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十章

22、早朝の牛乳屋さん

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 昨夜は寝るのが早かったので、わたくしは早朝に目が覚めました。
 ええ。すっきり、ぱっちりです。
 夏の間は午前四時過ぎには、もう辺りが明るいので自然と起きるのも早くなってしまいます。壁の時計を見上げると、五時を過ぎた頃でした。

 縁側には、お盆の上に切子のグラスと空になった瓶が置いてありました。
 あの後、旦那さまと銀司さんでお酒を召し上がったのですね。
 菴羅あんら木瓜もっかの方が、断然おいしいと思うんですけど……。

 起き上がろうとすると、何かが上に乗っていて身動きが取れませんでした。
 なんでしょうと思いつつ手で触れてみると、旦那さまの腕がわたくしの上半身にのっています。

「もう、旦那さまは寝相が悪いですね」

 腕をのけようとしましたが、これが重くてなかなか。
 旦那さまは服を着ていると細く見えますが、脱ぐと筋肉の人なのです。

 腕を動かせないのなら、自分が動けばいいのです。名案です。
 わたくしは横たわったままで、もぞもぞと布団の足下の方へと移動しました。

「うぐ……っ」

 乙女にあるまじき声が出てしまいました。
 ど、どうしましょう。旦那さまの腕のせいで首がしまってしまいました。
 だ、旦那さま。緊急事態です。起きてください。
 ばしばしと、旦那さまの腕を叩きます。
 それはもう夢中で。

「まったく、あなたは甘えん坊だな」

 何度も叩き続けて、旦那さまはうっすらと瞼を開きました。その拍子に腕は外れましたが、今度は唇を塞がれます。

 違うの、呼吸がしにくいんです。キスがしたいんじゃありません。
 わたくしは、昨夜のことを思い出しました。
 確か、旦那さまと銀司さんに南国のお姫さまごっこの邪魔をされて、ふて寝をしたんです。

 わたくしは起き上がると、寝間着の上からカーディガンを羽織りました。
 ですが、寝間着の帯の締め方がいつもと違います。
 寝ぼけて、妙な締め方をしたのでしょうか。

 廊下に出ると、銀司さんもまだ眠っているのか、人の気配はしませんでした。
 二つ並んで置いてある木箱から、南国の香りが漂っています。

 髪を緩く三つ編みにして、廊下の窓辺にある洗面所で歯磨きをして顔を洗います。青いタイルの貼ってある洗面所は細長い形ですけど、一人で使うには広々としています。
 その広さが、少し寂しいように思いましたけど。
 いいえ、旦那さまはすぐにわたくしの邪魔をするんですもの。起こしてなんてさしあげません。

 玄関の引き戸を開くと、今日は霧が出ているようで、辺りがうっすらと乳白色に染まっていました。
 ですが庭を歩いていると、濃い青の朝顔が見えてきます。
 淡い霧を透かして見る朝顔は、まるでパステル画のように優しい輪郭です。

「そうです。牛乳がもう来ているかもしれません」

 門の外に置いてある木の箱を確認しましたが、まだ空の瓶が二本入ったままでした。
 しばらくすると、白い霧の向こうから自転車の車輪の音が聞こえてきます。
 うちの前で停まった自転車は、リヤカーを引いていました。

「お早うございます」と、わたくしと牛乳配達夫さんはお互いに挨拶します。そしてたっぷりと牛乳の入った瓶を二本、渡してくださいます。
 
「あれ? 自分、翠子さんやんなぁ」
「はい?」

 なぜ、わたくしの名前をご存じなのでしょう。牛乳配達夫に知り合いはいないはずですけど。
 ふと手にした瓶に書いてある赤い文字が目につきました。
『貴方の町の牛乳屋さん。三條牛乳』と印刷されています。

 ど、どういうことですか?
 三條って、琥太郎さんのお宅のヤクザさんですよね。

「いやー、うちの組長は常々『自分ら、シノギだけで生きていけるとか甘いこと考えんなや。それぞれが、ちゃんと正業を持たなあかんで』と言うてはるんで」

 健康的な牛乳と、裏の世界のヤクザがどうしても繋がりません。
 でも牛乳配達夫さんは「うち、健全な極道やから」なんておっしゃいます

「せやった。うちの若が、翠子さんに訊きたいことがあるって言うてはったんやけど。今から来てもらえへんやろか」
「え、無理です。まだうちの者は眠っていますし、わたくしも寝間着のままですから」
「別に若は気にせぇへんと思うけど」

 わたくしが気にします。しかも黙って姿を消したら、旦那さまが心配なさるじゃないですか。
 昨夜は意地悪されましたけど。それでも、放っていくことなんてできません。
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