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大切な約束
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予想に反して、作り物のように精巧な容貌に怒りの感情は見られなかった。いつも通りの無表情で、真っ直ぐに前を向いている。
一見するとどこにも変化は見られない。けれどよく見てみると、普段は色付きの薄い肌がわずかに紅潮していた。耳たぶまで赤く染まって見えるのは気のせいではないだろう。
「本当、なんですか?」
まさか、そんなはずはない。頭ではわかっていても、心が浮ついて落ち着かない気持ちになった。
直人の問いかけに対し、ギルバートはたっぷり間を置いてポツリとこぼした。
「忘れてくれ」
否定も肯定もしなかった。それがイコール肯定になるくらいには、ギルバートは目に見えて動揺していた。
一部では血の通わない冷血漢なんて呼ばれている男がこんなにも感情をあらわにすることは滅多にない。
まさかの事実を前にして、直人の中にあったギルバートへの恐怖や苦手意識が跡形もなく消え去った。
「ツンデレなんですね」
「つんでれってなんですか?」
「うーんと、ギルバート様みたいな人のことを褒める時に使う言葉、かな」
「なるほど! ツンデレはカッコいいって意味なんですね!」
「え? うーん、そうかな、多分」
どちらかというと可愛いに近いけれど、それを言うとギルバートの機嫌を損ねてしまう気がした。
曖昧に言葉を濁した直人に対し、ヘンリーは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ふふ、じゃあナオさんはお兄様のことをカッコいいと思ってるんですね」
「それはもちろん! すごくカッコいいし優しい人だなって思うよ」
素直な気持ちを吐露した次の瞬間、なんの前触れもなくギルバートが踵を返した。そのまま無言で寝台まで歩み寄ると、そっと直人の体を横たえた。
「あ、あの……?」
「用事を思い出した」
「あ、そうだったんですねっ。お忙しいのに色々ありがとうございます! すごく助かりました!」
「ああ。……殿下に会いに行くのであればこれを使うといい」
早口で言いながらギルバートが光の線で陣を描く。陣が光り輝いた直後にポンッと音が鳴って、空中に白いローブが浮かび上がった。
無造作にローブを鷲掴んだギルバートが、ずいっと直人にローブを差し出した。戸惑いながらも素直に受け取って「ありがとうございます」と頭を下げる。
「これを着て行けってことですか?」
「ああ」
「それは魔法道具なんです。そのローブを着ている間は透明になれるんですよ」
言葉足らずなギルバートをアシストするようにヘンリーが小さな胸を張った。幼いヘンリーにとって、兄が魔法使いであることは誇らしいことなのだろう。
可愛らしい兄弟愛を微笑ましく思いつつ、ギルバートからの贈り物を胸に抱いて改めて感謝を伝えた。
「ありがとうございます! これがあれば騒ぎにもならなそうですね」
「ああ。他に必要な物があればクロフォードに用意させる」
「そんなそんな、申し訳ないです。あ、でも服と靴を貸していただけるとすごく助かるんですが……」
「わかった。伝えておく」
小さく頷いたギルバートがくるりと踵を返す。スタスタと長い足を活かしてあっという間に部屋を後にしてしまった。
「ギルバート様、大事な用事でもあったのかな」
「今日は非番のはずですし、特に外出の予定もなかったと思いますが……きっと、ナオさんにカッコいいって言ってもらえたのが嬉しくて照れてるんだと思います!」
「あはは、それはないよ。むしろ変なこと言ったから怒らせちゃったかも」
「そんなことないです! ……もしお兄様が怒っているとしたらそれは僕のせいです」
先ほどまでの明るさが嘘のようにヘンリーの声は暗かった。大きな目に涙の幕を張って、堪えるようにうるうると瞳を揺らしている。
「どうしたのヘンリー君!? どこか痛い? 具合悪くなっちゃった?」
「いえ、やっぱり僕はお兄様に嫌われているんだって思ったら悲しくて……っ、ごめんなさい、こんな話聞きたくないですよね」
「いやいや、俺に話して楽になることならむしろ話してほしいよ。一人で溜め込まないで、無理しちゃダメだよ」
そっと小さな頭を撫でて微笑みかければ、ヘンリーがくしゃりと顔を歪めて直人のお腹にギュッと腕を回した。小刻みに震える小さな体を抱き上げて、安心させるようにぽんぽんと背中を撫でる。
しばらくそうしていると、不規則だったヘンリーの呼吸が落ち着いてきた。
「ズビッ、急に泣いたりしてごめんなさい」
「ううん、謝ることじゃないよ」
「……僕とお兄様、似てないですよね」
「へ?」
突然の質問に戸惑った。
似ているか似ていないかで言えば、確かに二人は似ていない。どちらも美形だけれどタイプが違う。大抵の人は兄弟だといわれなければ気付かないはずだ。
真実を伝えても良いものか。逡巡する素振りを見せた直人の反応だけで十分だったのだろう。ヘンリーが涙に濡れた睫毛を悲しげに伏せた。
「髪の色も目の色も違うし、顔も僕は女の子みたいって揶揄われるけど、お兄様はカッコよくて強くてみんなの憧れで……それに僕は魔法も使えないんです。僕のお父様は魔法使いだけどお母様は違うから、魔法が使えないのは仕方ないってみんなが言うんです」
「……お兄さんは魔法が使えるんだし、もしかしたらヘンリー君もこれから使えるようになるかもよ?」
「いえ、僕と違ってお兄様の母君は魔法使いなんです。魔法使いはすごく稀少で、血が混ざるとほとんどの場合は受け継がれないってお医者様が言っていました」
ヘンリーの口振りからして、ギルバートとヘンリーは異母兄弟なのだろう。詳しい事情はわからないが、母親が違うことで兄弟の間には溝ができてしまっているのかもしれない。
慰める言葉が見つからなくて、小さな体を抱きしめることしかできなかった。
「大丈夫、大丈夫だよ」
安心させるように囁きかれば、まろい頬をポロリと一粒の涙が伝った。
目尻に溜まった涙を拭って、ヘンリーが気恥ずしそうに微笑む。
「ふふ、お母様以外の人にこんな風に抱っこしてもらうの初めてです」
「お母さんは優しい人なんだね」
「はい。でも僕は騎士にならないといけないので、今はお母様とは一緒に暮らせないんです。お兄様の元でたくさん勉強して、立派な騎士になるまでは一緒に暮らせません」
「そっか、ヘンリー君は偉いね。今は寂しいかもしれないけど、ヘンリー君なら立派な騎士になって大好きなお母さんとまた一緒に暮らせると思うよ」
「ふふ、ありがとうございます。……ナオさんは、お母様みたいにあったかくて優しい。お兄様ともクロフォードさんとも違う」
しっかりしているけれど、まだまだ甘えたい盛りなんだろう。
小さな体に背負うには大きすぎる期待がこの子には伸し掛かっている。自分にはどうしようもないとわかっていて、この子のために何かしてあげたいと切に思った。
「……ヘンリー君、たぬきさんに会いたい?」
「会いたいです! たぬきさんに会ったら、たくさんギュッてしてあげるんです」
「そっか、優しいね。……ヘンリー君に会いに来てくれるように、俺からたぬきさんに伝えておくね」
「本当ですか?」
「うん、約束」
「はい、約束です!」
小さな小指を立てたヘンリーと指切りげんまんで約束を交わす。
すっかり元気を取り戻したヘンリーに胸がぽかぽかと温かくなった。
一見するとどこにも変化は見られない。けれどよく見てみると、普段は色付きの薄い肌がわずかに紅潮していた。耳たぶまで赤く染まって見えるのは気のせいではないだろう。
「本当、なんですか?」
まさか、そんなはずはない。頭ではわかっていても、心が浮ついて落ち着かない気持ちになった。
直人の問いかけに対し、ギルバートはたっぷり間を置いてポツリとこぼした。
「忘れてくれ」
否定も肯定もしなかった。それがイコール肯定になるくらいには、ギルバートは目に見えて動揺していた。
一部では血の通わない冷血漢なんて呼ばれている男がこんなにも感情をあらわにすることは滅多にない。
まさかの事実を前にして、直人の中にあったギルバートへの恐怖や苦手意識が跡形もなく消え去った。
「ツンデレなんですね」
「つんでれってなんですか?」
「うーんと、ギルバート様みたいな人のことを褒める時に使う言葉、かな」
「なるほど! ツンデレはカッコいいって意味なんですね!」
「え? うーん、そうかな、多分」
どちらかというと可愛いに近いけれど、それを言うとギルバートの機嫌を損ねてしまう気がした。
曖昧に言葉を濁した直人に対し、ヘンリーは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ふふ、じゃあナオさんはお兄様のことをカッコいいと思ってるんですね」
「それはもちろん! すごくカッコいいし優しい人だなって思うよ」
素直な気持ちを吐露した次の瞬間、なんの前触れもなくギルバートが踵を返した。そのまま無言で寝台まで歩み寄ると、そっと直人の体を横たえた。
「あ、あの……?」
「用事を思い出した」
「あ、そうだったんですねっ。お忙しいのに色々ありがとうございます! すごく助かりました!」
「ああ。……殿下に会いに行くのであればこれを使うといい」
早口で言いながらギルバートが光の線で陣を描く。陣が光り輝いた直後にポンッと音が鳴って、空中に白いローブが浮かび上がった。
無造作にローブを鷲掴んだギルバートが、ずいっと直人にローブを差し出した。戸惑いながらも素直に受け取って「ありがとうございます」と頭を下げる。
「これを着て行けってことですか?」
「ああ」
「それは魔法道具なんです。そのローブを着ている間は透明になれるんですよ」
言葉足らずなギルバートをアシストするようにヘンリーが小さな胸を張った。幼いヘンリーにとって、兄が魔法使いであることは誇らしいことなのだろう。
可愛らしい兄弟愛を微笑ましく思いつつ、ギルバートからの贈り物を胸に抱いて改めて感謝を伝えた。
「ありがとうございます! これがあれば騒ぎにもならなそうですね」
「ああ。他に必要な物があればクロフォードに用意させる」
「そんなそんな、申し訳ないです。あ、でも服と靴を貸していただけるとすごく助かるんですが……」
「わかった。伝えておく」
小さく頷いたギルバートがくるりと踵を返す。スタスタと長い足を活かしてあっという間に部屋を後にしてしまった。
「ギルバート様、大事な用事でもあったのかな」
「今日は非番のはずですし、特に外出の予定もなかったと思いますが……きっと、ナオさんにカッコいいって言ってもらえたのが嬉しくて照れてるんだと思います!」
「あはは、それはないよ。むしろ変なこと言ったから怒らせちゃったかも」
「そんなことないです! ……もしお兄様が怒っているとしたらそれは僕のせいです」
先ほどまでの明るさが嘘のようにヘンリーの声は暗かった。大きな目に涙の幕を張って、堪えるようにうるうると瞳を揺らしている。
「どうしたのヘンリー君!? どこか痛い? 具合悪くなっちゃった?」
「いえ、やっぱり僕はお兄様に嫌われているんだって思ったら悲しくて……っ、ごめんなさい、こんな話聞きたくないですよね」
「いやいや、俺に話して楽になることならむしろ話してほしいよ。一人で溜め込まないで、無理しちゃダメだよ」
そっと小さな頭を撫でて微笑みかければ、ヘンリーがくしゃりと顔を歪めて直人のお腹にギュッと腕を回した。小刻みに震える小さな体を抱き上げて、安心させるようにぽんぽんと背中を撫でる。
しばらくそうしていると、不規則だったヘンリーの呼吸が落ち着いてきた。
「ズビッ、急に泣いたりしてごめんなさい」
「ううん、謝ることじゃないよ」
「……僕とお兄様、似てないですよね」
「へ?」
突然の質問に戸惑った。
似ているか似ていないかで言えば、確かに二人は似ていない。どちらも美形だけれどタイプが違う。大抵の人は兄弟だといわれなければ気付かないはずだ。
真実を伝えても良いものか。逡巡する素振りを見せた直人の反応だけで十分だったのだろう。ヘンリーが涙に濡れた睫毛を悲しげに伏せた。
「髪の色も目の色も違うし、顔も僕は女の子みたいって揶揄われるけど、お兄様はカッコよくて強くてみんなの憧れで……それに僕は魔法も使えないんです。僕のお父様は魔法使いだけどお母様は違うから、魔法が使えないのは仕方ないってみんなが言うんです」
「……お兄さんは魔法が使えるんだし、もしかしたらヘンリー君もこれから使えるようになるかもよ?」
「いえ、僕と違ってお兄様の母君は魔法使いなんです。魔法使いはすごく稀少で、血が混ざるとほとんどの場合は受け継がれないってお医者様が言っていました」
ヘンリーの口振りからして、ギルバートとヘンリーは異母兄弟なのだろう。詳しい事情はわからないが、母親が違うことで兄弟の間には溝ができてしまっているのかもしれない。
慰める言葉が見つからなくて、小さな体を抱きしめることしかできなかった。
「大丈夫、大丈夫だよ」
安心させるように囁きかれば、まろい頬をポロリと一粒の涙が伝った。
目尻に溜まった涙を拭って、ヘンリーが気恥ずしそうに微笑む。
「ふふ、お母様以外の人にこんな風に抱っこしてもらうの初めてです」
「お母さんは優しい人なんだね」
「はい。でも僕は騎士にならないといけないので、今はお母様とは一緒に暮らせないんです。お兄様の元でたくさん勉強して、立派な騎士になるまでは一緒に暮らせません」
「そっか、ヘンリー君は偉いね。今は寂しいかもしれないけど、ヘンリー君なら立派な騎士になって大好きなお母さんとまた一緒に暮らせると思うよ」
「ふふ、ありがとうございます。……ナオさんは、お母様みたいにあったかくて優しい。お兄様ともクロフォードさんとも違う」
しっかりしているけれど、まだまだ甘えたい盛りなんだろう。
小さな体に背負うには大きすぎる期待がこの子には伸し掛かっている。自分にはどうしようもないとわかっていて、この子のために何かしてあげたいと切に思った。
「……ヘンリー君、たぬきさんに会いたい?」
「会いたいです! たぬきさんに会ったら、たくさんギュッてしてあげるんです」
「そっか、優しいね。……ヘンリー君に会いに来てくれるように、俺からたぬきさんに伝えておくね」
「本当ですか?」
「うん、約束」
「はい、約束です!」
小さな小指を立てたヘンリーと指切りげんまんで約束を交わす。
すっかり元気を取り戻したヘンリーに胸がぽかぽかと温かくなった。
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