没落貴族と拾われ娘の成り上がり生活

アイアイ式パイルドライバー

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6章・父であり、宰相であり

処刑

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 カイエンが執務室でいつも通りの仕事をしていた時、大急ぎで兵が扉を開けてきた。

 ノックせず、勢い良く扉を開けたもので、カイエンはすぐに緊急事態と気付く。

「宰相様! お屋敷のメイドの方が来られまして、奥方様が……!」
 
 リーリルが? 
 カイエンは彼の言葉を最後まで聞く間も無く、気付くと王城を飛び出していた。
 王城の前にはカイエンのメイドが居て、カイエンに気付くと駆け寄ってくる。

「何があった!」

 すれ違いながら聞けば、彼女はすぐにカイエンの後を付いてきながら話し始めた。

 奥様が侵入者に襲われかけた――

 襲われかけた……。
 つまり、無事なのだな?
 そう思ったカイエンが大事ないのかと聞けば、メイドは言葉を詰まらせながら「ラジート坊ちゃまが……その……」と、歯切れ悪く言う。

 メイドは焦っているようだ。
 おまけに不安で、混乱しているためにうまく言葉が出てこないのである。
 普段のカイエンならば気にしない事であるが、今だけはその不明瞭な返事にイラだち、舌打ちをした。
 
 真っ直ぐカツカツと屋敷へ到着する。
 門扉の前に衛兵が立っており、野次馬が何名か居る。

 門扉の前に立つ衛兵はカイエンに気付くと、すぐに扉を開けて中へと入れた。

 屋敷の中へと入ると、メイドと、衛兵隊長が迎える。
 
「奥様はリビングに――」

 冷静さを欠いたカイエンは、メイドの言葉もそぞろにリビングへと真っ直ぐ早歩き。

 ザインかラジートか、子供の泣き叫ぶ声が耳を打っており、カイエンの不安を煽る。

 その不安のため、人から話を聞く暇があれば自分の眼で家族の無事を見なければ気が済まないのだ。

「皆、無事か!」

 リビングには、ソファーに座るザインとリーリル。
 ラジートはリーリルの膝の上に座っていた。

 ザインはリーリルの服を両手でガッシリと掴んで、涙を流してワアワアと泣いている。

 一方、ラジートはリーリルの膝の上で、ボーッとするかのような、心ここにあらずと言うべく状態だ。

「リーリル……」

 ラジートを抱き締めているリーリルは、思ったよりと平然としていたように見える。
 なので、カイエンはリーリルから話しを聞こうかと思ったのである。

 が、彼女もボンヤリとしていたみたいで、ハッとして「あなた」と言うのだ。

「何があったんだ。大変な事があったみたいだけど」

「ガゼン君が……来て……」

 リーリルが脣をわなわなと震わせ、そこで言葉を切る。
 感情が昂ぶって、うまく言葉に出来ないようだ。
 すると、今度はラジートがリーリルに代わって「あのお兄ちゃんがお母様を襲ってたから、守ってやったんだ」とカイエンを見上げた。

 無表情のラジートが顔を上げると、彼の首元に赤い血のようなものが、襟のすき間から見える。
 
「お父様とお母様の部屋に行ったら、あいつがお母様の首を絞めてたから、廊下の剣で……」

 廊下には装飾の剣がある。
 刃が付いていない剣だ。
 しかし、先端は鋭く尖っており、その気になれば人を刺すことは充分である。

 そのように説明しているラジートに、どこか怪我をした様子は見えない。
 なので、襟元に見える血は、おそらくは返り血。
 剣でガゼンを刺したときに浴びたのであろう。

 血を拭って服を着替えたようだが、首元は拭い忘れたようだ。

 そして、拭いきれない返り血ということは、ガゼンは余程の重傷か……あるいは……。

「宰相様。そのガゼンは死んでおります」

 衛兵隊長が背後から囁いた。

 ラジートが刺し殺したのだと、カイエンは理解し、しばし目を閉じて考え込む。 

 そして、カイエンは目を開けると、ポンとラジートの頭に手を置き、中腰になって目線を合わせる。

「よくリーリルを守った。偉いぞ」

 ラジートが無表情なのは、恐らく、大量の血を浴びて『興奮』しているのだ。
 そして、虫も殺せないようなラジートは人を傷つけた感触にショックを受けている。

 カイエンも経験がある。
 初めて人を殺めた時、世界が急速に変化したような感覚に襲われて、しばらく呆然としたものだ。

 しかし、その時はカイエンの初陣の時であり、人を殺す恐怖を感じながらも、人を殺す覚悟はあらかじめ決めていた。

 だが、ラジートはどうだ?
 いきなり親愛な母親が襲われていて、考える間も無く、剣で刺した。

 カイエンが初めて人を殺した時とは違い、覚悟をする間も無く、肉を掻き分ける感触をその手で感じた事であろう。
 あるいは、何も覚悟をする間も無く、大量の出血を目の当たりにしたのだ。

 今、ラジートの脳は人を殺した感触と、人が死ぬ光景をゆっくりとゆっくりと処理している。
 そのために感覚が麻痺しているのだ。
 麻痺した感覚か戻ってきた時、ラジートを襲うのは恐怖と罪悪感。

 それを少しでも緩和するために、ラジートがやったことは間違っていないんだと伝えたい。

「それにザインも、恐かったな」

 ザインも、ラジートがガゼンを刺し殺す時を見たのだろう。
 それにショックを受けて泣いているのだ。

 もう安心だよ。と、少しでも心が受けた傷を癒したかった。
 ザインとラジートの頭をグッと抱き締め、「僕が皆を守るから、もう安心してくれ」と言う。

 ザインは「ラジート、捕まっちゃうの?」としゃくり上げながら、カイエンの腕の中で言った。

「捕まらないよ。リーリルの事を守っただけじゃないか」

 確かめるかのように背後の衛兵隊長を見ると、「はい。正当な理由であったと確認されています」と答えた。

 隊長が言うには、ガゼンは行き付けの酒場で、リーリルを襲おうと話していたのを聞いた者が居たのである。
 客観的な状況を鑑みても、ラジートが責められるような事は何も無い。

 しかし、それから少し経って、取り調べが終わったメイド達がリビングへ戻ってきた頃には、ラジートの手足に恐怖と罪悪感の震えが出てきた。

 時間が経てば経つほど、ザインは落ち着きを取り戻し始めていたが、対照的にラジートはどんどん青ざめた顔へと変わっていき、しばしば自分の両手を眺めるのだ。

 ラジートの精神状態が悪くなっている。
 カイエンは、リーリル達を守れなかった非を謝るメイド達へホットミルクを作らせて、ザインとラジートへ飲ませた。

 また、リーリルにもホットミルクを飲むように伝えたが、彼女は首を左右に振り、「何も飲む気にならないの」とだけ言う。

 ザインとラジートほどでは無いが、リーリルも少なからずショックを受けているようだ。
 だが、だからこそ、ホットミルクを飲んで気持ちを落ち着かせるべきである。

 カイエンの懸命な勧めで、リーリルがホットミルクを飲んだのは、衛兵達が現場検証を終えて、屋敷から出ていこうかという時であった。

 衛兵隊隊長が敬礼をし、カイエン達は真面目に仕事をしてくれた彼らへ礼を払い、メイド達に見送りをさせる。

 護衛メイドのキネットだけ残ったリビング。
 ソファーでは、ザインとラジートを両脇に座らせて、リーリルがホットミルクを啜っている。

 カイエンはソファーの前に椅子を置いて、皆と対面するように座っていた。

 掛ける言葉が見つからない。
 何かを話して皆を少しでも安心させたいのに、なんと声を掛ければ良いのか分からない。
 むしろ、このまま静かにしていた方が良いのだろうか?
 今はそっとすべきなのかも知れない。

 もしも父上だったら……。

 カイエンは父を思い出す。
 彼なら高圧的で独善的な言葉を掛けていただろう。
 そして、その言葉は、きっと傷付いた人が縋(すが)りつけるような言葉なのだろうと、カイエンは思う。

 父、ニルエド……。
 高慢で自尊心が強く、自分の考えに一分の間違いも無いと思っていた男。
 カイエンは父のことが好きでは無かったが、しかし、今のような状況ならば、きっと自信に満ち溢れた力強い言葉で、子供たちを安堵させる事が出来たに違いない。

 しかし、自分は違う。
 自分はザインとラジートが恐怖して、傷付いているのに、どうすれば良いのか分からなくて、黙りこくっている。

 そう思うと、カイエンは今になって、父のことが少しだけ恋しくなった。

――父上。僕はあなたと違って非力です――

 カイエンが父としてどうすべきか判断しかねていると、ふと、窓が陰った。

 太陽が雲に隠れた様子では無い。
 窓を何かが覆った感じだ。
 射し込む太陽は、絨毯に人の形の影を落とし込んでいる。

 人が窓にへばりついているのだ。

 カイエンは窓の方を見る。
 同時に、ガツンと窓が割られ、サッシを固定している鍵が内側から開けられた。

 開いた窓から入ってきたのは、リミエネットだ。
 髪の毛を振り乱し、唇を大きくひん剥いた姿は、まるで鬼(オーガ)のよう。
 手には料理用のナイフ。

 目は据わって、落ちつきなくカイエン達を見ている。

「私の子を殺したのは誰!」
 
 ヒステリックに甲高い声を張り上げると、ラジートがリーリルにギュッと掴まり、怯えた。
 
 ガゼンを殺した自分を殺しに来た。
 ラジートはそう理解して、「ごめんなさい」と謝るのだ。

 しかし、謝られてリミエネットの怒りが収まる訳も無く。

「お前か!」

 ラジートをハッタと睨むのである。

 ラジートは小さく悲鳴を上げた。
 
 彼女はラジートを襲うだろう。
 誰もがそう思った。
 キネットも例外ではなく、彼女は腰の剣を抜こうとする。

 武器を手にして人の屋敷へと侵入し、あまつさえ、大切なお坊ちゃまに殺意を向けるなど言語道断。
 この場で叩っ切ってやろうとキネットは思うのだ。

 だが、そのようなキネットをカイエンが手で制する。

 なぜ?
 疑問に思うキネットへ、カイエンが「皆が怯える」と言った。

 ザインもラジートも、そしてリーリルも、ガゼンの死を見てショックを受けている。
 そんな時に血の流れる行為は良くない。

 ……と、言うのは名目だ。
 カイエンは、リミエネットとの関係を清算せねばならないと思ったのである。

 彼女は、気持ちの弱い自分そのものだ。
 なよなよとして決断出来ず、何も切り捨てる事が出来なかった今までの過去が、リミエネットと言う形で現れたに過ぎない。

 臭い過去に蓋をしても、過去は蓋の隙間から悪臭をばらまく。
 過去を清算せねばならない。
 自分自身の手で……!

 その時、リミエネットが叫んで駆け出す。

 料理用のナイフを構えて突進してきたリミエネットの前にカイエンは立った。
 そして、リミエネットの手首と首筋を掴むと、カイエンはリミエネットを投げ飛ばした。

 リミエネットの足が綺麗な弧を描いて、床へ落ちる。
 そして、そのままリミエネットを組み伏せると、彼女の片腕を掴んだ

 カイエンの脳裏に父、ニルエドの姿が浮かぶ。
 いまだに好きにはなれないが、今なら彼の強硬な姿勢が理解できる。
 家族を守る父として、容赦ない態度が必要なのだ。

 カイエンはニルエドの背中を思い出し、自然と手に力を込めた。
 枝が折れるような……あるいは、ネギがへし折れるような。
 乾いた音が部屋に響き、カランと落ちるナイフの音がリミエネットの悲鳴で掻き消された。

 腕をへし折ったのだ。

「キネット。縄を」

 カイエンは何も湧く感情が無いような声で言う。
 微塵も動揺が無い。

 キネットはその声に恐怖を感じ、ブルリと身を震わせてから、急いで縄を持ってくる。

「衛兵を呼んできてくれ」

 カイエンはリミエネットの折れた腕を容赦なく後ろ手に固定し、「助けて」とか「愛し合った仲じゃ無いの」と命乞いするその口を縄で塞いだ。

 部屋にはすぐに衛兵達が駆けつけ、彼らにリミエネットを引き渡した。
 その間ずっとカイエンはグッと歯を噛み締めている。

 カイエンは、リミエネットを衛兵へ渡す事を、内心では躊躇っていた。
 宰相の家を襲撃したリミエネットを待つのは、処刑である。

 ここで衛兵にリミエネットを渡せば、彼女は処刑されてしまうのだ。

 非情でありたい。
 冷酷非情であれば、彼女の今後を思って苦しむ事も無いのにと、カイエンは思う。

 その時、玄関から「母様!」とカーロイが入ってきた。
 カーロイは衛兵に抑えられながらも、必死に廊下まで向かってくる。

 そして、衛兵達に引っ捕らえられたリミエネットを見る。

 彼は「間に合わなかった……」と絶望の顔をした。

 そして、カーロイの声に気付いてリビングから出て来たカイエンと目が合うのだ。

「カーロイ……」

 カイエンは言うべき言葉が見つからず、カーロイの名を呟く事しかできない。

「止めたんです……。母様を……僕は……。でも」

 カーロイは言い訳をした。
 僕は止めたんだ。この母を止めたんだ……と。
 しかし、無駄だったと、衛兵に連れられる母親の姿を見れば理解できる。

 カイエンは何も言わずに彼から顔を逸らし、リミエネットへ「カーロイを殺すのは、君自身だ」とだけ言った。

 そう、宰相の家族を殺そうとするなど大問題であり、つまりはリミエネットの血を継ぐカーロイも処刑される。
 それだけ大きな問題なのだ。

 カイエンは、カーロイが連れてかれる姿を見たくなく、リビングへ逃げた。
 
 すぐにカチャカチャと衛兵隊の鎧が擦れる音が聞こえ、彼らは屋敷を出て行った。
 カーロイも連れてかれたが、彼の抵抗する声や音はしなかった。

 観念して、大人しく捕まったのだろう。

 カイエンは椅子に腰掛けて、静かに目を瞑った。
 国王や貴族を殺そうと企てた者を処刑すると、さらにその親類縁者が復讐を企てるかも知れないので、連帯として血縁者を処刑するのだ。

 つまり、カーロイを生かしておけば母親の復讐を企てるかも知れない。
 その危険性を排除するために、カーロイもリミエネットと共に処刑されてしまう。

 そう思うと、カイエンの目から静かに涙が流れた。
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