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十章
23、思い出
「まぁ、ええやん。牛乳、余分にあげるし」
名も知らぬヤクザな牛乳配達夫さんは、リヤカーに積んである瓶を一つ、わたくしに差し出しました。
「いえ、いりませんって。ちゃんと購入している分で十分です」
「まぁ、そう言わんと」
わたくしは、食べ物や飲み物で釣られやすい顔をしているのでしょうか。
でも、牛乳はそんなに上位に来ないんです。
確かにコーヒーをいただく時には、必須ですけど。
牛乳配達夫さんと「やる」「いりません」「来てくれ」「行きません」と押し問答していると、背後から玉砂利を踏む音が近づいてきました。
「ここで何をしている?」
不機嫌を顔に貼りつけた旦那さまが、わたくしを背後から腕に閉じ込めました。
ちらっと男性を見ると「三條組の奴か」と、低く呟きます。
あの、旦那さま。琥太郎さんとお知り合いかもしれませんけど、相手は極道ですよ。そんな対応をすると、後が怖くありませんか?
ですが、牛乳配達夫さんは怒るでもなく「あー、また出直してくるわ。牛乳はとっといて」と、頭を下げました。
霧の中に消えていく自転車とリヤカーを見送りながら、わたくしは旦那さまを見上げます。
「あの、旦那さまはなぜ怖くないんですか?」
「あいつ、怖いか?」
「少し聞いてもいいですか? 旦那さまと琥太郎さんのこと」
◇◇◇
翠子さんが、俺の子どもの頃の話を聞きたがるから。仕方なく、話すことにした。
三條組の奴が置いて行った牛乳は、まぁ、ありがたくいただくとしよう。
俺は台所から栓抜きを持ってきて、牛乳瓶の王冠を開けてやった。麦酒なら、ぽんっと爽快な炭酸の音がするのだが。牛乳瓶は、ふぬけた音がする。
「どうぞ。召し上がれ」
「え、このまま瓶に口をつけるんですか?」
「二人なら、余裕で飲みきれるだろ」
戸惑いがちに瓶を見て、さらに俺の顔を見上げる翠子さんは、やはり行儀が良い。「いただきます」と小さく言って、決意を込めた表情で瓶に口をつけた。
「あ、おいしいです」
こうやってお嬢さまも、ちょっとずつ悪いことを覚えていくんだよな。
俺もそうだった。
子どもの頃、三條組にしょっちゅう遊びに行っていた俺は、なぜか組員に歓迎されていた。
なぜかって言うのも変か。組長の息子の友達なんだから。
それに組長も琥太兄の母さんも、俺のことを可愛がってくれた。
組員たちは、夏は三條組の広大な敷地で、ギンヤンマやカブトムシを捕るのに付き合ってくれたが。冬になると、虫の姿も見えなくなる。
けど、琥太兄といても小難しい本を読むばかりだ。
琥太兄が読書している間、俺は退屈して縁側に座り、足をぶらぶらさせていた。
三條組には日本庭園もあるが、何もないだだっ広い場所もある。
そこで何をしているかというと、組員が鍛錬をしているんだ。
暇な子どもは、次第にその訓練に参加していた。
いやー、汗をかくって気持ちいいよな。体を動かすと、スカッとするし。
家に居場所がないもんだから、ついつい三條組に入り浸ってしまった。
組員が鍛錬で使っていたギラリと光る刀は、刃を潰しているかどうか、子どもだった俺には分からなかったけど。
けど、藁を束ねた……あれは巻藁っていうのだったか。それを「えいや」と日本刀で斬りつけたら、まーぁ綺麗にすぱっと斬れたもんだ。
三條組の波多野という幹部が「ええか、覚えとき。芯にしとう竹は骨に、巻いとう藁は肉の硬さに似とんねん。坊はこの感覚を覚えといたらええわ」とか、物騒なことを教えてくれた。
そしていつしか「欧之丞。大きなったら、うちに入らへんか。琥太郎と二人やったら安心なんやけどな」と組長……蒼一郎おじさんから、勧誘されるようになったのだ。
琥太兄と一緒に、拳銃の練習もしたことがあるな。
琥太兄はともかく。あれ、俺には必要だったんだろうか。
といっても、地主の家の人間が、極道になるのもどうかと思う。この辺りの住民は、古くから存在する三條組に慣れているし、頼りにもしているが。線引きはきっちりとしておかないと。
一つ上の琥太兄は、大学進学を機に上洛したが。一年後、俺も京都に越した時に、琥太兄は住んでいた下宿を引き払って、俺の隣に越してきた。
そして俺は上洛する際に「うちの奴らは、大学には行かれへん。せやから琥太郎のこと、守ったって」と、蒼一郎おじさんに頭を下げられたのだ。
うちの街と京都、そんなに離れていないぞ?
「これ、餞別や。とっとき」と蒼一郎おじさんから渡された拳銃は、かろうじて固辞したが。
彼らは俺に何を求めているのかな? ただの学生だったのにな。
名も知らぬヤクザな牛乳配達夫さんは、リヤカーに積んである瓶を一つ、わたくしに差し出しました。
「いえ、いりませんって。ちゃんと購入している分で十分です」
「まぁ、そう言わんと」
わたくしは、食べ物や飲み物で釣られやすい顔をしているのでしょうか。
でも、牛乳はそんなに上位に来ないんです。
確かにコーヒーをいただく時には、必須ですけど。
牛乳配達夫さんと「やる」「いりません」「来てくれ」「行きません」と押し問答していると、背後から玉砂利を踏む音が近づいてきました。
「ここで何をしている?」
不機嫌を顔に貼りつけた旦那さまが、わたくしを背後から腕に閉じ込めました。
ちらっと男性を見ると「三條組の奴か」と、低く呟きます。
あの、旦那さま。琥太郎さんとお知り合いかもしれませんけど、相手は極道ですよ。そんな対応をすると、後が怖くありませんか?
ですが、牛乳配達夫さんは怒るでもなく「あー、また出直してくるわ。牛乳はとっといて」と、頭を下げました。
霧の中に消えていく自転車とリヤカーを見送りながら、わたくしは旦那さまを見上げます。
「あの、旦那さまはなぜ怖くないんですか?」
「あいつ、怖いか?」
「少し聞いてもいいですか? 旦那さまと琥太郎さんのこと」
◇◇◇
翠子さんが、俺の子どもの頃の話を聞きたがるから。仕方なく、話すことにした。
三條組の奴が置いて行った牛乳は、まぁ、ありがたくいただくとしよう。
俺は台所から栓抜きを持ってきて、牛乳瓶の王冠を開けてやった。麦酒なら、ぽんっと爽快な炭酸の音がするのだが。牛乳瓶は、ふぬけた音がする。
「どうぞ。召し上がれ」
「え、このまま瓶に口をつけるんですか?」
「二人なら、余裕で飲みきれるだろ」
戸惑いがちに瓶を見て、さらに俺の顔を見上げる翠子さんは、やはり行儀が良い。「いただきます」と小さく言って、決意を込めた表情で瓶に口をつけた。
「あ、おいしいです」
こうやってお嬢さまも、ちょっとずつ悪いことを覚えていくんだよな。
俺もそうだった。
子どもの頃、三條組にしょっちゅう遊びに行っていた俺は、なぜか組員に歓迎されていた。
なぜかって言うのも変か。組長の息子の友達なんだから。
それに組長も琥太兄の母さんも、俺のことを可愛がってくれた。
組員たちは、夏は三條組の広大な敷地で、ギンヤンマやカブトムシを捕るのに付き合ってくれたが。冬になると、虫の姿も見えなくなる。
けど、琥太兄といても小難しい本を読むばかりだ。
琥太兄が読書している間、俺は退屈して縁側に座り、足をぶらぶらさせていた。
三條組には日本庭園もあるが、何もないだだっ広い場所もある。
そこで何をしているかというと、組員が鍛錬をしているんだ。
暇な子どもは、次第にその訓練に参加していた。
いやー、汗をかくって気持ちいいよな。体を動かすと、スカッとするし。
家に居場所がないもんだから、ついつい三條組に入り浸ってしまった。
組員が鍛錬で使っていたギラリと光る刀は、刃を潰しているかどうか、子どもだった俺には分からなかったけど。
けど、藁を束ねた……あれは巻藁っていうのだったか。それを「えいや」と日本刀で斬りつけたら、まーぁ綺麗にすぱっと斬れたもんだ。
三條組の波多野という幹部が「ええか、覚えとき。芯にしとう竹は骨に、巻いとう藁は肉の硬さに似とんねん。坊はこの感覚を覚えといたらええわ」とか、物騒なことを教えてくれた。
そしていつしか「欧之丞。大きなったら、うちに入らへんか。琥太郎と二人やったら安心なんやけどな」と組長……蒼一郎おじさんから、勧誘されるようになったのだ。
琥太兄と一緒に、拳銃の練習もしたことがあるな。
琥太兄はともかく。あれ、俺には必要だったんだろうか。
といっても、地主の家の人間が、極道になるのもどうかと思う。この辺りの住民は、古くから存在する三條組に慣れているし、頼りにもしているが。線引きはきっちりとしておかないと。
一つ上の琥太兄は、大学進学を機に上洛したが。一年後、俺も京都に越した時に、琥太兄は住んでいた下宿を引き払って、俺の隣に越してきた。
そして俺は上洛する際に「うちの奴らは、大学には行かれへん。せやから琥太郎のこと、守ったって」と、蒼一郎おじさんに頭を下げられたのだ。
うちの街と京都、そんなに離れていないぞ?
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