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本編

No,114 真唯の一生のお願い

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それから一条やつとは、校外でも頻繁に会うようになっていった。何よりお互い本好きで、茶水から神田の古書店街をよく歩いたよ。ついでに勉強もみてもらった。こいつがまた腹が立つくらい、頭が良かったんだ。東大でも狙ってんのかって聞いたら、「…いや、そのまま緋龍院大に進学すると思う…」って、他人事みたいに言いやがる。


……俺と奴には、共通点がもう一つあったんだよ。
それはお互い親の敷いたレールの上を歩いていたって事。俺ン家は代々医者の家系でね。これでも、いいとこのお坊ちゃんなんだぜ? ガキの頃から『お前は将来、医者になって後を継ぐんだ』って、インプリンティングされてて、それに何の疑問も持ってなかった。……恥ずかしい話、病気を治療したり、人を癒したいなんて、高尚な目的があった訳じゃない。家がたまたま病院だった。ただ、それだけだったんだ。



それに風穴開けてくれたのは、やっぱり一条あいつ

忘れもしない、高二の秋だよ。
体育祭や文化祭やらで忙しくしてて、奴と会えない日が続いたんだ。ところがある日、久々に待ち合わせたサテンで会うなり、「僕は緋龍院大には進学しない。」なんて言いやがったんだ。やけに固い真剣な表情かおで。じゃあ、どーすんだよって聞いたら、「まだ、理解らない。でも、家の言い成りには絶対、ならない。」なんて、ぬかしやがったんだ。
呆気にとられたよ。

そして奴は宣言通り、英国留学を決めちまう。しかも、英国の最高峰・オックスフォードだ。開いた口が塞がらなかったね。


その時、初めて思ったんだ。俺は、このままで良いんだろうかって。
留学なんて贅沢は言わない。……でも俺にだって、他の選択肢があるんじゃないかって。



高三になっても、もやもやしたまんま。
そんなある日、親父にあるパーティーに参加するように言われたんだ。いわゆる“いいところの坊ちゃん、お嬢様”の集まる、顔つなぎパーティーって奴。人脈を広げるためにも、未来の嫁探しのためにも絶対出席って、強制連行。似合わねースーツ着せられてさ。ま、会場が帝都ホテルだったから旨い物でも食って、適当に話を合わせてりゃいーかって軽い気持ちで参加した訳。

そしたら一条あいつがいたんだ。スーツがビシッとキマッててさ。あ、こりゃ、こんなパーティーに慣れてやがる、って直ぐに理解ったよ。で、声掛けるだろ? 当然。そしたら、あいつ、なんかすっごく慌てやがって。どーしたんだろーなーなんて、呑気に構えてたら、同じガッコですっげぇ鼻もちならない奴が、急に親し気に声掛けて来たんだよ。

「岩屋君が、緋龍院さんのお知り合いだとは知りませんでしたよ。僕にも、紹介してもらえませんか?」って。


……ハ…?
……緋龍院って、誰…?

……待てよ?
……緋龍院って、あの緋龍院グループの…?


「…バレちゃったみたいだな…」

一条の奴が苦笑いしてた。
その表情かおには、悪気の欠片もなくて……


その瞬間、頭が沸騰したね。
ふざけるな…!って。


「堀江君、悪いね。緋龍院さんは、こんなパーティーに初参加した田舎者に気を使って、物珍しさから声を掛けて下さっただけなんですよ。彼とはこれが初対面。 …緋龍院さん、お相手して下さって、ありがとうございました。」

せいぜい笑顔に見えるように表情を作れば、一条の奴は、どんぐりまなこで俺を凝視している。そんな一条の傍に寄って、奴だけに聞こえるように囁いてやった。


「…親友だと思ってたのは、俺だけだったんだな。
 …二度と、俺に話し掛けるなよ。」


「…! …違う! 違うんだ、岩屋っ!!」
心なしか青褪めたような表情かおの一条と、
「は! …考えてみれば、緋龍院さんと、岩屋君がお知り合いな訳ないか。」
嘲るような表情の堀江のコントラストが面白かった。

目の端で俺に追い縋ろうとするような一条と、引き止める堀江とその他の取り巻きのような奴らが囲むのを捉えて、俺の人生終わったな……と思ってたよ。 ん? なんでって、仮にも緋龍院の一族に喧嘩を売ったんだ、ただじゃ済まないだろ?

でも後悔はしなかったよ。なるようになれって気分だった。
あの瞬間ときに戻る事が出来たら、何度でもおんなじ事をしたと思うからな。



……でも、折角、覚悟を決めたっつーのに、“制裁”がなんにもなかったのには、正直、拍子抜けしたよ。こっちは最悪、退学するか、家出でもして病院を守るかってトコまで腹を決めてたっつーのに。

その代わりと云うように、一条がまた、ウチのガッコの図書館通いを始めたんだ。俺は会う心算なんかなかったから、徹底的に無視したよ。そしたら、俺のクラスまで押し掛けて来て、とにかく謝らせて欲しいと九十度に腰を折って謝ってきやがった。正直、心の中では驚愕してたんだけど、それを表に出すまいとして、「許す。許すから、もう来ないでくれ。」って、言ってやったんだ。そしたら無表情になって、「…僕は、心から許して欲しいんだ。 …また、来るよ。」っつーて、三顧の礼みたいな事をやりやがったんだ。
その内に俺に謝罪する現場を、あの堀江の奴に見られて大騒ぎ。“図書館の王子様”が実は緋龍院の御曹司だと云う事が周りにバレて、その場にいられなくなっちまった。仕方ねーから一条の手を引いて、よく待ち合わせしていたサテンに避難したよ。




「…あ~あ。明日、ガッコに行くのがコワイぜ。」
「…ごめん、僕のせいで…。…重ね重ね、本当に申し訳ないっ!!」
……目の前におかれた珈琲を横に、一条の奴がテーブルに額を付けそうに謝って来る。……それを見てたら、今まで張ってた意地の塊が、大きなため息と共に俺の中から出て行くのを感じたんだ。だから、言った。

「…今日の事は、堀江の奴のせいだろ。 …いいよ、もう。ホントに許す。」
俺の雰囲気の違いに気づいたんだろう、敏い男が、
「…本当に? 本当に許してくれるかい? …また以前のように、古書店巡りにも付き合ってくれるかい…?」
上目づかいに聞いてきやがるから、言ってやったんだよ。
「遊んでて良いのかよ? オックスフォード、行くんだろ?」って。そしたら、
「ああ、良かった! 岩屋と仲直り出来て、本当に良かった…!」
……すっげぇ晴れやかな、良い表情かおで笑われて、なんだかな~~と思ったよ。




そして一息ついてから、必死になって言い訳してくれた。
緋龍院学院では、“緋龍院”の名前を持つだけで、腫れ物に触るような扱いか、阿諛追従で阿るような奴らに囲まれるかどちらかでしかない事。図書館通いや古書店巡りが、いかに貴重な息抜きであったかと云う事。そして、気に入った人間か、友達になれそうな人間には、つい一条姓を名乗ってしまう事。……自分の背後の“緋龍院”を意識して欲しくなくて……。……そして、やっと友達になれたと思っても、緋龍院の名前を知られた途端に、相手の態度が急変してしまう事。

……そんな話を聞かされたら…ホント、もう降参するしかないだろ…?


「…だから君の態度は、凄く新鮮で衝撃的で…嬉しかった。」
「…その…悪かったよ。」
「…二度と話し掛けるななんて言われた事なんか初めてで…ああ、今度こそ、本当の親友に巡り合えたと思ったんだ。」
「…も、ホント、勘弁して下さい…」

……熱に浮かされたような一条の言葉の羅列は、聞きようによっては熱烈な恋の告白みたいで、穴掘って逃げたくなったもんだよ。




それから本当の、一条との…緋龍院貴志との付き合いが始まったんだ。

結局、俺は医大には進まなかった。早稲田の第一文学部哲学科に進学した。親には散々罵倒されたけど、一時は家出まで覚悟したんだ。学費を出してくれただけでも有り難いと思ってるよ。
英国へ行った奴と連絡は取り合ってた。最初は慣れない環境で必死だったが、外国に出てまで緋龍院の名前が追いかけて来る事には辟易していたよ。
でもある時から、奴の調子がガラリと変わったんだ。やっと、“緋龍院”の呪縛から解き放たれた、自由になれたと言って、酷く興奮していた。……ああ、英国に行って良かったんだなと、こっちまで嬉しくなってくるような浮かれ様だった。


そして、これからどんどんPCが普及して行って、軽量化してくるようになる。紙媒体の書籍はなくなる事はないだろうが、これからは電子書籍の時代になってくる。一緒に会社を作らないかと持ち掛けられたんだ。
それは俺も感じてた事だったんで、喜んで話に乗った。……あいつが、共同経営者として俺を選んでくれたって云うのも、嬉しかったしな。俺が在学中から準備を始めて、お互いが卒業して、あいつが帰国するのを待って、わずかな資本金の本当に小さな出版社を始めた。『アイズ』って云うのは、俺と一条のイニシャルを合わせたものだって云う話はしたが、実はもう一つ、特別な意味がある。

”って云う意味だ。俺たちの御眼鏡おめがねに適った奴らを発掘して行ってやろう、っつー野望があったんだ。フフ……生意気だろ? でも、これから盛り上がってくるだろう電子書籍時代の先駆者になってやろうっつー意気込みだけは、人一倍だったんだ。そこんとこだけは、理解ってくれよな?

創業当時は苦労が多いのが当たり前だが、それよりも何よりも楽しかったね。我武者羅に好きな事に打ち込めるって事は、幸せな事だろ? 俺の行った大学はそこそこの処だったんだが、ちょうどバブルのはじけた頃で周囲まわりの学生たちがより安定した職を求めてやっきになってる時に、将来の大作家を求めて彷徨ったのは、良い思い出だな。親からは勘当されたけどね(苦笑)。 ……伸るか反るかの大博打…? ま、必ず勝ってやるって思ってたから、不思議なほど不安はなかったけどね。
ま、相棒が頼もしい奴だったからな。あいつ、緋龍院建設に縁故使わないで、自力で入社はいったんだぜ? “緋龍院”の名前を出せば、一発、本社入社だろうに、入った先は関東支店。そこでペーペーとして駆けずり回りながら、一方では電子書籍の出版に理解のありそうな人脈を構築したり、電子書籍の作家を発掘して行ったり……信じらんない奴だろ?

……助け合って、お互い足りない処を補いあったり、たまにはマジギレしてケンカしたり……そんな風に築き上げて来たんだよ、一条との関係は。

……俺の中では、あいつは“緋龍院”なんかじゃなくって……ただの、【一条貴志】なんだよ。


……正直、あいつの女性関係は、誉められたもんじゃない。しかし、この二、三年、ちょっと様子が違うなとは思ってたんだが……君のお陰だったんだな。ありがとう。

……一条を、どうかよろしくな、上井さん。



※ ※ ※



岩屋さんのお話しは、どこまでも冷たく凍りついていくアイスバーンにでもなったような精神こころと、噴火寸前の火山になったような精神ココロがミックスされていたような、カオスな気分を落ち着かせてくれた。


最初、一条さんのお兄さんに話を聞いた時に感じたのは、圧倒的な“哀しみ”だった。

一条家だって釣り合わないと散々悩んでいたのに、緋龍院家って言ったら、完全に雲上人だ。

……しかも、ずっと偽名を使われていて、それを打ち明けてもらえなかったなんて…お兄さんの言う通りに、アタシとの事は遊びだったの…? なんて思えてきてしまっていた。 ……結婚式の打ち合わせをしていると云うのにだ。



次に、あのお嬢様(沼倉さんなんて、言いたくない!)と、お兄さんの会話には、完全にキレた。

一条さんは、あんたたちの都合の良いように動くモノじゃないのよ!! って。

KY商事が零細企業なのは、紛れもない事実だけれど、他人に言われると腹が立つ! おまけに、会社にいられないようにしてやるなんて、どこの悪代官よっ!!



そして、とどめ。
一条さんが、「アイ’s_Books」の社長さんだったなんて……

でも一条さんは一度だって、アタシのブログの書籍化を勧めたりなんかしなかった。

……その事のために、アタシに近付いたなんて……嘘だよね…?



……そんなモヤモヤした想いを、抱えていたりしたのだが……



※ ※ ※



アタシは現在いま、一人で【コレンティエ】の止まり木のスツールに腰かけていた。

結局、夕飯は岩屋さんに奢って頂いた。婚約祝いだと言って。結婚祝いは、もっと豪勢な物を贈るから期待しててねと笑われてしまった。すぐにも祝いを言いたいとスマホを持ち出す岩屋さんを、彼は今海外出張中だからとさり気なく止めた。
……わざとらしくならないように。
『そうか、残念だけど仕方ないね。メールじゃ味気ないもんな。帰って来たら、久し振りに飲みにでも誘うよ。』
そう言って、アタシのパスタと二杯分のカクテルの代金を払ってくれた岩屋さんには、本当に申し訳ないけれど……



……アタシの精神ココロを救ってくれて、本当にありがとうと、お礼を言いたい……



……あのお盆の帰省から帰って来る途中に聞いた、一条さんの告白で、彼の過去を知った気になっていたけど、実際は少しだけ違ったんだ……。……一条さんが“本家”と言っていた、事の重大性を思い知る。
緋龍院家の本家の権力ちからと云ったら、それこそワールドワイドだ。

お兄さんが、一条さん……いや、弟の緋龍院貴志さんと高級官僚の娘さんを結婚させようとする事も、もしかしたら本家を継ぐ事を諦めていないのだろうか、なんて事を考えてしまう。

……一条さん……あんなお兄さんと幼い頃から一緒だったなんて、どれほどのストレスだっただろう。

……緋龍院の名前を嫌悪して、一条を名乗っていた、あの男性ひと……
……でも、一条の名前だって、貴志さんには嫌悪の対象だったはずだ……



……ああ…ホントだね。
……ホント、アタシたちは、似た者同士だったんだ……





眼の前に置かれたカクテル【アラウンド・ザ・ワールド】

綺麗な緑色のカクテルを含むと、あの日と同じ爽やかなジンの味が口に広がる。





――― 一杯、おごらせて頂けませんか? ―――





……あの出会いが、仕組まれたものだって構わない。

開き直った女は、コワイんだからね…!

それをとっくりと、思い知らせてあげる…っ!!

アタシは秘めたる決意を胸にそのカクテルを飲み干すと、「ご馳走様でした。」とマスターにニッコリ笑っておアイソしてもらって。
【コレンティエ】を後にした。




向かった先は、Z駅。
スマホでタクシーを呼ぶ前に、アタシには連絡したい処がある。

愛用のLANCELのお財布から、何年か前に買った奈良の興福寺のテレカを取り出し、一枚の名刺を握り締め、そこに書かれたナンバーを慎重に押して行く。
……初めて電話させて頂くには、あまりに遅い時間だ。……でも……早ければ早い方が良い。決心が鈍らぬうちに……

コール音を手に汗握るような気持ちで聞く。


……お願い! つながって…っ!!


祈るような気持ちでいた数十秒が、やけに長く感じた。
電話の向こうの柔らかな声音こえに、知らず知らずの内に縋るような声が出てしまった。



「こんばんは。夜分遅くに申し訳ありません! アタシ、上井真唯です!!
 …澤木さん…あの時の約束は、まだ有効でしょうか…!?
 …後生ですから、アタシの一生のお願いをきいて下さい…!!」







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