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六章
7、深夜の風呂
脱衣所に置いてあるカンテラに火をつけて、俺は浴室の窓辺に置いた。広い浴室では、カンテラの明かりだけでは薄暗い。
足に力の入らない翠子さんが待つ脱衣所に戻り、彼女を再び抱き上げて、風呂場へと戻る。
湯はすでに温くなっていたが、夏なのでまぁ大丈夫だろう。
翠子さんを木でできた小さな浴用椅子に座らせ、湯をかけてから石鹸を泡立てた。
「あの、自分で洗えますから」
「うん。そうだろうな」
ふわふわの泡は、少し息をかければ飛んでいきそうだ。
翠子さんの腕をとり、その泡で撫でるように洗っていく。カンテラのぼんやりとした明かりに照らされて、彼女の肌がなまめかしく見える。
なだらかな肩から、ふっくらとした胸へと泡のついた手で撫でてやると、雨の音に紛れて、翠子さんの息遣いが聞こえた。
「足を出しなさい」
優しく命じると、翠子さんは素直に応じた。
柔らかな腿から、すらりと伸びた脛へと泡を滑らせる。彼女の踵を、俺は左手に載せた。足の指を洗ってやると、急に翠子さんは足を戻そうとする。
「こら、動かない」
「くすぐったいです」
「しかし小さな爪だな」
玄関に並んだ俺の革靴と、翠子さんのブーツの大きさの差は知っているはずだが。足の指まで小さいものだから、本当に守ってやらなければと再認識してしまう。
「そういえば先日、買い物をしたんだ。明かりがあった方がいいと思ってな」
「お部屋に行灯はありますよ?」
「電燈だよ。電気は明るいからな。その方が夜、よく見えるだろ」
「夜……ですか」
何かを思いついたのか、翠子さんははっとして両腕で胸を隠して、背中を向けようとした。
まったく。そんな風に恥じらわれると、意地悪をしたくなるじゃないか。
「何を勘違いしているんだ?」
「いえ、別に」
「俺がよく見えると言ったのは、文字のことだ。夜に新聞や本も読みやすくなるし、あなたも辞書が引きやすくなるだろう?」
「辞書。え?」
「言ってごらん。何がよく見えると思ったのか。ああ、違うな。俺によく見られてしまうと言った方が正しいかな?」
意地悪く微笑みながら、俺は翠子さんのあごに手をかけた。
かぁぁ、と音が聞こえそうなほどに、彼女の顔も首筋も真っ赤に染まっていく。
「何も思っていません」
「本当に?」
「ええ、まったくこれっぽっちも何も考えておりません」
「そうか……残念だな」
俺は、これ見よがしにため息をついた。心優しい翠子さんが、俺の落胆を無視するわけがない。むろん、それを見越しての演技だ。
「俺は浮かれてしまっていたな。あなたを自分のものにすることができる嬉しさから、つい……な。だが、翠子さんは俺のことをこれっぽっちも考えていてはくれなかったのか」
「だ、旦那さま」
「いいんだ」
睫毛を伏せつつ、ちらっと翠子さんを見遣る。泡まみれの彼女はおろおろとした表情を浮かべ、すでに胸を隠すのも忘れている。
こんな風にあなたを翻弄できるのは俺だけだ。ほかの誰にも許しはしない。
「まぁ、俺のことは気にしないでくれ。電気工事は学校に行っている昼間に済むだろうから、気にすることはない。水道に電気、徐々に便利になっていくな」
「そ、そうですね」
話が逸れたと思ったのか、翠子さんはほっと小さく息をつく。
だが残念だったな。そう簡単に、あなたを解放したりはしない。
「風呂場にも電燈はつくのだろうか。そうすれば、こうして一緒に風呂に入ったあなたの全身を、もっとはっきり見られるのにな。翠子さんも、そう思うだろう?」
首筋だけではなく、翠子さんの耳までも朱に染まっていく。
「ああ、いや。今のは言い過ぎた。忘れてくれ」
「だ、旦那さまがお望みなら……わたくしは」
しかし、からかいすぎたかもしれない。仄暗いカンテラの明かりでも、決意を口にした彼女の黒い瞳が涙で潤んでいるのが分かった。
「冗談だよ。そもそも防水の面で、こんな湿気の多い風呂場に電燈を灯すのは、まだ不安が大きいからな」
半分は冗談ではなかったが、俺は浴槽から湯を汲んで、ざばぁと翠子さんにかけてやる。
可愛いから、ついからかってしまうが。泣かすのはやりすぎだ。
加減が難しいな、本当に。
「本当に読書と勉強のための明かりですよね」
「当然だ」
多分な。
「わたくし、電燈の件は……あまり、ですけど。でも、旦那さまのことはいつだって考えております。これっぽっちも考えていないなんて、ありえません。学校でも、お姿が見えないかとつい探してしまうんです」
「翠子さん……」
「ええ、本当に。お勉強に集中しようと思っても、筆記帳に旦那さまの似顔絵を描いてしまって、それで……その」
授業中は勉強に集中しなさいと、言うことができなかった。
あなたは、いつもそんな愛らしいことをしていたのか。
まったく。今夜はこれで終えるつもりだったのに。
あなたは、本当にもう……可愛すぎて困る。
足に力の入らない翠子さんが待つ脱衣所に戻り、彼女を再び抱き上げて、風呂場へと戻る。
湯はすでに温くなっていたが、夏なのでまぁ大丈夫だろう。
翠子さんを木でできた小さな浴用椅子に座らせ、湯をかけてから石鹸を泡立てた。
「あの、自分で洗えますから」
「うん。そうだろうな」
ふわふわの泡は、少し息をかければ飛んでいきそうだ。
翠子さんの腕をとり、その泡で撫でるように洗っていく。カンテラのぼんやりとした明かりに照らされて、彼女の肌がなまめかしく見える。
なだらかな肩から、ふっくらとした胸へと泡のついた手で撫でてやると、雨の音に紛れて、翠子さんの息遣いが聞こえた。
「足を出しなさい」
優しく命じると、翠子さんは素直に応じた。
柔らかな腿から、すらりと伸びた脛へと泡を滑らせる。彼女の踵を、俺は左手に載せた。足の指を洗ってやると、急に翠子さんは足を戻そうとする。
「こら、動かない」
「くすぐったいです」
「しかし小さな爪だな」
玄関に並んだ俺の革靴と、翠子さんのブーツの大きさの差は知っているはずだが。足の指まで小さいものだから、本当に守ってやらなければと再認識してしまう。
「そういえば先日、買い物をしたんだ。明かりがあった方がいいと思ってな」
「お部屋に行灯はありますよ?」
「電燈だよ。電気は明るいからな。その方が夜、よく見えるだろ」
「夜……ですか」
何かを思いついたのか、翠子さんははっとして両腕で胸を隠して、背中を向けようとした。
まったく。そんな風に恥じらわれると、意地悪をしたくなるじゃないか。
「何を勘違いしているんだ?」
「いえ、別に」
「俺がよく見えると言ったのは、文字のことだ。夜に新聞や本も読みやすくなるし、あなたも辞書が引きやすくなるだろう?」
「辞書。え?」
「言ってごらん。何がよく見えると思ったのか。ああ、違うな。俺によく見られてしまうと言った方が正しいかな?」
意地悪く微笑みながら、俺は翠子さんのあごに手をかけた。
かぁぁ、と音が聞こえそうなほどに、彼女の顔も首筋も真っ赤に染まっていく。
「何も思っていません」
「本当に?」
「ええ、まったくこれっぽっちも何も考えておりません」
「そうか……残念だな」
俺は、これ見よがしにため息をついた。心優しい翠子さんが、俺の落胆を無視するわけがない。むろん、それを見越しての演技だ。
「俺は浮かれてしまっていたな。あなたを自分のものにすることができる嬉しさから、つい……な。だが、翠子さんは俺のことをこれっぽっちも考えていてはくれなかったのか」
「だ、旦那さま」
「いいんだ」
睫毛を伏せつつ、ちらっと翠子さんを見遣る。泡まみれの彼女はおろおろとした表情を浮かべ、すでに胸を隠すのも忘れている。
こんな風にあなたを翻弄できるのは俺だけだ。ほかの誰にも許しはしない。
「まぁ、俺のことは気にしないでくれ。電気工事は学校に行っている昼間に済むだろうから、気にすることはない。水道に電気、徐々に便利になっていくな」
「そ、そうですね」
話が逸れたと思ったのか、翠子さんはほっと小さく息をつく。
だが残念だったな。そう簡単に、あなたを解放したりはしない。
「風呂場にも電燈はつくのだろうか。そうすれば、こうして一緒に風呂に入ったあなたの全身を、もっとはっきり見られるのにな。翠子さんも、そう思うだろう?」
首筋だけではなく、翠子さんの耳までも朱に染まっていく。
「ああ、いや。今のは言い過ぎた。忘れてくれ」
「だ、旦那さまがお望みなら……わたくしは」
しかし、からかいすぎたかもしれない。仄暗いカンテラの明かりでも、決意を口にした彼女の黒い瞳が涙で潤んでいるのが分かった。
「冗談だよ。そもそも防水の面で、こんな湿気の多い風呂場に電燈を灯すのは、まだ不安が大きいからな」
半分は冗談ではなかったが、俺は浴槽から湯を汲んで、ざばぁと翠子さんにかけてやる。
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加減が難しいな、本当に。
「本当に読書と勉強のための明かりですよね」
「当然だ」
多分な。
「わたくし、電燈の件は……あまり、ですけど。でも、旦那さまのことはいつだって考えております。これっぽっちも考えていないなんて、ありえません。学校でも、お姿が見えないかとつい探してしまうんです」
「翠子さん……」
「ええ、本当に。お勉強に集中しようと思っても、筆記帳に旦那さまの似顔絵を描いてしまって、それで……その」
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あなたは、本当にもう……可愛すぎて困る。
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