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白雨【8月短編】
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しおりを挟む今日も今日とて、平和な時間が過ぎている。適当に本棚から引き抜いてきた文庫本をパラパラ流し読みしている間に、昼の時間になっていた。
くあ、と大きな欠伸を一つ。伸びをするとぽきぽき音がした。昔から和服を着ることが多いせいか、夏はいつも着流しか浴衣を選んてしまう。風通しもいいし、動きやすいし、なにより和服の方がおみは安心するらしい。
「おみ、昼にするぞ」
「はーい」
店で一番涼しい場所に陣取り、朝からずっと修行をしていたおみがとてとて近づいてきた。手には大きな絵本を抱えている。修行の成果はどれほどのものだろう。
今日は、西洋のおとぎ話を読んでいたようだ。
「どうだった?」
「かぼちゃが大きくなった!」
「へえ、そりゃすごいな」
「おみも大きくしたい! すいか!」
「うーん、それは坂口さんに頼まないとなぁ」
こうやって少しずつ世間のことを知るのが、おみの修行だ。もちろん他にもすることはあるけれど、楽しそうだから続けさせよう。
嫌がることを無理にさせたくない。俺の立場でこんなことを思うのは、もしかしたらよくないのかもしれないが。今はこれでいいんだ。
「りょーた、お腹空いた」
「今日は素麺にしようか」
「やったー! おみも手伝う!」
その言葉は嬉しいが、麺を茹でるだけなのでしてもらうことは多くない。むしろ火に近づけるのはなるべく避けたいし、かといって何もさせないのも可哀想だし。
どうしたものか。
そうだ。
「よし、今からおみにしか頼めないことを言うぞ」
「うぃ」
「庭に行って、トマトを採ってきてくれ。大きくて、赤いやつな」
「うぃ!」
これくらいなら大丈夫だろう。刃物を使わなくても採れる。その間にさっさと麺を茹でておこう。
ザルを持って庭に駆け出して行ったおみを見送り、キッチンで麺を茹でる用意を始めた。
「たくさん採れたな」
「ふふん」
「おみが毎朝たくさん水をやってるからだな」
「ふふーん!」
得意気な顔で戻ってきたおみは、ザルいっぱいにトマトを入れてきた。ついでに大葉も採ってきていて、これだけあれば十分立派な昼飯になるだろう。
お湯が沸くまでの間に、おみにはトマトの用意をしてもらうことにした。
「しっかり洗って、ヘタを取ってくれ」
「あーい」
「台から落ちないように気をつけて」
「うぃ」
おみ専用の踏み台を持ってきて、トマトを綺麗に洗っている。本当に真っ赤で大きくて、とても美味しそうだ。
ピーマンは嫌いなくせに、トマトは好きらしい。水気が多いから? よく分からない。
そんなことを考えているとお湯が沸いた。素麺を入れて、くっつかないよう菜箸でかき混ぜる。
「あ、おみ。洗い終わったら食器出してくれるか?」
「……ぅむ」
「おみ?」
「うむー!」
変にくぐもった声に、何事かと思って隣を見る。なんとなく予想は出来たが、たまにその予想を上回ることをするから、確認は大切だ。
下手したら世界の一大事なんだもんな。
「おーみー?」
「むー! むむー!」
「……トマト、食べただろ?」
「んむ! むむ!」
小さな口をパンパンにしたおみが、必死になって首を横に振る。どうしてお前は、一秒で分かる嘘を平気でつくんだ?
「あーあ、手も顔もベタベタ……つまみ食いするならもう少し小さいやつにしろよ」
「んぐ、うん」
手ぬぐいで拭いてやりのはやまやまだが、生憎と茹で上がりそうな素麺が目の前に存在している。手早く火を止め、ザルにあげて流水でぬめりを取っていく。
ついでにおみの顔にも水をかけると、びっくりしたのか「ぴぇ!」と鳴いた。素麺から粗熱が無くなっていき、素手で触れても平気だろう判断した。
「おみ、俺が大葉を切っている間、素麺を水で洗ってくれ」
「うぃ」
「氷入れるから冷たいけど、大丈夫か?」
「うぃ」
「おみ?」
いつもなら、何かを頼むと大喜びするのに。今日はどうにも勢いがなかった。
「りょーた、おみがトマト食べても怒らないの?」
「そりゃ、おみが育てたんだから。怒らないよ」
「変なの」
「そうかな」
「……たぶん」
昔のことはなんとなく聞いている。龍神様としてあるべき姿に、やるべきことを淡々と行ってきた、と。でもまだ幼いおみには窮屈だったんだろう。
ここに来てからは年相応の振る舞いが見られるようになった。まあ、時々幼すぎる時もあるけど。
「りょーた、あとでなでなでしてくれる?」
「もちろん。たくさんするよ」
おみが、擽ったそうに笑う。窓から細く光が差し込んできた。
その後、間違えてワサビを食べてしまったおみが大泣きしたことで局地的な大雨が降ったけれど。畑のトマトがますます成長していたから、明日もまた食べようと約束してなんとか泣き止ませることに成功した。
半べそをかきながらトマトを食べるおみの頬は、同じくらい真っ赤になっていた。
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