Sub侯爵の愛しのDom様

東雲

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ガチャンッ──……

「あっ……」

カップがソーサーに当たる音に、ビクリと肩が跳ねた。
思いがけない人物の声が聞こえたことと、予想外に響いた陶器がぶつかる音に、二重の意味で心臓がドキドキと脈打ち、大袈裟なほど驚いてしまった。

(びっ、くりした……)

咄嗟に手元のカップに手を伸ばし、割れていないか確認する。幸いどこにも欠けはなく、何事も無かったことにホッとしていると、不意に視界の中に自分以外の者の指が映り、再び肩が跳ねた。

「っ……!」
「……大丈夫ですか?」
「あ、ああ……大丈、夫……っ」

音もなく傍らに移動したメリアに驚いている間に、カップに伸ばした手を除けるように、彼の手がやんわりと指先を握った。
あまりにも突然すぎる触れ合いに体は強張り、先ほどから驚いてばかりの心臓はドキドキしっぱなしだ。

(なんで、手を……?)

怪我がないか心配してくれたのだろうか?
だとしても握る必要はないのでは……そう思いつつ、手を引くには強い力で握られた指先は、自然に解くのは難しく、どうしたものかと思案しつつも、彼がここにいる理由を尋ねた。

「えっと……私に用かな?」

そういえば、今日メリアと言葉を交わすのは今が初めてだ。
少し緊張してしまう内心を隠すように、努めて平坦な声で問えば、メリアがチラリとこちらを見上げた。

「なかなかお戻りにならないので、何かあったのかと……」
「あ、ああ、そうか……ありがとう。少し寝不足で、ぼんやりとしてしまって……悪かったね」

(……わざわざ、来てくれたのか)

避けられていると思っていた。いや、実際避けられていたのだろうが、それでもこうして案じて様子を見に来てくれた優しさに、キュウッと胸が切なく鳴いた。
どこかソワソワするような感覚に、握られた指先がじんわりと熱を帯び始める。言葉にし難い熱と胸の疼きを不思議に思いながら、はたと自分の目的を思い出した。

(そうだ。昨日のことを謝らなければ……)

いや、それよりもまずは、何か怒らせるようなことをしてしまったのか聞くべきだろうか?
馬鹿正直に聞くのは気が引けるが、さりとて心当たりがないのだから本人に聞く以外に確かめようがない。
まずは昨日の歓迎会に参加できなかったことを詫びて、それから──と考え込んでいると、指先を握る手の平にグッと力が籠ったのが分かった。

「……昨夜の方と、一緒にいたからですか?」
「え?」
「寝不足というとは、昨夜、一緒にいた方が原因ですか?」
「……え」

『一緒にいた方』というのは、メルヴィルのことだろう。
何故メリアがそのことを知っているのか、予想外の質問に浮かんだ疑問は、だが次の瞬間には戸惑いに変わった。

金色の瞳がジッとこちらを見上げ、その輝きから目を逸らせなくなった。
いつもの微笑みが消えた顔からは感情が見えず、だがまるで咎めるような金の輝きに体は竦み、落ち着きを取り戻し始めた臓器がまた暴れ始めた。

(どう、して……)


どうして、いけないことがバレてしまったような気持ちになるのだろう──?


じわりと滲んだ汗とドクドクと鳴る心臓は、まるで悪いことをしたのがバレてしまい、今から叱られるのを待つ幼な子のようで、酷く落ち着かない気持ちにさせた。
緊張と焦り、ほんの少しの恐怖を混ぜたような感覚にコクリと息を呑みつつ、「あ……」と口を開いた。

「げ、んいん、というか……違うんだ。ちょっと、考え事をしていて……」
「……昨夜、一緒にいた方はどなたですか?」
「し、司祭様だ。その、子どもの頃から、お世話になっている、方で……」
「司祭様と、あのようなお時間にどのようなご用で、共にいらっしゃったのですか?」
「あ、いや……司祭様と言っても、その、友人のような方で……」

どうして、メリアにこのような質問をされているのだろう?

そう思うのに、なぜか答えを濁すこともできず、素直に答えている自分に、更に戸惑いが増した。
疑問符と動揺が混じり合う中、『友人』と答えた瞬間、メリアの眉がピクリと動いた。

「……アルマンディン様は、ご友人の方とこのように触れるのですか?」
「え──」

不意に頬を擽った温かなものに、目を見開く。
自身の浅黒くゴツゴツした指を握る、真白くほっそりとしたメリアの指。それと同じ指先が、自身の頬をそっと撫でたのだ。

「~~~ッ!」

瞬間、ゾクリと背筋を駆け抜けた何かにカァッと頬が熱くなった。
その熱は目元や耳にまで広がり、自身の顔が赤くなっていることに気づき、慌てて顔を逸らした。

(なに……なんだ!?)

かじかんだ指先に血液が巡り、ジンジンと痛むような熱に、咄嗟に顔を隠そうとするも、空いていたはずの片手までメリアに握られ、両手の自由を奪われた。

「メ、メリアくん……!」

自分でも訳が分からないほど動揺しているのが分かる。
やんわりと握られた手は、振り解こうと思えば解けるだろう。だが今の自分には、それができない。


振り解いてはいけないような、彼を拒んではいけないような、何故か「ごめんなさい」と謝りたくなるような衝動に駆られていた。


(どうして……!)

謝らなければいけないことなど何もしていない。そう思うのに、勝手に口から謝罪の言葉が漏れそうになる──その時だった。

「……ごめんなさい」
「ッ……!」

耳に届いた弱々しい声に、ふっと体が軽くなった。
ハッとして視線を下げれば、俯いたメリアの髪の毛だけが見えた。

「個人的なことをお聞きして、申し訳ありませんでした」
「え……あ、いや、それは、いいんだが……」

どちらかと言えば、今握られている指先や、撫でられた頬の方が気になるのだが、あえてそこに触れるのはやめた。

「……昨日は、あの方とお会いになるから、いらっしゃらなかったのですね」
「ちがっ……! い、いや、そうなんだが、違うんだ! 前々からの約束で……昨日は、本当にすまなかった」
「……あの方は、本当にご友人なのですか?」
「そうだよ。友人というか……お世話になってる方というか……」
「……恋人ではないのですか?」
「違う! 昨日のは、その……少し、揶揄われただけで……」

言い訳がましい言い方に、しどろもどろになりながらも必死に否定する。
事実として恋人ではなく、別れ際の行為の意味も分からないのだから、言い訳でもなんでもないのだが、ギュッと握り締められた指先に、後から後から罪悪感が込み上げた。
どうしてこんな気持ちになるのか…先ほどから頭は混乱しっぱなしで、繋がった手と頬はずっと火照っていた。

「……本当ですか?」
「本当だ」

目一杯の肯定の意を込めて答えれば、眉を下げたメリアがそっと顔を上げた。

「……ごめんなさい。どうしても、気になってしまって……」
「……見ていたのか?」
「皆さんとお食事をした後、帰り道でちょうどアルマンディン様をお見かけして……お声を掛けようと思ったのですが、その……」
「……そうか」

タイミング悪く、メルヴィルと外で話し込んでいた所を見られてしまったようだ。なんとも言えない気まずさに、暫し黙り込むと、ハッとあることに気づいた。

(もしや、気まずくて避けられていたのかな……?)

今のやりとりから、昨夜のメルヴィルとの一件が原因で、メリアの様子がおかしかったのだと思い至る。
ホッとしていいのかは分からないが、原因が分かっただけ、僅かに胸が軽くなった。

「その、すまなかったね」
「謝って頂くことではございません。……僕の方こそ、避けるような態度を取ってしまい、すみませんでした」
「……何か、怒らせてしまったのかと思ったよ」
「ごめんなさい。その、ヤキモチを妬いてしまいました」
「……ヤキモチ?」
「アルマンディン様が、あの方に取られてしまったような気がして……」
「ふ……可愛いことを言ってくれるな」

思ってもいなかったメリアの発言に、思わず笑みを零せば、ふっと空気が和らいだ。
まるで親の関心が妹や弟に逸れてしまい、拗ねたように情を強請る子のようなメリアの様子に、ほわりと愛しさが湧いた。

「……歓迎会の代わりと言ってはなんだが、よければ今度、食事にでも行こうか?」
「……! はい! 行きたいです!」

慕ってくれる嬉しさから誘えば、途端にパァッと表情を明るくし、頬を綻ばせたメリアに自分も嬉しくなる。

(……良かった)

ほんの少し前までの苦い気持ちや、重苦しかった胸が嘘のように晴れ、喜色に溢れた空気に、自然と笑みが零れた。

「そろそろ戻ろうか。流石にフラメル様に叱られてしまうかもしれないからな」
「ふふ、そうですね」 

言葉と共に、するりとメリアの手が解ける。
それをほんの少しだけ寂しく感じることに、心の中で首を傾げながら、共にサロンを出た。



晴れやかな気持ちで抱いた愛しさ──熱くなった頬の意味にも、メリアの言動の意味にも気づけないまま、共に過ごせる心地良さに、ただ安堵していた。
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