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第一章『脱出篇』
第五話『視界消失』 破
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六日目の夕食時、航達は「公転館」の使用人である扇小夜から、翌日の朝食時に冊子「篦鮒飼育法」を持参するように言い付けられた。
新兒などは「試験に資料を持ち込める、カンニングし放題だ」と脳天気に喜んでいたが、航にとっては逆に不安の種であった。
試験の途中で冊子を参照しても良いということは、それを前提とした課題を用意しているということである。
或いは、実技形式なのか――冊子には「戦う為の力」について書かれており、その可能性も充分あり得る。
そして七日目の朝、航達は食堂に待機させられ、そのままワゴン車へ乗せられた。
車内では暢気に爆睡する新兒と冊子を熱心に読み込む虎駕を除き、皆不安気に流れる景色を見詰めていた。
「何処へ行こうというんだ?」
狭い車内で山道に揺られながら、航は運転席の扇に問い掛けた。
バックミラーに映った扇の眼は微動だにせず、簡潔に答えにならない答えを返す。
「本日、試験を行うと御伝えしていた筈です」
航は嫌な予感を覚えた。
初日にも碌に内容も伝えられないまま死ぬような酷い目に遭わせてきたのが武装戦隊・狼ノ牙である。
車内の淀んだ空気が、航以外の六人も概ね同じ様な思いを抱いたと雄弁に物語っていた。
⦿
山の中へ入ったワゴン車を道中で停め、扇は航達を森の中へと誘い込んだ。
「迷う恐れが御座いますので、どうか固まって歩かれますよう」
扇の後を歩き、航は逃げる隙を窺う。
あまり森の奥深くに入られると遭難の恐れがある。
決行するならば早い方が良いだろう。
が、木々が少し開けた場所に踏み込むと、扇は不意に足を止めた。
航達の立っている場所は、切り立つ崖の上の小高い丘になっている。
「では、試験を開始いたします」
扇の宣告に「どういうことか」と問う暇も無く、航達は突然猛スピードで突っ込んできたワゴン車に轢かれて、崖下に落とされた。
「ぐああああっっ!!」
またしても崖から転落させられた航達だったが、今度はすぐ地面に打ち当たった。
航は起き上がり、周囲に目を遣る。
不意打ちには驚かされたが、この状況は上手く立ち回れば逃げるに絶好の機会だ。
無茶な仕打ちにも拘わらず無事に済んでいるのは、初日に飲まされた薬の効果が今も継続しているということだろう。
「な、何しやがんだ!」
真っ先に怒号を上げたのは新兒だった。
空ら空らと歩いていた分、突然轢かれた驚きは大きかったのだろう。
だが、航を含めた他の者達にとってその反応はワンテンポ遅れたものだった。
状況は既に、扇に文句を言っている場合ではない。
「う、嘘でしょう……」
「あわわ……」
それを見た繭月と双葉は恐怖に顔を引き攣らせた。
航の頬にも冷や汗が流れている。
七人が落とされたのは崖と言うより巨大な落とし穴で、四方八方全てが地層の壁に取り囲まれていた。
そしてその中には、航達の他に一頭の獰猛な肉食獣が潜んでいたのだ。
「羆っ……!?」
航達は一様に青褪めた。
それは体長三米、羆の中でもかなりの大型で、虫の居所が悪いといった様相で牙を剥き出していた。
謂わば、共に檻の中へ閉じ込められたも同然の状況である。
そして檻の主は、誰もが知る日本最大の危険な肉食動物なのだ。
「その羆は皆様が落ちた穴から何日も出られず、餌に有り付けておりません。これが何を意味するか、皆迄言わずとも御理解いただけるかと」
扇はよく通る声で、しかし冷淡に言い放った。
要するに、これから腹を空かせた羆が襲ってくるからどうにかしろ、ということだ。
「事前に皆様にお渡ししました『篦鮒飼育法』の中身を真に御理解なさっていれば、飢えた獰猛な羆を殺すことなど容易いかと存じます。これを、皆様に対する試験に代えさせていただきます」
無茶を言うな、と航の胸に焦りと怒りが込み上げてきた。
理科の実験でもそうだが、実験の方法を座学で理解するのと実演するのとでは全く違う。
テキストを理解しただけでいきなり実践しろと言われても流石に難しい。
「岬守、拙いぜ」
すっかり目が覚めた様子の新兒が航に声を掛ける。
彼が指摘したかったのは、すっかり怯えて動けそうにない双葉と繭月、そして何とか気を確かに保っているものの表情を強張らせている虎駕だった。
「兄ちゃんよ、ちゃんと身に付けとくべきだったな」
折野は不敵に笑いながら航の準備不足を皮肉った。
戦い方に関する内容は十巻もある長い冊子の末尾であり、到達するのに日数を要したのが痛かった。
一応、皆で練習しなかった訳ではないが、合同練習では誰も何一つ身に付かなかった。
「参ったな、虻球磨」
「ああ」
そして無情にも、羆は猛スピードで航達の方へ迫って来た。
空腹で追い詰められた羆に人間を恐れる様子は無い。
この野生の猛獣は平気で数人を犠牲にする。
そんな獣害事件が過去何件も報告されている。
羆が狙ったのは最も小柄な双葉だった。
悲鳴を上げ、頭を抱えてしゃがみ込む彼女に、羆の剛腕と怒爪の暴威が襲い掛かる。
絶体絶命、双葉の体は引き裂かれ、二人目の犠牲者発生かと思われた、その時だった。
「久住さん!!」
航が双葉の体を抱えて、羆の殺意から間一髪で逃れさせた。
その際、航は羆よりも速く双葉へ駆け寄り、人間業とは思えない跳躍力を発揮して彼女に飛び付いていた。
地面を一回転した航は、双葉の無事を確かめる。
「大丈夫か、久住さん」
「あ、ありがとう岬守君」
双葉に怪我は無かった。
安心したのも束の間、羆は攻撃を回避した二人を追い掛けてきた。
この猛獣の恐ろしいところの一つは執着心である。
また、逃げるものを追い掛けずにはいられない習性も持ち合わせていた。
「俺が相手だ、獣!!」
新兒が後から羆の頭を殴った。
拳は光を放ち、一発で羆をふらつかせる程の凄まじい膂力が発揮された。
「徹夜で追加練習しといて良かったな、岬守!」
「ああ。だがやっぱり全員を巻き込むべきだったよ」
前日、不安を覚えた航は新兒を起こし、急遽「篦鮒飼育法」に書かれている「力を発揮する方法」を追加練習していた。
しかし、夜遅かったこともあって他の者達は寝静まっており、起こすことも出来なかったので、二人だけで練習するしかなかったのだ。
座学の試験だった場合に徹夜がマイナスになる懸念も棄て切れなかった。
そんなわけで、航と新兒だけは即興で戦いに備えられており、いざというときは皆を助けようと考えていた。
冊子によると、航達が薬によって身に付けた力の名前は「神為」。
それは自律神経が意識とは無関係に心臓を鼓動させ代謝を行うように、驚異的な耐久力と回復力を常時働かせている。
しかし、重い物を動かすには力を込める必要があるように、超人的な身体能力は何気無く発揮される訳ではない。
神為とは「神の行いを真似する」ことを意味する。
あくまでも人為的なものであり、神の威光そのものとは異なる。
或いは「神威」と称することを避諱したものでもあるらしい。
それは、自らの中に神なる意識を内在させ、その力を意のままに操るという神憑りの模擬である。
その内なる神の深部に意識を向ける程、より超常的な力を発揮することが出来るのだ。
力の深さには段階があり、薬を飲んだだけで身に付けられる耐久力と生命力は第一段階、航と新兒が発揮したような超人的な身体能力は第二段階という訳だ。
二人が一夜掛けて練習しなければならなかったように、第二段階の力を発揮するには一寸した骨が要る。
「虻球磨!」
怒れる羆の剛腕が唸り、新兒に猛威を振るう。
新兒は辛うじて躱したものの、航の声掛けが無ければ危なかった。
「サンキュー、岬守」
「二対一で、力を身に付けたとはいえ油断するなよ。相手は日本でも最大最凶の野生動物なんだ」
「それはそうとして、皇國って日本なのか?」
「今は良いだろ、それは」
下らない会話をしている隙に、羆が航に覆い被さってきた。
この攻撃を躱すのは容易かった。
だが、二人は大きなミスを犯していた。
「きゃああああっっ!!」
羆は待避しようとしていた双葉を追い掛ける。
すぐ近くに双葉が居ることを失念していた航と新兒の失策、そして逃げるものを優先して追う羆の習性が、彼女を危機に陥れていた。
万事休す、その場の誰もが惨劇を予感せざるを得なかった。
が、その時羆の頭に強烈なラリアットが炸裂した。
ふらつきながらも驚いた羆は、不意に飛び掛かった女の方を睨み付ける。
「しっかり守れ、莫迦共!」
「椿!?」
椿陽子の赤毛が太陽に照らされていた。
彼女は羆の反撃を躱しつつ、首元に光る蹴りを入れる。
その動きは何やら武術の心得があるように見え、また攻撃の威力は明らかに神為の第二段階に達していた。
「椿、お前俺達に内緒で練習してやがったな!」
「何だよ虻球磨、文句あんの?」
「誘えよ!」
「知ったこっちゃないね。貴方らとは元々他人なんだ。必要以上に馴れ合うつもりは無いよ。武術家として、超人的な身体能力とやらに個人的な興味があっただけだしね」
椿の蹴りに耐えかねてか、羆はその場から動かず、蹲って呻き声を上げていた。
(つ、強え……)
その女とは思えない強烈な武威に、航は畏怖すると同時に故郷の幼馴染・麗真魅琴を思い出す。
(なんでこんなにやたら強い女と縁があるんだ、僕は……)
余計なことを考えてしまった航だったが、幸いにして羆はまだダメージから立ち直っていなかった。
だが決定打にはならなかったようで、怒りに歪んだ物凄い形相で航達のことを睨み付けている。
「ありがとう、陽子さん」
双葉は目に涙を浮かべて椿に礼を言った。
余程怖かったのだろう、無理も無い。
「相部屋の好さ。私の後に隠れてな」
椿は双葉を下がらせる。
そして、航と新兒に発破を掛けた。
「他の連中は私が守る! 貴方達はその獣をさっさとやっつけちまえ! 熊殺しの称号はくれてやるよ!」
航達の目の前では羆が立ち直り始め、徐に体を起こしていた。
依然として、彼らが危機に直面している状況は変わらない。
ならば、それを除去しなければならない。
「だってよ、有難いこったな。じゃ一丁やるか、岬守!」
「ああ。さっさと片付けよう、虻球磨。僕達には他にやることがあるんだ」
航と新兒は七人の命運を背負い、羆狩りに改めて挑む。
新兒などは「試験に資料を持ち込める、カンニングし放題だ」と脳天気に喜んでいたが、航にとっては逆に不安の種であった。
試験の途中で冊子を参照しても良いということは、それを前提とした課題を用意しているということである。
或いは、実技形式なのか――冊子には「戦う為の力」について書かれており、その可能性も充分あり得る。
そして七日目の朝、航達は食堂に待機させられ、そのままワゴン車へ乗せられた。
車内では暢気に爆睡する新兒と冊子を熱心に読み込む虎駕を除き、皆不安気に流れる景色を見詰めていた。
「何処へ行こうというんだ?」
狭い車内で山道に揺られながら、航は運転席の扇に問い掛けた。
バックミラーに映った扇の眼は微動だにせず、簡潔に答えにならない答えを返す。
「本日、試験を行うと御伝えしていた筈です」
航は嫌な予感を覚えた。
初日にも碌に内容も伝えられないまま死ぬような酷い目に遭わせてきたのが武装戦隊・狼ノ牙である。
車内の淀んだ空気が、航以外の六人も概ね同じ様な思いを抱いたと雄弁に物語っていた。
⦿
山の中へ入ったワゴン車を道中で停め、扇は航達を森の中へと誘い込んだ。
「迷う恐れが御座いますので、どうか固まって歩かれますよう」
扇の後を歩き、航は逃げる隙を窺う。
あまり森の奥深くに入られると遭難の恐れがある。
決行するならば早い方が良いだろう。
が、木々が少し開けた場所に踏み込むと、扇は不意に足を止めた。
航達の立っている場所は、切り立つ崖の上の小高い丘になっている。
「では、試験を開始いたします」
扇の宣告に「どういうことか」と問う暇も無く、航達は突然猛スピードで突っ込んできたワゴン車に轢かれて、崖下に落とされた。
「ぐああああっっ!!」
またしても崖から転落させられた航達だったが、今度はすぐ地面に打ち当たった。
航は起き上がり、周囲に目を遣る。
不意打ちには驚かされたが、この状況は上手く立ち回れば逃げるに絶好の機会だ。
無茶な仕打ちにも拘わらず無事に済んでいるのは、初日に飲まされた薬の効果が今も継続しているということだろう。
「な、何しやがんだ!」
真っ先に怒号を上げたのは新兒だった。
空ら空らと歩いていた分、突然轢かれた驚きは大きかったのだろう。
だが、航を含めた他の者達にとってその反応はワンテンポ遅れたものだった。
状況は既に、扇に文句を言っている場合ではない。
「う、嘘でしょう……」
「あわわ……」
それを見た繭月と双葉は恐怖に顔を引き攣らせた。
航の頬にも冷や汗が流れている。
七人が落とされたのは崖と言うより巨大な落とし穴で、四方八方全てが地層の壁に取り囲まれていた。
そしてその中には、航達の他に一頭の獰猛な肉食獣が潜んでいたのだ。
「羆っ……!?」
航達は一様に青褪めた。
それは体長三米、羆の中でもかなりの大型で、虫の居所が悪いといった様相で牙を剥き出していた。
謂わば、共に檻の中へ閉じ込められたも同然の状況である。
そして檻の主は、誰もが知る日本最大の危険な肉食動物なのだ。
「その羆は皆様が落ちた穴から何日も出られず、餌に有り付けておりません。これが何を意味するか、皆迄言わずとも御理解いただけるかと」
扇はよく通る声で、しかし冷淡に言い放った。
要するに、これから腹を空かせた羆が襲ってくるからどうにかしろ、ということだ。
「事前に皆様にお渡ししました『篦鮒飼育法』の中身を真に御理解なさっていれば、飢えた獰猛な羆を殺すことなど容易いかと存じます。これを、皆様に対する試験に代えさせていただきます」
無茶を言うな、と航の胸に焦りと怒りが込み上げてきた。
理科の実験でもそうだが、実験の方法を座学で理解するのと実演するのとでは全く違う。
テキストを理解しただけでいきなり実践しろと言われても流石に難しい。
「岬守、拙いぜ」
すっかり目が覚めた様子の新兒が航に声を掛ける。
彼が指摘したかったのは、すっかり怯えて動けそうにない双葉と繭月、そして何とか気を確かに保っているものの表情を強張らせている虎駕だった。
「兄ちゃんよ、ちゃんと身に付けとくべきだったな」
折野は不敵に笑いながら航の準備不足を皮肉った。
戦い方に関する内容は十巻もある長い冊子の末尾であり、到達するのに日数を要したのが痛かった。
一応、皆で練習しなかった訳ではないが、合同練習では誰も何一つ身に付かなかった。
「参ったな、虻球磨」
「ああ」
そして無情にも、羆は猛スピードで航達の方へ迫って来た。
空腹で追い詰められた羆に人間を恐れる様子は無い。
この野生の猛獣は平気で数人を犠牲にする。
そんな獣害事件が過去何件も報告されている。
羆が狙ったのは最も小柄な双葉だった。
悲鳴を上げ、頭を抱えてしゃがみ込む彼女に、羆の剛腕と怒爪の暴威が襲い掛かる。
絶体絶命、双葉の体は引き裂かれ、二人目の犠牲者発生かと思われた、その時だった。
「久住さん!!」
航が双葉の体を抱えて、羆の殺意から間一髪で逃れさせた。
その際、航は羆よりも速く双葉へ駆け寄り、人間業とは思えない跳躍力を発揮して彼女に飛び付いていた。
地面を一回転した航は、双葉の無事を確かめる。
「大丈夫か、久住さん」
「あ、ありがとう岬守君」
双葉に怪我は無かった。
安心したのも束の間、羆は攻撃を回避した二人を追い掛けてきた。
この猛獣の恐ろしいところの一つは執着心である。
また、逃げるものを追い掛けずにはいられない習性も持ち合わせていた。
「俺が相手だ、獣!!」
新兒が後から羆の頭を殴った。
拳は光を放ち、一発で羆をふらつかせる程の凄まじい膂力が発揮された。
「徹夜で追加練習しといて良かったな、岬守!」
「ああ。だがやっぱり全員を巻き込むべきだったよ」
前日、不安を覚えた航は新兒を起こし、急遽「篦鮒飼育法」に書かれている「力を発揮する方法」を追加練習していた。
しかし、夜遅かったこともあって他の者達は寝静まっており、起こすことも出来なかったので、二人だけで練習するしかなかったのだ。
座学の試験だった場合に徹夜がマイナスになる懸念も棄て切れなかった。
そんなわけで、航と新兒だけは即興で戦いに備えられており、いざというときは皆を助けようと考えていた。
冊子によると、航達が薬によって身に付けた力の名前は「神為」。
それは自律神経が意識とは無関係に心臓を鼓動させ代謝を行うように、驚異的な耐久力と回復力を常時働かせている。
しかし、重い物を動かすには力を込める必要があるように、超人的な身体能力は何気無く発揮される訳ではない。
神為とは「神の行いを真似する」ことを意味する。
あくまでも人為的なものであり、神の威光そのものとは異なる。
或いは「神威」と称することを避諱したものでもあるらしい。
それは、自らの中に神なる意識を内在させ、その力を意のままに操るという神憑りの模擬である。
その内なる神の深部に意識を向ける程、より超常的な力を発揮することが出来るのだ。
力の深さには段階があり、薬を飲んだだけで身に付けられる耐久力と生命力は第一段階、航と新兒が発揮したような超人的な身体能力は第二段階という訳だ。
二人が一夜掛けて練習しなければならなかったように、第二段階の力を発揮するには一寸した骨が要る。
「虻球磨!」
怒れる羆の剛腕が唸り、新兒に猛威を振るう。
新兒は辛うじて躱したものの、航の声掛けが無ければ危なかった。
「サンキュー、岬守」
「二対一で、力を身に付けたとはいえ油断するなよ。相手は日本でも最大最凶の野生動物なんだ」
「それはそうとして、皇國って日本なのか?」
「今は良いだろ、それは」
下らない会話をしている隙に、羆が航に覆い被さってきた。
この攻撃を躱すのは容易かった。
だが、二人は大きなミスを犯していた。
「きゃああああっっ!!」
羆は待避しようとしていた双葉を追い掛ける。
すぐ近くに双葉が居ることを失念していた航と新兒の失策、そして逃げるものを優先して追う羆の習性が、彼女を危機に陥れていた。
万事休す、その場の誰もが惨劇を予感せざるを得なかった。
が、その時羆の頭に強烈なラリアットが炸裂した。
ふらつきながらも驚いた羆は、不意に飛び掛かった女の方を睨み付ける。
「しっかり守れ、莫迦共!」
「椿!?」
椿陽子の赤毛が太陽に照らされていた。
彼女は羆の反撃を躱しつつ、首元に光る蹴りを入れる。
その動きは何やら武術の心得があるように見え、また攻撃の威力は明らかに神為の第二段階に達していた。
「椿、お前俺達に内緒で練習してやがったな!」
「何だよ虻球磨、文句あんの?」
「誘えよ!」
「知ったこっちゃないね。貴方らとは元々他人なんだ。必要以上に馴れ合うつもりは無いよ。武術家として、超人的な身体能力とやらに個人的な興味があっただけだしね」
椿の蹴りに耐えかねてか、羆はその場から動かず、蹲って呻き声を上げていた。
(つ、強え……)
その女とは思えない強烈な武威に、航は畏怖すると同時に故郷の幼馴染・麗真魅琴を思い出す。
(なんでこんなにやたら強い女と縁があるんだ、僕は……)
余計なことを考えてしまった航だったが、幸いにして羆はまだダメージから立ち直っていなかった。
だが決定打にはならなかったようで、怒りに歪んだ物凄い形相で航達のことを睨み付けている。
「ありがとう、陽子さん」
双葉は目に涙を浮かべて椿に礼を言った。
余程怖かったのだろう、無理も無い。
「相部屋の好さ。私の後に隠れてな」
椿は双葉を下がらせる。
そして、航と新兒に発破を掛けた。
「他の連中は私が守る! 貴方達はその獣をさっさとやっつけちまえ! 熊殺しの称号はくれてやるよ!」
航達の目の前では羆が立ち直り始め、徐に体を起こしていた。
依然として、彼らが危機に直面している状況は変わらない。
ならば、それを除去しなければならない。
「だってよ、有難いこったな。じゃ一丁やるか、岬守!」
「ああ。さっさと片付けよう、虻球磨。僕達には他にやることがあるんだ」
航と新兒は七人の命運を背負い、羆狩りに改めて挑む。
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