T&S 取り立てて問題にはならない先生と生徒の関係

音喜多子平

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師範代

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 それから更に三日が経過した金曜日のこと。

 私は三日連続で同じ悪夢を見てうなされていた。

 やってもやっても終わらない課題、一問も分からない実力テスト、クラスメイトがみんな卒業するのに私だけ試験が終わらないから出られない教室、そして芯の切れたシャーペンを延々とカチカチ鳴らし続ける私。

 絶対に先生の呪いだ。そうとしか考えられない。

 終始テンションが上がらないまま学校を終えると、私は普段通りバスに乗った。しかし、いつも降りるバス停を通り越し、更に三つ先の停留所まで揺られていた。毎週金曜日は顔を出すところがあったのだ。

 そこのバス停は降りた目の前にコンビニがあるのが嬉しい。そこで適当な飲み物と軽くつまめるお菓子を買うと、いよいよ本当の目的地に向かって歩き始めた。とはいっても、そこは目と鼻の先なのだけれど。

 私は坂道を下りつつ、スマホで時間を確認した。

 坂を下りきったところにある歯医者さんを目印に、その交差点を左に曲がる。すると細い路地のすぐ右側に、生け垣と些か古めかしい家屋が目に入ってきた。そして門柱にはその家の家主の名前である松島という表札と、その下に「松島書道教室」という看板がくっついていた。

 ここは小学校の時から通っている書道の塾だ。一緒に通っていた同級生は小学校を卒業するタイミングで軒並みいなくなったが、私は中学を卒業し、高校に入った今でも通い続けている。社会人を除けば生徒としては名実ともに一番の古株だ。

 高校では書道部に入り、毎週書道の教室に通っていると言えばさぞ熱心な書道愛好家に思えるが、その実腕前は大したことはない。香澄くらいの情熱があれば、結果は違ったかもしれないが、私は書道を趣味よりも上の地位に置く気はさらさらなかった。

 私はそそくさと門をくぐる。すぐに和気藹々とはしゃいでいる小学生たちの声が聞こえてきた。教室は庭を通って回り込まないと玄関にたどり着けないので、私は庭石を飛び越えながら中の様子を伺った。すると、何人かがすぐに私のことに気がついて声を出してきた。

「あ、静花だ」
「こら。静花お姉ちゃんでしょ」

 そういうと何人かの男子がギャハハ! と笑って課題をこなし始めた。いちいち玄関に回り込むのが面倒な私は大抵ここの縁側から直接教室に上がり込んでしまう。これじゃお行儀が云々と叱ることはできないなと思っているが、それは今さらのことだった。

「こんにちは」
「静花お姉ちゃん」
「お姉ちゃん、こんにちは」

 うんうん。やっぱり女子や低学年の子は素直で可愛らしい。ま、それでも男子は元気があるのが何よりだと年寄り臭い事を思ってみたりもする。

 そして私は挨拶をしようと思って松島書道教室の師範たる、松島孝太郎さんを探してキョロキョロと教室中を見回した。が、どこにもその姿はない。

「あれ? 師範は?」
「今日はいないって」
「いないの?」
「うん。出張って言ってたよ。だから師範代がいるけど、今トイレ」
「あ、そう」

 などと女の子から教えてもらっていると、噂をすれば影という言葉通り奥から師範代がひょっこりと顔を覗かせた。

「あ、静花ちゃん。こんにちは」

 私を見つけるなり、師範代こと松島月乃が朗らかに挨拶をしてきた。

 師範代は月乃という女の子のような名前をしているけど、れっきとした男子大学生だ。しかし女子っぽいというのは誰しもが認めるところである。厳密にいうと女子っぽいというよりも可愛い系男子とでも言えばいいのだろうか。いい意味で少年がそのまま大人になったような純朴で純真な性格と見た目をしている。めっちゃ人懐っこい犬が男子大学生になりました、みたいなそんな人だった。もしも尻尾と耳が生えていたら、絶対にパタパタ、ひょこひょこ動かしていたに違いない。

 墨でところどころが汚れたチノパンとTシャツは、師範代の教室での正装だ。

 すると、挨拶もほどほどに子供たちが我先にと自分の作品を見てほしいとせがんでいた。

 師範代は嫌な顔ひとつせず、「順番にね」と優しく諭して添削をし始めた。それを見て私もここにきた理由を思い出す。それは師範代のお手伝いだ。

 この松島書道教室は、この令和の時代にあってもかなりの繁盛を見せている。謙遜なしにこの近所に住んでいる小学生たちのほとんどがお世話になっているんじゃないだろうか。現に今も小学校の一クラスよりも多い人数の子供たちが筆をとったり、ペン字の練習をしている。ま、そっちのけで遊んだりマンガを読んでいる奴もいるけど。

 人気の理由は、恐らくはこの松島親子にある。

 早い話が美形なのだ。師範は線は細いが芯はあるような渋いおじ様って感じだし、師範代に関しては今言った通り。なので近所のおば様方や子供のいるお母さん達がこぞって我が子を通わせているのではないかと推測する。

 尤もそんな下世話な理由だけでなく、単純に字が上手になるように通わせている人だって多いとは思うけれど。ここに通っている子達の字が上達するのは紛れもない事実である。師範は腕前は元より、指導の仕方がとても上手なのだ。それに加えて子供人気も抜群の師範代が遊び相手になってくれるということも相まって、毎週火曜日と金曜日は託児所としてお母さんたちに午後の安らかな一時を提供することに貢献している…と私は勝手にそんな分析をしていた。
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