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本編
No,144 Sweet Dream 【貴志SIDE】
しおりを挟む……真唯……
自分の腕の中で眠る愛しい女性の姿に、意識するまでもなく極上の笑みが浮かんでしまう。
※ ※ ※
昨日は披露宴だった。
入籍と結婚式、そして新婚旅行。
それさえ済ませてしまえば、お終いと自分は思っていたのが、妻になった女性の考えは違った。世話になった人々への感謝の気持ちを込めて、披露する式を執り行いたいと言い出したのだ。
反対する理由は何もない。妻の主張に唯々諾々と従った。ただ、本来、客の事を考えれば、日曜や祝日の方が良かったのだろうけど、生憎、祝日は恒例の公演に出掛ける予定になっていたから、リザと帝都ホテルと短い相談期間の結果、クリスマス・イヴになってしまったのは大いに不満だったけれど。
……クリスマス・イヴは、愛する女性と2人っきりで過ごしたかったから……
しかし、そんな本音をバラして、妻を困らせるような事はしたくなかった。
おまけに平日にも関わらず、招待客たちは次々と参加の表明をして来て。……まあ、店が、丁度、定休日で却って喜ばれてしまった田宮家や、失恋のために欠席の表明をした男たちは、一部の例外だ。
……と、そこまで考えて。僅かに眉根が寄る。
出席していた若造の瞳を思い出したのだ。真唯は良い友人などと言っていたが……とんでもない。あの瞳は、完全に諦めた男のモノではなかった。……不参加を表明した男たちの方が、まだ可愛い気がある……。……とにかくこれからも、あの若造と、田舎の男は要注意だ……。……KYのゴキブリも決して油断は出来ない。
「…私の奥さんは、魅力的だから…本当に困りますね…」
囁いて愛する妻の唇に、目覚めを促すキスを贈った。
※ ※ ※
「う~ん、美味し~い♪」
眼の前では、真唯がブランチに頼んだフレンチトーストを頬張っている。
その表情は“至福”の一言だ。
俺もにこやかに同じものに手を伸ばす。
帝都ホテルのフレンチトーストは格別だ。
皿が置かれた瞬間、シナモンの香りが鼻腔を擽る。
目に鮮やかな黄金色は、まるで卵焼きのようだ。
バターを乗せ、蜂蜜とメープルシロップをかける。
ナイフで切ってみると、外はカリカリ、中はしっとり。
口に入れれば、様々な食材の要素が混然一体となり、豊かなハーモニーを奏でているようだ。
……うん、美味い。
……俺は元々食物の味には頓着しない男だった。
『食えれば、何でも良い。』本気でそう考えていた。
しかし、真唯のブログを読み……真唯のために料理するようになって、その認識は鮮やかに変化していった。
……“美味い”と感じる物を食べる事が出来る事が、こんなに喜びをもたらすなんて……
……誰かと食卓を囲む事に、こんなに幸せを感じてしまうなんて……
「美味しいですね♡」
「…ええ、本当に。」
微笑みあえる事が、こんなに愛しい……
―――幸福なクリスマスの朝だった。
※ ※ ※
レイトチェックアウトにしているので、まだ時間に余裕がある。
食後の珈琲を楽しんだ後、満腹になって再び眠くなったであろう真唯に二度寝を促すと、彼女は大人しく従ってくれて。
再び、夢の中……俺の腕の中だ。
……疲れているのだろう。
無理もない。肉体的に……そして、精神的にも。
ストーカーの話は、やはり相当なストレスを与えてしまったようだ。
……それだけではない。真唯は、自分がガードされている事にも、ストレスを感じてしまっているようだ。
真唯は、他人を蹴落としてでも自分が出世しようなどと云う野心からは、対極にいるような女性だ。人に悪意を持たれていると理解っても、“守られて当然”などと割り切れるような女性ではない。他人が傷付くような場面に遭遇すれば、咄嗟に我が身を盾にしてしまうような女性だ。
そんな女性がプロとは云え、護衛の人間の事を気に掛けてしまうのは、むしろ当然だと言えるだろう。
……真唯は、そんな自分の事を俺に知られまいとして、必死に普通を装っているが……俺には理解る。
……伊達に何年もの間、彼女を見守っていた訳ではないのだ。
……まあ、良い。今は大人しく騙されていてやろう。
……来年になっても外出を遠慮するようであれば、さすがに困りものだが……
……真唯には、自由でいてもらいたいのだ。
家事など一切しなくて良い。気の向くままに神社仏閣を巡り、好きな舞台にも出掛けて欲しい。……俺が同伴であり、スポンサーである事が絶対条件だが。
家政婦や、掃除、洗濯の業者を解雇する事を諦めていない真唯と、再度、話し合う必要性を感じながら、俺も目を瞑った。……が、しかし、眠気は一向にやっては来ない。
一晩たっぷり眠ったから……と云う訳では断じてない。
反対だ。
自分は殆ど眠っていないのである。
……当然である。愛しい妻を腕にしながら、その甘やかな肢体を味わう事を許されていないのだから。
……ハッキリ言えば、拷問以外の何物でもない。
しかし、“禁欲”の期間が一週間で、本当に助かった。
これが、ひと月も実行されてみろ。
クリスマスHは愚か、【姫納め】も【姫初め】もおあずけにされてしまうところだったのである。……ケチャの手配をしておいて本当に良かったと、今更ながら背中を汗が伝ってしまう。
ふいに鮮明に。
あの地獄の底を這うようだった、真唯を追い求めた一ヶ月余りの日々を思い出す。
そして同時に。
あの夢のようだった、真唯を完全に独占出来た、一ヶ月足らずの日々を思い出す。
正に、天国と地獄。
そして真唯に、本当の意味で受け入れてもらえた幸運を…奇跡のような現在の幸せを想う。
……まさか、銀座にいたとは思わなかった。
灯台もと暗しとは良く言ったものである。
だが決して、探し当てる事の出来ないであろう事も理解っていた。
……“牧野秀美”名義でずっと探していたのだから、是非もない。
……まさか、【上井真唯】の戸籍を手に入れていようとは……
……おまけに、澤木様の御養女になられる事を、拒否していたとは思わなかった。
地球を裏側から支配出来るであろう権力を、自ら手放していた事を知り……“らしさ”に頬が緩む。
……【上井】の姓を手に入れた彼女は、俺を“緋龍院”の呪縛からも解き放ってくれたのだ……
感謝してもし切れない。
……この世に“神”と呼ばれる存在がいるのなら……世界中の神々に感謝を捧げたい気分だ……
ククク…ッ!
まさか堕天使を自任している俺が、こんな事を想う日が来るなんて……これも降誕祭の奇跡だろうか…?
【ド悪魔】そして【大魔王】
主にリザと室井女史から冠された、その称号を思い出し、黒笑みが浮かぶ。
長年の親友に言われた。
『散々、惚気を聞かされていたから、嘘だとは思わなかったが…まさかお前が、マトモに結婚出来る日が来るとは思わなかった。』
と。
……その友人は、どうやら、妻の友人を狙っているらしい。
話を聞きたがるから、おかしいとは思っていたのだが……あの“瞳”は間違いない。どうやら本気のようだ。
……英国と日本と離れているのに、一体、いつ出逢ったのか……まあ、お手並み拝見と行こう。
もう一人の親友は、俺の正体は知らない。
しかし、俺を案じてくれている気持ちは強い。
……まさか今更、社長業をやれと言われるとは思わなかったが。
あいつの事だ。
真唯の事とは、完全に別問題と理解っているだろう。
この忙しい中、山中がわざわざ出席してくれるとは思っていなかった。
しかも律儀に、折角やった金を返金してこようとまでする。
だから、言ってやった。
『君には、散々、迷惑を掛けて来たし、現在進行形で掛け続けているからな。
迷惑料として受け取っておけば良い。
その金でドイツに短期留学するも良し、好きなドイツ車を購入するも良し。
…とにかく、好きに使ってくれ。』
と。
※ ※ ※
幸せな記憶に浸っていると、ふいに思い出したのは、あの元・兄の事。
……さて、どうしてくれようか…?
しかしいつもなら、泉のように湧き上がってくる暗い思考が、一向に浮上して来ない。
……もしかして、幸せボケだろうか…?
堕ちたものだと思うものの、こんな自分も悪くないと思えるから―――始末に困る。
そうして、本当に困ってしまった。
許してしまいそうなのだ―――あの兄の事を。
……まあ、いい。
……じきに、良いアイディアが浮かんでくるだろう。
……現在は、押し寄せる幸福感に、この身を任せていたい。
……いつまでも、いつまでも浸っていたくなるような―――幸福感に。
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