綺麗じゃなくても愛してね

ましまろ

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鏡よ鏡

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 ギルバート曰く、薬の効果は半日で切れてしまうらしい。それならば一刻も早くジュリアスの元へ向かいたかった。とはいえ、先日の一件もあって城内の警備は厳重になっていることだろう。
 半信半疑ながらもローブに一縷の望みを託して王宮に侵入した。

『すごい、本当に透明になってるんだ』

 ローブを纏った直人が目の前を過ぎ去っても、見張りの兵士たちはぴくりとも反応しなかった。
 おかげでなんなくジュリアスの眠る宮殿まで辿り着くことができた。
 あとは寝室の前で不寝番をしているだろう兵士の目を掻い潜るだけだ。ジュリアスに会えるまでもうあと一歩手前というところまで来て、ぴたりと直人の足が止まった。

「……誰かいるの?」

 窓から差し込む月明かりに照らされて、白銀の髪が煌めきを放つ。頭から足先まで神秘的なまでに白く、大きな猫目だけがアイスブルーの輝きを放っている。
 一目見て、青年がシリルだとわかった。

 ──どうして、なんで、シリルは猫のはずなのに。

 ドクンッと心臓が嫌な音を立てて脈打った。
 怖気付くように無意識に体が後ずさる。ヨタヨタと後退した足がローブの裾を踏んで、シュルリと音を立てながらローブが剥がれ落ちた。
 シリルの目に直人の姿が映る。突然現れた直人にパチクリと大きな目を瞬いたシリルが、ニヤリと色付きの薄い唇を歪めた。

「なぁんだ、負け犬ならぬ負けだぬきくんじゃん。そんな格好してノコノコ何しに来たの?」

 鈴の音を転がしたように可憐な声で紡ぐ言葉は悪意に満ちていた。

「……その姿は?」
「ああ、君と一緒で魔法薬を使ったんだよ。君がアーノルドと話してるのを聞いてさ、バカなたぬきが僕を出し抜こうとしてるみたいだから、僕も人の姿になって本当にジュリアス様に愛されてるのは僕だっていうことを証明しようと思って」

 ふんっと鼻を鳴らしたシリルが、値踏みするように直人の頭から足先までを視線で辿った。

「あはっ、君ってば相変わらず冴えないね。君みたいな芋くさい奴、ジュリアス様には釣り合わないよ」
「そんなことない、です」
「は?」
「確かにたぬきの頃は冴えなかったかもしれないけど、今は違いますっ。ジュリアス様だって俺が一番綺麗だって言ってくれました」

 そうだ、ジュリアス様に綺麗だと思ってもらえるような人になりたいと願ってこの姿になった。それに、ジュリアスも直人が一番綺麗だと言ってくれた。けれど、見下したようなシリルの目がそれを否定した。

「何それ、そんなの嘘に決まってるじゃん。君、一度自分の顔を鏡で見たほうがいいよ」

 嘘じゃないと強く否定できなかった。
 ジュリアスは慈しみ深く優しい人だ。不安げな直人に真実を伝えることができず、優しい嘘をついてくれたのかもしれない。
 一抹の不安から顔を曇らせた直人に満足したのか、シリルが純白のローブを翻して踵を返した。

「じゃあね、僕はジュリアス様に会いに行くから、君はちゃんと鏡を見て現実を知りなよ」

 ひらひらと片手を振ったシリルが寝室に向かって歩き出す。
 遠ざかっていくその背を追いかけることはできなかった。


 物置と化した一室に乱雑に放置されたウォールミラー。埃のかかった鏡面を手のひらで拭えば、泣き出しそうな顔をした冴えない男と目が合った。
 美貌とは縁遠いどこにでもいるありふれた顔だ。誰もが目を奪われ心惹かれるシリルとは比べるまでもない。

『ナオが一番綺麗だよ』

 優しいジュリアスの微笑みが涙で滲んでいく。
 信じていたものがガラガラと崩壊する音がした。
 へたりと力なく床に膝をついて項垂れる。鏡の中の男も同じように膝をついてくしゃりと顔を歪めた。

「全然、綺麗なんかじゃないや」

 鏡の中の自分が自嘲した。じわりと目尻に涙が滲んだ直後、目の前に閃光が走った。辺り一面が真っ白に染まる。次第に光が霧散していき、先ほどまで冴えない男がいたはずの場所に見覚えのあるたぬきの姿があった。
 願う気持ちが弱まったからだろうか。半日とたたずに薬の効果が切れてしまったらしい。
 惨めな自分が恥ずかしくて、この場にいることすらも烏滸がましく感じた。
 今頃はきっと、シリルはジュリアスの腕の中で愛されている。嫌な想像を振り払うべく頭を振って、逃げるようにその場を駆け出した。


 人間用のローブはたぬきの姿で持ち運ぶには不便だ。ズルズルと口に咥えたローブを引きずっては足を止め、また歩き出しては足を止めの繰り返し。

「ウユ~……」

 いい加減に顎の筋肉も体力も限界を迎えて、突っ伏すようにしてその場に横たわった。
 一度体力を回復してから進もう。そう決めてくたりと体の力を抜くのとほとんど同時に、カツンと背後で靴音が鳴った。
 びくんと体を跳ねさせて顔を上げる。振り向いた先にはよく見知った男の姿があった。

「お前は……脱走したと聞いていたが、なぜこんなところにいるんだ?」

 金髪に灰青色の目をした美青年が眉を寄せて直人を見下ろしている。
 男の名前はカイル。ジュリアスの異母兄弟であり、この国の第一王子だ。中性的なジュリアスとは違い、意志の強い顔立ちは美しくも男らしさを感じさせた。
 性格もジュリアスとは正反対で、尊大で他者を甚振ることを好む暴虐な男だ。動物が嫌いなのか単に直人が気に障ったのか、幼い頃から何かにつけてはちょっかいをかけられていじめられてきた。
 当然のことながら直人にとってカイルは天敵だ。警戒心をあらわにした直人に対し、カイルはおどけたように手のひらを見せた。

「そんな顔するなよ。傷つくだろ、なぁたぬきちゃん」
「ヴ~ッッ」
「ははっ、一丁前に威嚇してんのか? いくらみんな大好きジュリアス様のペットだからって、俺に噛み付いたら城を追い出されるぞ」
「……」
「ああ悪い、新入りに追い出されて脱走中だったか」
「ウユ~……」
「可哀想になぁ、愛しのジュリアス様に捨てられたんだろ。なんなら俺のところに来るか? アイツよりも俺を選ぶなら、少しは優しくしてやるよ」

 妾の腹から生まれたカイルとは違い、ジュリアスは王妃腹から生まれた。それ故に第二王子でありながらジュリアスを次期国王にと支持する声は多く、カイルは昔からジュリアスのことを敵視していた。
 直人にちょっかいをかけるのもジュリアスへの当てつけの意味もあるのだろう。
 カイルは物でも人でもジュリアスの大切なものを奪うのが趣味だった。
 そんなカイルのことを多くの人が非難した。もちろん、直人も好いてはいない。けれど、幼い頃からジュリアスと比べられては貶され続けてきた彼の心を思うと、優しさを捨てきれなかった。

『あのお方はお可哀想な方なのです』

 カイルに物を取られたとジュリアスが泣くたびに、周囲の大人たちは口を揃えて言った。
 悪事を働いても叱られず、憐れみの目で見られるだけ。それが幼いカイルの心をどれだけ傷つけただろうか。
 本来カイルを一番に愛するはずの母親は、カイルを次期国王にすることに躍起になり、年端もいかない頃から彼に英才教育という名の厳しい"躾"をした。父親である国王もまた、誰の目にも明らかに王妃腹の子であるジュリアスを贔屓した。
 カイルを一番に愛し慈しむ人は、彼の人生において一人もいなかったのだ。
 そのことを思うと、彼がどれだけ傍若無人な振る舞いをしても嫌いになりきれなかった。

「ウユ~」
「なんだ? 腹でも減ったか?」
「……」
「どうしてお前だけが俺を──」

 カイルの声は風にかき消されてしまいそうなほどに小さく最後まで聞き取れなかった。
 一体彼は何を伝えたかったのだろうか。つぶらな瞳で真っ直ぐにカイルを見据える。純粋な目に見つめられることに耐えかねたのか、くしゃりとカイルの整った相貌が歪んだ。

「……そんな目で俺を見るな」

 ひどく寂しげな声だった。カイルのこぼした悲痛な声は夜の闇に溶けて消えてしまう。それでも、直人の耳には確かに届いた。
 そっとカイルの足元に擦り寄って、慰めるように尻尾の先でぽんぽんと撫でる。
 憎まれ口を叩かれるかとも思ったが、カイルは無言で直人を抱き上げると端に丸まっていたローブを拾い上げて小さな体を包んだ。

「お前の短足じゃあ夜明けまでかかっても十メートルも進まないだろうからな」

 意地悪なことを言いながらも、直人に触れる手は意外なほどに優しかった。
 ローブの効果で直人の姿は傍目には見えないらしい。通りがかりの兵士たちが不思議そうにカイルの腕を眺めては、冷徹な眼差しに射竦められて可哀想なほどに身を縮こまらせた。

「ウユ~」

 人に優しくしないと優しくしてもらえませんよ。そう進言したつもりだが、たぬきの言葉はカイルには理解できない。それでも声音からニュアンスだけは伝わったのか、カイルが小さく舌打ちした。
 それきり、カイルが兵士たちを睨むことはなかった。


 夜更け過ぎにたぬきの姿で帰ってきた直人を見て、ギルバートは何も聞かずに屋敷に招き入れてくれた。

「おかえり」

 たった一言、ぶっきらぼうな声だった。不器用な優しさに胸が熱くなって、「ウユ~」と返した声は情けなく震えてしまった。
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