇はこれだけにとどまらなかった。

「その姿は──」

 ギルバートが何かを言いかけた。その直後、ぼわんっと白い煙が立ち上って直人の姿を包み隠した。
 ああ、なんて最悪なタイミングだろうか。直人の嘆きと共にもくもくと煙が晴れ、つい先ほどまで全裸男が尻餅をついていた場所に、プルプルと身を震わせる哀れなたぬきが現れた。

「……どういうことなんだ」

 困惑に満ちたギルバートの問いに、「ウユ~……」と情けない鳴き声で返すことしかできなかった。
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