没落貴族と拾われ娘の成り上がり生活

アイアイ式パイルドライバー

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3章・明日への一歩

薬缶

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 ルーガを中心にラムラッドの全兵約一万五千人が陣を構えた。

 左前から右後方へ斜め一直線の陣形である。
 その名も斜線陣だ。

 クジャクの羽根飾りを付けたガラナイを先頭に、騎馬部隊が陣の最前線である左前の位置に構えていた。

 これは、盾を持つ手が左手なのに起因する陣形である。
 つまり、正面に相対する敵陣は右側に盾を構えている事になるので、向かって左側は防御が手薄なのだ。
 ゆえに、盾を持っていない側の左前方より騎馬突撃し、右後方へ抜ける。
 突撃で出来た敵軍の混乱を突いて、歩兵で殲滅する戦術なのだ。

 対して敵軍は、投石器カタパルトの前方に半月陣を築いている。
 隊の前列を半円に展開する陣形である。

 盾を持っていない側の防御力を少しでも補う事が出来る陣形で、前方全方位に対して一定の防御力を有する陣形であるが、真っ正面からの攻撃にはやや弱い。
 
 その敵陣を見たルーガは指揮剣を振り立てて「サン・イ!」と叫ぶと、各将兵が「サン・イ!」と叫び、その声が最前列に立つガラナイにまで聞こえた。

 サン・イとは暗号であり、斜線陣で突き進みながら縦列陣に変われという命令である。
 つまり、斜線陣で左側より突撃すると見せかけて、突撃しながら縦一直線の陣形に変わるというものだ。
 
 俺は駆け出すと同時に右へ走って敵陣の正面に行けば良いんだなと、ガラナイは自分の動きを心の中で確認していた。

 面甲の狭い視界で敵陣を確認すると、恐ろしい壁に見える。
 死の壁だ。
 矢が刺されば死ぬし、槍で突かれれば死ぬし、剣で斬られれば死ぬ。
 落馬しても死。
 敵陣を駆け抜けられなければ死。

 死、死、死の蔓延する恐ろしい壁がそこにある。

 ゴクリと唾を飲み、手綱を持つ手の震えを必死に抑えた。
 ここで生きて帰る。
 生きて帰って、俺だって親父に負けないおとこだと見せてやる。

 喉はカラカラに渇き、手足の感覚が無くなっていき、耳から音が遠ざかっていく。

 馬のいななき、旗のはためき、甲冑の擦れ。
 あらゆる音が遠ざかっていき、しまいにはキーンという不気味な音だけがガラナイを支配した。

「前へ!」

 恐ろしいほどハッキリと、恐ろしいほどしっかりと、後方の将兵の伝達が聞こえた。

 その瞬間、ガラナイは馬の腹を蹴って「前へぇ!」と叫んでいた。
 まるで自分の体じゃ無いかのように、敵陣へ向けて駆けている。

 目の前を過ぎていく景色と、近付いてくる敵の光景はさながら非現実の夢の中に思えた。
 だが、ガラナイの心に渦巻く恐怖が、この風景は嘘では無いと思えてくれる。

 何か黒い線が敵陣より飛び出て来た。

 ガラナイはその黒い線をぼんやりと眺めている。
 夢心地だった。
 一体何なんだろう? とボウッとしていたのだ。

 次の瞬間には、黒い線が上空より落ちてきた。

 それは矢だ。
 眼前に矢が来たと思った直後に、カーンと兜が矢を弾く。

 何度も何度もカーンと矢が弾かれる。

 ドス!

 鈍い音を発てて、すぐ隣を走っていた騎兵の兜を矢が貫通した。
 そして、その兵はズルリと力無く落馬したのである。

 死んだ。
 自分と同じように矢を受けている騎兵が死んだのだ。
 兜の湾曲した部分に対して矢が斜めに当たれば弾けもしようが、湾曲した部分に真正面から当たれば、いかな兜といえども矢を防げないのである。

 ガラナイの心臓がドッと高鳴り、全ての景色が一挙に現実のものになった。

 既に敵陣の中央へ馬首は移動している。
 敵前衛が長槍パイクを構えた。

 もはや止まらない。
 止められない。
 槍衾やりぶすまへただ一直線。
 死の騎兵突撃である。

「突撃ぃ!」

 ガラナイは叫んだ。
 涙を流して、股間を濡らしながら。
 恐怖を振り払うように、喉がはち切れんばかりに叫んだのである。

 ガラナイに追従する騎兵も叫んでいるのを聞きながら、ガラナイは馬上槍ランスを構えて長槍パイクの列へ突っ込んだ。

 この世のものとは思えないような異音をたてて激しくぶつかり合う。

 長槍パイクが馬の腹や喉、騎兵の鎧や兜を突き刺した。
 その突き刺された騎馬を後ろの騎馬が圧し、恐ろしい質量で以て長槍パイクの壁をこじ開けると、そのまま敵陣へと駆け抜けていくのである。

 ガラナイは最先頭に居たが、無事、長槍パイクの壁に刺し殺されずに済んでいた。
 馬上槍ランスを構えたまま敵兵を馬脚で蹴散らして、敵陣正面から左後方へ斜めに進行を変えながら走る。

 あっちもこっちも敵、敵、敵。
 しかし、このまま敵陣を左後方へ抜ける事が出来れば生還出来る。
 もうガラナイの任務である騎兵突撃の敵前線の崩壊は完了したのであるから、このまま馬を走らせて敵陣を乱しながら逃げるだけなのだ。

 その時、ボッと投石器(カタパルト)に火が付いた。
 ガラナイの騎馬突撃が功を奏し、見事、弓兵部隊による火矢が投石器(カタパルト)に届いたのだ。

 目的達成である。

 ルーガ軍はこのままラムラッドまで後退する。
 ガラナイも急いで撤退せねば孤立してしまう。

 そんなガラナイ率いる騎馬部隊であるが、さすがに敵兵の多さからくる敵陣の厚みで突撃の速度が遅くなってきたのである。

 本来、騎馬突撃は攻撃側が行う戦法であり、攻撃側とは本来防御側より兵数が多いものであるが、今回の戦いでは数の劣るルーガ軍が攻撃側であり、結果、敵兵数に対して騎馬部隊の数が少なく、敵陣を貫ける突撃力を有しきれなかったのだ。

 あと少しで敵陣から抜けられるのに、ガラナイ達騎馬部隊は完全にその足が止まってしまったのである。

 あと少し、視界の先には敵陣の終わりが見えているのに、馬が竿立ちにいなないたのだ。

 ガラナイ達が馬上槍(ランス)を捨てて剣を抜き、寄り来る敵兵へ剣を振った。

 槍で馬を突かれて落馬する者。
 足を掴まれて引きずり下ろされる者。

 周囲の味方騎兵が次々と殺されていく中、ガラナイは必死に剣を振って敵を寄せ付けまいとした。

 兜の中は、上がった息と、涙と鼻水でグショグショに湿って気持ち悪い。
 視界は狭く、右と左でどこから敵が来るのか分からない恐怖。

 ガラナイは死にたくない。死にたくないとただひたすらにそう思うのだ。

 急いで逃げねばと考えている。
 なにせルーガは助けに来ないのだ。
 ガラナイ一人を助ける為に他の兵を無駄死にさせないというのが、父ルーガの考えだという事を彼は知っているし、現にルーガ軍はガラナイを見捨てて撤退を始めていた。

 もちろん、ルーガだって冷酷無比にもガラナイを見捨てたのではない。
 本当は助けたいが、しかし、これも戦場の習いであり、騎士として戦場に立った以上は覚悟すべき事だったのである。
 ゆえにルーガは助けに来ない。
 彼はそういう人間なのだ。

 ガラナイは逃げねば逃げねばと思いながら、右の兵を斬り、左の兵を斬る。
 斬ると言っても、切断ではなく、鎧に剣をぶつけるようなモノで、一時的に敵兵は転倒しても、またすぐ立ち上がって攻撃してくるのだ。

 このままではいずれ負けるとガラナイが思いながら正面を見ると、いつの間にか敵騎士が眼前に迫っていた。

「その兜の羽根飾り、名のある将と見た!」

 ガラナイが突然現れた敵騎士に驚き、思わず盾を構えると、敵騎士はハルバードを盾に引っ掛けて、思いっきり引っ張る。

 ガラナイは盾を引かれた勢いでバランスを崩し、落馬してしまった。

「誰か! 誰か助けて!」

 ガラナイはそう叫ぶが、しかし、もう味方は居なかったのである。
 敵兵二万人のただ中に、ガラナイは独りぼっち。

「将兵首、このリズヤッドが貰った」と、先の敵騎士が戟(ハルバート)を掲げた。

 死ぬ。

 ガラナイは思う。

 俺はここで死ぬ。
 嫌だ。死にたくない。
 やりたいことは沢山あったのに。
 
 チクショウ。
 死にたくない。
 せめて、せめて、親父に認められたかった。
 せめて、さすがは俺の子だって言って欲しかった。
 ダメ息子だったかも知れないけど、親父に一度で良いから褒められたかった――

 鈍い音が響いた。

 ガラナイを殺そうとした敵騎士の首が飛んだ。
 そして、頭を失った体がダラリと落馬する。

 死ぬと思っていたのに、自分は生きている事にガラナイは混乱した。

 しかし、何が起こったのかはしっかりとその眼で見ていたのである。

 敵騎士が戟(ハルバート)を掲げた時、その騎士を背後から何者かが攻撃したのである。
 そして今、敵騎士の後ろに立っている何者かをガラナイは見ていた。

 高い身長。
 肝が竦むような恐ろしい眼。
 逆立った牙にめくれ上がった唇。
 筋肉で盛り上がった腕は丸太のよう。

 オーガだ。

 太い木の棒を棍棒にして、敵騎士の頭を吹き飛ばしたのである。

 そのオーガはギョロリとした眼でガラナイを見た後、興味も無さそうにその視線を離し、雄叫びを上げて他の敵兵へと攻撃をかけた。

 ガラナイが周囲を見れば、無数のゴブリンが敵兵へ飛び掛かっているではないか。
 
 どうやら森の方から魔物が大量発生したようだ。
 いやはやガラナイの悪運の強さと言うべきなのだろうか。
 まさかこのタイミングで魔物の大量発生が起こるなどと誰が予想できよう?

 もっとも、今だけは助かったとは言え、周囲に敵兵とおまけに魔物までいるのであるかして、窮地には変わらなかったのであるが。

 そんな中、一騎、ガラナイへ向けて走り来る者が居た。

 敵かとガラナイは身構えたが、その騎兵は手を伸ばして「掴まれ!」と言うのだ。

 どうやら味方かと思ったガラナイは、神にすがるような思いで、その者の手を掴んで馬の背に乗ったのである。

「このままラムラッドへ向かう」と言うその騎手は、随分と小柄だ。
 ガラナイの胸元に丁度頭が来ていたのである。

 また、その服装も、鎧では無く、厚手の布の服だ。
 そして、手や顔に包帯を巻いている異様の姿である。

「あんた、誰だ。俺達の軍じゃないだろ。なぜ助けるんだ?」

 ガラナイが眉をひそめてそう聞くと、その騎手は笑いながら「私が誰だか分からない?」と聞き返して来るのだ。

 ガラナイが皆目分からないと答えると、その騎手は顔の包帯を引っ張って、素顔を見せた。

 浅黒い肌。
 意地の悪そうな八重歯。
 強気な眼。不敵な笑み。
 自信に溢れた表情。

 そして鋭い目付き。

 そう、サニヤだ。

 ガラナイはあまりにたまげて、落馬しそうになってしまうのである。

 なんでサニヤが?
 これは夢じゃないか?
 そうか、俺は死んで、途中から夢を見てるんだな?

 ガラナイが訳の分からない独り言を言うので、サニヤが「じゃ、馬から落ちてみる?」と提案すると、彼は肝を冷やして「やめて」と言うのであった。

 そんなガラナイの態度にサニヤはクスクスと笑い「ま、助けて上げたんだから感謝しろよ」と言う。

「そうだな。魔物から助けてくれてありがとう」

 ガラナイの感謝を聞いたサニヤは「魔物から……ね」と苦笑を浮かべた。

 実を言うと、サニヤが森を通っている時、様々な魔物と遭遇したのである。
 サニヤは六歳の時と同じように、魔物に恐怖を抱かなかったし、魔物も、まるでサニヤを猛獣から護るかのように同行してくれたのだ。

 なので熊や猪に遭遇する事もあったが、そう言った猛獣は魔物を恐れて一目散に逃げて行ったのである。
 
 こうしてサニヤが難なく森を抜けると、ちょうどガラナイが騎兵と共に敵軍の真ん中で孤立している所であった。

「ねえ、あいつらを助けてあげて」

 サニヤが魔物へ向けてそう言う。
 もしもこの発言を誰かが聞いたら、魔物は人を襲うモノなのに、その魔物に人を救うだって? 大体、魔物に人の区別を付けられる知能などあるものか、ときっと大笑いであっただろう。

 しかし、この魔物達はラムラッドの兵達を助けてくれるという本能的な確信がサニヤにあったのだ。

 そして、そのサニヤの確信を肯定するかのように、魔物達は一匹、また一匹と森から出て、戦場へ走って行ったのである。

 そう、ガラナイが命を拾ったのは、サニヤと魔物達のお陰だったのだ。
 しかし、サニヤはわざわざその事をガラナイに言いはしなかった。

 なぜならば、魔物がこの世界において本来は、凶悪凶暴な存在でしか無いと、サニヤは知っていたからである。

 本当は魔物だってそう悪い奴らじゃ無いんだよと言いたいが、その言葉をグッと呑み込んだ。
 ガラナイを無事、助けられたんだからグダグダ言わずにそれで良いんだ。

 サニヤはそう思いながら、森の方を脇見した。
 
 そこにはあの黒い人影が、森の中からサニヤを見ていたのである。
 朧を纏い、ゆらめくその黒い影は満足したかのようにゆっくりと振り向いて森の中へと姿を消した。

 満足したかのようにと言っても、その顔に表情など無いので、果たして満足したかどうかなど分かりはしないのであるが、ゆっくりと去っていくその姿には、満足げな雰囲気があるようにサニヤは感じたのであった。

 どうやら魔物では無いという事は分かったが、一体、あの黒い人影は何なのかサニヤにも分からない。
 あれは魔物ですらない全く異質な存在なのだろう。

 だが、その黒い人影のお陰でガラナイを助ける間に合ったのだ。
 だから、その正体が何であれ、サニヤは黒い人影の背へ、感謝の言葉をポツリと呟くのであった。
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