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1話 そのカフェオレはどんな味?

そのカフェオレはどんな味? 2

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 『カフェ・フォルコ』は、イヴの父が始めた店だ。
 壁際に並んだビンの中には、三百年続くフォルコ家代々の当主が大陸中から集めてきたありとあらゆる種類のコーヒー豆が詰まっている。
 かつては個人で楽しむか親しい者に請われて豆を譲るくらいだったが、イヴがまだ赤ん坊の頃に、父ロバート・フォルコがこうしてカウンターを設置してカフェにした。
 ウィリアム王子もマンチカン伯爵も、そんな開店当初からの客である。
 カフェとはいっても座席はなく、カウンターの脇に立ち飲み用の小さな机が一つ置かれているだけだ。
 客は立ったままコーヒーを飲み、カップをカウンターに返して帰るのがルールになっている。
 もちろんそれは、一国の王子殿下とて例外ではない。

「イヴ、私にはどういった豆で淹れてくれるんだ?」
「今回は、父が見つけた比較的新しい品種の豆にしようと思います。発見当初は樹高が高くて栽培が難しいと敬遠されましたが、昨今では柑橘系のさわやかな酸味とワインのような深みのある芳醇な味わいで注目されているそうですよ」

 ウィリアムの〝いつもの〟は、ブラックコーヒーだ。
 豆自体にこだわりはなく、季節やその日の温度などを考慮した上で彼が好む風味のものをイヴが選別している。
 深煎りの豆を丁寧に挽いて粉にし、香りを楽しみながらドリップする。
 一切の手間を惜しまず、じっくり丁寧に拵えるイヴを眺めるウィリアムの眼差しは、それこそマンチカン伯爵家のジュニアがちびちび飲んでいる――こちらも猫舌である――カフェモカくらい、甘くなっていた。
 その横顔を生温かい目で眺め、マンチカン伯爵が口を開く。
 なお、王子に対する横柄な態度が許されるのは、彼が初代国王の親友で、その黎明期を支えた忠臣でもあったからだろう。

「それで、おとーちゃん? オリバーは今どこで何をしているんだい?」
「誰がおとーちゃんだ……オリバーの現況など、私も知らん」
「はぁん、まったく……最近の若者は薄情だにゃあ。君達、幼馴染みで親友じゃなかったのかい。それにしても、オリバーも困ったやつだよ。こーんな可愛い妹一人に働かせて、自分は自由気ままに大陸中を遊び呆けて回っているなんてさ!」
「兄は遊んでいるんじゃなくて、豆の買い付けに行っているんですよ」

 ブラックコーヒーをウィリアムに手渡しながら、イヴは苦笑いを浮かべた。
 彼女には兄が一人いる。
 母を知らず、王立学校の中等科に上がる前に父が亡くなって以降は、六歳離れた兄オリバーがイヴの親代わりだった。
 彼こそが、『カフェ・フォルコ』の店長である。
 そんなオリバーも、イヴが高等科を卒業した一年前、店を彼女に委ねて新たなコーヒー豆を求める旅に出た。
 時折ふらりと戻ったかと思ったら、またすぐに出かけて行ってしまうのだが……

「オリバーが不在の間は、私があいつの代わりをする。なんら問題はない――イヴ、コーヒーうまいよ」
「恐れ入ります」

 この通り、ウィリアムが兄役を買ってくれているため、イヴは生活面での不自由も、寂しい思いもせずに毎日を過ごせている。
 そうこうしているうちに、時刻は間もなく十七時になろうとしていた。
 
「やっば、もうこんな時間! じーちゃん、帰るよ。もう飲んだ? 飲んだね? はいカップ、お返しします! ごちそうさま!」
 
 慌ててカフェモカを飲み干したジュニアが、空になった二つのカップをカウンターに返す。
 そして、性懲りも無くイヴに絡もうとしていたマンチカン伯爵の首根っこを掴んで帰宅を促した。
 んにゃあ……と鳴いて孫に引っ張られていく相手を、イヴは慌てて呼び止める。

「閣下、お帰りの前に一つよろしいですか? 実は、伝言をお預かりしております」
「んんー? 伝言? 誰からかにゃ? その可愛い声でボクの耳に囁いてちょうだいよ」

 とたん、マンチカン伯爵はジュニアを引き摺ってカウンターに戻ってくると、イヴの手を握って顔を近づけようとする。
 眉を跳ね上げたウィリアムが、カップ片手にその狭い額を掴んで阻んだ。

「午前中にロートシルト侯爵家の先代様が見えて、ご一緒に釣りをしましょうと仰せでしたよ。明日の朝五時、ケンル川沿いの物見小屋に現地集合とのことです」
「へえ、ロートシルトの坊やから誘ってくれるなんて珍しいなぁ。明日の朝、五時ね。了解!」

 アンドルフ王国の名門ロートシルト侯爵家のご隠居はすでに八十近いのだが、五百年以上生きてきた猫又にとってはいつまでも坊やらしい。二人は長年の釣り仲間でもあった。
 イヴから伝言を聞いて、マンチカン伯爵はとたんにウキウキし始める。

「ウィリアムも一緒にどうだい? 穴場を教えてやらんこともないぞ?」
「遠慮しておく。こちとら現役で仕事をしているもんでな。平日の早朝から隠居じじいどもと遊んでいる余裕はない」

 一方、ジュニアは苦虫を噛み潰したような顔をしたかと思ったら、イヴに恨めしそうな目を向けた。

「うっわー……これ、俺は問答無用で同行させられるヤツじゃん。早起き苦手なのに……余計な伝言、しないでほしいんですけどー」
「申し訳ありません。コーヒーをご注文していただいた方からの伝言は、できる限り承るようにしておりますので……」

 コーヒー一杯に付き、伝言一件。
 これは、知る人ぞ知る『カフェ・フォルコ』のサービスだった。
 ただし、当日の営業時間内――九時から十七時までの間に、伝える相手が店を訪れたり側を通りかかって、なおかつイヴが会話可能な状況であった場合に限る。
 伝言はあくまでおまけであり、銀貨一枚の対価は最高のコーヒーを提供することのみ、というのが暗黙の了解の上で成り立つサービスである。
 そのため、伝言を頼む客達の多くは、伝わったらいいな、くらいの感覚で利用している。
 しかし、今回の前ロートシルト侯爵の場合は、マンチカン伯爵が本日王宮を訪れることを把握しており、必ず『カフェ・フォルコ』に立ち寄ると知っていたがために、確信を持って伝言を託したのだろう。

「腕が鳴るねぇ! 大きい鱒を釣ってきて、イヴにご馳走するにゃ!」
「はい。楽しみにしていますね」

 うんざり顔の孫と肩を組み、マンチカン伯爵はスキップでもしそうなくらいご機嫌になってようやく帰途についた。
 そうして、彼らが王宮の玄関を潜るのを見届けてから、ウィリアムが密かにため息を吐き出す。
 
「思ったより、元気そうだったな」
「はい……でも、最初いらした時は、おヒゲが少ししょんぼりなさっていました……」

 御年五百歳のマンチカン伯爵――彼は一月前、五十年連れ添った十人目の妻を亡くしたばかりだった。
 イヴはそっと唇を噛み締めて、空になったカップに視線を落とす。
  喪が明けて初めて登城したこの日、『カフェ・フォルコ』でマンチカン伯爵が注文したカフェオレは、彼の亡き妻がいつも好んで飲んでいたものだった。
 

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