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第十話
王妃様が案内するヴィンセント城ダンジョン4
しおりを挟む「──力がほしいか」
数々の苦難を乗り越え、やがて国王執務室のある三階へと大階段を登り切ろうとした勇者マチアス一行。
その前に立ち塞がったのは、真っ黒い毛並みのでっぷりとした身体にコウモリのような羽根が付いた猫──いや、悪魔だった。
あらゆる愛らしさを魔界に置いてきたようなそれは、旧友とそっくりの灰色の瞳でマチアスを見上げると、ぬあーんと可愛さの欠片もない声で鳴く。
そして……
「力がほしければ、この手をとれ──そう、賢者ドンロは申しておる」
案内役マイリが代弁する通り、手を──前足をマチアスの目の前に突き付けるのだった。
「えええっ、賢者? どう見ても、悪魔ですけど!? ドンロって、確か先代のヴィンセント国王……ウルの父上のお名前でしたよね!?」
「いかにも。しかし、今はわらわのかわゆいネコちゃんじゃ。ドンロは、はよう手をとれと申しておる」
「ウルの父上が、賢者で、悪魔で、マイリ様の猫ちゃん!? ええっと……力、とは……?」
「この先におる敵は、これまでの比ではないほど手強いぞ。立ち向かうためには、ドンロを仲間に加えるんじゃ」
マチアスは戸惑いつつも、案内役の助言に従い悪魔の手を取る。
とたんに力が漲る……わけはないのだが、何しろドンロのそれは、猫の手と少しも変わらないため……
「わああ、どうしましょう! 猫も可愛いですね!? うちは代々、犬派なんですが!?」
丸くてフワフワで、ピンク色のプニプニの肉球が付いているそれに触れているだけで、マチアスの幸福度がギュンギュン上がっていく。
同行の犬はそれが面白くないのか、マチアスの足をぎゅうっと踏みつけた。
それを見て、マイリが笑う。
「うむうむ、わらわはネコちゃんが好きじゃが、同じくらいイヌも好きじゃぞ。ウルは、どちらかというとイヌじゃしな」
「……なんの話ですか?」
マチアスは知らない。
今は一国の王となった旧友が、目の前のちっちゃな王妃に〝お手〟をした黒歴史が存在することなど。
ともあれ、賢者ドンロをパーティーに加えた勇者マチアス一行は、ついに三階へと到達する。
目的地である国王執務室が、もう目と鼻の先まで迫っていた。
一際荘厳な扉のおかげで、ヴィンセント城に明るくないマチアスでも一目でそれと知れる。
「ウル……」
マチアスはしばし扉を見つめ、その向こうにいるであろう囚われの姫──いや、旧友に思いを馳せる。
マイリとドンロが無言でそれを眺め、護衛騎士も犬もただ静かに見守っていた。
唯一、勇者に対して微塵も関心がない様子のガチムチの妖精は、胸筋の間から懐中時計を取り出す。
彼は時間を確認して片眉を上げたかと思ったら、その場に膝を折って主人のちっちゃな耳に何やら囁いた。
ゴクリと唾を飲み込んだマチアスが、いよいよ国王執務室に向かって足を踏み出す。
ところが……
「──待て、マチアス」
「ぐえっ……」
襟首を引っ張られて、蛙が潰れたみたいな声を上げてしまった。
引き止めたのはマイリで、彼女の代わりに賓客の襟首を平然と鷲掴みにしたのはケットである。
前者は、強引に階段へと戻されて眼鏡の下で目を白黒させるマチアスを見上げ、言った。
「ひるげの時間じゃ」
「……はい?」
ヴィンセント城は、飲食ができる施設が至る所に作られている。
一行がやってきたのは、その中でも最も広くて賑わう、王宮一階の中央食堂だった。
昼時を迎えた厨房はさながら戦場のようだ。
軍人と見紛うほどに筋骨隆々とした料理人達に檄を飛ばす料理長のなんと勇ましいことか。
しかし、いつもは厳めしいその表情も、カウンター越しに顔を覗かせたちっちゃな王妃を見つけるとたちまち緩々になった。
「料理長よ、忙しいところすまんな。わらわとケットとドンロに、いつものを頼む」
「なんのなんの! 妃殿下の頼みならお安い御用さ! 日替わりお子様膳小と特盛、それからねこまんまね! ──おや、今日はいぬまんまも必要かね?」
「うむ、他にも客人がおってな。あやつらには……ううーむ、何がいいじゃろう?」
「肉だよ、肉! 肉さえたらふく食わしときゃ、若い男は大概文句言わないって!」
ガハハと豪快に笑っては、近所のおばちゃんのノリで適当なことを言うこの恰幅のいい中年女性が、中央食堂の料理長だ。マイリが王妃として城に上がって以来、もう二年の付き合いになる。
朝食と夕食について言えば、マイリはよほどのことがない限り、ウルとともに王家の食卓で食べる。
一方、昼間は彼の仕事が立て込んでいることが多く、休憩が取れる時間もまちまちなため、マイリはもっぱらこの中央食堂で昼食を摂っていた。
主君が山積みの書類と戦っていようが一切気にせず昼休みに入るケットとドンロも一緒だ。
もちろん、一国の王妃が一般人に混じって食事をすることに難色を示す者がいなかったわけではない。侍女頭など、殊更強く反対した。
とはいえ、件の食堂は元々貴賤を問わず利用されていたし、何よりマイリ自身がここを気に入ってしまった。
「そのため、陛下が侍女頭を説得なさったのです。危険が及ぶ場合を除いては、できる限り妃殿下の望むようにさせてやりたい、と」
「そうなんだ……ウルらしいね」
マイリが料理長に注文を通している間に、マチアスは有無を言わさず窓際の広い席に座らされた。
一国の王妃に、しかも五歳の幼子一人に注文を任せてしまうなんてと思われるだろうが、しかし今のマイリは一行の案内役。ついでにいうと、なんでも自分が仕切りたいお年頃である。
犬はなぜかマチアスではなくマイリにくっ付いていって、料理長に向かって愛想を振りまいている。
反対に、ケットはマイリの意思を尊重し、お利口に席に座ってお呼びがかかるのを待っていた。
そんな鬼畜面の守衛と、可愛さの欠片もない猫悪魔がテーブルを挟んだ向かいに、筋骨隆々とした護衛騎士が自身の左隣に並んで座っているものだから、あまりの絵面の強さにマチアスは怯えるみたいに首を竦める。
右手にある窓の向こうには大きな池が見え、真上から降り注ぐ太陽の光が反射して眩しかった。
さざなみに揺れる水面がキラキラと輝き、まるで鱗のようだ。
明るい光から目を逸らしつつ、マチアスの口からもう何度目かも知れないため息が溢れた。
「もう少しで、ウルに会えたのに……」
せっかくヴィンセント城ダンジョンの最上階に到達したというのに、勇者は姫に会えないまま一階に戻ってきてしまった。
その元凶たるちっちゃな案内役に、マチアスはついつい恨みがましげな目を向ける。
厨房の入り口に立つマイリは、今まさに料理が載ったトレイを受け取ろうとしているところだった。
それを見守りつつ、澄ました顔をして言うのはケットだ。
「昼餉の時間になってしまったのですから、仕方がありません」
「そんな……ちょっとくらい遅くなったって……」
「まさか! マチアス殿下は、我々に飢えろとおっしゃるのですか? お腹と背中をくっつけて、惨めにえんえん泣いていやがれと!? なんたる鬼畜の所業!!」
「そんなこと、一言も言ってませんよね!?」
ひどーい! と叫んだケットが、わあっと泣き真似をしつつ鬼畜面をテーブルに伏せた。
ひどーい! ……いや、ぬあーん! と鳴いたドンロは、モフモフの手でテーブルを叩いて抗議する。
ひどーい! と言いたげな顔をして、護衛騎士も非難がましげな目を主人に向けた。
とにかく気合の入りまくった面構えの集中砲火に、マチアスはたじたじとなる。
周囲の視線も集まってしまい、レベル一の勇者は泣きたくなった。
「わ、私はただ……早くウルに会いたかった、それだけなのに……」
消え入りそうな声でそう呟いて、ぐっと唇を噛み締める。
ところがここで、彼に突き刺さっていた周囲の視線があっさりと外れた。
その理由は、すぐに判明する。
「──料理長、日替わりをくれ」
ふいに耳に届いたその声に、マチアスは弾かれたみたいに顔を上げた。
「──ウル!」
幼子の弾んだ声が、広い食堂に響く。
マイリが受け取ろうとしていた料理のトレイは、隣に立った男の手に収まっていた。
三階、国王執務室に缶詰になっているはずの、ウルだ。
「ウ、ウル……」
この男に会うためにはるばるヴォルフ帝国からやってきたマチアスは、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
彼らが会うのは、二年前に執り行われたウルとマイリの結婚式以来のことだ。
クーデターを決行すると決めた時には、二度と会えなくなることも覚悟をした旧友との再会に、マチアスの両目はみるみるうちに潤んでいった。
そうして、居ても立っても居られず、駆け出そうとするも……
「ウ──」
「はーい、そこまで」
ウル、そして彼と向かい合うマイリを隠すみたいに立ち塞がる者がいた。
こちらも王立学校時代の級友、ロッツだ。
この日、ヴィンセント城に到着してからずっと行動を共にしてきたちっちゃな王妃と同じ、曇りのない菫色の瞳に至近距離から見つめられ、マチアスは反射的に俯く。
ロッツは薄らと微笑むと、ケットに声をかけた。
「悪いけど、料理を取りに行ってもらえるかな? エリックに注文を任せてきたんだよね」
「承知いたしました、ロッツ様」
ケットが護衛騎士を促して席を立つ。ドンロもそれについていった。
マチアスはそろりと顔を上げ、彼らの向かう先に視線をやる。
厨房の入り口には身なりのいい少年が一人佇んでおり、さっきまでそこにいたウルとマイリの姿はなくなっていた。
二人はどこへ行ってしまったのか、と辺りに首を巡らせようとしたマチアスだったが……
「久しぶりだね、マチアス。ねえ──反逆者ごっこは、楽しかった?」
「ロ、ロッツ……」
さっき避けた菫色の瞳に捕まってしまい、しかもそれが全く笑っていないことに気づいて、首を竦めた。
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