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七章

3、空蝉

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 叶うことならば、最後に、空蝉に会いたかった。
 魂だけでも紺田村へと飛んで行けたなら、あの結界の川に留まることはできるだろうか。

(どうか、彼の傍へ)

 こんな状態になって、好きだなんて……今更だけど。

「紺田村は……どっちだった……かなぁ」

 かすれる声を洩らした時、ずずっ……と廊下を歩く音が聞こえた。
 足音は徐々に近づいて来る。とてもゆっくりと。

 使用人の速足で歩く軽い音とは違う。明らかな闖入者ちんにゅうしゃなのに、京香は確認しようともしない。

 ただ春見だけが、警戒の色を露わにして立ち上がろうとしている。

 たっぷりと時間をかけて座敷に現れたのは、足を引きずった秋杜だった。

 くすんだ着物は乱れ、日に当たっていないせいで色は白く細いけれど。紺田村で見かけた時のような虚ろな表情ではない。

 秋杜は手にした木刀を、春見につきつけた。

 まっすぐに伸びた腕。強い意志の光を宿した瞳。
 とても廃人とは思えない。

「螢に触れるな」
「兄さん……なんで? 動けるはずがないのに」

 秋杜に命じられた春見は、明らかに狼狽した。
 
「動けないほどに薬を投与した、の間違いだろうが」
「でも……なぜ」

「そこの女が私を連れ出した。手順を踏んで結界の封印を解き、このおぞましい依代を与えた」

 次に秋杜は、京香をにらみつけた。
 京香は赤い唇をへの字に結ぶ。

「女。誰が螢を手にかけてよいと言った」
「邪魔なんだもの。あげるわよ、そんな子。さっさと連れていきなさいよ」

 ちがう、秋杜兄さんじゃない。
 これは彼だ。空蝉だ。

 螢は叫び出したい気持ちになった。両手を広げて、空蝉に抱きつきたい。

 会いたかった。本当に会いたいと願っていた。
 けれど自由にならない体では、ほんのわずかに手を動かすのがやっとだ。

「苦しいな、螢」

 秋杜の姿をした空蝉が、傍にひざまずいて螢の手をとった。
 ひんやりとしたその感触が、彼と同じだった。
 顔が違うのに、体も違うのに。忌み嫌っている秋杜の姿なのに。
 こんなにも嬉しいなんて。

「相当に手荒なことをされたのだな。だが、もう大丈夫だ。案ずることはない」
 
 乱れた螢の浴衣の衿を、空蝉が直してくれる。
 その手つきは、とても優しい。

「女」
「さっきからなによ、その呼び方。私には京香って名前があるのよ」

「お前は秋杜が欲しいのだろう? ならば好きにするがいい。春見が螢にしたように、人形遊びでもしたらどうだ?」
「やっめてよー。そんな悪趣味なこと、するわけないじゃない」
「まぁ、確かに趣味が悪いな」

 ふっと秋杜の姿がぶれた。
 畳にどさりと倒れる体。まるで蝉がサナギを脱ぎ捨てるように、白銀の髪と着物をまとった人が立っていた。

 見間違えるはずがない。
 なのに、螢は何度も何度も瞬きをして確認した。

 会いたいと……春見にいたぶられて苦しい中でも、なおも救いたいと願っていた彼がそこにいたから。

「会いた……かったの」
「私もだ」
「もう、わたしの前から消えないで」
 
「もちろんだ。ずいぶんと待たせてしまったな」

 空蝉は、静かな声でそう言った。
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