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序章・彼の幸せ
嫌悪
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カイエンとリーリルが結婚して一年経った。
カイエン二十八歳。リーリル十六歳。サニヤ六歳。
一年前から村に変化は無い。
強いて言えば、家と畑が屋敷を越えて森の方へ増えているくらいか。
人々は穏やかに暮らし、家々からは料理の白い煙が上がっていた。
すると、平和な村に悲鳴が響く。
何か事件であろうか?
近くの自警団が悲鳴のしたところへ向かうと、村の道を牛が走っているではないか。
「どけどけ! 踏まれたらただじゃすまないよ!」
牛の背中に子供が捕まってて、そう叫んでいる。
浅黒い肌。
鋭い目。
笑う口には常人よりやや長い八重歯が覗いている。
頭には布を巻いていて、顎下で結んでいた。
“ほっかむり”のサニヤだ。
「走れ走れ!」と、刺のついた枝を牛の尻に刺すと、牛は跳ね上がるように暴れた後、畑へ走って行く。
もはやその畑は、今年中は使い物にならないだろう。
“ほっかむり”のサニヤ……この名前がこの村で示す意味は、今となっては“厄介者”と同義となっていた。
「何とかしてください!」
執務室で報告書を書いていたカイエンに村の人達が談判する。
この一年、これがカイエンにとっての新たな日課と言っても過言では無い程毎日、村人にサニヤの事で詰め寄られていた。
また、村人の訴状も一年前とは比べ物にならないほど増えている。
その殆どがサニヤから受けた被害に対する訴えであった。
「分かっています。何とか言い聞かせますから」
「あんた、前もそう言って、あの子、全然態度を改めないじゃ無いか!」
畑へ入って踏み荒らす。
人の牛馬に乗って村を走り回る。
鶏小屋を勝手に解放して鶏を放す。
村のわんぱくな悪ガキどもと毎日喧嘩するので生傷も絶えない。
まさに村にとっての厄介者。
カイエンにとっての悩みの種でもあった。
村人が帰っていくと、カイエンは椅子の背にもたれて溜息をつく。
「あなた。サニヤちゃんの事?」
執務室の扉が開き、少しお腹が大きくなったリーリルが入ってくる。
「ああ。君は心配要らない。ゆっくりと休んでてくれ」
リーリルのお腹にはカイエンとの子が居た。
カイエンはリーリルに無用な心配を掛けたくない。
「サニヤちゃん。本当は良い子なのに……。やっぱり、私の事が……」
サニヤがこんな事をやり出したのはリーリルと結婚して直後、一ヶ月も経ってない時からだ。
明らかに原因はリーリルとの結婚にある。
だから、リーリルは自分の事を酷く気に病んでいるのであった。
「リーリル。君が悪く思う必要は無い。部屋でゆっくり休むんだ。さあ」
カイエンはリーリルの肩を優しく抱きて寝室へと連れていくとベッドへ寝かせた。
「何も心配いらない。リーリルもサニヤも仲が良かったじゃ無いか。いきなり嫌いになったりしないさ。きっと、もっと別の何かがあったんだよ」
「そう……ね」
二人がサニヤの事で頭を悩ませている頃、サニヤは民家の屋根の上に登っていた。
牛を囲んでなだめている自警団達が、サニヤへ降りてきなさいと叫んでいる。
べっと舌を出すと、民家の反対から降りて自警団から逃げた。
自警団は牛が無事だったし、サニヤも領主の娘なので無理に追うような事はせず、もう良い、放っておけと言う態度である。
再びサニヤは村を歩きながら、何か楽しい事でも無いかと辺りを見ていた。
いや、サニヤは楽しい事なんて探していない。
本当は鬱憤を晴らす方法を探していた。
鬱憤とは、カイエンとリーリルに対する鬱憤である。
だが、サニヤはカイエンとリーリルを考えないようにしていた。
だから、二人への鬱憤を村の人々へと向けていたのである。
サニヤが二人へ鬱憤を溜めだしたきっかけは一年前、カイエンとリーリルが結ばれたあの日に遡る。
あの日。サニヤはトイレへ行きたくなり、目を覚ました。
二階の自分の部屋から、トイレのある一階へ降りると、リビングから蝋燭の灯りが漏れているのに気付いたのである。
そして、何か、奇妙な苦しい声が聞こえて、サニヤはリビングを覗いた。
そして、裸で抱き合うカイエンとリーリルを目撃したのである。
それが一体何を意味するのか、サニヤは今も分からない。
だが、その生々しい行為は穢く、カイエンとリーリルが酷く醜い生物に見えた。
そして、翌日にカイエンとリーリルが結婚したこともサニヤに衝撃を与える。
サニヤにとってリーリルは頼りになる姉のようなものであった。
それなのに、あの穢くて醜い行為の後、リーリルが母親になると言われたのだ。
カイエンとリーリルは、きっとサニヤも喜ぶと思っていたのだろう。
サニヤだってリーリルを家族として受け入れていたのだから、本当に家族になったら喜んでくれるだろうと。
しかし、違った。
サニヤは二人の事を受け入れられなかった。
サニヤはカイエンの事もリーリルの事も好きだ。大好きだと言っても良い。それは今も変わらない。
だが、サニヤには、二人が結ばれると言うことが恐ろしかったのだ。
あの醜い行為によって結ばれた二人をサニヤは近づきたくなかった。
そして、二人に馴染めないと言う意識は、自分がカイエンとリーリルの子供では無いと言う認識を強く意識させたのだ。
サニヤだってバカでは無い。
自分の肌の色が違うから、カイエンの子供では無いと気付いていたのだ。
サニヤは、きっと二人にとって自分は邪魔者で、受け入れられていないんだと思うようになったのである。
二人から理不尽に嫌われたくない、だから自分から嫌われるように仕向けてしまうのであった。
「お。サニヤじゃねえか」
村を歩いていると、村一番の悪ガキ……いや、サニヤが一番なので、二番の悪ガキ、カルドが居た。
今年八歳の少年だが、体周りが同い年の子より二回りは大きい。
サニヤは彼の事が大嫌いだ。
まず嫌いな理由として、彼は三人ほどの村の少年を従えている。
それがサニヤは嫌いである。
仲間が居ないと何も出来ない意気地無しの癖に調子に乗るなと思っていた。
「今度はラキーニの事をいじめてるの?」
カルドは他の少年と一緒に五歳の子供を連れている。
その子は今にも泣きそうな顔であった。
これもサニヤがカルドの嫌いな理由である。
彼は弱いものイジメが好きなのだ。
サニヤは絶対に弱いものに手を出さない。特に年下には。
それはサニヤの矜持とか信念とかの高尚なものではなく、それが当然の事だと思っていたからだ。
だが、カルドは平然と弱いものイジメをする。
それが堪らなく不愉快なのであった。
「イジメてたらどうなんだよ? え? お前は良いよな。領主様の娘でさ」
そして、これが最後にして最大の、カルドの事が嫌いな理由だ。
サニヤにとって両親の事は禁句である。
特に、両親への反抗でもある嫌がらせが、両親の権力を笠に着た行為などと言われて我慢出来るわけが無い。
「お前ぇ!」とサニヤは殴りかかる。
こうして、サニヤは毎日、カルドと喧嘩していた。
実際の所、サニヤは領主の娘だからと保護されている所はある。
カルドはカルドで、サニヤのそう言った所が気に食わなかった。
まさに犬猿の仲である。
結局、サニヤはカルドと三人の少年に、多勢に無勢でボコボコに殴られた。
もちろん、ただ殴られるだけではなく、四人とも殴り返してやったし、少年の一人を泣かせてやった。
あのイジメられてたラキーニはそのケンカの隙にどこかに逃げていったので、「泣かせてやったし、ラキー二をどこかに逃がしてやったから私が勝った」とサニヤは思っていたのであった。
その後、サニヤは幾つかの家の窓へ馬糞を投げ込んでから屋敷へ帰る。
屋敷には帰りたくない。
でも、帰らなくては心配を掛けてしまう。
特にリーリルは身重だから、余計な負担を掛けないようにしなくては。
違う違う。あんな汚い奴ら、どうだって良いじゃない。
サニヤは屋敷へ帰るとき、いつも憂鬱だ。
二律背反する感情に戸惑い、混乱しながら家へ帰らねばならない。
それがどれほど苦痛な事か。
どれほどにストレスか。
溜息をつきながら、重い足取りで重い扉を開ける。
美味しそうな匂いが鼻をつく。
かつては、この匂いを嗅ぎながら家へ帰るのが幸せな事だった。
この屋敷は最も安全な所で、私がいつでも帰れる所の筈だった。でも、今は違う……と、サニヤは思う。
今は、サニヤを追い出そうと悪意がはびこる建物のように思えた。
実際には、追い出して欲しかったのかも知れない。
いっそのこと、カイエンとリーリルから見放された方がどれほど気が楽か。
「お帰りなさい。サニヤちゃん。今日は河で取れた魚よ。リビングで待っててね」
台所から笑顔のリーリルが出てきて、挨拶をするとまた台所へ戻っていった。
見放されたら楽なのに、リーリルは変わらずサニヤを愛してくれた。
その優しさが辛くて、だからこそ、本当は裏で嫌っているんじゃ無いかという疑心暗鬼をサニヤは抱くのであった。
私なんか居ない方が、お父様とリーリルも、もっと二人で居られるのにって思っているに決まってるんだと思う。
陰鬱な気持ちでリビングの床に座った。
ソファーはあるけど、わざわざ床にである。
台所の方からカイエンがやって来た。
カイエンは身重のリーリルのために料理の補助でもしていたのだろう。
「サニヤ。床に座るな。汚いぞ」
そして、顔を合わすなりの説教だ。
サニヤはもううんざりしてる。
ここ最近、顔を合わせる度に説教なのだ。
「ソファーに座りなさい。ほら。話もあるんだ」
カイエンはソファーに座って、隣をポンポンと叩いた。
だが、サニヤはそのソファーで何が行われていたのかを知っている。
あの穢らわしくておぞましい行為の事を。
吐き気を催すような不愉快。
あの夜、気持ちの悪い一匹の化け物のように繋がる二人を思い出し、胃がむかついた。
「座らない」
そう言って部屋を出て行こうとする。
「どこに行くんだ。料理はもうすぐだよ」
「部屋に行くの。料理もいらない」
「おいおい。せっかくリーリルが作ってくれてるんだぞ」
「いらない。汚いもん」
カイエンが待ちなさい! と大声を出し、歩いてくる。
温和なカイエンが声を荒げる事など今まで一度も無く、サニヤは驚いて体をビクリと緊張させた。
「汚いとはなんだ。リーリルはお前の母で、お前だってあんなに仲が良かったじゃないか!」
カイエンは泣きそうな思いだった。
あの幸せな日々をなぜサニヤは自ら拒否していくのか。
なぜリーリルを拒絶するのか、それが分からなくて、どうすれぱ良いのかも分からなかったのだ。
「あなた。落ち着いて」
いつの間にか台所から出てきていたリーリルが、カイエンの肩を掴む。
「サニヤちゃんが怯えてるわ」
サニヤの目は潤み、涙を溜めていた。
カイエンが初めて見せた怒りと怒声に、怯えていたのだ。
「す、すまない。サニヤ、つい……」
実際には怒ったわけじゃ無い。
戸惑って、悲しくて、どうすれば良いのか迷っていただけなのだ。
「……私、部屋に戻るから」
サニヤはサニヤで、カイエンに怒鳴られて泣きそうになったのが恥ずかしくて、部屋へ急いで戻った。
カイエンの待ちなさいという声が聞こえたが、ふり向きもせずに階段を駆け上がり、自分の部屋のベッドへ倒れ込んだ。
ドキドキと心臓が鳴る。
初めて怒鳴られて、泣きそうになった自分が情けないと思う一方、まだ恐怖が残っていた。
カイエンについに見捨てられてしまったのだろうか。
本当に嫌われてしまったのだろうか。
そんな不安と恐怖に押しつぶされそうだ。
誰が悪いかなんて分かっている。
カイエンもリーリルも、村の誰も悪くない。
悪いのは自分だ。
だけど、サニヤはイタズラを止められなかった。
悪い事をしたのに優しく諭そうとされる事で、カイエンとリーリルが愛してくれていると実感出来たからだ。
だけど、ついにカイエンに嫌われた。
涙がポロポロと流れ、嗚咽が漏れ出す。
サニヤの心は複雑だ。
カイエンとリーリルの事を気持ち悪くて不愉快で穢らわしいと思う一方、二人の事を誰よりも愛している。
カイエンとリーリルに嫌われたくないと思う一方、愛情を向けられるのが怖くて嫌われようとしてしまう。
自己矛盾と二律背反。
葛藤と抑圧。
強いストレスによってサニヤは自分自身でさえ壊そうとしていたのかも知れない。
サニヤはほっかむりをとって、手鏡で顔を映す。
額から生える二本の小さな角を見た。
かつては小さくてコブのようだったそれは、一目で明らかに角と分かる程に膨らんでいる。
父、カイエンがサニヤの角を他人に見せることを恐れているのをサニヤは知っている。
サニヤはカイエンが自分の事を嫌う理由の一つにこの角があるのだと思っていた。
この肌の色と、この角さえ無ければ、きっと自分は両親のあの行為だって受け入れて、家族に成れたのかも知れないのに……!
サニヤはこの浅黒い肌と角が憎かった。
この浅黒い肌と角を持つ自分自身が憎かった。
この世の何よりも自分が嫌いだ。
村の人達に迷惑をかけ、カイエンとリーリルを困らせる自分の愚かな性格でさえ大っ嫌いだ。
私なんて死ね!
死んでしまえ!
生まれてこなければ良かったのに!
生まれてこなければ、こんなに苦しむことも無かったのに!
今すぐ肌を剥いで、頭を砕き潰してやりたい!
私なんて死んでしまえ!
感情任せに手鏡を窓へ投げつけた。
窓ガラスが派手な音をたてて割れ、手鏡は屋敷の外へと飛んでいく。
サニヤは枕に顔を突っ伏し、ただひたすら泣き続けた。
カイエン二十八歳。リーリル十六歳。サニヤ六歳。
一年前から村に変化は無い。
強いて言えば、家と畑が屋敷を越えて森の方へ増えているくらいか。
人々は穏やかに暮らし、家々からは料理の白い煙が上がっていた。
すると、平和な村に悲鳴が響く。
何か事件であろうか?
近くの自警団が悲鳴のしたところへ向かうと、村の道を牛が走っているではないか。
「どけどけ! 踏まれたらただじゃすまないよ!」
牛の背中に子供が捕まってて、そう叫んでいる。
浅黒い肌。
鋭い目。
笑う口には常人よりやや長い八重歯が覗いている。
頭には布を巻いていて、顎下で結んでいた。
“ほっかむり”のサニヤだ。
「走れ走れ!」と、刺のついた枝を牛の尻に刺すと、牛は跳ね上がるように暴れた後、畑へ走って行く。
もはやその畑は、今年中は使い物にならないだろう。
“ほっかむり”のサニヤ……この名前がこの村で示す意味は、今となっては“厄介者”と同義となっていた。
「何とかしてください!」
執務室で報告書を書いていたカイエンに村の人達が談判する。
この一年、これがカイエンにとっての新たな日課と言っても過言では無い程毎日、村人にサニヤの事で詰め寄られていた。
また、村人の訴状も一年前とは比べ物にならないほど増えている。
その殆どがサニヤから受けた被害に対する訴えであった。
「分かっています。何とか言い聞かせますから」
「あんた、前もそう言って、あの子、全然態度を改めないじゃ無いか!」
畑へ入って踏み荒らす。
人の牛馬に乗って村を走り回る。
鶏小屋を勝手に解放して鶏を放す。
村のわんぱくな悪ガキどもと毎日喧嘩するので生傷も絶えない。
まさに村にとっての厄介者。
カイエンにとっての悩みの種でもあった。
村人が帰っていくと、カイエンは椅子の背にもたれて溜息をつく。
「あなた。サニヤちゃんの事?」
執務室の扉が開き、少しお腹が大きくなったリーリルが入ってくる。
「ああ。君は心配要らない。ゆっくりと休んでてくれ」
リーリルのお腹にはカイエンとの子が居た。
カイエンはリーリルに無用な心配を掛けたくない。
「サニヤちゃん。本当は良い子なのに……。やっぱり、私の事が……」
サニヤがこんな事をやり出したのはリーリルと結婚して直後、一ヶ月も経ってない時からだ。
明らかに原因はリーリルとの結婚にある。
だから、リーリルは自分の事を酷く気に病んでいるのであった。
「リーリル。君が悪く思う必要は無い。部屋でゆっくり休むんだ。さあ」
カイエンはリーリルの肩を優しく抱きて寝室へと連れていくとベッドへ寝かせた。
「何も心配いらない。リーリルもサニヤも仲が良かったじゃ無いか。いきなり嫌いになったりしないさ。きっと、もっと別の何かがあったんだよ」
「そう……ね」
二人がサニヤの事で頭を悩ませている頃、サニヤは民家の屋根の上に登っていた。
牛を囲んでなだめている自警団達が、サニヤへ降りてきなさいと叫んでいる。
べっと舌を出すと、民家の反対から降りて自警団から逃げた。
自警団は牛が無事だったし、サニヤも領主の娘なので無理に追うような事はせず、もう良い、放っておけと言う態度である。
再びサニヤは村を歩きながら、何か楽しい事でも無いかと辺りを見ていた。
いや、サニヤは楽しい事なんて探していない。
本当は鬱憤を晴らす方法を探していた。
鬱憤とは、カイエンとリーリルに対する鬱憤である。
だが、サニヤはカイエンとリーリルを考えないようにしていた。
だから、二人への鬱憤を村の人々へと向けていたのである。
サニヤが二人へ鬱憤を溜めだしたきっかけは一年前、カイエンとリーリルが結ばれたあの日に遡る。
あの日。サニヤはトイレへ行きたくなり、目を覚ました。
二階の自分の部屋から、トイレのある一階へ降りると、リビングから蝋燭の灯りが漏れているのに気付いたのである。
そして、何か、奇妙な苦しい声が聞こえて、サニヤはリビングを覗いた。
そして、裸で抱き合うカイエンとリーリルを目撃したのである。
それが一体何を意味するのか、サニヤは今も分からない。
だが、その生々しい行為は穢く、カイエンとリーリルが酷く醜い生物に見えた。
そして、翌日にカイエンとリーリルが結婚したこともサニヤに衝撃を与える。
サニヤにとってリーリルは頼りになる姉のようなものであった。
それなのに、あの穢くて醜い行為の後、リーリルが母親になると言われたのだ。
カイエンとリーリルは、きっとサニヤも喜ぶと思っていたのだろう。
サニヤだってリーリルを家族として受け入れていたのだから、本当に家族になったら喜んでくれるだろうと。
しかし、違った。
サニヤは二人の事を受け入れられなかった。
サニヤはカイエンの事もリーリルの事も好きだ。大好きだと言っても良い。それは今も変わらない。
だが、サニヤには、二人が結ばれると言うことが恐ろしかったのだ。
あの醜い行為によって結ばれた二人をサニヤは近づきたくなかった。
そして、二人に馴染めないと言う意識は、自分がカイエンとリーリルの子供では無いと言う認識を強く意識させたのだ。
サニヤだってバカでは無い。
自分の肌の色が違うから、カイエンの子供では無いと気付いていたのだ。
サニヤは、きっと二人にとって自分は邪魔者で、受け入れられていないんだと思うようになったのである。
二人から理不尽に嫌われたくない、だから自分から嫌われるように仕向けてしまうのであった。
「お。サニヤじゃねえか」
村を歩いていると、村一番の悪ガキ……いや、サニヤが一番なので、二番の悪ガキ、カルドが居た。
今年八歳の少年だが、体周りが同い年の子より二回りは大きい。
サニヤは彼の事が大嫌いだ。
まず嫌いな理由として、彼は三人ほどの村の少年を従えている。
それがサニヤは嫌いである。
仲間が居ないと何も出来ない意気地無しの癖に調子に乗るなと思っていた。
「今度はラキーニの事をいじめてるの?」
カルドは他の少年と一緒に五歳の子供を連れている。
その子は今にも泣きそうな顔であった。
これもサニヤがカルドの嫌いな理由である。
彼は弱いものイジメが好きなのだ。
サニヤは絶対に弱いものに手を出さない。特に年下には。
それはサニヤの矜持とか信念とかの高尚なものではなく、それが当然の事だと思っていたからだ。
だが、カルドは平然と弱いものイジメをする。
それが堪らなく不愉快なのであった。
「イジメてたらどうなんだよ? え? お前は良いよな。領主様の娘でさ」
そして、これが最後にして最大の、カルドの事が嫌いな理由だ。
サニヤにとって両親の事は禁句である。
特に、両親への反抗でもある嫌がらせが、両親の権力を笠に着た行為などと言われて我慢出来るわけが無い。
「お前ぇ!」とサニヤは殴りかかる。
こうして、サニヤは毎日、カルドと喧嘩していた。
実際の所、サニヤは領主の娘だからと保護されている所はある。
カルドはカルドで、サニヤのそう言った所が気に食わなかった。
まさに犬猿の仲である。
結局、サニヤはカルドと三人の少年に、多勢に無勢でボコボコに殴られた。
もちろん、ただ殴られるだけではなく、四人とも殴り返してやったし、少年の一人を泣かせてやった。
あのイジメられてたラキーニはそのケンカの隙にどこかに逃げていったので、「泣かせてやったし、ラキー二をどこかに逃がしてやったから私が勝った」とサニヤは思っていたのであった。
その後、サニヤは幾つかの家の窓へ馬糞を投げ込んでから屋敷へ帰る。
屋敷には帰りたくない。
でも、帰らなくては心配を掛けてしまう。
特にリーリルは身重だから、余計な負担を掛けないようにしなくては。
違う違う。あんな汚い奴ら、どうだって良いじゃない。
サニヤは屋敷へ帰るとき、いつも憂鬱だ。
二律背反する感情に戸惑い、混乱しながら家へ帰らねばならない。
それがどれほど苦痛な事か。
どれほどにストレスか。
溜息をつきながら、重い足取りで重い扉を開ける。
美味しそうな匂いが鼻をつく。
かつては、この匂いを嗅ぎながら家へ帰るのが幸せな事だった。
この屋敷は最も安全な所で、私がいつでも帰れる所の筈だった。でも、今は違う……と、サニヤは思う。
今は、サニヤを追い出そうと悪意がはびこる建物のように思えた。
実際には、追い出して欲しかったのかも知れない。
いっそのこと、カイエンとリーリルから見放された方がどれほど気が楽か。
「お帰りなさい。サニヤちゃん。今日は河で取れた魚よ。リビングで待っててね」
台所から笑顔のリーリルが出てきて、挨拶をするとまた台所へ戻っていった。
見放されたら楽なのに、リーリルは変わらずサニヤを愛してくれた。
その優しさが辛くて、だからこそ、本当は裏で嫌っているんじゃ無いかという疑心暗鬼をサニヤは抱くのであった。
私なんか居ない方が、お父様とリーリルも、もっと二人で居られるのにって思っているに決まってるんだと思う。
陰鬱な気持ちでリビングの床に座った。
ソファーはあるけど、わざわざ床にである。
台所の方からカイエンがやって来た。
カイエンは身重のリーリルのために料理の補助でもしていたのだろう。
「サニヤ。床に座るな。汚いぞ」
そして、顔を合わすなりの説教だ。
サニヤはもううんざりしてる。
ここ最近、顔を合わせる度に説教なのだ。
「ソファーに座りなさい。ほら。話もあるんだ」
カイエンはソファーに座って、隣をポンポンと叩いた。
だが、サニヤはそのソファーで何が行われていたのかを知っている。
あの穢らわしくておぞましい行為の事を。
吐き気を催すような不愉快。
あの夜、気持ちの悪い一匹の化け物のように繋がる二人を思い出し、胃がむかついた。
「座らない」
そう言って部屋を出て行こうとする。
「どこに行くんだ。料理はもうすぐだよ」
「部屋に行くの。料理もいらない」
「おいおい。せっかくリーリルが作ってくれてるんだぞ」
「いらない。汚いもん」
カイエンが待ちなさい! と大声を出し、歩いてくる。
温和なカイエンが声を荒げる事など今まで一度も無く、サニヤは驚いて体をビクリと緊張させた。
「汚いとはなんだ。リーリルはお前の母で、お前だってあんなに仲が良かったじゃないか!」
カイエンは泣きそうな思いだった。
あの幸せな日々をなぜサニヤは自ら拒否していくのか。
なぜリーリルを拒絶するのか、それが分からなくて、どうすれぱ良いのかも分からなかったのだ。
「あなた。落ち着いて」
いつの間にか台所から出てきていたリーリルが、カイエンの肩を掴む。
「サニヤちゃんが怯えてるわ」
サニヤの目は潤み、涙を溜めていた。
カイエンが初めて見せた怒りと怒声に、怯えていたのだ。
「す、すまない。サニヤ、つい……」
実際には怒ったわけじゃ無い。
戸惑って、悲しくて、どうすれば良いのか迷っていただけなのだ。
「……私、部屋に戻るから」
サニヤはサニヤで、カイエンに怒鳴られて泣きそうになったのが恥ずかしくて、部屋へ急いで戻った。
カイエンの待ちなさいという声が聞こえたが、ふり向きもせずに階段を駆け上がり、自分の部屋のベッドへ倒れ込んだ。
ドキドキと心臓が鳴る。
初めて怒鳴られて、泣きそうになった自分が情けないと思う一方、まだ恐怖が残っていた。
カイエンについに見捨てられてしまったのだろうか。
本当に嫌われてしまったのだろうか。
そんな不安と恐怖に押しつぶされそうだ。
誰が悪いかなんて分かっている。
カイエンもリーリルも、村の誰も悪くない。
悪いのは自分だ。
だけど、サニヤはイタズラを止められなかった。
悪い事をしたのに優しく諭そうとされる事で、カイエンとリーリルが愛してくれていると実感出来たからだ。
だけど、ついにカイエンに嫌われた。
涙がポロポロと流れ、嗚咽が漏れ出す。
サニヤの心は複雑だ。
カイエンとリーリルの事を気持ち悪くて不愉快で穢らわしいと思う一方、二人の事を誰よりも愛している。
カイエンとリーリルに嫌われたくないと思う一方、愛情を向けられるのが怖くて嫌われようとしてしまう。
自己矛盾と二律背反。
葛藤と抑圧。
強いストレスによってサニヤは自分自身でさえ壊そうとしていたのかも知れない。
サニヤはほっかむりをとって、手鏡で顔を映す。
額から生える二本の小さな角を見た。
かつては小さくてコブのようだったそれは、一目で明らかに角と分かる程に膨らんでいる。
父、カイエンがサニヤの角を他人に見せることを恐れているのをサニヤは知っている。
サニヤはカイエンが自分の事を嫌う理由の一つにこの角があるのだと思っていた。
この肌の色と、この角さえ無ければ、きっと自分は両親のあの行為だって受け入れて、家族に成れたのかも知れないのに……!
サニヤはこの浅黒い肌と角が憎かった。
この浅黒い肌と角を持つ自分自身が憎かった。
この世の何よりも自分が嫌いだ。
村の人達に迷惑をかけ、カイエンとリーリルを困らせる自分の愚かな性格でさえ大っ嫌いだ。
私なんて死ね!
死んでしまえ!
生まれてこなければ良かったのに!
生まれてこなければ、こんなに苦しむことも無かったのに!
今すぐ肌を剥いで、頭を砕き潰してやりたい!
私なんて死んでしまえ!
感情任せに手鏡を窓へ投げつけた。
窓ガラスが派手な音をたてて割れ、手鏡は屋敷の外へと飛んでいく。
サニヤは枕に顔を突っ伏し、ただひたすら泣き続けた。
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仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
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異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。
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トゥイリアース王国の筆頭公爵家、ヴァーミリオン。その現当主アルベルト・ヴァーミリオンは、王宮のみならず王都ミリールにおいても名の通った人物であった。
まずその美貌。女性のみならず男性であっても、一目見ただけで誰もが目を奪われる。あと、公爵家だけあってお金持ちだ。王家始まって以来の最高の魔法使いなんて呼び名もある。実際、王国中の魔導士を集めても彼に敵う者は存在しなかった。
ただし、彼は持った全ての力を愛娘リリアンの為にしか使わない。
財力も、魔力も、顔の良さも、権力も。
なぜなら彼は、娘命の、究極の娘馬鹿だからだ。
※このお話は、日常系のギャグです。
※小説家になろう様にも掲載しています。
※2024年5月 タイトルとあらすじを変更しました。
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
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私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
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魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
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私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
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