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「おいお前! よくも俺の服にこぼしてくれたな!」

 彼の隣に座っていた常連の男が、怒って剣を抜く。
 とっさの出来事に、あたしは戸惑って動けない。

「失礼」

 彼が呟いた。

 これはどう見ても事故だ。
 席を立った彼の肘に、たまたま隣の客の酒が当たった。でもここは酒場。酒場で酒を飲まない変わり者なんて、目の前の彼くらいだろう。
 溢れた酒は常連客の服にかかり、酒が入って短気になった客は剣を構えた。

「オレはこう見えてもAランク冒険者なんだ。お前みたいな弱そうなチビなんて、簡単に痛めつけることも──ッ」

 次の瞬間、その常連客は地面に倒れていた。

 構えていたはずの剣は砕かれ、地面に虚しく散っている。
 あたしは事態が急変したあの一瞬を見逃さなかった。

 彼は目視できないほどの速さで剣を拳で叩き割り、そのまま体勢を崩した相手を余力で地面に叩きつけたのだった。信じられないスピードに、見惚れてしまうほどのパワー。彼はその両方を兼ね備えていた。

 騒ぎが気になって見ていた他の客も、何が起こったのかわからずに呆然としている。

「Aランクもこの程度か」

 ボソッと言う彼。
 その藍色の瞳の奥には、あたしが生まれて初めて見る狂気が浮かんでいる。変わり者だとは思っていたけど、彼はただの変わり者とはさらに変わった、狂人だった。

「最強への道は果てしなく長いな」



 ***



 彼はカウンター席に座っていた。

 あたしが一生懸命作った渾身のビーフシチューを、彼は無表情で食べている。
 食べている、というより、胃の中に入れている、という表現の方が正しいのかもしれない。何ひとつ、「美味しい」といったような感情が見えなかった。

 あたしは酒場『月光』で料理人として働いている。

 貴族でもなんでもないただの平民なので、学校でまともな教育なんて受けたことがない。それでも、料理だけは得意だった。あのクズ親父に暴力を振られ毎日のように泣いているママも、あたしの料理を食べると笑ってくれていた。
 あたしが十八歳になると、ママは遂に決心する。

 離婚。
 
 地獄のような家族会議の後、ママはようやく自由になった。そしてあたしは、そんなママを楽にさせるため、自分の人生をもっと豊かなものにするため、親元を離れてここテーベに来ている。

「美味しくないんですか?」

 料理にはママとの温かい思い出がある。

 そんなことも知らずに、目の前に座る黒髪の青年は淡々と食事をしていた。
 あたしはそれが許せなかった。

「美味しい、か」

 青年がボソッと呟く。

 青年は見た目あたしと同じ十八歳くらいで、黒髪に眠そうな藍色の目、顔立ちはそれなりに整っているけど、すごくハンサム、というわけでもない。
 今日初めて見た客だった。

 この酒場には毎日同じような客しか訪れない。

 そもそもテーベは田舎だし、酒場もここ以外にあと二軒しかない。お陰で常連客とはそれなりに仲よくなれるけど、みんなお酒が入っているからか、あたしを変な目で見ているような気がして嫌気が差していた。

 ここで働いて半年。
 もうそろそろ辞めるべきなのか。

 実は今日が『月光』での最終日だった。確かに料理を作ることが好きでも、ここでは毎日が同じことの繰り返しで、楽しさも面白さもない。

 オーナーは気のいいお姉さんで、あたしのことを応援してくれた。
 テーベを出てどこに行くつもりなのかと聞かれると、あたしは王都ペルセポリスに行ってみる、と答えた。とりあえず王都にはなんでもあるし、仕事も生き甲斐も、そこでなら見つかるでしょ、という安易な考えだ。

「僕は貴重な時間を『美味しい』とぼんやり思うことに使いたくないんだ」

 青年が流暢に言った。
 口調は落ち着いていて、穏やかささえ感じる。

 それでも、やっぱり彼はおかしかった。
 彼がここに入ってきた時、はっきりと感じた変人の匂いは間違いなかった。

「そこはお世辞でも『美味しい』って言いなさいよ」

 普段は客に対して怒ることはない。

 それでも、今回は違った。この男はあたしをわざと挑発して、怒らせようとしてる。そんな気がした。

「嘘はつけない性格でね」

 青年が綺麗にビーフシチューを食べ終わった。
 食器には少しも残っていない。水で洗ったのか、というくらいに光沢を放っている。

「結局全部食べてるじゃない。何が嘘はつけない、よ」

「食事を残さないことは僕のこだわりのひとつ。少しでも多くの栄養を取り入れ、進化しなくてはならないからな」

 外では雨が降り始めていた。
 少し前までは晴れてたのに、天気もすぐに気が変わる。

「師匠には食事を取るときに感情を出すな、と指導された。つい最近まで、これが普通なのかと思っていたが、違ったらしいな」

「普通じゃないでしょ、その師匠」

 きっとその師匠も頭のおかしい人に違いない。あたしには関係のないことなのに、この青年のことが少し気になった。自分の料理が評価されなかったことが初めてだからなのかもしれない。
 どんな客にも、「美味しい」という評価しかもらってこなかった。それなのに彼は何も感じてくれない。

 悔しい。

「このビーフシチューは君が作ったのか?」

 彼が聞いてきた。
 どんな意図があるのかはわからない。少し話しただけでも、彼が料理の作り手を気遣うような人でないことくらいわかる。

「そうだけど」

「なるほど。君は料理ができるんだね」

 どこか嫉妬するように、どこか尊敬するようにあたしを見てきた。
 その言動に隠された真意がまるで読めない。少し面白いと思った。平凡で同じ毎日を、彼が変えてくれたような気がしたからだ。

 すると──。

「代金はここに置いておいた。料理頑張ってくれ」

 青年が立ち上がる。

 もう終わり?
 あたしは彼に期待していた。もっと話したい。せっかく面白い時間が過ごせるかと思ったのに、もう帰ってしまうなんて──それも、酒場で酒を飲まずに。
 
「ちょっと待って!」

 あたしがそう言ったその時、彼の肘が隣の常連客の酒瓶に当たった。
 そのまま酒は常連客の服にかかる。

 まずい。
 あの常連客は怒らせちゃいけない人だ。
 確かAランク冒険者で、剣の腕前も相当だという。それに酒を飲むと怒りっぽくなるタイプだから、毎回機嫌を取ることで必死だった。

 彼は地雷を踏んだ。
 さほど強そうでない青年が、Aランク冒険者に敵うはずがない。

「おいお前! よくも俺の服にこぼしてくれたな!」



 ***



 今日はテーベで過ごす最後の日だった。
 
 王都ペルセポリスから西に離れた田舎街テーベ。
 僕は魔王に関する情報を集めるためにわざわざ田舎まで来ていた。

 王都の貴族たちには、魔王なんて存在しないだの、おとぎ話を本気で信じるなんて馬鹿だの言われたが、結局僕は自分の意志を曲げるつもりはない。叙事詩に魔王の存在が示唆されていて、その魔王を倒した者が世界最強だというのであれば、僕はそれを信じるつもりだ。

「貴様は幾つになっても愚かなやつだ」

 高慢な貴族の中でも唯一の友人であり、親友のレイヴンの言葉が蘇る。
 
 冷たいことを平気で言うようなやつだ。
 それでも、友人であることに変わりない。

 たとえ何があっても、僕の目的はたったひとつ。この世界で最強の存在になること。他を圧倒するだけの実力を持ち、堂々と世界をただ眺める。王になりたいわけではない。富が欲しいのでも、権力が欲しいのでもない。

 この実力主義の世界で、最強の実力が欲しい。



 ***



「美味しくないんですか?」

 テーベの最後は酒場にでも──そう思っていたが、やはりそれは間違いだったのかもしれない。僕はこういうところに来るのに慣れていないし、酒も飲んだことがない。
 師匠から、絶対に酒を飲むな、と脅されているからだ。もし酒を飲むことがあるのなら、わたしの前でだけ飲むことを許可する、なんて言っていたっけ。

 僕に声を掛けてきたのはウェイターの女だ。
 ひとりだから敢えてカウンターに座ったわけだが、失敗だったらしい。
 
 肩までかかる空色の髪とアーモンド形の目。年齢は僕と同じくらいか、もう少し若いくらいか。同年代の女性と話すのはダグラ砂漠での一件以来だ。
 師匠であるリディアも一応は女性であるが、二十四歳で僕より六つも上だから同年代とは思っていない。

 僕を見るウェイターの表情は、どこか『美味しい』を期待しているような感じだった。

「美味しい、か」

 僕が食べているのはビーフシチュー。
 かつての好物だ。
 今の僕にはただの栄養源でしかなく、『美味しい』という感情もとっくに忘れてしまった。

 これも師匠の教えだ。実力主義のこの世界で生き残る術を、師匠は余すことなく教えてくれた。
 拷問に近いような修行の日々も、強くなるためならばなんてことなかった。そうして今、ようやく師匠の元を離れて独り立ちできた。

「僕は貴重な時間を『美味しい』とぼんやり思うことに使いたくないんだ」

 ウェイターの目を見ながら、一息で答える。

 彼女は明らかに僕を変人判定しているらしいが、僕に話し掛ける彼女もなかなかの変人だ。認識阻害の魔術を使っているというのに。
 
 テーベはあくまで立ち寄っただけ。

 ここの連中と仲よくするつもりはない。
 余計な人間関係が増えてしまうことは、僕の目的を果たす上での雑音に過ぎない。基本的に、僕の友人はレイヴンと師匠のふたりで十分だ。

「そこはお世辞でも『美味しい』って言いなさいよ」

 少し強気に言われた。

「嘘はつけない性格でね」

 ビーフシチューの味がまずいとは思わなかった。
 そもそも、料理は食べられればそれでいい。そこに美味しいや美味しくないといった感情を入れる必要がない。

 別に悲しいことだとは思っていなかった。
 一度受け入れれば、すぐに慣れるのが人間の凄いところだと思う。

 それからまた少し話して、ビーフシチューを作った料理人が彼女であるとわかった。
 味の評価に対してしつこいのだから当然だ。料理人としてのプライドというものがあるんだろう。

「なるほど。君は料理ができるんだね」

 ウェイター兼シェフの彼女を見て、一言。

 料理ができるなんて羨ましい。
 どれだけ練習しても、呪われているのではないかというくらいに僕は料理ができない。この前もヤギの肉を焼こうとしたが、失敗して黒焦げになった。
 よって基本は自炊する時はなんでも生で食べる。そのせいでよく腹を壊すが、それも『慣れ』でどうにか制御できるようになってきた。

 僕は代金の金貨を置き、そのまま立ち上がる。

「代金はここに置いておいた。料理頑張ってくれ」

 もうここにいる必要はない。
 ビーフシチューは食べたし、明日の朝は早い。早朝から馬車でテーベを出て、ちょうど夕方頃に王都ペルセポリスに着く。

 近くはないが、決して遠すぎるわけでもない。
 また魔王復活の情報を整理して、王都魔生物管理局長のレイヴンから依頼を受けながら生計を立てる。この地道な作業の繰り返しだ。
 
「ちょっと待って!」

 ウェイターが急に叫んだことに驚き、その拍子に肘が隣の客の酒瓶に当たってしまった。

 その酒瓶はそのまま溢れ、勢いよく隣の客の服にかかる。
 三十くらいの男で、体格はよく、腰には剣を下げている。冒険者といったところだろう。

「おいお前! よくも俺の服にこぼしてくれたな!」

 男が剣を抜く。
 この瞬間、やつはただの隣の客ではなくなった。僕の敵になった。

「失礼」

 剣の構えを見る限り、やつは素人ではない。
 基礎基本はできているようだ。何度も繰り返し剣を構え、振り続けるからこそ、とっさの構えでも完璧な型に持ち込める。体に染み込んでいるということだ。

 しかし、酒が入っているとはいえ、実力の差を見極めずに僕に敵対するなど、愚か者のすることだ。
 確かに構えはいい。基礎の上に成り立つものもある。

 だが、その構えを見ただけで、僕は自分の勝利を確信した。

「オレはこう見えてもAランク冒険者なんだ。お前みたいな弱そうなチビなんて、簡単に痛めつけることも──ッ」

 勝負は一瞬で着いた。

 剣を抜くまでもない。第一に、やつは僕を侮っていた。それは戦闘において、最もしてはいけないこと。相手を観察していないのにも関わらず、自分より格下だと決め、見下すのは愚かだ。

 もし早くこれに気づき警戒を怠らなければ、あと三秒くらいは粘っていたと思う。

「Aランクもこの程度か」

 冒険者のランクはSまであると聞いている。
 Aランクがこの調子では、きっとSランクも大したことないだろうな。

 それに、所詮は冒険者。
 傭兵や魔術師、闘技場のトップ剣闘士の方が遥かに強い。

「最強への道は果てしなく長いな」

 やつと一緒に飲んでいた客、野次馬の客、そしてウェイターの女。
 多くの視線を感じる。何が起こったのか把握できていない者もいた。

 ウェイターの女がまた何か叫んでいたような気もしたが、もう僕の耳には入らない。僕はそのまま踵を返して酒場を後にした。
 外は雷が鳴るほどの大雨だった。










~作者のコメント~
 これから毎日1話ずつ更新していきます。だいたい1話5000文字程度です。
 2週間ほどで完結する予定ですし、感動のラストになっているので、ぜひお気に入り登録をよろしくお願いします!!
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