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本編

No,48 初めてのお呼ばれ 【貴志SIDE】

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毎日モニタリングしていた部屋へお呼ばれに預かり、俺は現在いま、些か緊張している。


※ ※ ※


一昨日の夜。【なまはげ】と云う、いつもの居酒屋で優里嬢と忘年会をして来たと云う真唯は、俺の醜い羨望の想いにも気付かずに。メールでは楽し気な様子を伝えてはくるものの、密かに置かせてもらっている監視カメラ(リザは盗撮などと失礼な事を言っていたが)に映し出される映像は酷く気怠気で。

昨日は本当に心配した。酒が残っている様子もないのに、午後を過ぎてもなかなかソファーベッドから起き上がらずに。
やっと起きたかと思えば何も食べずに大の字になってボウ~~ッとしている。やがて、コタツの上に俺が渡した指環とイヤリングとスマホを並べ、ジーーーッッと見つめている。みるみるうちに彼女の涙が盛り上がり、ポツンと落ちて。折角、指環をしてもらえた嬉しさも泣きながらでは半減だ。鼻をかみながら盛大に泣き出して、転寝してしまった時はどうしようかと思った。本当は飛んで行って慰めたかった。真唯の憂いを取り除いてやりたかった。せめて独り言でも漏らしてくれれば、原因を推測する事も出来るのに。
だが、そうやって悶々としている俺を尻目に、短い転寝から起き上がった彼女はまるで別人のようだった。買い置きの惣菜パンをたっぷりのカフェ・オ・レで二つ食べたかと思うと、猛然と掃除を始めたのだ。どうやら大掃除の心算のようだ。真唯がブログで言うところの【My 神棚】から始まり、部屋、台所、風呂場へ移って行く様子を俺は何とも言えない心地で見守った。

元気になったのは良い。だが、彼女のあまりの変わりようが腑に落ちなかった。 ……何か夢でもみたのだろうか。夢を覗ける機械があればと、何度考えたか知れない事をこの時も真剣に思った。
そして買い物から帰って来て、夕飯を済ませた彼女がした事は俺にメールをする事だった。届いたメールを確認した俺は、折り返し彼女に連絡せずにはいられなかった。


「真唯さん! このメールは本当ですか?
 本当に、貴女のお部屋へ呼んで頂けるのですか!?」
『嘘なんか吐きませんよ。いつも一条さんのマンションにはお呼ばれしているから、たまには私の部屋で会うのも良いでしょう?狭い部屋で申し訳ないんですが、今日大掃除をしたので、綺麗な事だけは保証しますから。』

狭い事など、重々承知している!
俺がこの瞬間ときをどれ程待ち続けた事か!!

「大掃除をしたすぐ後に呼んで頂けるなんて光栄です。」
『あ! あの、お恥ずかしいんですが、ウチはヒーターがないので、なるべく暖かい格好でいらして下さいね。』
「承知しました。では、明日を楽しみにしていますね。
 何時頃、お伺いすれば良いですか? 午後の二、三時頃?」
『…お料理上手の一条さんにお出しするのは恥ずかしいんですが、お昼は私が作りますから…午前十一時頃、いらして下さい。』

彼女の手料理!! 自炊をまったくしないと豪語している真唯の手料理にありつけるとは光栄の極みだっ!!!

「それは、ますます楽しみです。」
『……正露丸持参でいらして下さい。』
真唯の可愛いらしい恥じらいの言葉に俺は微笑わらい、そこで通話は切れた。


※ ※ ※


いつも利用しているコインパーキングを使ったのだが、今度、真唯のアパートの住人が使っている駐車場を使わせてもらえるよう交渉しよう。

ピンポーン♪

軽快な音を鳴らせば、玄関の中の覗き穴を確認する気配がして、「今、開けま~す!」との真唯の声にネクタイをしていないのに無意識に喉元に手をやりたくなったが、手土産で両手が塞がっていて、その仕草をせずに済んだ。本当は思い切り正装したい気分だったのだが、真唯との釣り合いを考えてオフホワイトのタートルネックのセーターとダークグリーンのカーディガン。そして珍しくGパンなんぞ穿いてみた。真唯にもらったルビーのブレスをしているのはお約束だ。ロックとドアチェーンを外す音がして、真唯が顔を見せてくれた。

「本日はお招きに預かりまして、」

狭い玄関口で俺は初訪問の挨拶の途中、真唯のあまりに可愛い格好に固まってしまった。何と真唯はデニムのエプロンをして、俺を迎えてくれたのだ!!
そんな俺の様子に気付かずに、真唯は俺の手元を見て大騒ぎだ。
「もう、一条さんったら。手土産なんか、いいのに!!
 とにかく中に入って下さい、寒いですから。」
促されて中に入れば、キッチンには深手の鍋が弱火でガスコンロにかけられていて、良い匂いが漂っている。この匂いは……
「……ビーフシチューですか?」
「ブー。不正解。 …楽しみにしてて下さい。」
軽く舌を出して可愛いらしく笑う真唯に、俺は我慢出来なくなってしまった。
手土産をコタツの上に置き、コートも脱がずに俺は真唯を抱き締めて、抗う隙も与えずにその瑞々しい唇を舌を味わう。会えなかった隙間を埋め尽くすように思い切り貪って。

「……んァ…ッ」
唇を離す瞬間の色っぽい吐息に煽られ、もう一度口付けようとしたのだが、そうは問屋が卸さなかった。

「…折角のミニブーケ…早くお水をあげたいから…離して下さい…」
「…手土産のセレクトを間違えましたね。」
「そんな事ないです。綺麗です。ありがとうございます、一条さん。」
にっこり笑う罪のない笑顔に敗北して、俺は渋々彼女を離した。
「綺麗なオレンジの花…こんな寒い部屋で長生きしてくれると良いけど…」
「大丈夫です。寒さに強い品種らしいですから。」
「何て名前なんですか?」
「済みません。店員のセールストークがあまりに長いので忘れてしまいました。」
クスクスと微笑う真唯の笑顔が、花なんかよりもずっと可愛い。
真唯が【インカローズ】と呼んで可愛いがっている出窓に飾っている鉢植えの横に、マグカップに差したミニブーケを飾ってくれた。こんな小さな贈り物を喜んでくれる真唯の心根の優しさに、俺は惹かれてやまない。
遅くなったが、もう一つの手土産を渡す。
「千疋屋のピュアフルーツジェリーです。暖房がガンガンきいているようなお部屋ならシャーベットやアイスクリームにしたのですが。」
俺はやっとトレンチコートを脱いで、真唯に渡しながら話した。真唯はそれをパイプハンガーにかけてくれた。 ……真唯の洋服たちと一緒になれて、何と羨ましいコートだろう!
「嬉しいです!
 ありがとうございます、一条さん。食後に一緒に頂きましょうね!」
その箱を冷蔵庫に仕舞いながら、真唯は俺をコタツへといざなう。

促されるままにコタツに入り、座高の低いソファーに座る。
……今はソファーになっているが、夜にはベッドに変身するソファーベッドだ。
真唯がこれに毎晩眠っていると思うと、たまらない想いが湧きあがる。
俺は思わず、キッチンにいる真唯には見えないように、ゆっくりとそのソファーを撫でる。

……まるで、真唯を愛撫するかのように……

そんな俺の邪な想いにも気付かぬ少々鈍感な恋人は、キッチンから無邪気に声を掛けて来る。


「あの~、先ずはお客様にお茶を出すべきなんでしょうが、時間はまだ少し早いですが昼食にしてしまってかまいませんか?」
「…あ、ええ、勿論ですよ。
 実は期待して朝食を少ししか食べていないので助かります。」
「あら。それは私も助かります。空腹は最高のスパイスですからね。
 私の不味い料理も少しは美味しく感じて頂けますね。」
「……真唯さん……貴女は何度言ったら、」
「あ! ほらほら、一条さん。折角の私の料理が冷めちゃいますから、お小言は後にして先ずは食べてみて下さい。」
「……………」
自分を貶める言葉は止めて欲しいと願う俺の小言を見事に封じた真唯は、小さなコタツの上にランチョンマットを敷き、美味しそうな匂いをさせた皿を乗せたトレーを運んで来た。
真唯が俺の前に置いた皿を見て、俺は眼を見開いてしまった。


「……これは…ハヤシライスですか。」

「そうです。私の数少ないレパートリーの中の自慢の一品なんです。贅沢にボルドーの赤ワインでコトコト煮込んじゃったから、食べられるレベルにはなってる筈です。あ、サラダには、このドレッシングを使って下さい。」

俺はドレッシングも手作りだが、真唯はそこまで拘りがないようで市販の胡麻ドレッシングを置いてくれた。そしてランチョンマットの上にはハヤシライスを中央に、スプーンとフォークが並べられ。真唯らしいシンプルなグリーンサラダとお冷とワイングラスが置かれた。そのワイングラスに料理に使ったと思われる赤ワインをそそいでくれる。
ボルドーだと言っていたが……聞かない名だ。
まあ、きっと……

「あ、一条さん。
 このワインはいつも一条さんが飲んでるような高級な物とは違いますよ。
 近所のリカーショップで買った安物です。
 …と云っても、私にしては奮発したんですけどね。」

思った通りの言葉に苦笑が漏れたが、それはすぐに本物の笑顔に変わる。
「こう云う料理は高価たかいワインを使えば良いと云う訳ではありません。
 あくまでも料理人の腕次第ですよ。」
「それって、凄いプレッシャーなんですけどっ!」
「まあまあ。」
笑って真唯をいなした俺は、真唯が向かい側のクッションに落ち着いたのを確認してグラスを掲げた。



「私の可愛い恋人が、初めてご馳走して下さるお料理に。」

「……口のお上手な私の恋人が、お腹を壊さない事を願って。」

カチンとグラスをあわせて乾杯して。俺は期待に胸を膨らませて、早々に真唯お手製のハヤシライスに手を付けた。


「……美味しい……」
思わず声がもれた。

「ホントですかっ!?」
見れば、真唯はスプーンも握らずに、ワイングラスを持ったまま真剣なで俺を見つめていた。 ……よほど俺の感想が不安だったのだろう。そんな真唯の不安を払拭すべく俺は、自分でも最高だと思える笑顔を浮かべた。

「本当ですよ。とっても美味しい。
 こんなに美味しいハヤシライスは初めて食べました。
 …まあ、貴女が私の為に作って下さった手料理ハヤシライスが、不味い筈がありません。」

真唯の顔が赤い。俺の台詞に照れたのか、それとも自然にもれてしまう、この笑顔にか……おそらく両方だろう。 ……俺の恋人は初心で、ホントに可愛い。

「さあ、貴女も食べて下さい。冷めてしまわないうちに。」
「はい、いただきま~す!」
安心したように真唯は自分のハヤシライスに手を付けた。そして「良かった~、上手に出来て♪」とニッコリ笑う。


……俺の惹かれてやまない、陽だまりのような笑顔で……


その笑顔に一瞬手が止まって見惚れるが……すぐにグラスワインを呷る事で誤魔化した。確かに普段飲んでいるワインより数段劣るが、真唯が俺のために用意してくれたワインだと思えば、それは格別の味に思えた。
俺はアッと云う間にその旨いハヤシライスを食べ終えてしまい、それを惜しく思っていると「あ、おかわりありますよ!」との声に有り難く二杯目を頂戴し、今度はゆっくりと噛み締めるように味わった。


「ご馳走さまでした。」
合掌して一礼する俺に、
「お粗末さまでした。」
真唯も一礼してきて顔を見合わせて笑い合う。

食後の皿洗いを申し出たのだが、断固として拒否されてしまった。
「私と一条さんとじゃ、ご馳走になった回数も内容も違い過ぎます!」と言って。
そして「普通のマグカップで済みません。」と、本当に済まなそうに出された食後の珈琲を飲んで待つように言われた。
来客用らしいマグカップに、俺は一瞬、ここを訪れた事のある友人に嫉妬の念を覚えたが、彼女は女性だ、気にするなどバカらしいと自分を諌めた。

……俺の彼女を想う感情は強過ぎて、こうしてときたま思いもしないタイミングで顔を覗かせて俺自身を戸惑わせる。


それを紛らわすように、俺は出窓から見える青い空と飾られた【インカローズ】とミニブーケに眼を向けて。
PC上では毎日見ている部屋を見渡す。

出窓の横に貼られたミュシャのポスター【羽根】

グリーンを基調にしたインテリア。

南側の窓にはもう横の家の壁が迫っているが、白のレースのカーテンとグリーンの薄いカーテンがそれを上手く隠していた。

そして、その前に置かれた真唯の“ときめき”のワンピースやコートが並んでいるパイプハンガー。

俺の背後を埋め尽くすのは本棚で、様々な種類の本が整然と整理されて並んでいる。文庫、趣味の本、学術書に至るまで……
その一角に真唯が言うところの【My 神棚】があって、サラスヴァーティー女神じょしんの絵姿が飾られている。玄関に入った途端に感じたふわりと薫る香りは、伽羅の線香だろう。



………なんて、【真唯】らしい部屋なんだろう………



洗い物をした後もキッチンでゴソゴソと何やらやっている恋人の後ろ姿を見つめながら、俺は彼女が淹れてくれた珈琲を飲み終わり、まったりとした時間ときの流れを感じていた。


………今まで身体の関係を持った女が、女の部屋でこんなに寛いでいる俺を見たら眼を剥いて驚くだろう。




―――……この俺に、こんな穏やかな時間が持てるようになるなんて……―――







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