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第十話
王妃様が案内するヴィンセント城ダンジョン3
しおりを挟む「──いかん、かくれろ!」
「へぶっ……!」
王宮一階、王妃専属お針子ソマリのアトリエを出てすぐのことである。
何かを見つけてはっとした顔をしたマイリが、柱の陰にマチアスを押し込んだ。
すかさず護衛騎士が後に続き、マチアスは壁と筋肉の間でむぎゅうと押し潰されそうになる。
マイリと犬は、そんな彼の足の間にちゃっかり避難していた。
そうこうしているうちに、コツコツと滑らかな靴音が近づいてきたかと思ったら、一行の前で止まる。
マイリがさらに身を隠そうとマチアス両足をぎゅっと閉じさせたものだから、彼は否応なく内股になった。
そこに、落ち着いた女性の声が聞こえてくる。
「──ケットさん、妃殿下がどちらにおいでか、ご存知でありませんこと?」
「一切、存じ上げません──侍女頭殿」
声の主はヴィンセント城の侍女頭で、どうやらマイリを探しているらしい。
自分にも他人にも厳しいと恐れられる彼女に対し、パーティーの仲間を逞しい背中に隠した妖精さんは、息をするように平然と嘘を吐いた。
「……」
「……」
しばしその場に沈黙が落ちる。
侍女頭とケットが静かに火花を散らし合う気配がした。
なぜ隠れる必要があるのかと疑問を抱きつつ、マチアスも空気を読んで息を潜める。
やがて膠着状態を打ち破ったのは、侍女頭のため息だった。
「それでは、妃殿下とお会いになりましたら、すぐさま私のところまでお連れください」
「承知いたしました」
ケットは侍女頭の目をまっすぐに見て平然と嘘を重ねた。
コツコツ、と滑らかな靴音が遠ざかっていく。
「──行ったか?」
「うわわっ……は、はい……」
マイリが両足の間を割いて顔を出したため、マチアスは今度は否応なくガニ股になった。
股の下から彼を見上げ、マイリは大真面目な顔をして言う。
「よいか、マチアス。あやつが一階をナワバリとする中ボスのモンスター、侍女頭じゃ。あれは強力ゆえ、倒すのはむずかしい。見つからぬよう、身をひそめながら二階へと進むぞ」
「ちゅうぼす……えっと、あの方がモンスター役なのです、か?」
「うむ。あやつは恐ろしいぞ。捕まったら最後、長々としたお説教が待っておる。なにしろわらわ、三日連続でマナーの授業をサボっとるからな」
「さぼって……」
マチアスはそっと柱の陰から顔を出し、遠ざかっていく侍女頭の真っ直ぐに伸びた背中を見つめる。
それから意を決したみたいに、その場に──マイリの前に片膝を突いた。
「マイリ様」
「なんじゃ」
「余計なお世話かと存じますが、授業はきちんと受けられるのがよろしいかと」
「ほう」
諭すように言う相手を、マイリは両目をぱちくりさせて見上げる。
相手の心を見透かすようなその眼差しが、いつもウルの隣にあった男のそれとあまりにも似ていて、マチアスは一瞬怯んだ。
それでも彼は、眼鏡を指で押し上げ、ゴクリと唾を飲み込んで続ける。
「あ、あなた様は幼くともヴィンセント王国の王妃であらせられます。ウルのためにも、もちろんご自身の沽券を保つためにも、きちんとしたマナーを身につけなければ……」
「ふむ。なぜ、わらわがマナーを知らぬという前提でものを言うておる?」
「えっ……それは、その……あなた様はまだ五歳で……」
「そう、五さい。わらわは、まだたったの五さいさんじゃ。ところで──おぬしが知るウルは、このかわゆい五さいのわらわを無理やり机にしばりつけようとする男か?」
マイリの質問に、マチアスは虚を衝かれたような顔をした。
けれどもすぐに、いいえ、と首を横に振る。
「ウルは、きっとそんなことはしないでしょう。体裁にこだわるような人でもありませんでしたし……」
「うむうむ、そうじゃろう。わらわの知るウルもそうじゃぞ。いっしょじゃなあ、マチアスよ」
「……はい」
「それに、安心せい。わらわは五さいとはいえ、うんとかしこい五さいさんじゃからな。マナーなど改めて教わらずとも問題ない」
「は、はあ……そう、ですか……」
ツンと澄ました顔をして言うマイリに、マチアスは頷く他なかった。
その後も、マイリを探しているのか一階を歩き回る侍女頭に見つからないよう、一行は柱の陰から陰へと移動して、二階に上がる大階段を目指す。
もちろん、そこかしこにいる侍女や侍従達には丸見えなのだが、愛すべきちっちゃな王妃様の楽しそうな姿に頬を緩めるばかりで、誰一人侍女頭に知らせる者はいなかった。
「──よし、いまだ! ゆくぞ、マチアス!」
「はっ、はいっ……!」
侍女頭がようやく角を曲がったのを見届けて、マイリは一気に大階段まで駆け抜ける決断をする。
そのちっちゃなふくふくの手に導かれて、マチアスもあわあわと廊下を走った。
豪奢な衣装も床に引きずりそうなマントも脱いでいたおかげで、身体が軽い。
そうして、マイリに続いてついに大階段に片足を掛けた瞬間──
「あっ……」
マチアスは、今さっき角を曲がっていったはずの侍女頭が、廊下の端で両手を腰に当てて立っているのに気づいた。
その顔は、怒っているというよりも呆れているようだ。
きっと、ちっちゃな王妃の行動などお見通しの上で付き合ってくれていたのだろう。
マチアスはずれた眼鏡を直しつつ、思わず自分の肩書きも忘れて会釈をする。
すると侍女頭は、呆れ顔を苦笑いに変えて深々と頭を垂れた。
まるで、妃殿下を頼む、とでも言われているように感じる。
「ほれ、ゆくぞ、マチアス! わらわの手をはなすな!」
気がつけば、廊下のあちこちで見守っていた侍女や侍従達も、侍女頭と同じようにマチアスに向かって礼を執っている。
自分の手をぐいぐいと引っ張っていくこのちっちゃなヴィンセント王妃が、城の者達にどれだけ愛されているのか、マチアスにはひしひしと伝わってきた。
「これ、ぼーっとするでない! 階段でぼーっとすると、転んでケガをするぞ! ちゃんと前を見て歩かんかっ!」
「ふふ……はい」
そんな彼女に、いい年をした男がまるで小さな弟みたいに世話を焼かれている。
マチアスは恥ずかしいというより、くすぐったい心地を覚えるのだった。
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