天使様の愛し子

東雲

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プティ・フレールの愛し子

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「───ニス様……アドニス様?」
「ふあっ、な、なに…?」
「大丈夫ですか? 先ほどから、ぼぅっとされていらっしゃいますが…」
「だ、大丈夫だよ」
「…ご無理はなさらないで下さいね。今日は早めにお務めを終えて、お部屋で休みましょう?」
「…うん」

イヴァニエと一夜を共にした日の翌日。今日はフォルセの果実としての務めを果たす為、朝からエルダと共にフレールの庭へと赴いていた。
暖かな陽射しの中、赤ん坊達に果実を与えながら過ごす時間はいつもと変わらなかったが、今日は少しだけ、いつもと様子が違っていた。

(…イヴもルカもいないのは、初めてだ)

これまでは二人も共にフレールの庭へと来ていたのだが、今日はどちらの姿もない。
イヴァニエもルカーシュカも、それぞれ役目があり、常に側にいられる訳ではないと理解していたが、実際いないとなるとやはり少しだけ寂しいと思ってしまう。
とはいえ、エルダや赤ん坊達とだけで過ごす時間もまた特別なもので、そこに寂しさを感じることはなく、なにより今はほんの少しだけ、イヴァニエとルカーシュカがいないことに安堵している自分がいた。

(…ちょっとだけ、恥ずかしいんだもの)

そう意識した途端、昨日から今日の明け方に掛けてのアレコレを思い出し、カァっと頬が熱くなった



昨夜、ふと目が覚めるとイヴァニエの腕の中にいた。
一瞬、状況が掴めず固まってしまったが、鼻先がくっつきそうなほど間近にあったイヴァニエの綺麗な顔に驚き、慌てて飛び起きた。
混乱しながらも辺りを見回し、そこがイヴァニエの大きなベッドの上だと気づくのと同時に、目を覚ましてしまったイヴァニエに腕を掴まれ、再び温かな布団の中へと引きずり込まれた。

「イ、イヴ…?」
「…朝日を迎えるには、まだ早すぎますよ、アニー」

半分寝惚けているのか、普段よりも幾分ふにゃふにゃとした口調だったが、抱き寄せる腕の力は普段の倍で、強く抱き締められたまま、まったく身動きが取れなくなってしまった。
何か聞こうとにも眠そうな彼に色々聞くのは忍びなく、なんとか自分で今の状況を把握しようとしたのだが───途中まで記憶を遡ったところで、恥ずかしさからそれどころではなくなった。

(え、えっちなこと…、しちゃった…っ)

数えきれないほどのキスを繰り返し、胸を撫でられ、舐められ、イヴァニエの手によって精を吐き出したことを一気に思い出し、全身から汗が吹き出した。
肌の上を滑る大きな手の平の感触や温度に加え、性器を刺激された時の記憶まで蘇り、恥ずかしさから堪らず身を捩るも、キツく抱き締められた腕の中では身動きも取れない。…と、そこではたとあることを思い出す。

(どうしよう……途中から、覚えてない…)

イヴァニエの声に誘われるまま、射精してしまったところまでは覚えているが、その後のことはまるで覚えていない。
ハッとして身に纏っている衣服に触れれば、サラリとした手触りのそれは見たことのない物で、恐らくはイヴァニエが着替えさせてくれたのだろうと安易に想像することができた。
漏らした精で濡れていたはずの股や、汗ばんでいた体にもそれらの名残りは一切無く、清められた上で今こうして寝ていた現実に、羞恥の波が押し寄せ、心臓が痛いほど脈打った。

(あ、あやま…っ、ちがう、お、お礼を…!)

唸ってしまいそうになるのを必死に堪えるも、恥ずかしさから縮こまった結果、イヴァニエの胸元に甘えるように顔を埋めてしまった。
ただでさえ彼の香りが強いベッドの中、より深く吸い込んでしまった彼の匂いに羞恥と熱が混じり合い、頭がクラクラする。

「ふ…っ」

恥ずかしいのに嬉しいような、嬉しいのに恥ずかしいような、堪らなく胸がいっぱいになるような感覚に悶えていると、背中を軽くポンポンと叩かれ、ビクリと肩が跳ねた。

「っ…」
「…何もしないから、今はおやすみなさい」

とろりとした微笑みを浮かべ、青い瞳を柔らかに細めたイヴァニエは見惚れるほど綺麗だったが、まだ眠そうな様子からは、長く会話するのは難しそうだった。

「ぁ…イヴ……あの、体、キレイにしてくれて、ありがとう」
「ふ……どういたしまして」
「……一緒に、寝ていいの?」
「勿論です。…朝になったら…アニーのお部屋まで、一緒に帰りましょうね?」
「…ん。…おやすみ、イヴ」
「おやすみなさい、アニー…」

二言、三言交わすと、すぐに瞼は閉じられ、青い瞳は見えなくなった。
抱き締める腕の力はそのままだったが、和やかな会話のおかげか、それまでの恥ずかしくて堪らなかった熱はスゥッと引き、代わりに喜びにも似た愛しさが込み上げた。

(……明日、起きてからお話ししよう)

今はただ、包まれている温もりに甘えよう───まもなく聞こえてきた静かな寝息に誘われるように目を閉じると、イヴァニエの体にぴたりとくっついたまま、再び眠りに落ちた。

翌朝、目が覚めると既にイヴァニエは起きていて、満面の笑みと共に朝の挨拶を告げられた。
寝惚けていたせいか、目覚めと共に蕩けるような甘い微笑みを直視してしまったせいか、一瞬頭が混乱したものの、なんとかすぐに状況を思い出すことができた。
ベッドから起き上がり、身支度を整えようとすると、上機嫌なイヴァニエの手によって着替えさせられ、されるがまま着替えを終えた。

「…イヴは、着替えないの?」
「私の着替えは、私の側仕えが手伝ってくれますからね。後で着替えますよ。…さぁ、そろそろアニーを帰してあげないといけませんね」

そう言って夜着の上に上着を羽織ったイヴァニエに手を引かれ、互いの部屋を繋ぐ転移扉の前へと向かった。こちら側から見た扉には特に飾りは無く、どうすればいいのかイヴァニエを見つめれば、そっと背中を押された。

「こちら側からは、何かに触れる必要はありません。そのまま扉を開けてみて下さい」
「うん」

その言葉に従い、そっとドアノブに手を掛ける。難なく開いた扉の先には、見慣れた自室が広がっていた。
その光景にホッとするも、同時にイヴァニエの元から離れなければいけないのだという寂しさが湧き上がり、きゅうっと胸の奥が切なく鳴いた。

(お別れじゃ、ないのに…)

朝陽が差し込む明るい自室とは裏腹に、僅かに沈んだ気持ちで立ち竦んでいると、イヴァニエに腰を抱き寄せられた。

「寂しくなってしまいますね」
「! ……うん」

ああ、彼も同じ気持ちだった───その一言が無性に嬉しくて、はにかむように唇を喰めば、イヴァニエの唇がそれを咎めるように重なった。
触れ合うだけの柔らかなキスを何度も繰り返し、チュッ、チュッ…と響く小さなリップ音に、ほんのりと体が火照り始めた頃、ゆっくりと唇が離れていった。

「一日中、アニーを独り占めできて、とても嬉しかったです」
「私も…一緒にいられて、嬉しかった」
「これからは、いつでも遊びに来て下さいね」
「…うん」

優しい抱擁を交わし、無言のまま互いの体温を分かち合うこと暫く、体を包むイヴァニエの腕がゆるゆると解けていった。

「……離れ難いですが、そろそろ帰してあげないと、このまま帰せなくなってしまいそうですね」
「ん…?」
「…今日は、私はフレールの庭へ同行するのはやめておきましょう」
「…どうして?」
「昨日もずっと側にいて、今日もずっと側にいたら、明日一日会えない寂しさに私が耐えられなくなってしまいそうですから…陽が暮れる前には、一度顔を出しますね」
「……ん」
「ああ、あんまり可愛い顔をしないで。本当に帰したくなくなってしまいます。…お役目、頑張って下さい。また後でね、アニー」
「うん…頑張る。また後でね、イヴ」

最後にもう一度口づけを交わし、互いの部屋を繋ぐ境界線を跨ぐと、静かに微笑むイヴァニエに手を振りながら、長くて短い逢瀬を終えた。



それからすぐにエルダがやって来て、随分と久方ぶりに感じる再会に喜んでいると、ルカーシュカも今日は急用で来れないということを聞かされた。
二人共来れなくなってしまったことに多少面食らうも、日常に戻ってきたのだと実感した途端、じわじわとイヴァニエとの非日常的な行為を思い出し、心も体も落ち着かなくなってしまった。

(エルダには、なんだかバレてるみたいだし…)

「イヴァニエ様とのお時間は楽しかったですか?」と問われ、思わず口籠ってしまったのだが、それだけでエルダはなにやら察したらしく、そこから妙に体を労わるような発言が増え、今も心配そうにこちらを見つめている。

「ぷあ? う?」
「っ…、ごめんね。ご飯だね」
「あ!」

(いけない…集中しないと)

クイッ、クイッと赤子に服の端を引かれ、ハッとする。イヴァニエがいないことで、恥ずかしさ自体は半減しているものの、少しでも気を抜くと昨日のことを思い出してしまうのだ。

仄かな照明が灯る中、何度も交わした口づけと、熱い舌の温度。
肌を擽る手の動きや漏れる吐息も、背筋を駆け抜けた快感も、考えないようにしようとすればするほど意識してしまい、体に熱が籠った。

(今は、考えないように…!)

大事な役目を務めている真っ最中に、気もそぞろではいけない。
不安気な表情のままのエルダに、「大丈夫」という気持ちを込めて微笑むと、きゃあきゃあとはしゃぐ赤子達の柔らかな頬を撫で、気持ちを切り替えるように深く息を吸い込んだ。



「アドニス様、お体に辛いところはございませんか?」
「だ、いじょうぶ、だよ?」

今日の分のフォルセの果実を赤子達に配り終え、ホッとしたのも束の間、即座にエルダに手を引かれ、あっという間に部屋に連れ戻されてしまった。
いつもなら、陽が傾き始めるまで赤子達と一緒にフレールの庭で遊んでいるのだが、どうやら今日はそれも許されないらしい。
エルダと二人きりになった部屋の中、座らされたソファーの前に膝をつき、自身の手を両手で包むエルダの表情は険しく、それだけでオロオロしてしまう。

「エルダ…あの、怒ってる…?」
「いいえ、怒ってはおりません。ただ、今日のアドニス様はいつもと様子が違いますので……昨日、イヴァニエ様と何かあったのかと…」
「だ、大丈夫…だよ…! その……エルダに心配させるようなことは、してないよ…」
「…アドニス様が、お辛い思いなどはされていませんか?」
「し、してないよ…!」
「……お体に、ご負担などもございませんか?」
「うん…!」
「…それならば良かったです。……イヴァニエ様のお部屋は、とても素敵でいらっしゃいますから、アドニス様も楽しく過ごせたのではございませんか?」
「う、うん…!」

コクコクと懸命に首を振っていると、フッとエルダの表情が崩れ、纏う空気が和らいだ。

(心配させちゃった…)

エルダが安心してくれたことに安堵するも、性的な行為に対し、どこまで口にしていいのか判断できない今、安易に喋るのはきっと良くないのだろう。
余計な心配事は避けるべく、話題を変えてくれた彼の気遣いに感謝しながら、今はただその優しさに甘えた。


程なくして、約束通りイヴァニエが部屋を訪れた。
正直に言えば、ほんの少しだけ顔を合わせることに緊張していたのだが、イヴァニエの様子はいつもと変わらず、柔和な微笑みにホッと息を吐いた。
そうこうしている内にルカーシュカもやってきて、思いがけず皆が揃ったことが嬉しくて、へにゃりと笑みが零れた。

「楽しそうですね、アニー」
「うん…みんな、いるから」
「ああ、今日は来れなくてごめんな」
「私も、ルカーシュカがいないのであれば、側にいるべきでした。ごめんなさい」
「うぅん。…二人にも、二人のお務めがあるって、知ってるから……今こうやって、一緒にいられるだけで、いっぱい嬉しい」
「…また可愛いことを言って…」
「ふふ、私達もアニーと一緒にいられて、とっても嬉しいですよ」
「ん…」

言葉と共にイヴァニエの唇が頬に触れ、ほわりと心が浮き立つも、自分とは反対にルカーシュカは怪訝そうな顔をしていた。

「というか、お前はなんでいなかったんだ? 特別な呼び出しなんて無かっただろう?」
「昨日の今日でアニーとずっと一緒にいたら、離したくなくなってしまいますからね。自制した結果です」
「……難儀だな」
「よく我慢したなと褒めて頂きたいのですが?」
「…?」

二人で何か分かり合っているイヴァニエとルカーシュカを交互に見ていると、目が合ったルカーシュカが口を開いた。

「アニー、昨日は楽しかったか?」
「え…う、うん…!」
「そうか、良かったな。……なにをして過ごしたんだ?」
「うぇっ!?」

ルカーシュカの表情はにこやかだったが、その質問が質問になっていないことは明らかだった。

(な、なにって…)

明らかに『答え』を分かっている上で質問されている───いつもは鈍い頭もこんな時ばかり察しが良くて困ってしまう。
なんと答えるべきか迷っている間に、昨日の様々な行為を思い出し、頬が赤く染まっていくのが自分でも分かった。

「ぁ…ぅ……あの…」

正直、答えに窮している時点で『答え』が『正解』と告げているようなものなのだが、それに気づけるような余裕はなく、しどろもどろになっていると、ルカーシュカの瞳がスッと細められた。

「……まぁ、イヴァニエだからな。部屋に招いた時点で、やるだろうとは思っていたが…」
「ちょっとお待ちなさい。これでもきちんと自制しましたし、節度を持った行動しかしていませんよ」
「本当か、アニー? 酷いことをされてないか? 正直に言っていいんだぞ?」
「…信用されてませんね」
「う…う、と…」

(言って、いいのかな…?)

どう伝えるべきなのかは分からないが、悪いことをした訳ではない…はずだ。
ルカーシュカの真剣な表情に押され、答え方に悩むこと数秒───ポッと頭に浮かんだ言葉が表現として最適なことに気づき、ハッとした。

「あ、あのね…」
「うん」
「えっと…ひどいことは、されてないけど…、えっちなことはしたよ…!」
「「「………」」」
「あと、大っきい鯨を見て…えと、一緒のベッドで寝て……!」

覚えたばかりの単語は、昨日の出来事を一言で告げられる最善の言葉だった。
我ながら的確な表現ができたと、自信を持って答えたのだが、三人の反応は予想に反して鈍かった。

「……そうか。エッチなこと、ねぇ」
「先ほども言いましたが、自制しましたよ」
「恐れながら、どの程度の範囲の行為を仰っているのかお伺いしても?」

(……あれ?)

妙に静かな空気に、膨らんだ自信が萎れていく。
性行為自体はいけない行為ではないはずなのだが、自分の伝え方がいけなかったのだろうか…と俯けば、ルカーシュカが繋いでいた手をギュッと握り締めてくれた。

「ごめん、不安にさせちゃったな。アニーがいけないことを言った訳じゃないから、安心しな。…教えてくれて、ありがとう」
「……えっちなことしたら、いけない?」
「いいや、いけないことじゃないよ。ただ俺達も知らなかったからな、ちょっとびっくりしただけだ」
「ごめんなさい、アニー。不安にさせてしまいましたね。私からルカーシュカ達には話しておきますから、そんなに泣きそうな顔をしないで?」
「ん…」

俯いていた両側の頬に、あやすようにイヴァニエとルカーシュカからの口づけを受け、強張っていた体からゆるりと力が抜けた。

「まぁ、行為自体は良いんだが…発言が危なっかしいのが心配だな」
「おや、可愛らしくていいじゃないですか」
「…俺達の前でだけならいいけどな」
「私から改めて、発言される際の注意点についてはお伝え致します」
「頼んだ」
「…?」

───その夜、自分が寝静まった後で、彼らだけで話し合いが行われた様だったが、その内容については、ついぞ教えてもらえなかった。



そんなことがあった日の翌日、イヴァニエの元を訪れた日から一日空けた今日は、ルカーシュカの離宮へ遊びに行く日だ。
本来であれば、この日はエルダは安息日であり、休んでいてほしいのだが、やはり「朝の身支度を整えるのだけは…」と強く請われ、素直にお願いした。
朝の習慣も終え、エルダに服の端まで丁寧に整えてもらうと、先にエルダを見送る為、手を繋いで部屋の扉の前まで向かった。

「それじゃあ、いってきます、エルダ。ゆっくり、お休みしてね」
「ありがとうございます。…いってらっしゃいませ、アドニス様。お帰りをお待ちしております」

短い挨拶と抱擁を交わし、互いに微笑み合うと、部屋を出て行くエルダの背を見送った。
そのままくるりと振り返れば、先日と同じく、誰もいない室内はシンと静まり返っていたが、不思議と以前のような緊張は感じなかった。

(イヴのお部屋に、ちゃんと行けたからかな…)

一度体験したことで、少しだけ自信がついたのかもしれない。
緊張とは異なる胸の鼓動を押さえ、転移扉の前まで向かうと、扉に描かれた星のレリーフにそっと手を伸ばした。
瞬きの間に色形を変えた純白の扉は、部屋に差し込む陽の光を浴びてキラキラと輝いており、それだけでワクワクとした感情が溢れ、胸は高鳴った。

「……いってきます」

ドキドキと高鳴る胸を押さえ、誰に告げるでもない言葉を空になる部屋に向かって呟くと、華奢な造りのドアノブにゆっくりと手を掛けた。
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