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1話 そのカフェオレはどんな味?

そのカフェオレはどんな味? 3

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「そういえば、ウィリアム様」

 マンチカン伯爵と入れ替わるように、エプロンを着けた中年の女性が『カフェ・フォルコ』を訪れた。
 王宮の食堂で働く熟練の調理師である彼女も、一際忙しくなる夕飯前のコーヒー休憩を日課にしている常連客だ。
 思い出したようにウィリアムを呼んだイヴは、彼女の好みに合わせたブレンドコーヒーを用意しつつ続けた。

「――お慕いしております。結婚してください」
「――っ!?」
 
 カウンターにもたれてカップを傾けていたウィリアムが、思わずコーヒーを吹きかける。
 あれまあ! と横で聞いていた調理師が頬を赤らめたが、手元に視線を落としているイヴは気にせず続けた。

「……と、アイリさん、アンナさん、イザベラさんが」
「な、なんだ、伝言だったのか……ややこしい……」
「あと、エイダさん、エイミさん、カリンさん、コレットさん……」
「……まだ、続くのか?」
「続きます。ニナさん、ヘレンさん、ポーラさん、モニカさん、ローズさん、以上順不同です」
「はあ……」

 前ロートシルト侯爵が、マンチカン伯爵は王宮を訪れれば必ず『カフェ・フォルコ』に寄ると確信して伝言を頼んだのと同様に、毎日欠かさずここを訪れるウィリアムへの伝言をイヴに託す客は多い。
 ただし、アイリ以下十二名の常連客達も、彼がプロポーズに応えてくれると本気で期待しているわけではないだろう。
 殿下、頑張って、となぜか調理師に励まされているウィリアムを、イヴは首を傾げて見上げる。

「続きまして――殿下、今日も顔がいい! とアニーさん、ヴェロニカさん、ケイトさん、ノラさん……」
「……」
「きゃー、殿下! 笑顔くださーい! とエリカさん、ミーナさん、メイジーさん、ララさん……」
「……」

 現在二十五歳で独身。
 次期国王の座が約束されている上、銀髪金眼の涼やかな美貌でモテモテの第一王子は、カップを傾けながら遠い目をしてイヴの伝言を聞き流していたが……

「――最後に、クローディアさんから」
「……クローディア? 待て、いやな予感が……」
「今日提出予定の書類ですが、どう考えても間に合いそうにないです。ごめんね。かしこ――とのことです」
「あいつ~」

 クローディアは宰相付きの文官で、ウィリアムやイヴの兄オリバーとは王立学校で共に机を並べた仲である。
 大変な才女である一方、並外れておっとりとしたところがあった。
 この日も十五時の休憩に『カフェ・フォルコ』を訪れ、コーヒーを飲みながらイヴの仕事ぶりを一時間ほどニコニコと見守った末の、件の伝言だったのだ。
 ウィリアムは飲み干したカップをカウンターに置くと、苛立たしげに銀髪を掻き回す。
 
「あいつの書類が上がらないことには、今手をつけている仕事が進まないというのに! ……あー、もういい! やめた! 今日はもう、私も仕事は終わりだ!」

 彼はそう言うと、カウンター横の壁にかかっていた木の札を裏返した。
 そうすると、『カフェ・フォルコ』は〝営業中〟から〝営業終了〟に。
 時刻はすでに十七時を回っており、この日最後の客となった調理師がカウンターにカップを戻したことで、イヴもかまどの火を落とした。
 それを見届け、ウィリアムが気を取り直すように言う。

「せっかく時間ができたんだ。街へ夕飯を食いに行こう。イヴ、何が食いたい?」
「わあ、うれしいです! 何にしましょうか――あっ、でも……」

 ぱっと顔を輝やかせたイヴだったが、しかしすぐに迷うそぶりを見せた。
 どうした、と問うウィリアムに、彼女は困った表情で続ける。

「もう一つ、お預かりしている伝言があるんです。でも、今日はまだ相手の方が見えていなくて……」

 イヴが預かる伝言は、その日の内に伝えられなければ無効になるのが暗黙の了解なのだが……

「どうしても、伝えて差し上げたいことなんですけど……ウィリアム様、こういうのはアリでしょうか?」
「いいんじゃないか。イヴが個人的に誰かに何かを伝えることに文句をつけるような輩がいたら、私が相手をしてやろう」

 そんな頼もしい兄役の言葉に、イヴはたちまち笑顔になる。
 それに目を細めたウィリアムは、よし、と頷いて両手を一つ打ち鳴らした。

「では、夕飯の前に、その伝言の相手とやらを探しに行こうじゃないか」
「はい」





 この大陸が、今のコーヒー豆のような楕円形に落ち着いたのは、六百年ほど前の話だ。
 それ以前は、無数の島々がバラバラに海に浮いた状態であったという。
 それぞれの島には異なる種族の獣人が国を構えていたのだが、突然起こった激甚なる地殻変動により、世界は一夜にして何もかもがめちゃくちゃになった。
 文明も、国境も――そして、秩序も。
 それから百年近くもの間、人々は混沌たる暗闇の中でもがくことになる。
 争い、奪い合い殺し合い、世界が先の見えない地獄の様相を呈する中、これを打開しようと声を上げたのはヒト族であった。
 ヒト族は身体能力こそ劣るものの、叡智と理性に抜きん出ており、共生を謳って多様性のある社会を作ろうと尽力した。
 最初はなかなか耳を貸さなかった他の種族も、とある特殊な事情により、やがてヒト族の存在を獣人全ての希望と捉えるようになる。
 というのも、異なる種族間では交配が不可能だと思われていた中、ヒト族だけはどの種族とも子孫を残せ、さらに彼らの血が入ることであらゆる種族間での交配が可能になると判明したのだ。
 これにより、頑なだった種族間の壁は少しずつ取り払われ、結果さまざまな環境に適応する多様な人間が生まれるようになった。
 やがて人間の姿は、マンチカン伯爵のような生粋の獣人や、ジュニアのような特定の獣人の特徴が強く出た先祖返りを除き、ヒト族に非常に近い形で固定されるに至ったのである。
 現在この大陸には、アンドルフ王国を含めて大小三十あまりの国々が存在している。
 各国の関係も比較的良好で、国家間を旅するのに危険はないと言われているが……
 
「兄さんは……まだ、ヒト族の国を探しているのでしょうか?」

 店を閉め、エプロンドレスとヘッドドレスを外して完全に仕事から離れたイヴは、預かった伝言の相手を求めて王城の庭を歩いていた。
 小柄なイヴに歩調を合わせていたウィリアムは、彼女がぽつりと零した疑問に一瞬考えるようなそぶりをしてから口を開く。

「なんでも、コーヒーを嗜好品にしたのはヒト族だという話だからな。オリバーは、歴代のフォルコ家当主の例に違わぬコーヒー狂だ。その原点であるヒト族に興味があるのだろう」

 各地の山中に自生するコーヒーの木の実は、地殻変動以前よりさまざまな種族の間で食用とされてきたが、その種子を加工してコーヒーという飲み物に仕立て上げたのはヒト族であると言い伝えられている。
 当初は、焙煎した匂いや苦味が獣の習性が強い他の種族には受け入れられず、代わりに紅茶が嗜好品としての人気を独占していたらしい。
 そんな中で、どういうわけかコーヒーの魅力に取り憑かれてしまったのが、フォルコ家の初代であった。

「でも、ヒト族の国が現在も存続しているかどうかは定かではなく、そもそも純血種はもういない、と歴史の授業では習いましたが」
「確かに、ヒト族の国が他の種族との交流を断って久しい。それでなくても、純血種は殊更大事に仕舞われていて、他国の人間は姿を見ることすら叶わなかったという話だからな」

 混沌の時代、数多の種族の橋渡しを務めたヒト族だが、当然ながら一枚岩だったわけではなく、他種族の血が入るのを厭う保守派も存在した。
 ヒト族の血のおかげで種族間の交配が進む中、彼らは住処を隠し外界との交流を断つことで、純粋な血統を守ろうとしたらしい。
 そんな閉鎖的な環境で、ヒト族が好んだコーヒーがどう変化し、進化を遂げているのかに、フォルコ家当主の多くが強い興味を抱いていた。
 イヴの父も、そして今代の当主である兄オリバーも。
 
「イヴは、ヒト族についてどう思う?」

 ふいにウィリアムから投げかけられたそんな問いに、イヴは無意識に眉を顰めた。

「特に何も。全然、思い入れはないです」

 拗ねたような口調になってしまったのは、亡き父に続き、たった一人の兄の関心までヒト族に奪われてしまっている現状を、少なからず面白くないと感じているからだろう。
 そんな彼女の心の内を知るウィリアムは苦笑する。
 皮肉なことに、ヒト族の純血は黒髪で焦茶色の瞳をしており、現在の大陸の人間より全体的に小柄であったという――ちょうど、イヴのように。

「コーヒーにだって、私は父や兄ほど情熱を抱いているわけではありませんから」
「コーヒー店を一人で切り盛りしているというのにか?」
「だって、仕事ですもの。兄に店を任されてしまいましたし……私が店を開けないと、寂しく思ってくださるお客様もいらっしゃいますし」
「そうだな。私も、イヴが淹れてくれたコーヒーを飲めなくなると、仕事を頑張れないな」

 ウィリアムがそう冗談めかして言うと、イヴはとたんに拗ねるのをやめた。
 フォルコ家は、今から三百年ほど前――第十三代アンドルフ国王の時代に、その長男として生まれた一人の王子から始まった家だ。フォルコというのは、そもそも王子の名前らしい。
 玉座を継ぐ立場にありながら、フォルコ王子はコーヒーの研究に没頭するばかりで政治にまったく興味を示さず、最終的には王位継承権を放棄してしまう。
 その際、爵位も財産分与も辞退する代わりに、当時研究室としていた王宮の一角を私有地とすることを認めさせたのだという。
 それが、現在『カフェ・フォルコ』がある、王宮一階大階段脇。
 かの店にアンドルフ王家の権力が及ばないのは、あの場所がフォルコ家の領地であるからだった。
 王宮の一部を私物化させるなどと普通では考えられないことだが、後に第十四代国王となった弟王子が、この変わり者の兄と、彼が淹れるコーヒーをこよなく愛していたためだと言い伝えられている。
 イヴとウィリアムも、系譜上では非常に離れた場所にはいるものの、遠縁の関係にあった。

「私もいつか、コーヒーをブラックで飲めるようになるでしょうか」

 機嫌を直したイヴが、またぽつりと独り言のように呟く。
 それを耳にしたウィリアムが片眉を上げた。

「イヴは、ミルクと砂糖をたっぷり入れないとコーヒーが飲めないんだったか?」
「う……だって、苦いの苦手なんです……」

 日々、客の好みに合わせてあらゆるコーヒーを提供しているものの、実は彼女、コーヒー本来の味を楽しむ醍醐味を知らなかった。
 物心がついた頃から身近にあるものだから馴染みも愛着もあるため、コーヒーが好きか嫌いかと問われれば、もちろん好きと答える。
 ただし、コーヒーそのものの味わいを理解できていないイヴは、現在のところ経験でも情熱でもなく、記憶だけを頼りに『カフェ・フォルコ』を切り盛りしていた。

「まあ、コーヒーそのものの味を知らないまま、あれだけ膨大な種類の豆の特徴を記憶し、客それぞれの好みに合わせて瞬時に選別して提供するその技術には感服するがな」
「恐れ入ります」

 ウィリアムの言葉は、決してお世辞ではない。
 イヴは殊更記憶力に優れており、一度見聞きしたものはまるで脳内に書き写したみたいに正確に、かつ半永久的に覚えておくことが可能なのだ。
 そのため、『カフェ・フォルコ』の作り付けの棚に保管されている膨大なコーヒー豆の銘柄も特徴も淹れ方も、余すことなく把握できている。彼女にそれを教えたのはもちろん、コーヒーに対して並々ならぬ情熱を抱く父や兄だ。
 イヴが、コーヒーを注文した客の伝言を引き受けるようになったのも、いちいちメモをとらずとも一文一句違わず覚えられる、その優れた記憶力が所以だった。
 それにしても、とウィリアムが彼女を見下ろして続ける。

「苦いのが苦手なのに、ブラックで飲んでみたいのか?」

 すると、イヴはこくりと頷いて、彼を見返して答えた。

「だって、ウィリアム様がいつも幸せそうなお顔で飲んでいらっしゃいます」
「ん……?」
「ウィリアム様が幸せだと思うのはどんな味なのか知りたい――私も、ウィリアム様と同じ気持ちを味わってみたいです」
「……っ、いやもう、君は……」

 ふいに立ち止まって目頭を押さえた相手に、イヴはきょとんと首を傾げる。
 その他意のなさそうな顔を見てため息をつきつつも、銀髪に透けたウィリアムの耳はほのかに色づいていた。

「断言する――イヴが淹れてくれたものじゃなければ、そんな顔はしない」

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