綺麗じゃなくても愛してね

ましまろ

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たぬき攫いの騎士様

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 身を小さくしてプルプルと小刻みに震える哀れなたぬき。不安げに揺れるつぶらな瞳に見つめられたなら、大抵の人間は庇護欲を掻き立てられることだろう。しかしながら、氷の貴公子と呼ばれるギルバートに慈悲の心はなかった。
 不愉快を表すように切れ長の目を細め、意志の強さを感じさせる秀眉をわずかに吊り上げる。酷薄な印象を与える肉の薄い唇から吐き出された声は、鉄のように固く無機質だった。

「こんなところで何をしている」
「ウユ~……」
「今宵は見張りを付けるなとは殿下の命だが、何か関係しているのか?」
「ウユ~ン」

 何も知りませんと答える代わりにゆるゆると首を振る。力なく頭を垂れてしゅんと尻尾を下げる直人に、ぐっとギルバートの眉間のしわが深まった。
 射るような眼差しを感じてさらに体が縮こまる。尻尾を丸めてプルプルと震えていれば、頭上から深いため息が降ってきた。
 その音にすらびくりと身を震わせながら、恐る恐るとギルバートを見上げる。参ったというように片手で額を覆ったギルバートが、僅かに開いた指の隙間から直人を見据えた。

「……殿下の元へ向かわないのか? いつも、殿下と床を共にしているだろう」
「ウユ~」

 そうしたいのは山々だが、変化の術が解けそうになって逃げ帰って来たところだ。
 しょんぼりと肩を落とした直人に察しがついたのか、ギルバートはそれ以上追求することなく踵を返した。

『た、助かった~……』

 息の詰まるような時間からようやく解放された。
 ほっと安堵の息を吐き、強張っていた体を弛緩させる。遠ざかっていくギルバートの背を静かに見守っていれば、不意にギルバートが足を止めた。

「ウユ?」

 何か言い残したことがあるのだろうか。こてんと首を傾げた直人を見返り、ついて来いというようにギルバートが顎をしゃくった。

「ウユ~?」
「……夜に一匹で出歩くのは危険だ。部屋まで送る」

 予想外の申し出にぱちくりと瞬きする。つぶらな瞳を丸くしてじっとギルバートを見つめ返せば、珍しくギルバートが所在なさげに視線を彷徨わせた。月明かりに照らされた耳が僅かに紅潮して見えたのは気のせいだろうか。
 直人の視線から逃れるようにギルバートが前に向き直る。大きく広い背中がいつもより小さく見えた。その姿を見ていると堪らない気持ちになって、直人は小走りでギルバートの元へ駆け寄った。

「ウユ~ン」

 感謝を伝えるようにギルバートの足に擦り寄る。たぬき嫌いのギルバートに蹴りを入れられることも覚悟してしていたが、予想に反してギルバートは身動ぎ一つしなかった。いやむしろ、ピシリと固まったまま棒のように硬直してしまった。

「ウ、ウユ~~ッ」

 あまりの嫌悪感に思考停止してしまったのだろうか。慌ててギルバートから身を離す。
 アワアワしながらギルバートを見上げれば、月夜に輝く濃い青の瞳と交錯した。じっと直人を見据える双眸に怒りは感じられなかった。
 お互いに無言のまま見つめ合う時間がしばらく続いた。永遠にも思える沈黙を破ったのは、予期せぬ第三者の声だった。

「ギルバート団長! こちらに怪しげな男が逃げてきませんでしたか!? 全裸の男が走り回っていると侍女たちが騒いでいるのですが……」

 聖騎士団のマントをはためかせながら、年若い騎士が焦った様子で廊下の向こうから姿を現した。
 全裸の男という単語に直人が体を強張らせる。その姿を騎士から隠すように、ギルバートが無言のまま直人の体をマントで包んで抱き上げた。
 咄嗟の対応とは思えないほど俊敏かつ手際が良かった。おかげで騎士には直人の姿が見えなかったらしい。突然マントを丸めて腕に抱えたギルバートに戸惑った様子を見せつつも、騎士は周囲に怪しい人影がないことを確認して敬礼した。

「異常はないようですので失礼いたします! 王の命を狙う不届者やも知れませんので、団長もお気をつけください! では自分は東棟を見て参ります!」

 憧れの騎士団長を前にして興奮しているのだろうか。鼻息荒く言い切るや否や、ギルバートの言葉を待たずして慌ただしく去って行った。
 騎士の気配が消えた頃を見計らって、直人はもぞもぞと身を捩ってマントから顔を覗かせた。

「ウユ~」

 キョロキョロと辺りを見回して、騎士の姿がないことにほっと胸を撫で下ろした。くたりと体の力を抜いた直人だったが、間近に感じる射るような視線にギクリとした。
 腕の中に抱いた生き物の一挙手一投足を見張るようにギルバートがじっと直人を見据えている。穴が開くほどに見つめられて、居心地の悪さからウロウロと視線が彷徨った。

「ウキュ~……」

 不安からか細い鳴き声をこぼしてしまう。その声にハッとしたのか、ギルバートがようやく直人から視線を外した。

「ここにいては危険だな」

 辺りを見回したギルバートが、独り言のように呟いた。

「ウユ?」
「……」
「ウユ~」
「俺の屋敷へ向かう」

 決定事項のように言って、ギルバートがアンガスたちの眠る寝室とは反対の方向に足を向けた。

「ウユ~ッ」
「安心しろ。取って食ったりはしない」
「ウキュ!?」

 食べ物にされるという発想は直人の中にはなかった。自分が美味しいたぬき鍋にされる姿を想像してさーっと顔から血の気が引いていく。
 恐怖から大人しくなった直人を一瞥し、ギルバートは迷いのない足取りで王宮を後にした。


 ***

 流石は聖騎士団の団長というだけあって、ギルバートの私邸は二百坪はあろうかという豪邸だった。
 その荘厳さに呆気に取られつつ、ペット仲間たちがギルバート団長は公爵家の子息なのだと教えてくれたことを思い出した。王族の次に身分の高い貴族の子息ならばこれほどの豪邸に住んでいるのも頷ける。

『これが寝室!? 広いな~』

 初めてジュリアスの寝室に招かれた時にも同じことを思ったが、ギルバートの寝室も見渡すほどに広く豪奢な造りをしていた。
 派手さはないが一眼で高価だとわかる調度品の数々に、一人で眠るには勿体ないほどのキングサイズのベッド。中流家庭育ちの直人からすると恐れ多いような室内に身が引けてしまう。
 ギルバートの腕に抱かれながら体を縮こまらせていれば、頭上から相変わらずの無機質な声が降ってきた。

「寒いのか」
「ウユ~」

 ブンブンと首を振って否定する。ギルバートの眉間にしわが寄った。

「この部屋では狭いか?」
「ウユ~ッ」

 まさか! と慌てて否定する。五年間ジュリアスの寝室で寝ていたとはいえ、いまだに広い室内には慣れない。むしろ広過ぎるくらいだという気持ちを込めて大きく首を振った。

「ならば何が不満なんだ」
「ウユ~……」
「……人の言葉がわかるなら、文字の読み書きもできるか?」
「ウユ~ッ!」

 できます! と大きく首を縦に振る。

「そうか。少し待っていろ」
「ウユ~」

 小さく頷いたギルバートが意外なほどに優しい手つきで直人を寝台に下ろしてくれた。
 紙とペンを取りに行ってくれるのだろうか。マントの隙間からひょっこりと顔を出してギルバートの様子を窺う。
 パチリと目が合うと、ギルバートはいつものように眉間に皺を寄せた。
 やはり自分は嫌われているらしい。ギルバートの反応にツキンと胸が痛んだ。そんな直人の胸中を察したのか、コバルトブルーの瞳が動揺を表すように揺らいだ気がした。それも一瞬のことで、次の瞬間にはいつもの無感情な眼差しに戻っていた。
 ギルバートの視線が直人から外される。空中を見つめたまま、ギルバートが人差し指で何かを描いた。指先から光の粒が溢れて空中に五芒星のようなものが浮かび上がる。直後にポンッと小さな煙が舞って、何もなかったはずの空間に手帳と万年筆が現れた。

『すごい、これが魔法……』

 アーノルドが魔法使いは光の文字を使って陣を描くと言っていたが、今目の前で起こったことがまさにそれだろう。
 初めて生で目にする魔法にキラキラと瞳が輝く。憧憬の眼差しを向ける直人に向かってギルバートが手帳と万年筆を差し出した。

「伝えたいことがあればこれに書いてくれ」
「ウユ~ッ」
「……その手では書けないか」
「ウユ~……」

 愛らしい肉球では上手くペンを掴むことができない。手のひらを見つめてしょんぼりと肩を落としていれば、「っ……」と頭上で小さく息を飲む音が聞こえた。
 チラリと目線だけでギルバートの表情を窺う。片手で口元を覆っていたために、その表情はほとんど隠れてしまっていた。けれど、直人を見つめる双眸がゆらゆらと揺らいでいる。いつもの無感情な眼差しではないことに少なからず驚いた。
 その感情を探りたくて、じっとギルバートの目を見つめ返す。
 つぶらな瞳に真っ直ぐに見つめられることに耐えかねたのか、先に口を開いたのはギルバートだった。

「……口に咥えて書くことはできるか?」
「ウユ~ッ」

 確かにその手があった! ギルバートの言う通りに万年筆を口に咥え、拙いながらに『できます』と手帳に記した。
 ミミズが張ったよりも酷い字だったが、ギルバートは目を細くしてなんとか解読しようと試みてくれた。しばらくの間があって、ギルバートが理解できたというように頷いた。

「何か欲しい物はあるか?」
『ないです』
「……してほしいことはないか」
『ないです』
「……腹は減っているか」
『だいじょうぶです』

 時間をかけながらも懸命にギルバートとの意思の疎通を試みる。うんしょうんしょと一生懸命に文字を書く直人のつむじに痛いくらいの視線が注がれた。
 珍妙な生き物の生態が気になるのだろうか。顔を上げずともいつものしかめ面をしているのだろうと察しがついた。
 そんな顔をするくらいなら連れ帰ってくれなくてよかったのに。一体なんの気まぐれか、直人を屋敷に連れ帰ったギルバートの真意が読めず不安だけが募った。
 とって食うつもりはないと言っていたが、他になんの目的があるのだろうか。実験用のラットにするため、なんて告げられたら恐怖で失神してしまうかもしれない。
 最悪の想定に血の気を引かせながらも、震える字で純粋な疑問を尋ねてみた。

『どうしてつれてきてくれたんですか?』
「……あのまま城にいては騒ぎに巻き込まれていたかもしれない。魔法薬を使って人に変身したのか?」
『へんげのじゅつをつかいました』
変化へんげ? そんなことができるのか」
『はい』
「……今やれと言えばできるのか?」
『たぶんできます』

 半信半疑といった様子のギルバートに信じてもらうため、先ほどと同じように「人間にな~れ!」と念じてみた。しかし、十秒経っても二十秒経っても変化は訪れない。
 たっぷり一分の沈黙が流れたところでギルバートが無言を破った。

「何も起こらないな」
『はっぱがないとだめなのかもしれません』
「葉っぱ? ……これでいいか?」

 そっと観葉植物の葉を頭に乗せられる。葉っぱの種類に指定はないはずだ。
 これならいける! とギュッと目を瞑って再び念じてみたが、結果は変わらず何の変化も起こらなかった。

「……わかった、信じよう」

 必死な様子から嘘をついていないと伝わったのだろうか。もしくは哀れみから信じたフリをしてくれたのかもしれない。
 ギルバートの気遣いに感謝しつつも、直人は愕然として肩を落とした。目に見えて落ち込んだ素振りを見せる直人に、珍しくギルバートが動揺をあらわにした。

「どうした? そう落ち込むことでもないだろう」
『ひとになれないと、じゅりあすさまにあえません』
「なぜだ? その姿で会えばいい」
『きれいじゃないから、たぬきのすがたではあいたくありません』
「……人になりたいなら魔法薬を作ってやる」

 あまりの落ち込みっぷりに同情心が芽生えたのかもしれない。まさかギルバートが魔法薬を作ってくれるなんて! 願ってもない幸運にしょげていた耳と尻尾がピンと伸びた。

『いいんですか?』
「ああ、ただし交換条件がある」
『なんでもします!』

 たとえどんな試練でもジュリアス様のためなら乗り越えてみせる! 意気込んだ直人に対し、ギルバートが課した条件は驚くべきものだった。

「俺と共寝をしろ」
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