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会談

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 平素からの淑やかな立ち振る舞いとは、幾分か様子が異なり、おずおずといった具合の態度で、緩慢な動作で頷いてみせるユキ。

「そうか‥」

 そんな彼女の姿を見据えたジゼルは、一度相槌を打ったきり、何事かを熟考するかの如く、真一文字に固く口を引き結び、沈黙を保つ。

 堀の深い鼻梁が特徴的な彼は、評するのであれば、王でありながら同時に、歴戦の猛者の様な雰囲気すら見受けられる。

 特筆すべき鷲鼻が印象的な顔立ちからは、著しく野生的な程に、殊更恐ろしいまでの、他者を気圧するかの様な威圧感が発せられている。

 だが─
「レアノスティア神の慈悲深き行いに感謝する。不詳の娘の恩人として、其方の望み、エルフの王たる、このジゼル・フォン・レドイステルア、私自らが叶えて進ぜよう」

 次の瞬間には先程まで浮かべられていた、彫像の如き面持ちはそこになく、未だ肌を刺すかの様な威圧感の重圧は感じられるものの、幾分か緩んだ表情が見て取れる。

 ユキと視線を交えてから、皆無なまでに微動だにしなかったジゼルの口角が僅かばかり吊り上がり、鋭い碧眼が殊更に細められている。

 彼自身は特に意図した限りではないのだが、元来の迫力のある美貌も相まり、浮かべられた微笑は、殊更にそれを向けられているユキを威圧する。

 意図せずして気圧されてしまった彼女は、幾度も脳裏で与えられた言葉の内容を反芻し噛み砕き、慎重を期した上で口を開く。

「‥わたしは自らが望むがままに行動したまでで御座います」

 痛い程に必死に龍鬼の手を握り締めているユキは、この世界における人命の価値を理解しているが故に、反射的に受け応える。

 幾ら世俗に疎い彼女とて、眼前の王へと無礼な行いを働けば、この場で斬首すら免れないことを、蓄えた知識から得た見聞から理解していた。

 しかしながらその当然の懸念は、ユキの思い違いでしかなく、往々にして物事は意図しない、思いがけない方向性へと進む。

「ほう‥、流石は龍神から加護を賜った巫女といえよう。エルフの王たるこの私を前にして、その不遜な態度、心底からの称賛に値しよう。与えられた甘言をも一蹴して見せる胆力、やはり依代とされるだけのことはある。だが‥」

 未だ成人前の幼き齢とは思えぬ様な、大人顔負けな程に殊勝な心掛けを示してみせるユキを、褒め称えたジゼルは一度言葉を区切り─

「賢明な選択とは言えぬな」

 返答を受けたジゼルの口の端が殊更に吊り上がり、怖気が走る様な殊更に威圧感が伴う、思わず気圧されてしまうまでの、三日月を形作る。

「っ」

 笑顔を浮かべながらも、研ぎ澄まされた眼光を称えた鋭利な切長の碧眼は、眼前で焦燥を露わとしているユキを真正面から射抜く。

 背筋へと悪寒が走る感覚を覚えて即座に逃走を図りたい心地に陥る彼女であったが、まるで穿つかの様な、鋭い視線にその場へと縫い止められたかの如く肉体の硬直に襲われる。

「しかし、判断を違えた訳ではない‥。寧ろ、わたしの望んだ、好ましい返答だ」

 身動きを取ることすらままならないユキの、肩を縮こまらせて萎縮した姿を受けて、三度に渡り口角を歪ませ、微笑を称えてみせる。

 再び浮かべられた笑顔も、やはり何処か違和感が付き纏い、思わず気圧されてしまう様な、怜悧な雰囲気が滲み出ている。

 しかしながら、再度に渡り発せられた声音には、幾分か優しげな言葉が入り混じり、与えられたユキに対して、いくばくかの安堵をもたらした。

 先程まで心底からの焦燥を露わとしていた彼女も、ジゼルから受けた微笑に対して、ホッと息を吐いて自らの豊満な乳房を撫で下ろした。

「其方の働きは褒美を取らすに値する。誠、大義であった。‥本当に望みはないというのか?」

 片時たりとも瞳を逸らすことなく、ユキを見据えるジゼルは、その怜悧な双眸を、まるで心中を見透かすかの如く、自然と研ぎ澄ます。

「‥はい」

 再度の彼からの問いかけに対して、緩やかなにかぶりを左右に振って、恐る恐るといった具合に肯定の意を示してみせるユキ。

 その声音に嘘偽りの色はなく、事実として彼女の切に望まんとするところは、自らの父と子を成し、結ばれる幸福ただ一つであった。

 しかしながら、彼女の心底からの渇望は、眼前の男に進言したところで、簡単に成就してしまう様な程に容易い願いではない。

「‥そうか」

 求める返答の相違に対して一言だけ呟いたジゼルは、再び思考を巡らせる様に瞼を伏せ、まるで何事かを熟考するかの如く、真一文字に口を噤む。

「‥ならば致し方あるまい。此度の話は其方への借りとしようではないか。それならば異論はなかろう?」

 暫くの沈黙の熟考の末に導き出された結論は、静寂に支配されていたこの場へと、救いの担い手となりて舞い降りた次第である。

「はい」

 だからこそ、極限まで昂まっていた緊張がようやく解くことのできる瞬間を見逃すわけにはいかないユキは、今度こそ確かにかぶりを縦に振り、了承の意を示す。

「そうか‥こう言っては無礼かもしれないが、よくぞ幼き身にありながら、それ程までの傑物へと育ったものだ」

 平素通りの毅然とした立ち振る舞いで、応じてみせる彼女の姿に対して、何処か感嘆の溜息を吐き、褒め唱えるジゼル。

「いえ‥わたしなど‥」

 暫くの時を要して、ようやっと会話を終えることのできたユキは、背筋がむず痒くなってしまう様な称賛の言葉に、可憐にも頬を赤く染めた。

「ほう‥それに加えて謙虚とまできたか。どうやら、正にエレナから聞き及んでいた通りの、誠天晴れな人物らしい」

 羞恥によって初々しくも、純白の肌を紅潮させるユキへと更なる追い討ちをかけるかの如く、淀みない絶賛の言葉を続けるジゼル。

「お、お父様がここまで褒めるなんて‥ふ、フンっ、アンタ、なかなかやるじゃないっ!」

 まるで、男が女を口説き落とすかの様な光景と相なった状況において、ここでたまらずに声を上げたのが、エルルである。

 正に平素から高飛車な立ち振る舞いを見せている彼女らしくも、明らかに虚勢であることが窺える様な態度で、吠えて見せる。

 彼女の眦は威嚇するかの様に吊り上り、挑む様な鋭利な碧眼に、今にも暴発してしまいそうな程の敵愾心さえ称え、真正面からユキを見据える。

「ふふっ、エルル様からその様な御言葉を頂けたこと、とても光栄に御座います」

 しかしながら、先程まで相手取っていたジゼルと比較すれば、幾分か役者不足に見受けられるエルルを前にした彼女からは、いくばくかの余裕が見受けられる。

 事実その通り、皮肉混じりの称賛の言葉すらも、何処吹く風といった具合の様子を見せているユキは、なんら意に解することなく、受け流してみせる。

「ふ、ふーんっ‥。全く‥いきすぎた謙遜も大概にしなさいよねっ。アンタにはわからないでしょうけど、わたしみたいに寛容な人たちばっかりじゃないんだからっ」

 未だ成人にも満たない幼き齢でありながら、大人顔負けの殊勝な立ち振る舞いを示すユキに対し、声音を上擦らせたエルルは、悔しげに頬を引き攣らせ言葉を続ける。

「ま、まぁでも、アンタの事は特別にこのわたしが認めてあげるわよ。感謝しなさいよねっ。フンっ」

 しかしながら再度に渡り紡がれた言葉には、ユキの巡らせていた予想に反し、先程よりも棘が失われている様を窺うことができる。

「え、ええ。ありがとうございます」

 唐突に思い掛けない、心底からの称賛の言葉と思われる様な心の篭った感情をエルルから与えられて、些かの困惑を露わとするユキである。

「時に巫女よ。私の名はジゼル・フォン・レドイステルアだ。其方は娘の恩人であるからな‥特例として私のことはジゼルと呼ぶことを許す」

 事の成り行きを見守っていたジゼルが、戸惑いから生じた会話の間隙を縫う様にして、これを逃す事なく自らの名乗りを上げる。

「‥はい、その様な御言葉誠に恐悦至極に御座います、ジゼル様。わたしからもよろしくお願い申し上げます」

 ようやく途切れた言葉の応酬に一息吐くことを試みたユキであったが、間髪入れずに始まった自己紹介に対して、幾分か辟易しながらも、それを面に出す愚を冒すことはなかった。

 この様に高い地位に位置した権力者と会話を交わす場は、常人並みの精神しか持ち得ない彼女に対して、殊更な疲労を強いていた。

 傍に龍鬼の姿があり、正に急死に一生を得た心地ではあるものの、本来であれば今すぐこの場から逃走を図りたい彼女であった。

 平素から心掛けているお淑やかな立ち振る舞いは、未だに保たれてはいるものの、精一杯に保たれている限りであり、いつ致命的な言動を冒すかわからないと言った具合。

 それ程までに自らの発言に気を払わなければならない相手である事は、対人能力に乏しいユキとて痛い程理解している。

 それらのことを重々承知しているからこそ、出来うる限り手早くに、この会談を終わらせることを念頭に置いた上で、会話を続けなければならなかった。

 いつ何時維持されている、か弱い精神の均衡が崩れるのかは、本来であれば言葉を交わすことさえ叶わない相手との会話で、己自身ですら把握できていない状態にある。

 最早なりふりなど構っていられない状況にあることには理解するに至っているユキであるが、何時までも改善しない自らの悪癖に苛立ちを覚える。

 元来人見知りをする性分である自らが、まさか異世界の王様との一対一の対話を交わす事となる羽目に陥るとは夢にも思わなかった彼女であるからして、一層のこと不憫である。

「‥あの‥先程まで行使していた術の疲れが─」

 それらの事情が祟り、大いに心の余裕を削られていたユキは、この場に留まるという選択を無理にでも放棄することを試みるのだが─

「ほう‥この無益な因習がまだ未だ続けられていたとはな」

 唐突にこの場へと響き渡る野太い男の声により、続く言葉は掻き消されて、強制的に口を噤むことと相なったユキである。

 閉口し、語りを妨げられた相手へと顔を向けた彼女は、尊大なまでの立ち振る舞いで、己の屈強な肉体を、まるで誇示するかの如く、両腕を組んで佇む男を見て、思わず声をあげる。

「‥豪鬼さま‥どうして此方へ?」

 普段からフウガの屋敷へと赴いていたが故に、彼の父の姿を見知っていた彼女は、困惑した面持ちで問いを投げかける。

 その美しい顔に浮かべられたのは、現在自身が身を置く逆境への憂いと、自らが勇気を出し、決断の末に口走った弱音への嘆きの表情であった。

「ユキ‥か。それに龍鬼、貴様まで揃うとは、余程娘のことが大事らしい。それにどうやら‥息子が世話になった様だな?」

 己の名を呼ぶユキの姿を気付いた豪鬼は、彼女へと視線を向けた後に、視界へと龍鬼の姿を納める。

 挑発的に口角を吊り上げ、残虐な印象すら与えている笑みを浮かべた彼は、心底から上機嫌な声色で言葉を続ける。

「まさか貴様に挑むとは我が息子ながら勇猛なことだ。女を賭けた果たし合いに敗北を期し、理性を失った挙句の果てには己の血に酔うとは愚かにも程がある。更には意中の相手に庇われ、情けを掛けられるなど、最早哀れなり」

 己の命を賭してまで龍鬼との死闘に臨んだ自らの息子に対して、僅かばかり忌々しげな面持ちを浮かべて吐き捨てる豪鬼。

 辛辣な態度で、無常なる言葉を続けた彼の姿を目の当たりとしたユキは、思わず知らずの内に自らの唇を固く引き結ぶ。

 悔しげにその絶世な美貌を歪ませて、まるで豪鬼を避難するかの様に睨みつける彼女の心情の機微を悟った龍鬼は、悠然とした態度で口を開く。

「仮に、暁家の宝刀を使われていたら、俺とて無事ではいられまい。今回は互いに消化不良といったところだ」

 己の娘の心境を慮り、美しいかんばせに悲痛な表情を浮かべるユキを庇い立てるかの様にして、余裕を見せた立ち振る舞いで言い放つ。

 ユキへの尊いまでの懸想から、強靭なる程の不屈の精神でもってして、決死の覚悟を伴い、命を賭してまで己への決闘に臨んだフウガである。

 それを心底から理解している彼は、僅かながらに見せた豪鬼の、息子へと向ける失望の入り混じる言葉を、許容することはできなかった。

「はッ、貴様との決闘に剣を用いるなど、それこそ愚の骨頂。例え我が宝剣を貸し与えたとて、貴様には至るまい。だからこそあいつも槍での戦いに挑み、無謀なる死闘へと身を投じたのであろう。正に蛮勇とはこのことよ。それを理解していない貴様ではあるまい」

 フウガを擁護するかの様な龍鬼の思い掛けない言葉に対して、心底からの上機嫌な様子で、自らの口の端を吊り上げる豪鬼である。

 残酷にも嘲る様な面持ちを浮かべた彼は、何ら自らの言葉を淀ませることなく、龍鬼から受けた言葉を一蹴してみせる。

「‥」

 豪鬼の無情なる言葉は、正確な事実を言い表しており、剣と槍では自らが繰り出す間合いに、致命的なまでの差が生じる。

 本来の基準に基づくのであるならば、無手の相手には、剣であっても通用するのだが、相手取らなければならない男は、不運にも鬼人最強の名を冠する龍鬼であった。

 だからこそ、自力の差があることをあらかじめ承知していたフウガは、それらのことすら考慮して、槍へと選択を下したのだ。

 しかしながら、彼の奮闘も虚しく、その切り札である槍すら鬼神の如き龍鬼に至ることはなく、無常にも届き得なかった。

「あいつにはまだ当主の座を譲り渡すわけにはいかんな。未だ貴様に傷ひとつ負わせられん体たらくであるならば、鍛錬が足りていない証左だろう」

 それ程までに彼が圧倒的な強者であることを理解しているにも関わらず、それを鑑みる様子すら見受けられない豪鬼は、己の息子の将来を嘆く様子を見せた。

「豪鬼殿、其方の息子は素晴らしき闘いを繰り広げてくれた。先の余興は誠天晴れであった」

 だが、その先の言葉は紡がれる様な事はなく、彼に二の句を継がせる間髪さえ入れずに、ジゼルの有無を言わせぬ、圧迫感の伴う言葉が言い放たれていた。

「そうかッ!それは重畳。王様のお眼鏡に適った様で何よりだ。‥ははッ!あいつもさぞかし光栄に思うであろうな」

 続く語りを遮られた豪鬼であったが、次いで繰り出された言葉は明朗快活で、特段機嫌を損ねた様子は見受けられない。

 己の失言を鑑みる様子を見て取る事はできないものの、その豪快な気性からは、細やかな事柄に対して、あまり気を払わない性質が窺える。

「必ずや伝えよう。エルフの王から直々にお褒めの言葉を賜った、とな」

 どの様な言葉をかけられて尚、何ら己の調子を崩す様子が見受けられない彼は、平素からの大胆な立ち振る舞いで、ジゼルへと応じて見せる。

「ああ、其方の賢明な計らいに感謝を示そう」

 一国の王に対して、不遜にも砕けた態度で接する豪鬼に、それをまるで意に解する様子もなく、軽い調子でジゼルが応えてみせた。

 互いに挨拶の様な言葉の掛け合いを交わして暫く、先程まで沈黙を保ち、事の成り行きを見守っていたケレス老人が口火を切った。

「どうやら巫女殿の紹介も済み、皆様もそろそろ本題へと入りたい御様子。恐れながらこのケレスめが進行役を務めさせて頂いてもよろしいですかな?」

 己が主導権を握るべくして機を見計らっていたケレスの唐突な提案に対し、意外にも、この場に居合わせている面々からの異論は示されなかった。

「私自身耳が痛い話なのですが、以前まで音沙汰がなかった聖王国の兵が、この村にまで押し寄せているのです。そしてどうやら、エルフの集落にまで領域を広げている様ですな?」

 周囲へと視線を巡らせると共に、厳かにも語っていたケレスの、眼光鋭く冴え渡る、不気味に落ち窪んだ双眸が、両脇へと美姫二人を侍らせるジゼルを捉えた。

「な、何よっ」

 しかしながら、ケレスの問いかけを勘を違えて誤って受け止めてしまったエルルが、幾分か気圧された様子で、応じることと相なった。

 老人からジゼルへと注がれる視線を、自らに向けられているように思えてしまった彼女の可愛らしい誤解である。

 であるからして、そんな些かたじろいでいるかの様な、気位の高いエルフには、とても似ても似つかない醜態を晒す、エルルを意に解する事なく、ジゼルは返答する。

「確かに昨今の彼らの無礼な行いには、些か目に余るものがある。私はそのことに関して、其方達の意見を聞きたい。無論巫女殿からも」

 傍に控えているエルルの失言など、まるで無かった事の様にして、毅然とした立ち振る舞いを見せているジゼルの、鋭い眼光を称えた切長の碧眼が面々を射貫く。

 そうして視線巡らせた後に最終的に辿り着いたのは、表面上は聖母の如き微笑の維持を保っているユキである。

 己へと収束した、迫力の伴う鋭利な眼差しを向けられた彼女は、幾分か憔悴した面持ちを見せながらも、曖昧な微笑みを浮かべて頷いて見せたのであった。
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