Sub侯爵の愛しのDom様

東雲

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「はぁ……」

手の平の中、ゆらゆらと温かそうな湯気が昇るティーカップ。その中で揺れる黒い液体を見つめながら、重く深い溜め息を吐き出した。


メルヴィルと食事を共にした翌日、寝不足気味でぼんやりとする頭で王城へと向かった。
昨夜はメルヴィルの発言の意図について、悶々と考え込んでしまい、なかなか寝付けなかったのだ。
朝の日課である鍛錬では身が入らず、朝食も半分ほど喉を通らず、屋敷を出る時は段差で躓いて転びそうになり、家令やメイドにひどく心配されてしまった。
居た堪れなさと恥ずかしさから、慌ただしく馬車に乗り混むと、その中でもずっと同じことを考えていた。

(メルヴィル様は、Domなんだろうか……?)

今までは自分のSub性ばかり気にしていて、正直Domという存在をあまり意識したことがなかった。
それどころではなかった、というのも理由の一つだが、それにしたって二十年近い付き合いになるメルヴィルの性別すら気にしたことがなかった自分に、少しばかり落ち込んだ。と同時に、どうしてメルヴィルが急にあんなことを言ったのか、戸惑いと悲しみのような感情が込み上げ、溜め息ばかりが零れた。

(……友人として、心配してくれたんだろうか?)

だとしたら、あんな風に触れたりするものだろうか?
自身の薄い知識と浅い経験では判断ができず、かと言って誰かに相談できるはずもなく、ぐるぐると思考の渦に飲まれた。
とはいえ、いくら考えたところで答えなどメルヴィル本人にしか分からず、いっそ次に会う時までこの出来事は忘れよう……と、最終的には考えることを放棄した。

(揶揄われただけなのかもしれないし……)

ああ、きっとそうだ……寝不足で回らない頭で自己完結すると、意識を切り替え、職場に向かった。
今日はメリアに、昨日の歓迎会に参加できなかったことを重ねて詫びるのだ。
モヤモヤとする頭と気持ちを振り払うように気合いを入れ直すと、メリアの元へと向かった──が、そこにメリアの姿は無かった。
いつもなら自分よりも早くに来ているはずのメリアだが、彼の席はもぬけの殻で、まだ出勤していない様子だった。
珍しいこともあるものだ、と少しばかり拍子抜けしつつ、朝の支度をしていると、いつの間に来ていたのか、ふと気づいた時にはメリアが席に座っていた。

(……あれ?)

この時、やんわりと胸を締め付けるような違和感を覚えた。
メリアと親しくなってからは、毎朝欠かさず朝の挨拶と共に他愛もない会話を交わしていて、いつしかそれが当たり前になっていた。
それが無かった……勿論、互いに話し掛けるタイミングが無かったということもあるだろう。自分とて、フラメルの元へ行っていて、戻ってくるまでメリアがいることに気づかなかったのだ。
たまたまタイミングが合わない日だってあるだろう……どこか自分を慰めるような気持ちで、じわりと滲んだ嫌な感覚を振り払ったのだが、時間が経てば経つほど、最初に抱いた違和感は膨れていった。

メリアと、まったく目が合わない。
普段は、なんとなしに顔を上げた時や、ふと視線を動かした時に、よく目が合うことがあった。
そのたびに、淡く微笑んでくれるメリアに、最初こそ戸惑ったが、今では「ああ、また目が合った」と少しばかり擽ったいような気持ちで、笑みを返すのが常になっていた。
それなのに、今日は一度も目が合わず、それどころかメリアの背中しか見ることができなかった。

(なんで……?)

些細なこと……と、そう思うのに、不思議なほどショックを受けている自分がいた。
知らずメリアの姿を目で追ってしまい、ハッとしてすぐに逸らすも、頭の中では目が合わないことがずっと気になり、また胸の内がモヤモヤとし始める。
何に緊張しているのか、ドキドキと鳴る胸は苦しくて、妙に泣きたくなるような気持ちに、深く溜め息を吐き出した。

(……これは、良くないな)

昨日のことを詫びようにも、話し掛けることすら出来ない。
同僚達と楽しげに話すメリアを邪魔することもできず、そっと視線を外すと、静かに席を立った。



そうして今、棟の簡易キッチンの奥にある小さなサロンで、一人ぼんやりと過ごしていた。
基本的にキッチンまで足を運ぶ者が少ないせいか、ここを利用する者も少なく、誰もいない部屋の中、ぼぅっと窓の外を眺めていた。
仕事に戻らなければ……そう思うのに、眠気の残る体は重く、浮かない気持ちから、椅子から立ち上がることができなかった。

(何か、してしまったのかな……)

鈍い自分でも、流石にメリアに避けられていることぐらいは分かる。だがその理由が分からず、かと言って話し掛ける勇気もなく、気まずさと苦しさから逃げるようにここまで来てしまった。

(……分かってる)

この胸の締め付けは、『寂しい』という感情だ。
随分と久しく感じていなかった、誰かを恋しいと想う気持ち。
側にいて微笑んでくれるメリアの存在が、いつの間にか当たり前になっていたからこそ湧いた感情に、再び溜め息を零した。

何かしてしまったのなら、謝らなければ。だが何をしてしまったのか、見当すらつかないのだ。
何も分からないのに、ただ上部だけの言葉で謝っても、そこに誠意が無ければ余計に避けられてしまうだけ……
せめて話し掛けることさえ出来れば、少しは状況も変わるだろうに、こちらに背を向けるメリアに、怖気付いて声を掛けることすら出来なかった。

(……帰りの時間まで、待ってみようか)

終業時間まで待って、それから声を掛けてみよう──そう思う頭の片隅で、もしもそれすら避けられてしまったら……と考え、早くも落ち込む自分がいた。

(……誰かと離れるのは、慣れてるはずなんだけどな)

母を亡くし、父は旅立ち、弟は妻子と共に領地に移ったことで、屋敷には自分一人だけが残った。
学生の頃は誰も彼もから距離を取り、親しくなれた者は一人もいなかった。
末姫様の護衛で親しくなった者とも職場が離れたことで、今ではほとんどの者と疎遠になってしまった。

そのどれもが、あらゆるものを恐れ、遠ざけ、自ら離れようとした結果で、寂しいと思うことはあっても、それ以上を求めようと思うことは無かった。
それなのに今、メリアが離れていってしまうかもしれないという不安と寂しさに耐えきれず、手を伸ばそうとしている自分がいる。何故かそれが少しだけ怖くて、カップを包む手が僅かに震えた。

自分で自分の感情が分からなかった。
怒らせてしまったのなら、謝らなければいけない。
謝っても元に戻れなかったら、それは仕方のないことだ。寂しいけれど、距離を取るべきだろう。
それを悲しいと思う反面で、『悲しい』と思うことすら恐れてしまう矛盾。

(……どうして、こんな風に思うんだろう)

ただメリアと話せないというだけで、何故こんなにも複雑な感情を抱くのか……答えが分からないまま、温くなった珈琲を一気に飲み干した。

(……苦い)

眠気覚ましのつもりで淹れたミルクも砂糖も入っていない珈琲は口に苦く、慣れないその味に、眉を顰めた。

「はぁ……」

胸の内を表すようなその味に、もう一度深く息を吐き出すと、ゆっくりと席を立った。
ここで考え込んでいても、何も変わらないのだ。早く仕事に戻ろう……そう思い、空いたカップを手にした時だった。


「──アルマンディン様」


「ッ……!」

静かな小部屋に響いた耳に馴染んだ声に、心臓がビクリと跳ね上がり、指先からカップが滑り落ちた。
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