没落貴族と拾われ娘の成り上がり生活

アイアイ式パイルドライバー

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3章・明日への一歩

出発

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 ジキジキジキと特徴的な虫の声が鳴いている夜。
 月明かりが窓から射し込む物置で、サニヤはゴソゴソと旅装に着替えていた。
 腰に真剣を佩き、顔面と手足に包帯を巻く。

 サニヤは今夜、家を出る。

 行き先はラムラッドだ。

 そう。
 ルーガの救援へ向かおうと言うのである。

 こんな夜中に準備をしている通り、リーリルもラーツェも、弟達も知らない。
 家出同然に出るつもりなのである。

 昼間にリーリルへ、ルーガの救援へ行きたいと言ったが断られている。
 次いでラーツェとデズモグにも伝えたが、「危険です」と断られた。

 ラーツェとデズモグだって、ルーガの救援へ行きたいのだろう。
 悲痛な面持ちの二人をよく見た。
 しかし、二人はサニヤ達を護るという使命の為、その気持ちを押し殺して、こんな辺鄙な村に居続けるのである。

 だから、二人の想いを尊重するならば村に留まるべきなのだ。
 だが、サニヤはどうしてもガラナイの事が気になったのである。

 まさか自分がガラナイなんかに気を揉むことになるだなんて思いもしなかったサニヤは、胸に下げた指輪を手に取り、月明かりで照らした。
 
 銀の指輪は月明かりに照らされて青白く光っている。

 銀は破邪の象徴として、若い貴族の間では婚姻の印として流行っているのだ。
 
 誰があんたなんかと結婚するんだよなんて思いながらも、ついつい口元がにやけてしまうのである。

 サニヤはその指輪を服の内側へ戻すと、着替えや火打ち石を入れた肩掛けの鞄を提げ、そっと家を出た。

 ごめんね皆。
 でも、私は必ず帰ってくるから。

 そう心に誓ってサニヤが家を出ると、門扉の所に人が座っていた。

 何者であろうか。
 サニヤが訝しみながら近付くと「行くのね」と、聞き慣れた声がした。

「お母様……」

 リーリルだ。

 夜風に白い髪をなびかせて、微笑んでいる。

「バレてたんだ」
「サニヤがちょっと断られたくらいで諦める子じゃ無いって知ってるわ。それに、今まで何度も勝手にどっか行って困らせるんだもの」

 ハーズルージュで二度。
 ハーズルージュから去る時に一度。

 サニヤは勝手にどっか行ってリーリルを困らせたものだ。
 あの大騒ぎを起こしておいて、またサニヤは行ってしまおうというのである。

「そうだね。ザインとラジートと違って、お母様とお父様に似ずに、私、悪い子だからさ」

 だから、止めても無駄だという意味を言外に持たせ、そう言った。

 そんなサニヤの言葉に、リーリルはキョトンとした後、クスクスと笑い出したのである。

 サニヤはなんでいきなり笑い出したのか分からず、眉をひそめるのであるが、リーリルからしてみれば、サニヤの発言がおかしくておかしくて仕方なかったのだ。

 なぜならば、リーリルから見れば、ザインとラジートよりもよっぽどサニヤの方が自分達に似ていると思うからだ。

 リーリルは今でこそお淑やかな態度だが、本来はお転婆な子だったし、カイエンだってああ見えて頑固な所がある。
 何より、反対を押し切って人を助けようとする意固地な所など、まるでカイエンそのものだ。
 
 むしろ、消極的で大人しいザインとラジートの方が似てないくらいであろう。

 リーリルはそんな事を思いながら「サニヤ。いってらっしゃい」と言った。

 昼間には反対したはずのリーリルから、まさかそんな言葉が出るとは思わなかったサニヤは、少し呆けてしまった。

 そして、ハッとリーリルの言葉を理解すると「良いの?」と聞いた。

 リーリルは相変わらずクスクスと笑いながら「だって、私に似てサニヤは止まらないもんね」と言うのだ。

 リーリルだって小さな頃は、行くなと親に言われた森へ勝手に入った事もあるし、一晩中に友達と夜の村を探検して、親を心配させたものである。
 それに、思い立ったら止まらない所も自分とサニヤが似ていると所だと思う。

 しかし、リーリルはサニヤが物心ついた時には、すでにお淑やかな態度であったため、サニヤはイマイチどこが似てるのか分からなかった。

 分からなかったが、似てると言われて嬉しかった。

 サニヤにとってはそれである意味十分だ。
 だから詳しい事は聞かずに「ありがと、お母様」と言うのである。

「じゃあ、ちょっと行ってくるね」

 サニヤは軽快に駆け出すと、リーリルに手を振ってラムラッドへ向かった。

 まるで、ちょっと近くへ買い物にでも行くかのような言葉は、これから危険な場所へ向かうようには聞こえない。
 
 だけど、それでいいのだ。
 なにせサニヤは必ず戻ってくるのだから。
 ちゃちゃっとルーガを助けに行って、ちゃちゃっと帰ってくる。だから心配しないでよ。
 そう言うことなのだ。

 何も心配は要らず。
 何も憂う事なんて無い。

 だから、リーリルも「気をつけてね」とだけ、ヒラヒラと手を振って見送るのである。

 必ず帰ってくる。
 必ず……。

 リーリルはサニヤの姿が闇夜へ完全に溶け込むまで手を振り続け、その姿が見えなくなると、門扉に座って手を組んだ。

 絶対に、無事に帰ってきてね……。

 そう心の中で祈るのであった。

 サニヤはリーリルの祈りを受けながら村を出ると、カンテラの灯りだけを便りに街道を歩く。

 少し先でさえ暗闇に覆われる道は、昼間と違う顔を見せるのであるが、サニヤの足取りはまったく竦むことはなかった。
 なにせサニヤには自信があったのだ。
 猛獣、魔物、ドンと来い。
 山賊、匪賊、野盗が来ようが斬ってやるという気概である。

 恐怖よりむしろ、今までの稽古の成果を遺憾なく発揮してやるぞと思えば、ワクワクすらしてくるのだ。

 とはいえ、そう言った存在とは会いたい時に会えないものである。
 すると、サニヤの気はドンドン大きくなって来て、森へ入ろうかなと思えて来たのである。

 村からラムラッドの間には森があり、その森を大きく迂回するような形で街道は続いていたのであるが、森を真っ直ぐ進めれば大幅な時間短縮になるのだ。

 なので、気が大きくなったサニヤは真っ直ぐと森の中へ足を踏み入れたのである。

 しかし、これが良くなかった。
 夜中の真っ暗な森の中を数時間も歩けば、サニヤは方向感覚を失い、同じ場所をグルグルと回るはめになったのである。

 だが、サニヤは自分が道に迷っている事に気付いていないのだ。
 同じ木の前を何度も何度も通っている事にすら気付いていないのである。
 鼻歌をしながら、足取り軽く、同じ場所をまた通った。

 しかしそれも仕方あるまい。
 三、四歩先しか照らさないカンテラの灯りを頼りに、似たような景色の森を歩くというのだ。
 サニヤは森を歩く訓練も積んでいないし、木々を見分けられる植物学者でも無ければ、星々の位置から方角を見分ける軍師でも無いのだ。
 もはや森に迷うのは必然であろう。

 この時サニヤは、同じ場所をグルグルと回りながらも、段々と森の奥へ奥へと進んでいた。
 つまり、元来た村でも無ければ、ラムラッドでも無い方角である。
 もしもサニヤが迷子になっている事に気付いたとしても、おそらくもう自力での脱出は困難であろう程、森の深く深くへ向かっているのだ。

 もっとも、まずは迷子だという事実に気付くかどうかなのであるが。

 そんなサニヤが軽やかに動かしていた足をおもむろに止めた。

 その顔には一種の緊張感が浮かんでいる。

 サニヤの視線の先には森の真っ暗な影が広がっているのであるが、サニヤはその闇の中に奇妙な違和感があるように思えたのだ。

 じっと目を凝らすと……やはり、居る。

 それは真っ暗な人型だ。
 なぜ真っ暗なのに、夜闇の中でも見えたかと言うと、夜の闇よりも暗い漆黒だったからである。
 どんな光でさえも呑み込んでしまっているかのような純黒が、夜闇の中で人の形を造っているのだ。

 いや、人型とはいうものの、およそ人間とは思えない造形に見える。
 手足が異様に長く、体はやせ細って猫背。
 しかも、全身から漆黒のモヤのようなものが立ち上り、輪郭をあやふやにしていたのだ。

 狐を彷彿とさせるような長い顔には、鮮血よりも真紅の眼がらんらんとサニヤを見ているのである。

 夜闇よりも漆黒。夜月よりも朧。
 奇妙で不可思議なそれは、かつてカイエンが遭遇したあの影である。

 かつて、森の中でサニヤとカイエンを会わせた謎の存在であるが、カイエンはサニヤへその影の事を伝えていなかったので、サニヤはその影の事を知らなかった。
 
 とにかくその不気味な容姿と佇まいにサニヤは警戒したのであるが、しかし、一方ではなぜか安堵や安心という感情を朧な影へ抱いたのである。

 サニヤはその自分の感情に戸惑った。
 理性では、敵かも知れないから警戒せねばと思うのに、本能が警戒心を解こうとするのだ。

 サニヤは自身がなぜこのような感情を抱くのか分からず、そして、自分がなぜこのような感情を抱くのか知りたく思う。
 腰の剣の柄に手を掛け、警戒しながら朧な影へゆっくりとゆっくりと近づいた。

 近づくと分かるが、その朧な影は背が高い。
 いや、サニヤの背が低いのもあるだろうが、それでも成人男性よりは高いだろう。
 その高身長を猫背で曲げて、鼻先の尖った犬や狐のような顔を突き出しているので、その顔はサニヤのすぐ近くまであった。

 真っ赤な眼をマジマジと覗き込めば、懐かしいような気持ちがふつふつと湧いてくるのである。
  
 私はこれを知っている。
 ううん。『こいつ』を知っている。

「あんた……なに? 私は何であんたを知ってるの?」

 朧な影はサニヤの質問に答える事無く、クイッと首を傾げた。
 
 言葉を知らぬか、それとも質問の意味が理解出来ぬのか。
 なんにせよ、この朧な影はサニヤから目を離して向きを変えると、ゆっくりと歩き出す。

 煙の如く立ち上る純黒の影が、尾を引いて、まるで残像のような残滓を空間に残した。

 その姿が幻想的で、サニヤはぼうっと見取れてしまう。
 朧な影は立ち止まると、振り返ってそんなサニヤをじっと見るのだ。
 あたかも、ついてこないの?と聞くかのようである。

「分かったよ」

 サニヤはゆっくりと足を前へ出し、朧な人影もまた歩き出した。
 朧な人影は長い足を動かしているのに頭の高さが殆ど変わらないため、まるで滑っているかのように見える。
 それに一歩の幅が長い事も合わさり、挙動がゆっくりしているのにグングン進むのだ。

 サニヤは予想以上の速さに急ぎ足で後を追うが、段々と離されていくのである。

 サニヤがイラつきながら、もっとゆっくり歩けよとぼやいた。
 もっとも、あの朧な人影は言葉を理解出来そうに無いので、ゆっくり歩くなどと思いはしなかったのであるが。
 しかし、その朧な人影はサニヤのぼやきを聞くと立ち止まり、振り向くと、今度はゆっくりとサニヤの歩調に合わせて歩き出すのである。

「なにさ。言葉、分かるじゃん」
 
 最初っから歩調を合わせてくれたら良かったのに……とサニヤは思うのであった。
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