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第肆章:緋丸温泉

04:隠れ鬼

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胡涅は降参だと両手を顔の横にあげて、敵意がない表明をする。


「近寄ることも、触れることもしません」


態度で伝えれば、青年も少しは警戒心が溶けたのか「ふむ」と睨むのはやめてくれた。怪訝そうな、疑り深い雰囲気は変わらないが、敵意がないことを理解してくれる相手で良かった。相手が落ち着けば、多少は肩の力も抜けてくる。


「私と藤蜜って人は、そんなに似ているんですか?」


心の距離が近づいたことで、気の抜けた問いかけをしてしまった自分を叱りたい。


「お前が、あの方と?」


ぴしりと亀裂の入った空間に、前言撤回したいと冷や汗を感じるが、怪訝そうな顔でじろじろと上から下まで値踏みされる感覚は、いい気分ではない。


「藤蜜さまと、お前が?」


男と会話した記憶は朱禅と炉伯をのぞいてほとんどないが、ニコリともしない愛想はもちろん、いちいち癇に触る言い方も一周まわって苛立ちが募る。


「何よ、さっき見間違えたくせに」

「あ、あれは。勘違いだ」


思わずふんっと鼻を鳴らして言い返してしまったが、焦って取り繕う姿に若干気分は持ちなおる。


「勘違いするくらい似てたんでしょ?」

「違う、断じて違う。お前と藤蜜さまは、まったく似ていない。藤蜜さまは美しく、男なら誰もが見惚れる妖艶さをもっている。芯が強く、気位ある高貴なおかた。大体、そんな間抜け面で貧相な体ではない」

「ちょっと、失礼なんじゃな……」

「藤蜜さまは、ワガママで、自由奔放で、イタズラ好きで、特定の男は作らないくせに気まぐれに甘えてくる。愛らしい人だ。お前とは違う」

「……うん。それは、うん。違いそう」

「だが、お前からは藤蜜さまと同じ気配がする。あの方は特別だ。答えろ、娘。藤蜜さまに何をした」

「えっ、ちょ、待って」


直感は正しい。
どこに隠し持っていたのか。濃霧では全然気付かなかった刃物が眼前で光る。ややこしそうな人だなと思えば案の定、男は日本刀を持って距離をとっていた。
通り魔、殺人鬼、そんな言葉が頭のなかで踊るが、こういうときこそ落ち着きを失ってはいけないと、たしか、そう、朱禅か炉伯が言っていた気がする。
せっかく殺意を消失させることができたと思ったのに、これでは振り出しに戻っただけだと胡涅は天を仰ぐ心地でいた。


「……冗談でしょ?」


まったくもって本当に、役に立たない二人は、今ごろどこにいるのか。こんなときこそ颯爽と現れて、目の前で刃物をもつ男を退治してもらいたい。


「答える内容次第ではこの場でお前を殺す」

「急にそんなことを言われても…ッ…キャア……こっ、今度は何!?」


地震かと思うほどの震動。獣の咆哮に似た何かが近づいている。
聞きなれない空気の震えに背筋が泡立ち、心臓が緊張を走らせて足がすくむ。
本能が恐怖したのだろう。
胡涅が目を向けた場所。気配が右斜め前から迫ってくる。


「今日はいったいなんだ。愚叉まで狭間路に入ってくるとは」

「ぐ、しゃ。え、なに。え、なにあれ」

「見てわかるだろ。夜叉の血を得た人間だ」

「は、え、人間……あれ、人間なの!?」


四足歩行で突進してくる影。
一瞬の判断でしかないが、胡涅には猪や熊の塊みたいな影に見えた。だけど青年は「愚叉」と名のつく人間だという。たしかにそう言われてみれば、理性を失った人間に見えないこともない。


「ていうか愚叉ってなに?」


アレはどうみても人間にはみえない。


「夜叉ってなに!?」


人間があんな姿に変貌する血を持つ生き物など、きっとろくでもないに違いない。
からからとイヤな金属の出所を探れば、地面に光るのは日本刀。日本刀を持って四足歩行で走る人間。映画とかで見る、走れるタイプのゾンビに違いない。
理性を失った人間だというなら、アレはあまりにも怖すぎる。


「お前はいちいちうるさいな。さっさとかまえろ、襲ってくるぞ」


相変わらず馬鹿にしたような言いぶりに緊張感が霧散すると、胡涅は息を吐いた。


「いや、かまえるってなによ。いきなりそんなこと言われても無理…ッ…イヤァァァ」


四足歩行で走ってきた人間のような何かは、突然強く地面を蹴って飛翔してくる。
間に合わないと思った。
死んだと思った。
手に日本刀のようなものを握り、泡を吹きながら吠え、血走った目は焦点が合わず、それなのに血管が浮き出るほど筋骨粒々として、髪を振り乱した「それ」が見えた瞬間、胡涅は死んだと思った。


「クソッ……」


一瞬にして青年の背中が目の前にあった。というより、右斜め前から突進してきたよくわからない影と刃物がぶつかり合う音が聞こえて、今もカチカチと小刻みに震える音が聞こえてくる。


「……あ、ありがとう?」

「腰抜かしてる場合じゃないぞ。このマヌケ。戦えないなら逃げろ」

「私も、そう…っ…したいんだけど」

「早く立て。バカかお前、死にたいのか!?」


怒る背中にイラッとしたが、実際腰が抜けて立てない。悔しいことに力が全然入らない。


「死にたいわけな…ッ…キャア」


見かねたのだろう。
男はゾンビみたいな人間と均衡した力の差が歪んだ一瞬の隙をついて胡涅を担ぐ。
急に担ぎ上げられて、今さら、彼が男だという実感が湧いてきた。


「ヤダッ、おろしてよ!!」

「うるさい、少し黙れ」

「ギャッ、どこ触ってるの、変態、痴漢、変態」


怖さが募る。朱禅や炉伯は大きいだけじゃなく体躯もいいため、無意識に比べてしまっていたが、「小さい」と思っていた彼は、普通の男性くらいには大きく、胡涅を簡単に担いで走れるくらいには力があったらしい。
百歩譲って、彼をなめていたことは認めよう。けれど、よくわからない状況に巻き込まれて必死に平常心を保っているというのに、なぜそんな偉そうに命令されなければならないのか。仮にも、棋風院のネームバリューをもって生きてきた。
見知らぬ他人の、それも顔がいいだけの男から偉そうに言われる筋合いはない。そう叫びたいのに、混乱と羞恥に押し潰されていた不安が噴き出して、怖さも拍車をかけて、胡涅は違う言葉を叫んでいた。


「おろして……やっ、やっぱりおろさないで、逃げて!!」

「はぁ?」


妖怪人間の咆哮が耳を掠めて、胡涅は男に先を急かす。


「もう追い付いてきたのか?」

「来てない、まだ見えてない。う、わぁ、前、前見てよ。危ないじゃない」

「うるさい。少し黙れ、このバカ女」

「ばっ、バカって言うほうがバカ……ヤッ、どこ触ってんのよ」

「境目のわからない貧相な尻が悪い」

「言ったわねぇ!?」


走りながら口も回る。
右手に日本刀、左腕で肩に胡涅を抱えて男は走る。どこへ行こうというのか。胡涅としてはあまり遠くへ行きたくはない。
なんとか朱禅と炉伯に見つけてもらわないと、取り返しがつかなくなるような気がした。


「貧相な尻だろうが、胸だろうが、これがいいっていう男がいるの」

「そいつの目は節穴だな」

「節穴はどっちよ。私が誰かわかって言ってるの、警察に突き出すわよ!?」


わざと大きな声で「自分はここにいます」とアピールする。耳の良い二人ならすぐに見つけてくれると信じていた。
それなのに、意外にも事態は悪く、愚叉が見えなくなったあたりから、青年が失速し始めてついに止まった。


「これだから人間の女は。何かあればすぐに権威だの、司法だのと持ち出して…ッ…ぅ」

「ちょっと、あなた怪我してるじゃない!?」

「オレに触るな」


ついに膝を折って崩れた男の肩から降りてみれば、彼の右側面に血がにじんでいる。先ほどやられたのか。それよりも前かはわからないが、頼れる存在ではないことは明白で、むしろ助けなければならなくなったと胡涅は悟る。


「はいはい、愛する藤蜜さま以外に触られたくないのよね。んー、でも困ったな。こんなときに、朱禅と炉伯はどこに行っちゃったんだろ?」


大体、あの二人が近くにいて、このように説明できない事態になることがおかしい。
色々困った状況だが、何より胡涅には重症らしい男をどうしたらいいのか判断がつかない。
日本刀を持っている。
命を狙ってきたが、助けてもくれた。と信じていいのだろうか。もしもあのゾンビみたいな妖怪人間と、この男が共犯で、大掛かりに演じているのなら、このまま誘拐や殺害をされても不思議ではない。
青白い顔や匂いからして、流血するほどのケガというのは唯一の事実。
敵か、それとも味方か。
その相手が同一人物という単純でいて複雑な状況も判断に困る。
弱っている相手を置いて逃げるか。
それは、良心の呵責があると胡涅は唸っていた。


「……ぃ……おいっ。聞いてるのか?」


呼び掛ける声に胡涅はハッと意識を青年に返す。


「ご、ごめんなさい。聞いてなかった」


まったくと、滅茶苦茶呆れられたが、言っておくなら、そんな態度も言葉もかけられる道理はない。とはいえ、文句を言っても仕方がない。


「あ、そうだ。救急車を」

「必要ない。それより、さっき言ってた朱禅と炉伯って」


濃霧は晴れず、ここは見知らぬ男と二人きり。置いていくことができない以上、刺激して殺されるのも紙一重なら、できる限り穏便に過ごしたい。


「朱禅と炉伯っていう顔だけが取り柄の大きな男がね、いるんだけど。この辺ではちょっとした有名人で、知らない?」

「お前みたいな小娘がなぜ、八束王の眷属たち……まさか、お前があの棋風院 胡涅か……通りで狭間路に入れるはずだ」


穏便に過ごしたいと思った矢先、そうはならなさそうなところが頭が痛い。
小娘にも、王にも、眷属にも、あの、にも。色々聞きたいことはあるが、視界の端にまた例の人間みたいな獣みたいな、男流にいうなら「愚叉」とやらが突進してくるのが見えている。


「ヒッ、ね、ねぇ。話してる場合じゃなさそう」

「ああ。アレは死ぬまで夜叉狩りを止めないよう作られている」

「だから夜叉って、なに!?」

「双子夜叉といて夜叉を知らないのか。お前、棋風院のくせに愚叉も知らなかったな。そもそも、アレは将門之助が」

「まさ…かど……の?」


ダメだと、胡涅は聞きたいことが多すぎる現実に足止めをくらう。
与えられた情報が多すぎてついていけない。愚叉はすぐそこで角をはやして、牙を剥き出して、変な唸り声を叫んで、さびた日本刀を振り回して目の前で飛翔する。
唯一助けてくれそうな男は重症。
万事休す。
せめて夢であってほしいと強く目をつぶった刹那、胡涅はよく知る匂いを嗅ぎとった。


「胡涅」


朱禅と炉伯が目の前にいる。二人の腕の中にいる。
たしかに二人だと認識できるのに、ハロウィンのコスプレかと思う衣装の二人の姿には目を見張るものがある。聞きたいことが多すぎて、伝えたいことがまとまらない。
ぐるぐると回る思考が許容範囲を超えたのだろう。
どういうわけか説明できないが、キャパオーバーと安堵に気が抜けて、胡涅はその場で意識を手放していた。
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