上 下
54 / 257
二章

26、登校【4】

しおりを挟む
 先に行くという町さんの背中を見送りながら、わたしと蒼一郎さんは坂道を上りました。
 
 わたしの歩みが遅いので、手はつなぎっぱなしです。同じ学校の生徒が、わたしと蒼一郎さんをちらちらと見ながら追い越していきます。

 は、恥ずかしいです。蒼一郎さんは恥ずかしくないのかしら。
 尋ねてみると、ぽかんとした表情を彼は浮かべました。

「なんか恥ずかしいんか?」
「だって、手をつないでいるところを皆に見られるんですもの」
「……困ったことを言う子ぉやで。うーん、絲さんが早よ歩けたら問題ないんやけど」

 唸りながら、蒼一郎さんは羽織の袂から半巾ハンカチを取りだしました。その白い布を、つないだ二人の手にふわりとかけます。

「これで、外からは見えへんで」

 あのー、急に犯罪者っぽくなりましたよ。まるでわたしが、お縄にかけられて連行されているみたいじゃないですか。

「あかんか? 絲さんは難しいなぁ」
「手を離すという選択肢はないんですね?」
「はぁ?」

 急にすごまれて、わたしはびくっと身をすくませました。
 普通に話していると、蒼一郎さんは落ち着いて物静かな様子なんですけど。やっぱり根っこはヤクザです。
 声は低いのに、まるで空気を震わせるみたいに、肌がびりびりするんです。
 しかも無駄に端正な顔をしているので、怖さ倍増です。

「あかん。俺は離さへんで」
「どうしてそんなに頑ななんですか? これまでずっと自分で登校していましたよ」

 わたしの反論に、蒼一郎さんはむすっと渋面を浮かべます。
 考えてみれば、ヤクザの組長に言い返すなんて、わたしも命知らずなことをしているのかも。
 でも、論争の内容は手をつなぐ、つながないなんだけど。

「そやけど。絲さんは早退する時は、あの書生と手ぇつないどんのやろ」
「水浦さんのことですか?」

 わたしは記憶を手繰り寄せました。水浦さんが迎えに来てくれる時は、常にわたしの具合が悪い時です。
 微熱があったり、貧血だったり、頭痛だったり。
 場合によっては俥に乗ることもあるけれど。水浦さんと歩いて帰る場合は、どうだったかしら。

「手はつないでいないと、思います」

 正直、そんなことに気が回らないですよ。だって貧血の時なんて、ふらふらして、おえーって吐きそうになるし、頭は割れるように痛いし。

「そうか」

 ほっとしたように、蒼一郎さんが息をつきました。わたしにとっては些末なことなのに、蒼一郎さんにはかなり重要事項のようです。

 さすがに校内に男性が入るわけにはいかないので、蒼一郎さんとは校門でお別れです。
 ええ、神父さまと小間使いさんくらいなんです、学校にいる男性は。ステラマリス女學院は、校長先生も女性宣教師ですもの。

「ほな、授業が終わる時間にまた来るわ」
「あ、あの。大丈夫ですよ。蒼一郎さんもお忙しいでしょうし、帰りは……」

 長いひとさし指が、わたしの唇を塞ぎました。それ以上、遠慮の言葉を出すことができません。

「俺が来るて言うたら、来るんや。仕事のことは、誰にでも任せられる」
「じゃあ、お願いします」

 わたしはぺこりと頭を下げました。
 申し訳ない気持ちでいっぱいです。守ってもらうほどの価値があるわけでもないのに、組長さんが直々に送り迎えしてくださるなんて。

「体育は、見学させてもらうんやで。あと、ほら弁当。残さずに食べや」
「あ、ありがとうございます」

 教材を入れた風呂敷包みと共に、元々蒼一郎さんが持っていた包みも渡されます。
 わたしのお昼ごはんだったのね。
 何から何まで、ありがたいわ。

「果物ばっかり食べたらあかんで。ちゃんと魚や卵も食うんやで」

 しばらくお小言に似た注意事項が続きました。

「そういえば、蒼一郎さん。さっき登校中だからやめるって仰っていませんでしたか?」
「ああ。減るとか減らんとかいうヤツな」
「はい」

 話が途中になってしまったので、気になっていたの。
 蒼一郎さんは少し膝を屈めると、わたしの耳元に口を寄せました。

「接吻は、なんぼしても減らへんやろ。せやから絲さんが帰ってくるまで我慢するって意味や」
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

冒険旅行でハッピーライフ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:363pt お気に入り:17

最初に私を蔑ろにしたのは殿下の方でしょう?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:17,916pt お気に入り:1,963

正義の味方は野獣!?彼の腕力には敵わない!?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:534

我慢ができない勇者くん。

BL / 連載中 24h.ポイント:333pt お気に入り:48

悪女と呼ばれた死に戻り令嬢、二度目の人生は婚約破棄から始まる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,700pt お気に入り:2,474

目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:16,656pt お気に入り:3,110

1年後に離縁してほしいと言った旦那さまが離してくれません

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,409pt お気に入り:3,764

処理中です...